24.すれ違う思い
インターンシップについては募集している開発部が中心となって計画を立てるのを、無理を言って自分も中に入れてもらい、営業の業務以外で取られる時間が増えたのが、まずかったのだと綾人は思う。
「真木係長、お願いします」
柏木や橘や、他のメンバーからの報告などを受け取るのも自分の仕事で、どうしても己の案件が後回しになりがちなのを、金曜日から休日出勤を続けて、どうにかこなしていた。
部屋に持ち帰るなんてこれまでも普通だったから、帰宅後には顧客用の資料を作って、睡眠時間を削っていることも、まずいなとは思っていた。
だんだんと集中力が切れていくのが分かって、「お疲れのようですが」とコーヒーを買ってきてくれる橘に礼を言って、
「今日もあっちで会議だから、お前たちは先に帰れ。報告は明日読む」
と目頭を押さえながら続けたら、
「そのインターン生、真木係長がよく行く居酒屋のアルバイトだと、乙木から聞きましたが。……そんなにすごい学生なのですか」
眉を潜めて答えるから、思わず見上げた。
「……言いたいことは分かるぞ」
そんな出会いからインターンシップの話に発展するなど、はたから見れば不審に思う事態なのは、課長以外からの反応でも伝わった。
「あ、いえ、アルバイトだからどうではなくて」
「学業の場以外で知り合った人間だからな、不安を覚えるだろう。勉強している姿は俺も知らないんだ、実は」
氷の浮かぶ紙カップを取り上げて笑ったら、
「真木係長の目に狂いがないのは、信じていますが」
肩をすくめて小さな声で返す橘は、自分のことを指しているのかと思う。
「ああ。俺も信用している」
そこは揺るがない一方で、社員との相性はどうなんだろうなと、ふと浮かんだ。
「乙木が、元気な山猿だったらいいなと言うから、何でだと尋ねたのですが」
「ん?」
「エンジニア志望は、皆暗いからって。パソコンに向かってばかりになるから。明るい新人が欲しいようですね」
自分だけそうなのが不満なんでしょう、と橘が続けて、くすくすと肩を揺らした。
「そうか。それなら大丈夫だと思うぞ」
営業一課は相変わらず忙しくて、橘が戻ってくれて良かったと思いながらもう一口アイスコーヒーを飲んだら、
「ですが、真木係長。少し働き過ぎのような気がします。目の下の隈がひどい。少し休まれては」
落ち着いた声が飛んできて、ああと頷いた。
肩からのしかかる倦怠感はそろそろ無視出来ない重さになって、気のせいでは済まされない頭痛も、どうにかしなければと思った。
寝不足からくる、典型的な体調不良だった。
……今夜は、諒と話せるだろうか。
昨日もラインのやり取りだけで終わってしまった物足りなさが、ちくりと胸を刺した。
水曜日。二三時五十分。
「なんだよ、今日も仕事かよ」
思わず大きな声が出たのは、やっと電話で話せた綾人が今夜も資料作りをしていると分かったからで、
「何か急に忙しくなってねえ?」
と尋ねるのを、「気にするな」と返す綾人の声は、いつもの張りがないと諒は気付く。
「それより、バイトはどうだったんだ」
「あ、話を逸らすなよ」
昨日も一昨日も、ラインでやり取りはしたけれど「電話していいか」とは訊かれなくて、自分からも言えなかったのは仕事を持ち帰っているとメッセージに書いてあったからで、
「ちゃんと休めよ」
土曜日も店に来なかった綾人とずっと会えていない淋しさが、おかしな言葉になりそうで、ありきたりなことしか言えなかった。
「分かってる」
日曜日は図書館に行くと言ったら、俺は休日出勤だと返ってきたのを、思い出した。
「ずっと会社だろ。何かあった?」
「何かって、会社なんだから、仕事だ」
平坦な声に歯痒さを覚えながら、「社畜も程々にしろよ」とつい嫌味が出た。
週の真ん中の店はたいてい落ち着いた客の入りで、今日もいつも通りにバイトを終えてすぐに帰宅して、メッセージを送るのももどかしくなって、自分からかけていた。
「こういう時もある。お前も、バイトは順調だったのか」
抑揚のない声がスピーカーから流れるから、肩が落ちる。
「おう。あいつは水曜は来ないしな、何もなかったぜ」
どすんとローソファに体を投げ出したら、よかったとため息をつくのが分かった。
大学の友人のことや夏季試験とか、聞いて欲しいなと思っていた気持ちをどうにか飲み込む。
「真木さん、声がやべえぞ。寝てないんじゃねえの」
こんな綾人は初めてだと思いながら、素直に大丈夫なのかとは言えなくて、
「そうか、お前に気付かれるほどか」
と小さく返す様子にいつもの勢いがないから、余計に心配になった。
「……あのさ」
「ん?」
インターンシップについて、アグリー社からオファーがあったことを話したら「よかったじゃないか」と笑ってくれたけど、今のあんたじゃちょっと、相談は難しいよな。
「えっと……インターンシップのことなんだけど」
「ん、どうした」
声色が変わって、この話題になるといつも慎重な響きになるのはなぜなのかと思うけれど、今は尋ねている場合じゃなかった。
「面接だって、再来週。早いよな」
オファーが来たと知った時はびっくりしたけれど、改めて会社案内の資料を読んで、やってみたいと思った。
だから、心構えとか、用意したほうがいいものとか、あんたに訊きたかったんだけど。
こんな機会もそうないのだと、両親に電話で話したら喜んでもらえたことも、綾人は黙って耳を傾けてくれた。
「そうか。……スーツはあるのか、諒は」
何だかほっとしたような声が流れて、うんと答えたら
「一度、着ている姿をチェックしてみるか。着こなしもマナーの採点にあるからな」
すらすらと言葉が続いて、「何であんたが知ってるんだよ」と笑った。
「そういうものだ。入社試験の時も忘れるなよ」
「ふうん、そっか。分かった」
人からアドバイスをもらえるのは幸運なことで、気に掛けてくれる綾人の様子が嬉しいなとふと浮かんだ次に、別の気持ちが湧いた。
「……」
……スーツ姿を見てもらうって、何か。
「真木さん、彼氏みたいだな」
年上の。
ぽんと言葉が落ちて、軽く息を呑む気配が届いて、我に返った。
「――あ、違、今のは」
「そういうことにしておけ」
慌てて言葉を探すのをあっさりと遮られて、ことんと心が倒れる。
「……」
いいのかよ。
「もう少しで落ち着くから、またこっちに来ればいい。飯でも食おう」
穏やかな口調に、それを自分も受け入れるだろう期待が、滲んでいる気がした。
「……」
「諒?」
男だけど。俺。
彼氏って、あんたも男なんだけど。
「……行っていいのかよ」
学生で。あんたは社会人で。
大人の。
「だから呼ぶんだろう」
何もおかしくない、と優しい声が続いた。
「……」
そうやって、中に入れておいて。
……本当は。
「後で後悔するんじゃねえの」
アルバイトと客の関係の次は何になるのか、はっきりしない今の自分たちが、急に不安になった。
「……何を後悔するんだ」
静かな響きの底に、あの力強さを見付けようとする自分がいた。
「……」
――一緒に過ごしたいと思う人は、連れていくんじゃないのか。
「無理やり連れ込んだりしないから、安心しろ」
黙った自分に低い声が続いて、「そうじゃねえ」と反射で返してから
「どんなつもりで呼ぶのかなって、その、気になっただけで」
胸に浮かんだ疑問が、そのまま出た。
本心を、知りたかった。
「……」
今度は綾人が口を噤む気配がして、そういえば真木さんのプライベートとかあまり知らねえな、と今頃振り返る。
こんな流れになってまだ間もないけれど、自分のことばかり気にしてくれるから、この人は。
「大学生なんて、あんたからすれば珍しいだけなのかもな」
沈黙が怖くなって、やっぱり気持ちなんか聞かないほうがいいのかもと浮かぶのを、
「珍しいだけで、合コンの送迎なんてすると思うのか、お前は」
感情を抑えた声が耳に届いて、ぐらりと意識が揺れた。




