20.近付く心
酒は好きで一人でもよく飲むんだとか、タバコは吸わないんだとか、小さなことを。
そうかと頷いてくれる綾人の顔は、ずっと穏やかな表情だった。
自分について改めて話すことなんて普段あまりないから、自己紹介みたいだなと恥ずかしくなって黙ったら「あのアパートの外階段は一つだけか」と変なことを訊かれて、後になって防犯に関係するのかと気が付いた。
両親は市外に住んでいることを話したら、「地元の国立に受かるのも、立派な親孝行だ」と言ってくれた。
「……あの日のことだが」
雨はすぐに上がって、でも動く気になれなくて、腕が触れる距離に座っていられるのを、嬉しいなと諒は思う。
「ん?」
一度立ち上がった綾人は、近くにあった自動販売機でペットボトルのお茶を買って戻ってきた。
「俺が店にスマホを忘れた日だ。お前が追い掛けてくれた時」
「ああ、うん」
それを渡しながら、「嫌なことを言って、悪かった」と謝るから首を傾げた。
「お前は苦学生か、なんて言ってしまって。冗談でも、人に向けていい言葉じゃなかった」
もう一度隣へ座った綾人が、ため息をついて肩を落とすから
「真面目かよ。気にしてねえよ、それくらいのこと」
キャップを開けながら笑った。
「……境遇に関係なくな。つい、気分が乗ってしまって」
と、同じように綾人が指を掛けるのを
「あんたもそんな時があるんだな。ていうか、言い方が古いんだよ、苦学生とか」
昭和かよと続けたら、横目で睨む顔がやっぱりかっこよかった。
「インターンで行きたい会社とか、ないのか」
大学の友達について訊かれて話していたら、そんな質問が飛んできて
「うーん、情報は見てるけど……あそこ、アグリー株式会社ってとこが、開発系は強いって教授から勧められてるんだけど」
「…………そう、か」
一瞬だけ、動揺したように綾人が肩を揺らした。
「うちの卒業生がいないらしくてさ。俺は伝手なんかないからどんなところか誰にも訊けなくて、どうしようかなって。他の大学との競争みたいなのもあって」
「……そうだな、あそこは企業の機密を扱うから、成績だけじゃなくて普段の素行も関係するからな。選考基準は厳しいとは思うぞ」
「なんだ、詳しいんだな、真木さん。ま、そこが駄目でも他にもあるからさ、夏休みに間に合うように決めたいなって」
「……」
微妙に声が変わる綾人に、もしかしたら友達が勤めてるのかなと浮かんだけれど、深くは突っ込まなかった。
東屋は雨上がりの風が涼しくて、人が通らない遊歩道は聞こえてくる波の音が穏やかで、気分が落ち着いた。
「なに、俺の就職先とか、気になる?」
冗談で口にしたら、
「当然だろう。まともに会社を選ぶ目がお前にあるのかどうか」
唇の端を上げながら返してくれた言葉に、「うるせえな」と自分も笑った。
「社会人になって最初に入る会社は、人生を左右するからな。……間違えて欲しくはないな」
静かな声色に戻した綾人が言って、
「相談くらいなら、乗れるぞ」
自分を見る紺鳶の瞳が優しくて、胸でじわりと熱が湧いて、
「……まあ、親に胸を張れるところがいいかな」
喉を通る冷たいお茶が心地よくて、なんだかデートみたいだなと今頃浮かんだ。
さっき初めてつないだ手の熱を、忘れていなかった。
――よく頑張ったな。
「親じゃない」
きっぱりと言い切る綾人の声が聞こえた。
「親ももちろん大切だ。その心構えは素晴らしいと思うし応援するが、生きるのはお前自身だからな。誰よりもお前が納得して働ける会社へ就職するのが、ご両親も嬉しいと思うぞ」
そう言って、紺鳶の中を強くよぎる光があって、頷いた。
「あんたに言われたら、何か、黙るしかねえよな」
……賢い人だから。俺より。
「社会人の先輩だからな。素直に聞いておくのがいいぞ」
ふふっと笑ってボトルを口元へ運ぶ姿は、店で話す時よりずっと近くて。
近いというか、もう――――大事な、人で。
「真木さんって、会社の人にもそんな感じだよな、きっと。正論で通すっていうか」
言いながら自分も一口傾けるのを、
「正論を通すなら、合コンへ行くなとは言わないだろう」
あっさりと拒否されて、むせそうになった。
「……どういう意味だよ」
「さあな」
視線を合わさずに、優しい顔で笑うから。あんたが。
「真木さんだって、俺より先にできたりするんじゃねえの」
彼女とか。
「……」
否定して欲しくて呟いたのに黙るから、高揚が曲がってちくりと痛みが走る。
俺なんかに構っていて、いいのかよ。休みの日まで。
このまま、仲良くなれたら。いつかは。
…………好きになってくれたり、するのかよ。
喉まで上がった言葉を、どうにか堪えた。
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