23.求めてもいいのなら
そう思っていたのに、今夜、綾人は店に来なかった。
「今日も遅いね、あの人」
同じバイトの女子がカウンターの席へ視線を向けて、時計の針が二一時を回っても引き戸から綾人が現れる現れることはなくて、よっぽど忙しいのかと諒は思った。
「おい諒、運んでくれ」
ぼうっとドアを見ていたら大将の声が飛んできて、慌てて踵を返す。
休憩の時にスマートフォンを見たら、
「今夜は残業で行けない。悪い」
と短いメッセージがあって、落胆で肩が落ちるのを止められなかった。
「……仕事だからな」
社会人なんだから仕方ない、と思っても、会えないのはやっぱり淋しくて。
悪い、とあるのが待っているだろう自分を指摘されるようで、何となくむず痒い心地がするのは、それをこの人は嫌がっていないと、伝わるからで。
「後で電話してもいいか」
と続いたメッセージに心がどんと揺れて、気にかけてもらえる自分に、まだ慣れなかった。
……でも、今日はいい報告が出来るからな、真木さん。
「おう。待ってる」
すぐにそう入力出来るのは、今夜は店にあの男が現れないからで、綾人に言えばほっとするだろうと思った。
思惑の分からないあのしつこさを目の当たりにすれば、来ない選択をしたのはそれが答えかと、綾人の考えを聞きたかった。
「真木さん、何か忙しくなるって言ってたぞ、この間」
今夜は二三時を過ぎても勤務を続けて、空席のままのカウンターをぼんやり見つめている自分に、厨房で手の空いた大将が声を掛けた。
「え、何で武蔵さんが知ってんの」
また俺の知らないところでつるんでやがると口を尖らせたら、
「ちょっと用事があって話したんだよ。やきもち焼くなんて百年早えよ、この青二才が」
豪快に肩を揺らされて、「やきもちじゃねえよ」とすぐに返した。
常連の客と一体どんな話があるんだと、今はささやかなサービスが自然になった綾人の存在は、ここにとってプラスなのかと思うと嬉しかった。
「諒、今夜も駅前に駐めてきたか?」
「うん。明るいからいいよな、あそこ」
「ここまでちょっと歩くが、安全が一番だからな。これからもそうしろ」
大きく頷いてくれる大将に、ありがとうと胸の内で呟く。
気に掛けてもらえることは、そんな大人の存在は、感謝するべきだと分かるから。
……人は、一人では生きていけないんだ。
〇時になって「また明日」と店を出て、駅まで歩きながらスマートフォンを取り出した。
「今から帰る」
短く打って送信すると、すぐに既読の文字が浮かぶから思わず唇の端っこが上がる。
……自分からの連絡を、待っていてくれるような。
「今日はいつも通りの勤務か。気を付けて帰るんだぞ」
ぽんと表示された文章に「親かよ」と笑って、親じゃねえけど同じくらい近い人だと思い直して、
「部屋に着いたらラインする」
と送って、駅の駐輪場へ着いた。
求めても、いいのなら。
この手をまた握ってくれるあんたを、俺は。
知りたいんだ。
諒からの報告であの男が店に現れなかったのを知って、大将に確認すると
「ああ、閉店まで来なかったな。諒には気を付けろとは言ったんだが」
スピーカーから流れてくる野太い声に、「次はどうする気なのか、怖いな」と綾人は呟いた。
諦めた訳ではないのだと、解っている。
「おう。この間あんたから聞いた通りなら、これで終わりじゃねえよな」
低く返す大将に、今の状況をもう一度伝えた。
「インターンに行くかもしれないってのは、俺も諒から聞いた。あんた、教えなくていいのか。そこの社員だって」
「知ってしまうと、純粋な気持ちで臨めないだろう。今は大事な時だからな」
土曜日の午後、会社に来ているのは自分の他に開発部では乙木がいて、インターンシップについて開発部の様子を、こっそりと確認した。
「今日も勤務だろう、諒は」
明日も行くと教えてくれた諒は、「大丈夫だって」と明るい声だった。
「ああ。あの男は土曜に来たことはねえから、安心だが。…………いや、安心なんて言えないか」
「そうだな」
大学に諒へのオファーを出す提案は、本人の意思が最終の決定である上に自分の推薦の珍しさからやはり通って、今は受け入れるための準備が必要だった。
来れば受けるだろうと、思った。諒なら。
「あんた、今日はどうするんだ。来るのかい」
電話をかけたらすぐに出てくれた武蔵は、昨日店へ足を向けなかった理由を理解しているから、
「いや、仕事がある。いま会社だ」
「休日出勤か。普段も忙しいだろうに、あまり無理するなよ」
軽い調子で言葉を返してくれることに、ありがとうと笑った。
「諒がな、淋しそうにしてたぞ」
そう続けるのが耳に届いて、
「今だけの辛抱だと、言えたらいいんだがな」
ついため息が出た。
「辛抱か。お前さん、すっかりあいつの彼氏じゃねえか」
大きな声で笑い出す武蔵に、そうなれたらなと返したくなる。
「対等だと、あんたが言ったんだろう」
保護ではなく、今は。
「そうだな。俺が言ったな。やっと腹ァ括ったか」
――次はいつ来るんだよ、店には。
「……今こうなっている理由は、時機をみて説明するつもりだ」
「そうしてやってくれ」
あいつも喜ぶ、と頷いてくれる人がいるのは、お前の在り方が正しいからだと、諒に伝えたかった。
「何かあったら連絡するからな」
「頼む」
人は、一人では生きていけないから。
その手を、しっかりと掴めるように。
「真木係長の肝いりですからね、そりゃ手が抜けませんよ、俺も」
「悪いな、乙木。用事を増やして」
モニターを何台も広げたパソコンの前に座る乙木は、大柄な体を窮屈そうにこちらへ向けて、取り掛かっている案件と並行して準備するインターンシップの内容について、話してくれた。
「就職前に、しんどい思いをするでしょうがね、その子は」
いいんですね、と笑うのを
「それで駄目になるなら、今のうちがその子のためだ」
自分も頬を上げながら、栄養ドリンクを渡した。




