遠き記憶の夜の底・前
報告会を兼ねた夕食会は、滞りなく終了した。
ティーター先生とフィリス先生、それにグイードさんとチェルシーさんは、引き続き、専門的な相談をする事になっている。
アンティーク宝物庫から紛失した品々の一部が、いささか問題のあるアンティーク魔法道具だったんだって。
これは内容の都合上、王宮関係者でも何でもない一般人であるわたしには、聞かせられない話だと言う。クレドさんは、衛兵部署の方で、既に聞き知っているそうなんだけど。
そんな訳で、しばし席を外す事になったわたしに、クレドさんが身辺警護を兼ねて付き添う事になった。
ディーター先生が愉快そうに笑いながら、「子守をよろしくな」とクレドさんに注文していた事は、聞かなかった事にする。フンッ!
実は、今は思ったように動けるようになっているんだよ。此処に湧いて出て来た初日から続いていた『身体の不自然なカクカク』が、だいたい収まって来ているから。
クルリと踵を返すと共に、シュンッと尻尾を振ってバランスを取る。尻尾が生えてると、こういう動作をする時に、ホントに便利だ。
一歩を踏み出したところで――
――後ろから膝をすくわれて、「ワッ」と声を出してしまう。
ぎゃあ、高い。
冷や汗がドッと出る。
挙動が怪しくなった腕の回りにクレドさんの右腕が差し出されて来たから、思わず、しがみついた。ふう。
ま、また片腕抱っこですか、子守ですか、クレドさん! わたし、子供じゃ無いんですけど!
「子供みたいに、ふくれるんですね」
クレドさんは、全く表情を変えずに、あっさりと応じて来た。
ぎゃふん。わたし、致命傷かも。立ち直れない……
*****
ラウンジの出入り口に差し掛かったところで、クレドさんが、おもむろに口を開いた。
「何処か、行きたい所がありますか?」
――そう言えば、考えてなかった。とりあえず、総合エントランスの方?
クレドさんが、スッと振り向いて来た。紺色マントをまとう、荒くれの隊士なのに――ドキッとする程に洗練された、端正な所作だ。宮廷の貴公子の格好をしていても、ジェイダンさんと同じくらい、ハマってると確信しちゃう。
「この病棟には空中庭園を兼ねた屋上階があります。今夜は快晴ですから、『連嶺』も見える筈ですが」
――連嶺? そう言えば『白き連嶺のアーチ装飾』なんていう古代遺物があったよね。そのモデルになった物かな?
「決まりですね、ルーリー」
クレドさんは、不意に口の端に綺麗な笑みを浮かべた。
いつもいつも彫像みたいな無表情なのに、いきなりって、反則だ。思わず心臓が飛び跳ねちゃったよ。クレドさんは既に顔をそらして前方注意の態勢だけど、こっちは、まだドキドキしてる。
幾つかの回廊を曲がり、中央階段と思しき、吹き抜けの大きな螺旋階段に到達する。総合エントランスと近い公共スペースだから、此処でも他種族の様々な人々が多い。
クレドさん、歩くの上手だ。高身長な分だけ歩幅が広がっているんだけど、上半身がほとんど揺れていないので、船酔いみたいな状態にはならない。
高所トラウマなだけあって、近くの地面に目を落とすとクラッとするものの。
ガッツリ鍛えてるせいなんだろうか、クレドさんの抱え方は、シッカリしていて安定感がある。まあまあ落ち着いた気分で居られる。
へー。すごい螺旋階段だ。5階層をぶち抜いてる。吹き抜けスタイルだから、屋上階までつながってるのは見えるけど。
……これ、ずっと登って行くの?
クレドさん、わたしを抱えたままだと疲れる筈。降りた方が良いよね?
「降りなくて結構です。ルーリーには段差が大きいですから、つまづきますよ。それも器用に、一段ずつ」
むおッ。バカにしてる訳じゃ無いよね。それに、何だか恥ずか死ねるような意味深な視線が、チラホラ来てるみたいなんですけど。
「ルーリーが、可愛いからですよ」
――はい?
何か、意味不明な事を言われたような気がする。脳みそが、理解を拒否してるし。してるし!
クレドさんは、わたしを抱えたまま、螺旋階段をさっさか登り始めた。わお。すごい段差。最初の日、地下牢から荷物みたいに運び出された時の階段の段差の大きさを、連想してしまう。
「その上着は、チェルシー殿の見立てのようですね。さすがと言いますか……剣技武闘会の会場で、ルーリーを見かけた時は驚きました。町娘の姿も良くお似合いでしたよ。まだ『耳』まで復活していなかったから、ホッとするくらいに」
わずかに、クレドさんが首を傾け――流し目をくれて来た。不思議なくらいに、洗練された所作で。
クレドさんは、底意の見えない薄い笑みを浮かべている。
何とはなしに――全身が総毛立つ。何かヤバい――でも別の意味で言えば、本当はヤバくない?
どういう事なのかは分からないけど。
言葉の上では――明らかに、喉元に刃を突きつけて、『真相を言え』と仄めかしつつ凄んでる笑みですよね、それ?
目が真剣に笑ってないし、見てると、だんだん落ち着かなくなって来るんですけど。
クレドさんの黒い目が、闇の色を増した。切れ長の涼しい目に閃くのは、白刃さながらの気迫。ギョッとする。目線だけで人を殺せるとしたら、わたし、一撃必殺でザックリ切り裂かれている所だ。
「本当に記憶喪失なんですか、ルーリー? 天才的なレベルの《変装魔法》の使い手では無く?」
――ほぇ?
「最初は、人相が誰かに似ている――と思いながらも、天才的なまでの工作員か、拘束衣をまといながらも脱走に成功した熟練の忍者では無いかと言う疑いが、なかなか晴れませんでした。まして、頭部のバンドには、《変装魔法》用の魔法道具に特有の怪しさが満載でした。尋問の前に、バンドを取り外す事は規定で決まっていた。あんなに苦しむと知っていたら、手出しはしませんでしたが」
――あ、あの『呪いの拘束バンド』。
最初は普通の――普通、と言うのは変だけど――非合法の魔法道具だと思われてたんだ。実際に、闇ギルドの品だと判断された訳だけど。
「ルーリーは、混血の黒狼種である事、表情も反応も率直で豊かな事、そして声を奪われている事――を除けば、人相も、所作も、『茜メッシュ』も――すべてが、完全に一致している……『かの御方』と」
――クレドさんは、何を言ってるんだろう? それに、『かの御方』……?
言葉は、決定的な部分までは、紡がれていない。
でも、確信できる。『かの御方』が、クレドさんにとっては非常に重い意味を持つ存在だと言う事が。
――また、あの『眼差し』だ。
仄暗い水の底にある『何か』を探っているような、驚きに似て驚きじゃ無い、不信に似て不信じゃ無い……
折よく気をそらされていたせいか。
これも、クレドさんの『配慮』の一部なのか。
クレドさんに抱えられて吹き抜けの螺旋階段を登っている間、必死でクレドさんの『眼差し』の意味を考えていたせいで、高所トラウマの恐怖を感じている暇が無く。
いつの間にか――屋上階まで到達していたらしい。
ヒンヤリした夜の風が頬に触れる。ビックリして、思わず螺旋階段の下の方を見下ろしてしまった。
――気絶する。目が回る……
グランと身体が傾いだのを感じた――けど、すぐに右手が添えられて来て「大丈夫です」と声を掛けられた。ギュッと目をつぶっていると、クレドさんの溜息のような声が続いた。
「高所トラウマは本物なんですね。ルーリーは、確かに『かの御方』とは別人ではありそうです」
――別人も何も、わたしは『かの御方』なんて全く知らないんだよ。
それに、高所トラウマの原因って――
あ、もしかして屋上階って、転移魔法陣で一気に行けたんじゃ無いの?!
わざわざ、螺旋階段コースを選んだのって、わたしの高所トラウマが本物かどうか確かめるため?! ひどいよ!
クレドさんがヒョイと首を傾けた。
――思わず飛んで空を切った、我が拳。
わお、わたし、片腕抱っこされている体勢から、クレドさんを殴ろうとしてたんだ。
なかなか、やるじゃない? ……って言うか、完璧、よけられちゃったけどさ!
もう『激おこプンプン丸』だからね! わたしはジタバタと暴れた。
「降りる。降ろせ!」
「ダメです。不快にさせたのは謝罪します。説明しますから、機嫌を直してくれませんか」
――謝罪は受けんッ! 乙女ゴコロをもてあそんだ罪は重いと知れッ! だいたい、わたし、クレドさんの事が気になってたし、ステキな人だなあとか思ってたし!
もしかしたら、だんだん、クレドさんの事が好き……って思ってたもんね!
一瞬。
――クレドさんの動きが、ピタリと止まった。へ?
クレドさんが驚愕に目を見開いて、じーっと注目して来る。な、何ですか?!
……ハッ!
わたし、何を言ってたんだっけ?!
喉が疲れるから、ほとんど喋ってないけど。ないけど。ないけど……!
ああぁぁあぁぁぁあぁあッッ!
わたし、確か、『狼体』の時のやり方で、無意識のうちに、大声で喋ってたんだっけ! 顔とか、尻尾とか!
そう、尻尾、幼児退行してた筈だよ!
片腕抱っこされてるって事は、尻尾の動き――と言うか――尻尾で喋ってる事は、クレドさんに全部、ストレートに、伝わってる……よね!
――脳天を、この上も無く巨大なトンカチで殴られたような気がする。『呪いの拘束バンド』が発動したのかな?
わたしは自分の迂闊さに愕然とする余り、ふうっと気が遠くなった。




