紫金の色のファム・ファタル(前)
研究室の中では、3人の魔法使いによる茶会と密談が続いている――
慎重に息を整えた後、改めて秘密の『のぞき穴』に目を当ててみる。
相変わらず、こちらに背を向けて座っているアシュリー師匠が、ほとんど白髪になった淡い栗色の頭部を傾げている。灰色ローブのフード部分を外しているので、うなじでまとめた長い栗色の髪が揺れているのが見える。
「私が『マイスター称号』を得て大魔法使いに昇格した後、ウルフ王国の宮廷に顔を出さなくなってから、随分になるわ。私はシャンゼリンの顔を知らないのだけど」
「こちらです、アシュリー師匠」
フィリス先生が、魔法のスクリーンに映像を出した。
黒髪バージョンのシャンゼリンだ。明らかに貴種と見える美麗な容貌。
「上級侍女シャンゼリンは、宮廷では、この姿でした。死んで初めて判明した事ですが、この黒髪は《変装魔法》によって変色させたもので、本当は金狼種でした。死体から採取した《宿命図》も、合わせて表示します」
そこで、ディーター先生がタイミング良く、補足説明を入れた。
「アシュリー師匠。宮廷の公式記録にあるシャンゼリンの《宿命図》――『ウルフ族、黒狼種、女性《風霊相》生まれ21歳、正式名:風のシャンゼ』は、本人の物では無かったのです」
白髪混ざりの淡い栗色の髪をした老女――アシュリー師匠が、重々しく頷く。
「彼女は身元を詐称していたのね、ディーター君。スパイの常套手段。それにしても、上級魔法使いと上級隊士が揃って、スパイまがいの危険人物の侵入を、王宮の奥深くまで許してしまうなんて。ウルフ王国の威信に関わる事だわ」
ディーター先生は、アシュリー師匠の指摘に、苦々しそうな様子で応えていた。
「死体から取り出した《宿命図》は、『ウルフ族、金狼種、女性《風霊相》生まれ推定23歳、正式名:風のシンディ』という結果を示しました。これについては、魔法部署と衛兵部署の合同調査チームが、シャンゼリンを養女にしている人物、すなわち元・第三王子リクハルド閣下に真相を問いただしているところです」
ディーター先生が説明している間にも、フィリス先生は、『魔法の杖』を通じてスクリーンの画像を調整していた。
魔法のスクリーンに映し出された黒狼種シャンゼリンの黒髪が、見る間に、金髪に置き換わる。妖しく紫を帯びた黄金色の、見事な髪だ。波打つような美しいウェーブが入っていて、それが余計に豪奢に見える。
シャンゼリンの映像の脇に並べられた多重魔法陣セットのような物は、シャンゼリン自身の《宿命図》らしい。『宿命図』というメモ書きが付いている。
アシュリー師匠が、激しく息を呑む音が響いて来た。乱暴に置かれた茶器が、ガシャンと音を立てる。
「……サフィール!」
その言葉の異様さに、最初に気付いたのはディーター先生だった――ディーター先生は思わず、と言った様子で、椅子をガタンと鳴らしながら立ち上がった。
「今、誰の名前を言われましたか?!」
ディーター先生の顔は青ざめている。フィリス先生も頭が追い付いて来たようで、『魔法の杖』を中途半端に構えたまま、目を大きく見開いていた。
――サフィール。
それは、普通の名前じゃ無い。
仮にも高位の魔法使いたる人物が、驚きの余り口にするようなら、それは、普通の意味を持つ――例えば、その辺の一般庶民の――名前では無い。
――レオ帝国の第一位の《水の盾》。水のサフィール・レヴィア・イージス。
息詰まるような一瞬が過ぎた――
アシュリー師匠は大きく息をつきながら、胸に手を当てたようだった。
――盗み見している状態だと後ろ姿しか見えないから、良く分からないけど。驚きすぎて、心臓が止まりかけたのかな。大丈夫だろうか。
しばらくして、アシュリー師匠は、ディーター先生とフィリス先生を順番に見やったようだ。
「ごめんなさいね、余りにも……似ていたから。シャンゼリンが、サフィールである筈は無いのに。あの、シャンゼリンは、背丈は――添付の《宿命図》で見る限りでは――フィリスと同じか、少し高いくらいだったのでしょう?」
フィリス先生が、戸惑いながらも頷いた。
「シャンゼリンは、ウルフ族女性の平均より少し背丈が高い方でしたね。スラリとしていて」
アシュリー師匠はフィリス先生の言葉を聞いて、急に気持ちが落ち着いてきたようだった。不意に身体をねじって、病室の方を――わたしの居る部屋の方を――振り返って来た。
――ぎょっ。気付かれた?!
「音を立ててしまったわ。隣の病室には、誰か居るの?」
「私が担当している特別患者が1人。推定16歳の少女で、厄介な魔法道具トラブルを抱えています。その点でも、アシュリー師匠に相談したいと思って、連絡していたんです」
ディーター先生の応答に、アシュリー師匠の、ビックリしたような声が重なる。
「闇ギルドの魔法道具が関係してるの? 連絡は無かったような気がするけど」
「今すぐ命に関わるという訳でも無いんですよ。連絡レベルが『重要度:高、緊急』じゃ無かったせいですな。ですが、モンスター襲撃の際、《魔王起点》の影響範囲内で一晩を明かしましてね」
ディーター先生が、そろそろと椅子に着座しながらも、アシュリー師匠の確認に応じていた。
「それゆえの散々な体内エーテル状態で、更に《宿命の盟約》をやらかしました。相手はモンスター撃退に関わった隊士の1人で、その極度の疲労をも引き受けてしまっています。《疲労回復》魔法が掛かりにくいタイプで――丸3日間、熟睡が続いています。あの状態では、明日の朝か昼あたりまで、目が覚めないのは確実ですな」
アシュリー師匠は暫し絶句した後、ゆるやかに頷いていた。
「そう。それなら問題は無さそうね。その疲労困憊のケースだと、《疲労回復》魔法を施しても3日間は目が覚めないから……その特別患者の件は、後で、私も見てみましょう。ごめんなさいね、ディーター君。驚かせてしまって……フィリス、もう一度、お茶を淹れてくれる?」
――わたし、どうやら《疲労回復》魔法を施されていたみたい。
モンスター襲撃の夜に施されていたもの以外は覚えてないんだけど、あれから今日で丸3日間? うわぁあ……
今の時点で目が覚めたのは、オカルトでミステリーな事だけど。もしかしたら、タイミングが大いにズレて、《疲労回復》魔法がピョコッと効いたという状況なのかも。
少し間が空いた後――アシュリー師匠が、ポツポツと話し出した。
「私が持っている情報に、間違いなければ――シャンゼリンとサフィールは、姉妹よ。同じ母から生まれた」
――いきなり、重苦しいまでの静寂が広がった。
ディーター先生とフィリス先生は、顔色を変えて絶句している。
アシュリー師匠の声は、苦い。
「大魔法使いでも、一部の人しか知らないわ。トレヴァー長官も、レオ皇帝さえも知らないの。この情報を管理しているのは、レオ帝国の《風の盾》だから。私が直接に、『風のユリシーズ』に――ユリシーズ・シルフ・イージスに依頼した事よ。7年前の、サフィール『献上』の際に」
ディーター先生が、動揺の余りか、しきりにこめかみを揉みながらも質問を返した。
「だが今、アシュリー師匠は……我々に明かしておられる」
「事後だからよ。最大の難問だった――サフィールの『飼い主』が、間違いなく、死んだから。この時をもって機密保護レベルは、国家最高機密のレベルまで開放されたわ。ただし、厳重に紳士協定が成り立つ関係者限定のね」
アシュリー師匠は改めて、紫金の髪をしたシャンゼリンの脇、添付資料として出ている《宿命図》を、じっくりと眺め始めた。
「そう、このシャンゼリンの《宿命図》は、サフィールの血縁で無ければ有り得ないパターンよ。なおかつ、サフィールを呪縛する《紐付き金融魔法陣》の元となった《魔法署名》は、この《宿命図》で無ければ出来ない。風のユリシーズも私たちも、ひそかに探し続けていた人物が、こんな形で出て来るなんて……闇ギルドを幾ら探っても出て来ないのは、何故なのかと思っていたけれど……」




