閲兵式の表と裏・5
勝負スペースをグルリと巡る観覧スペースの最前部では、ウルフ族の魔法使いたちが忙しく動いていた。
無地の灰色ローブの中級魔法使いたちと、灰色スカーフを巻く下級魔法使いたちの手により、蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた透明な魔法の防壁が解除され、速やかに片付けられて行く。
剣技武闘会の最終プログラムが終わり、防壁が必要なくなったためだ。
魔法の防壁の解除作業を監督しているのは、『風のトレヴァー』長官に「良きに計らえ」と指示された『風のジルベルト』だ。
あの冷涼な顔立ちの、謎の黒狼種を、此処で再び見かけるとは思わなかった。ディーター先生より少し年上な人物。
フィリス先生は、確か、あの『風のジルベルト閣下は第五王子だ』とか言ってたっけ。
ウルフ王国は実力主義だ。
第一王子ヴァイロス殿下が死んだ場合、ジルベルト閣下は、四位に繰り上がるんじゃ無いかな。リオーダン殿下も死ねば、ジルベルト閣下は更に、第三王子まで繰り上がる。少なくとも王位継承者、『殿下』の称号を得る。
風のジルベルト閣下、刃のようなゾッとするような眼差しをしているし、結構、怪しいんだよね。すごく偉そうな人だし、そう言う人が、偶然、ボウガン襲撃事件の現場の近くに居合わせたりするだろうか。それに、動機で言っても――ヴァイロス殿下とリオーダン殿下を、コッソリ、まとめて暗殺しそうな人物のようにも思える。
だけど、憶測だけじゃ何も言えないから、心の底に仕舞っておく事にする。
*****
――わたしは目下、観覧席の椅子のひとつに、呆然とヘタレ込んでいる。
情けない事かも知れないけど、今になって腰が抜けちゃったんだよ。斜めにスパッと入っている切れ込みを両手で握り込んだまま、震えている状態だ。
少し離れた所にある貴賓スペースでは、ヴァイロス殿下やリオーダン殿下をはじめとするウルフ王国側の外交チームと、レオ帝国大使リュディガー殿下をはじめとするレオ帝国側の外交チームが、予定外の立ち話――会談をしている。
隣で眉を逆立てているオフェリア姫の解説によると、わたしが死にかけた件について、どちらの方が、より責任が大きいか検討しているそうだ。双方の落ち度も手柄も入り組んでいるだけに、割と揉めているらしい。
わたしは記憶喪失な一般人だし、全体で見れば無傷で済んだから、そんなに大問題になるとは思わなかったんだけど。
偶然とはいえ――地妻クラウディアが、わたしをハーレム要員の候補として連れ込んで来ていたので、微妙に外交案件に引っ掛かる要素になったんだそうだ。そんなモノなのか。
つらつらと考えていると、オフェリア姫の淡い栗色のウルフ耳が、ピコッと傾いた。おや?
「だいたい結論が出たみたい」
――そうですか。
やがて、レオ帝国側を代表して、地妻クラウディアが困惑顔をしたまま、やって来た。
「この度は、わがレオ帝国側の非が大きいという結論になったわ。当座の対応として、そのドレス代を補償するわね。当方では、ルーリー嬢をハーレム要員の候補にする権利については、いっさい変わらず保持。ただ、ルーリー嬢が成人する前に《宝珠》を見つけた場合は、獣王国の伝統に従って、無条件でチャラ。まぁ、《宝珠》は簡単に見つからない代物だし、あたしとしては見つからない事を祈るけど」
そう言って、地妻クラウディアは『フーッ』と溜息をついた。色々と強引だけど、基本的にはフェアな人でもあるから、嫌な人という訳では無い。
「あなたが死ななくて良かったわ、ルーリー嬢。どんな種族であっても、非業の死は後味が悪いもの。今日のところは、あたしたちは、これで引き下がる事になるわ。今日のスケジュールは終わったしね。ルーリー嬢も、ゆっくり身体を休めて頂戴。また機会があったら、お茶会など、しましょう」
いかにも獣王国の盟主を自認するレオ帝国らしいと言うか、謝罪らしくない謝罪ではあるけれど……一定の敬意と配慮をされている事は、ちゃんと分かる。それに、セリフの一部は、地妻クラウディアの本心なのだろうと言う事も分かる。
「えーっと……ご配慮、有難うございます。ランディール卿の地妻クラウディア殿」
わたしは単なる一般人で、しかも記憶喪失だから、これ以上の『社交的な返礼』って思いつかないんだよね。でも、この対応は、地妻クラウディアもオフェリア姫も驚かせたみたい。2人とも、マジマジとわたしを見て来る。
わたしは、だんだん、冷や汗が出て来た。何か失敗してましたでしょうか?
「いえ、大丈夫よ」
地妻クラウディアは、イタズラっぽく口の端に笑みを浮かべ、こっそりとウインクして来た。そして握手を求めて来たので、握手したのだった。これで、今日の一件は、フェアな意味でチャラになったらしい。
レオ帝国の大使一行が、威風堂々な様子で、会場を退出して行く。此処で発生した事故など、まるで最初から無かったかのように。見事な演技力だ。
一団の中で、あの青い真珠の『花房』を着けている『レオ王陛下の水妻ベルディナ殿』が、最高の敬意を払われつつ、かしずかれているのが目立っていた。
それにしても。
あれが最高位に近い――それも第二位の《水の盾》なんだ。
さっきの、あの青いエーテル膜。驚きの守護魔法だ。あれが《水の盾》の魔法。《地の盾》の魔法みたいだった。
刃先と同じくらいの恐ろしい凶器となっていた断片は、水妻ベルディナが合成した青いエーテル膜を、全く傷付けられなかった。それだけ、あの青いエーテル膜は強靭だと言う事。
そして、それだけ強力な魔法を発動していたと言うのに、水妻ベルディナは、さほど疲れていないように見える。いや、さすがに堂々と歩くのは少し辛いという感じで、リュディガー殿下おんみずからが腕を貸してエスコートしているけど。
この間、上級魔法使いのディーター先生とジルベルト閣下が、2人で息を合わせて必死で発動した《地の盾》の時と比べて、余りにも違う。あの《盾魔法》、2人の男性を瞬時に疲労困憊させる程の、強力な魔法だった筈なのに。
第二位の《水の盾》だと言う水妻ベルディナは、それだけ、魔法能力が抜きんでているのに違いない。本当に天才だ。本物の《盾使い》って違う。
成る程ねぇ。レオ皇帝が《盾使い》を――特に第一位の《盾使い》を――身辺から離さない筈だよ。
あんな強力な身辺警護があったら、すごく強い。外交的な優位も圧倒的だろうし。
フィリス先生が以前、『水のサフィールをレオ帝国に奪われてしまったのは、ウルフ王国にとっては損失だった』と言っていたのも納得。
見物客たちは、よりによって貴賓席スペースで、こんな外交上の大問題になりそうな事故が発生していたなんて、夢にも思わないだろう。
――これもまた、要らざる紛争を防ぐための、政治的対応という事なのかも知れない。色々な意味でブラックだなあ。
*****
外交交渉の一部始終の記録は、リオーダン殿下とその従者が担当する事になった。2人は別室で作業中だ。
立て続けの事故、事故処理、外交交渉と続いた極度の緊張が終わり、やっとの事で、静穏な時間が流れ始める。閲兵式と剣技武闘会が終了した事で、見物席も静かになり始めた。大勢の人の流れが、『茜離宮』の方々に散らばったり、城下町の方へと流れて行ったりしている。
わたしたちは、観覧席の近くにある控えの回廊に移動していた。ちょっとした話し合いとか、待ち合わせのための場所と言う、ささやかな回廊だそうだけど、恐れ多くも、貴族スペースだ。室外に面して連なるアーチ列柱が美しい。
ヴァイロス殿下は、疲れたような顔で腕を組みつつ、近くのアーチ柱に寄りかかった。
アーチ柱を照らす陽射しは、既に、うっすらとオレンジ色を帯びている。昼下がりの後半に入った事を示す光だ。
ヴァイロス殿下が、脇に慎ましく控えているクレドさんに呟いている内容が、ポツポツと流れて来る。
「あのリュディガー王子がランディール外交官に耳打ちした内容、多分、あのくらいの小声であれば、こちらに盗聴されないと思ったんだろう。『あの刃先を打ち落とせるように精進しておけ』と言っていたぞ。フン。クレドは『称号持ち』だし、実力で言えば、今年の春に出た『あの話』を受ける資格は充分にあった。あの時に辞退していなければ、この場で、もっと条件を引き出す事は出来た筈だ」
クレドさんの黒い眼差しは変わらず、声も硬いままだった。
「リュディガー王子の見解は、買いかぶり過ぎでしょう。あれが私の実力です」
「ハッ。『称号持ち』が言うのか、それを」
謎の会話は――不意に途切れた。
ヴァイロス殿下は、それ以上、言う言葉を持っていなかったらしい。




