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物思う夜、すずろなる朝のひととき

――夜の色は、いっそう深くなった。暗さを増した天球に無数の星々が輝き始める。


わたしは、目下、要警護なチェルシーさんと一緒に、『茜離宮』付属・王立治療院の総合エントランスに戻っているところだ。


今夜に限っては特別措置で、第一王子ヴァイロス殿下の親衛隊メンバーであるクレドさんも付き添って来ている。


チェルシーさんを心配しているグイードさんが、生半可な人材では納得してくれなかったんだそうだ。グイードさん、すごいゴリ押しだ。大魔王化したら、かつての剣技武闘会8位入賞の戦闘力を発揮しかねない人物。


フィリス先生は、『茜離宮』でディーター先生の仕事の助手を務めているところだ。一区切りの良い所で、一旦、クレドさんとの交代を兼ねて、病棟に寄ってくれる事になっている。


*****


メルちゃんとは途中で分かれる事になってしまったから心配したんだけど、あの子守を兼ねた護衛さんの付き添いで、お友達と一緒に、無事に城下町の家に帰ったんだそうだ。異常な出来事が続いただけに、ホッとした。


遅い夕食――総合エントランスのテーブルで、クレドさんも一緒に席についているから、落ち着かない。


クレドさん、ほとんど喋らないんだよね。社交的な性格じゃ無いみたいだ。滑らかな低い声をしていて、良い声なだけに勿体ないような気もするけど。


いつものように人々が戻って来た総合エントランスは、様々な種族の人々が行き交ってザワザワしているところだ。


近くのテーブルでは、入院している家族のお見舞いに来たと思しき、ウルフ族の親戚一同が、賑やかに夜のお茶を囲んでいる。今日の閲兵式や剣技武闘会の話題が、わたしの『人類の耳』でも聞き取れた。


やがて、チェルシーさんが、わたしに話しかけて来た。


「ルーリー、この間の――メルちゃんのドレスのモデルの、『水のサフィール』のドレス、覚えてるかしら?」


――あ、それ覚えてます。色あせて灰色になってたし、裾がボロボロだったけど、乙女なデザインでしたね。


護衛なクレドさんは、向かい側の席に、静かに座っている。無口と無表情が続いているけれど、ウルフ耳はシッカリこちらを向いていて、興味深く耳を傾けているらしい事が伝わって来る。


「毒見役で思い出したの。確か『水のサフィール』は、レオ皇帝の毒見役も務めているという話だわ。レオ帝国は実力主義なんだけど、毒殺などの暗闘の方もハイレベルだとか。レオ皇帝をはじめとする帝室メンバー臨席の、獣王国の諸国の国王夫妻が勢ぞろいする食事会などでは、毒が盛られる事が珍しく無くて、毒見役や毒に詳しい魔法使いの同伴が、普通にあるそうなのよ」


――わお。さすがレオ帝国。表も裏もスゴイですね。


「私、あの中古ドレスを入手してから、ずっと疑問だったのよ。『水のサフィール』のドレスが、何故あんな無残な状態なのか。ドレスの裾のボロボロの原因は、すぐ分かったわ。バラ園か何処かなんだろうけど、棘のある植込みの生け垣を走ったせい。あのヒラヒラの薄い布地じゃ、まず持たなかったわね」


――成る程。《水の盾》を務める人だから、前日のボウガン襲撃事件や今日の事故みたいな、普通の魔法では対応できないケースで、緊急出動する事が多かったのかも知れませんね。


「それに、あの大きく広がった灰色のシミが、今まで謎だったんだけど――ルーリーのお蔭で、やっと原因が分かって来たような気がするの。多分、あのシミは、毒で出来た物よ」

「毒で?」

「三年前のサフィールの偉業、今でも語り草なの。あの中古ドレスを入手したのも、その後しばらく経った頃。時期的に、最も可能性があるわ」


チェルシーさんは、食後の締めのお茶を淹れつつ、思案顔で語り続けた。


「闇ギルドの暗殺魔法使い軍団による、大型の襲撃事件があって。モンスター毒――それも猛毒を仕込んだ《水雷》による急襲。サフィールは、それを見事に防ぎ切ったそうなのよ。宮殿の奥の中庭、閉鎖空間、レオ皇帝を含む複数の重鎮メンバーが狙われていた……という、とっても不利な条件の中でね。おまけに、魔法使いたちのその後の研究で、色々と応用可能なポイントが報告されたものだから、衛兵部署や魔法部署の業務手順書の方でも、即座に重要項目として追加されたと、夫が話していたわ。『王妃の中庭』の警備スタイルも、あれで変わったわね」


あ、何だか思い出した。最初の日、地下牢へ放り込まれていた時、3人の隊士たちが、《青き盾》の偉業とか何とか話してた。この事だったんだ。激闘の痕跡。成る程なあ。


「……お気に入りのドレスだったんでしょうね、何回も洗濯した痕跡があったわ。毒に反応する特殊染料も、毒の成分も、あらかた落ちていたに違いない。普通のチェックでは分からないくらいに」


チェルシーさんは、シミジミとした顔になっていた。やっと納得が行った、と言う事もあるに違いない。憂い深く溜息をつきながらも、穏やかな笑みを口元に浮かべている。


それにしても『水のサフィール』、相当にハードな環境に身を置いていたらしい。


地妻クラウディアの話だと、レオ族以外の、他種族出身のハーレム妻は、制限付きながら、相応に自由が利く立場のように思えるんだけど。


――レオ皇帝を守護する第一位の《水の盾》、水のサフィール・レヴィア・イージス。


レオ皇帝を守護する《水の盾》ともなると――それも、年齢の問題で、『レオ皇帝のハーレム妻でありながら、その孫レオ王子の仮のハーレム妻』なんて面倒なポジションに身を置くともなると――通常のレオ族のハーレム妻と同じ環境、という訳には行かないのかも知れない。


――そりゃ、時には体調不良で長期休養もする筈だよ。うん。


やがて――


フィリス先生が、ディーター先生お手製の『警護のための魔法陣セット』を抱えて、戻って来た。クレドさんと交代する形だ。


クレドさん、ヴァイロス殿下やリオーダン殿下の周囲がますます不穏になって来て、ただでさえ忙しい時に、わざわざ有難うございます。元がグイードさんのゴリ押しだったとしても。


クレドさんは、フィリス先生とチェルシーさんに、順番に丁重な一礼をした。


その後、クレドさんは、わたしの頭についている『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』を眺めて、『仮のウルフ耳』を撫でて行った。


――ほえ?


思わず、ポカーンとしてしまったよ。何故、耳を撫でて行ったんだろうか。


クレドさんを見送った後も、わたしが訳が分からないままに首をひねっていると――


フィリス先生とチェルシーさんが、大真面目で、『知らなかったのッ?』とビックリして来た。


あの動作が、『若い未婚女性に対して表する敬意のサイン』なんだって。今までは『仮のウルフ耳』すら付けていない『耳無し坊主』だったから、今までの人たちも、まともに出来てなかったんだそうだ。


記憶喪失だから、分からなかったよ。通常のウルフ族にしてみれば、此処まで常識に関する記憶が吹っ飛んでいる方が、信じられないんだろうけど。


程なくして、チェルシーさんが目をキラーンと光らせた。


「あッ、そうだ。今のうちにヒルダさんと連絡しておきたい事があったの。明日の作業に関する事でね。ちょっと、受付の通信室で話して来るわね」


*****


翌日は、不思議なくらいに静かな雰囲気で始まった。


閲兵式および剣技武闘会の翌日、すなわち公休日だからかも知れない。もっとも、昨日の事故やら毒殺未遂やらの関係は、大詰めの状態ではあるのだろう。


実際、フィリス先生は、夜が明ける前に、既にディーター先生の所へ助手として出張っている。病棟の周辺は、休日返上の衛兵たちを増員してある――それも『下級魔法使い資格』持ち、灰色スカーフをまとう隊士たちを選んである。


わたしは、昨夜はグッタリしては居たけれど――妙にモヤモヤしていたせいか、通常の起床の刻よりずっと早く、払暁の刻に一度、目が覚めていた。


夜の風が強かったらしく、窓を開けると、ギョッとする程ヒンヤリした空気が入って来た。思わず掛布団をかぶる。こんな日は、上着、切実に欲しい。


――モヤモヤの原因は分かっている。


色々と良く分からない、クレドさんのせいだ。


わたしが気になる程度には、クレドさんも、わたしの事が気になっているんだろうとは思う。あの、いわく言いがたい『眼差し』を向けて来る事を考えると。ただ、その『眼差し』が、得体の知れぬ容疑者へ向けて来る物なのか、それとも、もっと別の意味があるのか――と言うのは、今でも分からない。


――滅多にしゃべらないくせに、朗々とした滑らかな、印象的な低い声。


背が高く、髪は――黒い。漆黒の髪にはほとんどクセが無く、真っ直ぐに流れていて、うなじで一つに結わえている。戦士として鍛え上げているせいだろう、隙の無い立ち居振る舞い。そこに、彫像みたいな端正さが加わっている。


ウルフ族は、だいたい切れ長の目をしている。それがザッカーさんみたいなワイルドな印象になるというケースも多い。クレドさんの場合は、あの硬質というか静謐というか、冷たさも感じられる面差しのせいで、その辺が、彫像みたいな端正な印象につながっているんだろう。


――わたしは、いわば『例外のウルフ顔』な混血。恐らく、イヌ族の父とウルフ族の母の間に生まれて――母方の種族系統を引き継いだ結果の、ウルフ族。種族系統の分かりにくい童顔と言うのが泣けて来るけど、かろうじて平凡顔なのが、救いかも知れない。


オフェリア姫とクレドさんとか、


シャンゼリン嬢とクレドさんとか、


ひいてはヴァイロス殿下とクレドさんとか……


ムムム。これって、コンプレックスなんだろうか。訳もなくモヤモヤするし、チクチクしてソワソワするし、そうするつもりは無いけど、枕を壁に向かって、バシバシ叩きたくなって来る。


或いは、フィリス先生がディーター先生にやっていたみたいに、ハリセンでクレドさんの脳天を思いっきり殴ってみれば、スッキリするのかも知れない。この妙なモヤモヤは。


砂時計の砂のようにサッと溶けていく、ラベンダー色の謎のエーテル天体《暁星エオス》に向かって、小声で『クレドさんのバカ』と呟いてみた。何となく。


――本物の方の『ウルフ耳』だったら……クレドさんの手って、どんな感じなんだろう?


何故か、そういう事を思いながら、わたしはいつの間にか、二度寝していたのだった。

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