2. 愛と癒しを求めてここへ来た。俺の親友『天弦』登場!!
『――ねぇ、早く起きてぇ…。』
誰かの声が聞こえた気がした。
『……んぅ。ん…?あれ、天井がある。……ここは、どこだ…?』
目が覚めた男の視界には、ぼんやりとしているが、確かに天井があった。体を起こしあたりを見渡した。ガラスドアから朝日が差し込んでいた。他にもベッドや、こじんまりとした机等が置いてある。どうやらここはホテルの一室のようだ。
『俺は……ソファで寝てたのか?くそっ、だめだ記憶が曖昧で何でここにいるか……ってそう言えばどこからか声が聞こえたような…。』
『ねぇ、無視しないでよぉ』
『っ!今のは!?』
『こっちよ…こっちぃ……。』
『この甘くとろけるような声はもしかして…?!』
部屋にあったベッドに焦点が当たり、男は目のピントを合わせる。すると、ベッドの上にぺたりと座り込んだ女性がいた。年齢は27歳程か。服ははだけ、白くみずみずしい肌や豊満な胸が露わになっている。頬を紅潮させ、恍惚とした表情でこちらを見ていた。
男の目に映る彼女の姿は、まさしく女神と言ったところだろう。男は既にその女の虜になっていた。
『うひょお!なんてグラマラスなおねーさま!』
ようやく目が合ったと言わんばかりに、女はさらにその艶やかな人差し指を自身のぷるんとした唇に当て、焦らすように吐息が混じった声を出す。
『早くこっちへ来て…私を食べてぇ。』
『ええっ!こんな朝っぱらからっすかあ?!』
鼻の下が完全に伸びきった男は、だらしなくよだれを垂らし、にやけた顔で大声を出した。
『いいのぉ…早くこっちへ来てぇ…。私…私、もう……』
『それ以上は言わないで大丈夫だぜおねぇさま……あとは俺に任せなさあ~~い!!』
完全にスイッチが入った男は、一瞬にしてパンツ一丁になりソファから元気よく飛び込んだ。
しかしベッドからはかなり手前に落ち、顔面を強打した。
『ふぎゃっ!!あ、あれぇ…?距離を見誤ったかなぁ…』
恥ずかしい気持ちを隠すように笑って誤魔化してみせた。
『ねぇ何してるの?早く来てぇ』
『はいは〜い!今行きますよ〜〜ん!!』
ひりひりと赤くなった顔を触りながらベッドに向かって走りだした。
しかし一向に距離が近づかない。それも、だんだんと距離が離れていくようにも見えた。
『あれ?ああれあれあれぇ?ちょっと待って下さいよぉ!!』
『早く来てぇ』
女はそう言うだけで、さらに距離は遠くなっていく。
『くそう、くそくそくそぉ!!』
男は涙目で女を乗せたベッドに向かって走っていった。
「――くそぉ…後少しで……」
男はベッドの上でぼそぼそと言いながら両手を掲げ、わきわきとさせている。
「後少しでおっぱいが!!!」
「ねーよ馬鹿」
勢いよく体を起こした男に、低い声の男が呆れ口調で言った。
「この声は?!」
聞き馴染みのある声だったのか、脊髄反射の如く声の方向に振り向く。
そこにいたのは、綺麗に整えられた髪型にすらりとした面立ち、黒Tの上から白色の半袖シャツを羽織り、ベージュパンツを穿いた男だった。椅子に座り、左手にはリンゴを持っている。
「天弦!!?」
「おう。とりあえず脱いだ服着ろ。」
天弦と呼ばれたこの男はノーリアクションで軽く男をあしらった。
いや~こいつぁ失礼失礼、と脱いだ服を拾い上げる男を見て、はぁ…とため息をついた。
「ほらよ、サングラスだけは俺の方で預かっておいた。割れると大変だしな。」
「おぉっ気が利くなぁ!サンキュー」
天弦は隣に置いてある机からサングラスを取り、男へ渡した。
「天弦さん、一体こいつは……。」
「俺の旧友だ。そんなに警戒しなくて良い。」
「んぅ?…あぁッ!アンタはさっきの…!!」
天弦の背後には屋上で出くわした兵士の隊長がいた。下がってて良いぞ。と天弦が指示すると、隊長、そして兵士達は軽くお辞儀をし、後ろへ下がる。その間に持っていたリンゴの皮むきを再開した。
「天弦さんよぉ、見ない間に偉くなったみたいだなぁ……って、げぇっ!そのリンゴ、もしかして俺の服んなかに入ってたヤツぅ……?」
「ああ。そうだが。」
脱いでいた服をすべて拾い上げた後、天弦がリンゴを持っていることに気づき、男はぞっと身震いをしながらそのリンゴを指差した。
終始リンゴに怯える男を見て何かを察したのか、天弦は口を開く。
「安心しろ。こいつは腐っていなかった。」
「あそう?なら良かったぁ…。」
それを聞いた途端に、男は空気が抜けたようにベッドに横たわった。
「はぁ。まったく…。」
慣れた手つきでリンゴを6等分にし、天弦の隣にある机に置いた2枚の皿に3切れずつ置いた。
「腹減ってんだろ。とりあえずこれでも食っとけ。あと、お前の好きな洋梨も半分に切っておいた。」
「うひょぉ!洋梨俺の大好物!!いっただっきまぁす!!」
リンゴ3切れと半分の洋梨が乗った皿を男に渡し、男は受け取ると一切れずつ頬張った。
「いんやぁ~~しかし久しぶりだなぁ!一体何年ぶりだ?」
「5年ぶりくらいだろうな。」
「あっひゃぁそんな前かぁ~~~!!てか何でここにお前がいるんだ?お前の性格上、こういう所には来ないと思うんだが」
ものの10秒でリンゴを平らげ、洋梨を食べ始めた男の姿を見て、呆れ口調で天弦は答えた。
「どうしてもこうしても…俺はこのホテルの経営者だ。」
「……はぇ?」
洋梨にがっついていた男の口がぽかんと開く。数秒程理解が追い付いていなかった脳がようやく理解すると
「お前こんなでっかいホテルのオーナーなのかぁ!?」
「馬鹿っ!ちゃんと飲み込んでから言え!!」
ばらばらになった洋梨の破片をまともに食らった天弦に、男は笑ってすまんすまんと謝罪をした。
「ったく…そう言うお前こそ何でここにいるんだ?」
すると男の肩がぴくり、と動く。よくみると洋梨を持つ手はぴたりと止まり、額からは冷や汗が垂れていた。
「い…いやあぁ……そ、それがですねぇ…あっはは……」
次第に目が泳ぎ始めた男は、必死に言い訳を考え始めた。
数秒後。何か思いついたのか、男は天弦の方を見ると、キメ顔をした。
「俺は愛と癒しを求め、ここに来た。」
「嘘つけ。大方持ってる金が無くなり、いっそのことホテルに隠れて住んでしまおうってとこだろ?」
「ギクゥッ!!?」
カッコよく言い切った後、手で洋梨を口に運んだ瞬間に天弦がそう言い、持っていた洋梨が手から飛んで行った。全てを見透かされ、明らかに動揺している姿に天弦はまた溜め息をつく。
「図星かよ…ったく。お前は金の使い方が雑だからこんなことになるんだ。」
「頼む天弦!俺をここに住まわせてくれ!!」
何もかも吹っ切れた男は、恥じらいなく天弦に向かって両手を合わせながら土下座をした。
ほーら、こうなったと言わんばかりの表情で男を見ながら、天弦は洋梨をかじる。
「昔から変わんねぇなこういうとこ。」
「なっなっなっ?頼むよぉ天弦!!」
がばりと顔を上げ、男は目をきゅるんとさせながら頼み込む。
「昔からの仲じゃねえかよう!頼むぜ天弦ちゃん!!」
「……。」
「救世主天弦様ぁ!!」
「……。」
「超紳士天弦先生ぃ!!」
「……。」
「え、えーと……ラブリー戦士天げ」
「もういい分かった。お前を撃つ。」
終始無言を貫き通していた天弦だったが、ついに堪忍袋の緒が切れ、ゆっくりと立ち上がりながら、ズボンの右ポケットに入れていた拳銃を手に取り、引き金に人差し指を掛けた状態で男に向けた。
「ちょちょちょちょおい!すまん!最後のは悪かった!!」
「………。」
「ここで無言はやめてくれよぉ天弦先生ぃ!」
「………はぁ。」
慌てふためく男を鋭い視線で見ていた天弦は、だらんと銃を構えるのを止め、もう一度椅子に腰を掛けるのだった。
少しの間無言の時間が続き、その間男はしゅんとした様子でベッドの上で正座になっていた。見かねた天弦は、洋梨を食べ切った後、口を開いた。
「まあいいだろう。昔からのよしみだ。」
「えぇっ!てことは…!!」
「但し!!」
途端にきらきらとした目で天弦を見る男に対し、天弦は人差し指を天井に向けた。
「―――へ?」
「今日からこれがお前の仕事だ!!接客係としてしっかり働くんだぞ!!」
夕日輝くホテルのレストラン。そしてその厨房。
野太い声のコック長が、ウェイターの制服を着た男にそう伝えると、大きな掌で男をレストランの会場へ叩き出した。
「…え?」
煌びやかなシャンデリア、どことなく高級そうな服を着ている客達。バックでは音楽バンドが優雅な演奏をし、それをうっとりと眺めている客もいた。
「ええええええええぇぇ~~~!!?」
がやがやと賑わうレストラン会場を見て、男は叫ぶことしか出来なかった。
「――但し条件がある。」
数時間前の出来事。天弦は人差し指を天井に向けながら、男へ言った。
「朝昼晩の3回、ここで働くこと。それさえしてくれれば、住まわせてやろう。」
仕事が終わったらもう一度ここに戻ってこい。その時にお前の部屋を紹介する。と最後に残すと、外にいた大柄の男2人が男の肩を持ち、部屋から連れ出した。
「――なななななんてこったぁ…ウェイターなんて俺人生で初めてやるんですけどぉ……。」
今までの暮らしでは到底見たこともない、きらきらとした空間と自分とのギャップに、男の足ががくがくと揺れ始めた。
「ちゃちゃちゃちゃんと俺にででできるもんかななぁ……」
「あのぉ、すみませぇん…」
「んなぁ?!この声はどっかで聞いたような気がァ!!」
どこかで聞いたような甘くとろける声が聞こえ、男は声の聞こえた方向に振り向く。
すると、そこにいたのは
「ああああッ!?夢で見たあのおねぇさま!!」
夢で確かに見たあの女神のような女が、高級そうなドレスコーデを着こなして椅子に座っているではないか。なんということだ!!と嬉しさのあまり、男の口元がにやけているのが見て分かる。
「注文をお願いしたいんですけどぉ。」
「はいはいはぁい!なんでも伺いますよぉ!!」
駆け足で夢では追い付くことのできなかった彼女の方へ向かい、にっこりと笑みを浮かべ注文内容を聞いた。
「えっとぉ…オマール海老のソテーとぉ、トリュフをふんだんに使ったコンソメスープ。それとぉ、赤ワインをお願いしますぅ。」
「それとセットに…僕はいりませんか?」
「えぇ?」
きょとんとした表情で女は男の方を見る。すると、いかにも紳士そうにかしこまった姿で胸に手を当てていた。
「あ、あのぉ…それってどういうことですかぁ…?」
「何を言っているんですかおねぇさま。夢ではあんなに積極的だったのに。」
「夢ぇ…?」
若干引いている女に、男はじりじりとにじり寄っていく。
「ほら、私を食べてぇ…って言ってましたよおねぇさま。」
「ちょ、ちょっとぉ何言ってるか分からないんですけどぉ。」
女はこれ以上はこないでと両手を男の前に突き出す。しかし男はゆっくりと近づいていく。
ついに限界が来たのか。紳士モードをやめ、男は強行突破に出るのだった。
「もういいから早く俺を頼んでぇぇ~~~!!」
口を3にしながら勢いよく地面を蹴り、女に向かって跳びこんだ。
――ベチンッッッ!!!
辺りが急に静かになった。一体何が起こったのか。
すると鈍い音と共に頬を叩かれ、3回ほど回転しながら、無残にも地面に顔をぶつけた男の姿がそこにあった。
「あっち行って!このヘンタイッ!!」
しゅぅぅぅ…と右手から湯気のようなものを出しながら、女は男に向かって言い放った。
「とほほぉ…。女ってのは全く分からない生き物だぜぇ……。」
顔に女の手形が鮮明に見えるくらい想像以上のビンタを食らった男は、泣きながらそう言うのだった。
「――全く先が思いやられる……。」
自身の部屋にあるモニターで男の姿を見ていた天弦もまた為す術なく頭を抱え、大きな溜め息をつくことしか出来なかった。
※※※
「はぁ――――…疲れたぁ……。」
時刻は21時過ぎ。ウェイターの仕事を終え、くたくたの状態で男は天弦のいる最上階へ上がった。
「おう。おかえり。」
「…たーいま。」
部屋の扉を開けると、座って優雅にグラスに入った白ワインを飲んでいた天弦が、落ち着いた様子で出迎える。
疲れ切った男はその光景に少し苛立ちを覚えたが、キレる気力も無くよろよろと天弦の方へ近づいていった。
「初めてのウェイター仕事、おつかれさん。お姉様にフラれて残念だったな。」
「……!!うぅぅぅ…。」
笑いが混じった声で天弦が男に言うと、男は見ても分かるくらいの落ち込み姿を見せた。
冗談だ冗談、悪かったよ。と天弦が慰めようと、白ワインの入った瓶をそのまま男に渡した。
「75年のヴィンテージワインだ。これ呑んで機嫌直せ。」
「……へぇ。意外に気ぃ使ってくれるじゃん。」
「ふ、まあな。」
すると、天弦はグラスを持ちながら立ち上がり、こっちへ来い。と男に同行するよう促した。
「…あの兵士達は見当たらないが。」
「あいつらには席を外してもらった。久しぶりにお前と会ったんだ。ゆっくりと話をしたいだろう。」
「……それもそうか。」
男は笑ってそう返した。
着いたのは天弦の部屋にあるベランダ。月が夜を照らし、夜風が心地よく肌を撫でていく。遠くからは海が波打つ音が聞こえてきた。2人は手すりに腕を置き、軽く瓶とグラスをカツンッ。と合わせた。
「もうあれから5年が経つのかぁ。時間の流れってな虚しいもんだね。」
「そうだな。2人で共に行動していた日が懐かしいな。」
会話を続けながら、2人は月の光を反射する波を眺める。
「あん時は楽しかったなぁ。天弦、覚えてっか?お前、一回珍しく実験に失敗して大爆発を起こしたんだぜ。」
「そんなこともあったな。そう言うお前は、行く先々で女を引っかけて、半分以上の確率でフラれてたもんな。……あれ?それは今もか。」
「あぁ?!なんだとぉ!!」
猿のようにキレる姿に思わず声高らかに天弦は笑うと、つられて男も笑った。
「――お前と別れた日。今でも鮮明に思い出せるよ。」
男は、豪快にも瓶を逆さまにして飲む。半分程飲んだところできゅぽんっ!と口から瓶を離した。
「お互いにやるべきことが決まって…。」
「ああ。それで俺とお前は行動を共にすることをやめた。」
天弦はグラスをゆっくりと回し、くいと飲む。口の中で味を噛みしめてから喉を鳴らした。
「どっかのバーで、今日みたいに白ワインを飲んだのが最後かぁ。って、もしかしてこの白ワイン……」
「よく気が付いたな。あの時に飲んだワインと同じものだ。」
「どっひゃあ!よく見つけたなこんなの!!」
いつかまた会った時のために探しておいたのさ。とさらっと答えた。
男はそんな姿を見て、へぇ。とにやにやしながら言った。
そして、しばらくの間会話をせず、海を眺め、ゆっくりと流れていく時間を過ごした。
「…どうだ。ここには住むのか?」
天弦が男に聞くと、途端に表情を変える。
「やーめた!あんなキツい仕事やってられっかってんだ!!」
「そう言うと思ったよ。」
頬を膨らませながら言うと、天弦は苦笑した。
「まぁでも明日まではここにいるつもりだ。」
「おおそうか。ならもう1日だけウェイター頑張ろうな?」
「ええええ!?勘弁してくれよお天弦様ぁ~~~!!!」
大きな声で嘆く男を見て、天弦はまた声高らかに笑った。
こうして、久しぶりの再会を果たした2人の夜は過ぎていくのだった。




