紫金の色のファム・ファタル(後)
フィリス先生が痛ましそうな顔になった。
「では、シャンゼリンは、実の妹を『闘獣』にして売り飛ばして、その稼ぎで生活していたと言う事ですね」
「闇ギルドでは普通の事よ。まさに度を過ぎた弱肉強食の不法地帯ですからね、あそこは」
アシュリー師匠は重々しく頷き、再びお茶を一服した。
「サフィール自身もね、最初はまさに『闘獣』――ケダモノだったの。私は絶対に、この子を『人』にすると誓ったわ。獣体拘束用の首輪が外れて『人体』に戻っても、四つ足の方が自然だったんでしょうね、四つ足で移動する習慣が、なかなか直らなかった。食事をする時も手を使わずに、直接、皿に顔を突っ込んで、がっつくという風でね。そこに手を出すと、手に噛み付いて威嚇するやら咆えるやらで」
――『魔法の杖』を取り上げて置いて、サフィールに行儀作法を教える日々がスタートした。
最初こそ混乱と抵抗は激しかったが、10日ほども経つと、サフィールは納得したような様子を見せ始めた。《暗示》の効果が定着し、《紐付き金融魔法陣》の影響が弱まったせいもあるだろうが――
きちんと教育を施してみると、サフィールは素直に応えた。元々、思慮深く、素直な性質だったのだ。
サフィールは、『人体』の動きを、みるみるうちに習得して行った。言葉も、魔法も。モンスター狩りで鍛えたスキルのせいなのか、サフィールは観察力が高く、違和感を見抜く力が優れていた。魔法使いには、必須の能力だ。
1年を回る頃には、サフィールは、城館の行儀見習いの適正診断を受ける予定のウルフ族の子供たちと余り変わらなくなった。
四つ足で移動しがちな、警戒心の強すぎる、問題行動の多い野生児っぽい少女ではあったけれど。《紐付き金融魔法陣》による呪縛の無い、野良の『闘獣』の少女であれば、城下町の孤児院に、自信を持って預けられるレベル。
やがて、アシュリー師匠は悩ましそうな様子で、こめかみを揉み始めた。
「今でも、この選択が正しかったかどうかは分からないけど。ちょっとした折に、大魔法使いネットワークにヒントが洩れて。レオ族の大魔法使いに、サフィールの存在を嗅ぎつかれてね」
そのレオ族の大魔法使いは、サフィールの、最高位の《水の盾》としての素質に気付いた。大魔法使いから情報を入手したレオ帝国の特別大使は、サフィールに関する、ありとあらゆる機密保護を施したうえで、満を持して迫って来た。
そもそも、機密保護というのは、極めて難しい仕事なのだ。レオ族の特別大使の仕事は、大魔法使いをすら感心させる程のレベルだった。レオ皇帝でさえ、サフィールの秘密を知らない状態なのだ――アシュリー師匠は、その要求を強く拒否する事は出来なかった。
「飼い主を持つ闘獣だから、いつ飼い主に《召喚》されるかも分からないし、《暗示》が破れるタイミングと飼い主の指令次第によっては、とんでもない事になる――という事情を明かしたけれど。それでも、レオ族の側の意思は変わらなかったわ。それで、鳥人の大魔法使いバーディー殿と相談して、『風のユリシーズ』と直接会うと言う条件と引き換えに『献上』に応じたの」
この時点で、ウルフ王国の魔法部署のトップ、トレヴァー長官にサフィールを引き渡す事も出来た。でも、アシュリー師匠は、そうしなかった。
何故なら、ウルフ王国では目下、世代交代に伴い、王位継承者の争いが活発化する恒例のお家騒動シーズンに入っていたからだ。飛び地領土をリンクしただけの統一王国の、政治的な弱点でもある。
第一王子と第二王子は、なかなか決まらない。第三王子が臣籍降下してなお返り咲こうと陰謀を巡らせており、魔法部署に居る第五王子が胡乱な動きをしている。第四王子は不慮の死。
かくも統制の取れていない国内状況において、闘獣サフィールの飼い主に、しゃしゃり出て来られては、対応しきれないのは確実だった。第一、誰が飼い主かも分からなかったのだから。
「サフィールの『献上』の事情について、情報操作をしたのはアシュリー師匠ですか?」
フィリス先生の質問に、アシュリー師匠は苦笑いをしながら応じた。
「レオ帝国の特別大使の手練手管よ。呆れるほどのウソが盛られたけど、でも結局、それで良かったのかも知れないわね。飼い主側にしてみたら、サフィールの手掛かりが、ほぼ消えた形になったのだから」
アシュリー師匠は、再び紫金の髪をしたシャンゼリンの映像に見入った。
「シャンゼリンは頻繁にサフィールの《召喚》を試みていたようね。以前、《風の盾》が7日間も行方不明になったと言う騒動があったでしょう。あれは、サフィールがノイローゼから回復したタイミングだったの。ノイローゼから回復すると同時に《暗示》が薄れた状態が続いていて、そんな状態で《召喚》があったから、サフィールが行方不明になった、と言うのが真相よ。ユリシーズみずからが連日《風魔法》を使って、あの子を回収してくれたわ」
――その時に、たまたま《紐付き金融魔法陣》の稼働中のコピーが取れた。
飼い主は血縁の者らしい――という事が判明した。それも、サフィールに良く似た容貌の。
ディーター先生が、ゆっくりと身をねじった。魔法のスクリーンに映し出されたシャンゼリンの面差しを、観察し始める――貴種を思わせる美麗系の容貌を。
「サフィールと、シャンゼリン……この姉妹を生み出した『風のキーラ』なる闇ギルドの女、伝説級のファム・ファタルですな。もしかして、母親キーラも紫金の女でしたか」
「ええ。『風のキーラ』は金狼種だった事が分かっているわ。見事な紫金の色合いのね」
フィリス先生が、そこで怪訝そうな声を出した。
「サフィールは黒狼種では無いんですか? 実際のところ、金狼種か黒狼種かも分かっていませんが……」
アシュリー師匠の背中が、ピクリと緊張する。
「何故そう思うの? フィリス」
「私の知人の、チェルシーさんとポーラさんの指摘です。チェルシーさんが最近、アンティーク方面で、サフィールの中古のドレスを入手してまして。お針子さんのポーラさんが、そのドレスを再現したんですけど、金髪よりも黒髪の方が映えるデザインでしたので」
――あ。あのメルちゃんドレスのモデル。わたしのは破いてしまったけど、水色の乙女なデザインだったなぁ。
フィリス先生の説明が続いた。
「サフィールの出身地だという辺境では、今でも現役の意匠ですね。水色の地に刺繍を施した薄布をまとわせるスタイルで、スカート部分の装飾が薄布の段重ねです」
アシュリー師匠は――動転したかのように、茶器をカタリとテーブルに置いた。
「……私が作ったドレスだわ」
今度は、ディーター先生とフィリス先生が仰天する番だった。
「そ、そう言えば、サフィールは、辺境から出て来たと言う事になっていましたね……あそこ、当時のアシュリー師匠が居た土地ですね」
アシュリー師匠は額に手を当てて、『ハーッ』と溜息をついていた。色々驚き過ぎて、ぐったりしたような感じだ。
「いつか、そんな時が来ると思っていたけれど……不要になったと言う事かしら」
「違うみたいですよ。そのドレス、異常にボロボロになってましたから。詳しい事はチェルシーさんが調べていると思いますが。――あ、そう言えば。アンティーク部門の方で『風のキーラ』の名前が出た事があったような……」
アシュリー師匠は、眉目の間を揉んでいる格好だ。そのまま、少しの間、沈黙が続いた。
「思い出してくれて有難う、フィリス。そのチェルシーさんと言う人に話を聞いてみたいわ。紹介してくれるかしら」
フィリス先生は頷き、自身の『魔法の杖』とアシュリー師匠の『魔法の杖』とを交差させた。淡い光がボンヤリと光りつつ、シンクロする。チェルシーさんの連絡先とかがコピーされたに違いない。
――わたしの方は、と言えば。
疲労回復の魔法の効果らしき物が、急に切れて来ているのを感じる。もう、限界だ。
わたしは、そろそろと床を移動して――再びベッドに収まった。
――そう言えば。さっき、わたしは四つ足で移動してたっけ? メルちゃんと一緒にコソコソしてた時も、無意識のうちに、四つ足の移動をしていた?
一瞬の――疑問と、違和感。
そのまま、わたしは失神するように、本来の疲労回復のための熟睡に入ったのだった。




