第9話 忘れられた鍵
第9話です。
古い店舗に忘れられていた小さな鍵は何を語るのか
今月の例会の主催者、氷山麗子はいつになく上機嫌で、ゲストと盛んに会話をしていた。
ゲストの 前嶋彩奈は、インテリアデザイナーで、個人宅から企業の会議室などまで幅広く内装全般を手掛けていた。今回氷山がゲストに呼んだのは、氷山の新しくオープンする高級スポーツジムのインテリアを前嶋に頼んだことからの付き合いによるものだった。
前嶋を氷山に紹介したのが、広告デザイナーで黄水仙の会の会員の美樹本佳織だったことも縁だった。
氷山は、前嶋が提案したインテリアのデザインをとても気に入り、新しいジムに始終出入りしては、出来栄えに感嘆しているのだった。
「前嶋さん、あの壁面のデザイン、ほんとに素敵だわ。トレーニングエリアと、リラクゼーションエリアでスタイルを大きく変えて、その場所の雰囲気に合わせてあるの、私にも分かるもの。利用者の気持ちもうまく切り替えられるってわけよね」
「そうなんです。壁面の色彩だけじゃなくて、椅子やベンチ、ソファその他の什器の形や色、質感にも気を配りました。でも、もちろん氷山さんのご協力があって、とても自由にさせてもらったから実現できたことですよ」
「そう言ってもらえると私もうれしいわ。でも何より前嶋さんのお仕事のおかげで、今度の新しいお店はほんとに魅力的になって、人気が出ること間違いなしなのが、私にはうれしくてたまらないのよ」
その会話に美樹本が加わった。
「氷山さん、前嶋さんの仕事ぶり、素晴らしかったでしょう。わたしも紹介した甲斐があったってものよ。でも、商売は先のことは分からないから、今からあんまり安心しない方がいいと思うわよ」
「もちろんよ。いい器はできたから、ここからは前嶋さんのしてくれた仕事を引き継いで、今度はこれに魂を入れなきゃね、トレーニングマシンなんかも、実績のあるしっかりしたものを使うし、スタッフの教育もしっかりするつもりよ」
「そこが大事なところよね、よく分かってるじゃないの」
「あなたね、私が何軒ジムを持ってると思ってるの?今度で6軒目、経営のノウハウはそれなりに持ってるわ。それにこんなに素敵なジムが出来上がったんだもの、任せときなさいってなもんよ」
氷山は得意げだった。前嶋も、
「私も、この新しいジムが成功したら、何よりうれしいですよ。いろいろ試させてもらったこともありますしね」
そう言って微笑んだ。
夏目京香は発言こそしなかったが、氷山たちの会話を興味深そうに聞いていた。
そんな様子を聞いていた芳賀悦子が、栗林敏江の席に近づいて声をかけた。
「栗林さん、ひとつ相談したいことがあるんですよ」
「なんだい珍しいねえ。いったいどんな相談なんだい」
「先月の例会にゲストで連れてきた、私の担当編集者の三上って子、おぼえてらっしゃいますか」
「ああ、あの子ね、おぼえてるわよ。お父様の手紙のことは感慨深かったわねえ。それでその三上さんがどうかしたの?」
「あの子、いま36歳になるんですが、栗林さんからマリ子さんへのお見合い話を耳にして、自分の歳のこともあって、将来のことをかなり気にしだしちゃったみたいなんですよ。それで最近は結婚やそんな話に妙に反応するようになっちゃって、見ていてこっちが気になるくらいで。それで、栗林さんにいい話があればと思って、お声をかけたという次第なんです」
「そりゃあね、そんな歳にもなれば、気にならない方がおかしいってもんだよ。それで、何か条件とかあるんだろう?」
「まず、お話がまとまったとしても、彼女は仕事を続けたいという希望があります。ですので、その点に理解のあるお相手を望みますね。それに彼女はけっこう感激屋というか気持ちを素直に表す性格です。なので、そういう彼女を受け止められる、包容力のある方が合うんじゃないかと思いますね」
「なるほどね、大体のところは分かったよ。来月の会の時に、それじゃ、三上さん用に何人か良さそうな候補の、名前や経歴が分かるものを用意しますよ」
「ありがとうございます。お手間を取らせて」
「なに、お安い御用、というか、楽しめそうな話を聞いて、あたしもワクワクしてきたよ」
「わたしも、彼女には幸せになってほしいんですよ。独り者の私が言うことじゃないかもしれませんがね」
そう言って、ふたりで笑い合った。
そんな時、いつものごとく、最後の会員の石山美里が部屋に入ってきた。
今日はいつものように疲れた様子は見せず、しっかりした足取りで、先に来ていた会員たちにあいさつしていった。
「皆さん、お待たせしました。今日はちょっと早く仕事が片づいたんですよ」
「それは結構なことじゃないの。いつもそうだといいんだけどねえ」
栗林が笑いながら声をかけると、石山も苦笑しながら席に着いた。
これで出席者は全員そろったと、氷山も承知してうなずき、会食を始めることにした。
「マリ子ちゃん、会食を始めるわ。食前酒の用意をお願いね」
「かしこまりました」
元気よく返事をしたマリ子が、絶妙なタイミングで、シャンパンのグラスを全員に配膳していく。
グラスが行き渡ったところで、氷山が音頭を取り、開会の宣言をした。
「今日も楽しみな例会の日です。毎日の苦労は忘れて、今宵だけは、おいしい食事と楽しいおしゃべりを満喫しましょう。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
そうして、華やかに会食が始まった。
今回のコースは、キノコと栗がテーマになっていた。
前菜にはキノコのマリネと、栗のサラダ仕立てに、フォアグラのロワイヤル(洋風茶わん蒸し)にトリュフをふんだんに散らした一品、魚料理にはマッシュルームをあしらった濃厚なソース仕立て、続くメインには、牛フィレ肉の濃厚なトリュフソース掛けが出された。
皆はしばし口をきくことも忘れ、旬の味覚に舌鼓を打っていた。
食事が一段落し、デザートのモンブランと栗のアイスクリーム添えが、紅茶とともに運ばれた。
ここからはゲストへの質問タイムである。
氷山が石山に目配せし、それを受けた石山は小さくうなずくと、テーブルの上のベルを鳴らして合図をし、皆の注目を集めて言った。
「前嶋さん、これからあなたには今日の食事の対価として、自己紹介と身の上話をしてもらいます。いろんな質問もあって、言いづらいことがあるかもしれませんが、なるべく正直に答えてください。ただし、ここで話されたことは口外無用。一切外へは漏れませんから心配はいりません。会員全員と給仕のマリ子さんも含めて固く保証します。ですから、どんなことでも気兼ねなく話してください」
石山の言葉を受けて前嶋が話し出した。
「それでは、皆さん、初めまして。前嶋彩奈を申します。インテリアデザイナーをしておりまして、今回デザイナー仲間でもある美樹本さんから紹介いただいて、氷山さんの新しいスポーツジムの内装全般を任せていただきました」
「店舗の内装を手掛けることは少なくないんですが、今度の氷山さんの仕事は、自分でもうまくできたとちょっと自負しているんです。氷山さんにも気に入っていただいたようで、うれしい限りです。それに、氷山さんにはかなり自由にやらせていただいて、自分でもいろんなことを試すことができて、楽しい現場でした。これで、氷山さんの新しいジムが人気が出れば、私も鼻高々と言ったところです」
そう言って一旦言葉を切ると、前嶋は微笑んだ。
「そういえば、氷山さんにはひとつ渡しておかなければいけないものがあるんです」
「え、何かお土産でもあるの?」
氷山が興味ありげに尋ねる。
「いえ、あまりうれしいものじゃないかもしれないわ。前のテナントで使われていたらしい”鍵”なのよ」
「へえ、でも、前のテナントの内装もあなたが担当したって聞いたけど?」
「そうなの。私の仕事が終わった後で、以前のオーナーが後付けで付けた什器か金庫の物らしいんだけど、だから私にも詳しいことは分からないのよ。でも今のテナントのオーナーは氷山さん、あなただから、あなたに所有権があるわけよ」
「そうはいっても、使い途がないんじゃあね。でも一応どんなものか見ておくわ」
すると、前嶋がカバンから一つの封筒を取り出して、氷山の前に置いた。
どうやら封筒の中に問題の鍵が入っているらしい。
封筒は白の無地で何も文字は書かれていなかった。氷山が封筒を開けると、小さめのシリンダー錠の鍵が一つ出てきた。
「どう?みんなも見てみます?」
氷山が聞いて、会員の間を小さな鍵が渡っていった。会員たちは銘々その小さな鍵を確認した。
一巡して、氷山のところに鍵が戻ってきたが、特に変わったところのない普通の鍵である。
「これ、何の鍵なのかしらね」
氷山が口にした。
「恐らくですけど、大きさと形状から言って小型の金庫用のものだと思いますね。でも、改装工事を始めるときにはすでに持ち出されていたようでしたけど」
前嶋が答えた。
「じゃあ、ほんとに今となっては使い途はないんだわ。どうしようかしら、この鍵」
氷山は鍵をもてあそぶ。
そこで、栗林が口を開いた。
「ところで、その鍵ですが、どこから出てきたんです?」
「それが、建物に立て付けられていたポストの中に、DMなんかの束の一番下に入ってたんですよ。危うくチラシと一緒に捨ててしまうところでした」
前嶋が鍵を見つけた時の様子を説明した。
「鍵はその白い封筒に入っていたわけですか」
「そうです。ポストの中にその封筒に入って置かれていました」
石山が尋ねた。
「じゃあ、その鍵はだれかが直接ポストに入れたことになりますね。宛て名書きや切手もないわけですから」
「そうなりますね」
「そうすると、その鍵の元の持ち主は誰なわけ?」
氷山が聞き返した。
前嶋が説明を始める。
「それは多分あの人、前のテナントの経営者のパートナーだと思います。そのパートナーというのは女性で、経営者と行動をよく共にしていました。私が内装の仕事をしているときにも良く見かけたんです。仕事の上だけの関係か、それ以上の何かがあったのかまでは知りませんけど。ともかく金庫の鍵の持ち主となると、一番に思い付くのはその人ですね」
「なるほどね。ちなみに前のテナントって何をやっていたの?」
「総合的なエステサロンでしたね。あれだけの広さの場所で経営していたエステサロンですから、ずいぶん大がかりでしたよ。でも、2年ほど前には廃業してしまって、それで、今回氷山さんのジムが入ることになったわけです」
「いわく付きってわけじゃないけど、あれだけ広々とした物件はまずないから、投資のし甲斐があると思って、新店舗にはうってつけだったのよね。でも、そういういきさつを聞くと、この小さな鍵にまつわる経緯が少し気になってくるわね」
氷山が鍵を手の上に乗せて見つめながら言った。
「そうだねえ。その鍵をポストに入れたのが、前の経営者のパートナーだったとして、どうして、ポストに入れたのかねえ。もし、返すつもりなら経営者に直接手渡すこともできただろうに」
芳賀が、思案気に言った。
「いつ入れたのかも気になりますよ。ポストの中にはDMの束がかなりたまっていたってことだから。それって、テナントが廃業して、DMがたまったままになってたってことでしょう。だから、鍵が入れられたのはそれより前、普通にポストが使われていた時期なんじゃないかしら」
石山も意見を述べる。
「たしかにそうよね。でもそれだと、ポストに鍵の入った封筒が残されたのがなぜなのか気になるわ」
美樹本が応じた。
「こういうのはどうでしょう。前のテナントのエステサロンが店じまいを決めた直後ぐらいの時期で、経営者とパートナーの方の仲があまりうまくいっていなかったとしたら、鍵を返すために直接会うことを避けて、ポストに入れるだけで済ませたとは考えられないでしょうか」
夏目が珍しく考えを口にした。
「パートナーの方は、ポストに入れることで、鍵が経営者の方に渡ると考えたけれども、すでに廃業を決めていたからポストも以前のようには使われなかったというなら、理屈が合うんじゃないかと思います」
「なるほどね。鍵をポストに入れた時期と、ポストが使われなくなったタイミングが偶然重なったってわけだね。それなら十分ありえる話かもしれないね」
栗林が納得したようにうなずいた。
「でも、こんなこと考えてると、その前の経営者とパートナーの間に何があったのかも気になっちゃうわね」
氷山が言った。
「私、その経営者とパートナーって、絶対単なるビジネス上の関係だけじゃないと感じるのよ。みんなもそう思わない?前嶋さん、その二人を見てどう感じた?」
「そうですねえ。私が知っているのは内装の仕事が終わるまでの期間ですから、それ以降がどうなったのかは分かりません。それに、私が話をしたのは経営者の方とがほとんどで、パートナーの方とはあまり接点がありませんでした。でも、はた目にも二人はとても親密なのは見て取れましたね。ちょっとはばかられますけど、男女の関係だったとしても不思議はないと思いました」
前嶋が記憶をたどるように言った。
「ほらね、その二人にはやっぱり何かあったのよ。エステの経営に問題が出て、ふたりの間にも亀裂が入った。それで、パートナーの女性は身を引こうとしたんじゃない?」
氷山が少し前のめりになって言う。
「つまり、別れ話になって、経営権を手放すのといっしょに金庫の鍵も返そうとしたってわけだ」
栗林がまとめた。
「商売の世界は厳しいもんだ。そんなことも少なくないのかもしれない。氷山さん、あんたももう一度気を引き締めた方がいいかもしれないよ」
栗林がもう一言くぎを刺した。
「そうですね。油断大敵、しっかりやりますよ」
氷山も大まじめに応じた。
「それじゃこの辺で少し休憩にしましょうか。マリ子ちゃん、紅茶のお代わりをお願いするわ」
「かしこまりました」
マリ子が返事をし、一旦奥に下がる。
すぐに紅茶のポットを持って戻ると、皆のカップに紅茶を注いで回った。
皆でお茶を飲み、くつろいでいると、後ろに立っていたマリ子が控えめに口を開いた。
「皆様、おくつろぎのところ申し訳ありません。私からも一言申し上げてよろしいでしょうか」
氷山が応じる。
「あら、マリ子ちゃん、どうしたの?気が付いたことがあるなら何でも言って」
「はい、その鍵なんですが、パートナーの方は本当に鍵を返そうとしたんでしょうか?」
「え?どういうこと?鍵は封筒に入れてポストに入っていたのよ。鍵を返すほかに何の意味があるっていうの?」
「はい、鍵を経営者の方に戻そうとしたのは確かだと思います。ですがそれだけではなくて、例えばですが、封筒は無地で何のメッセージも残されてはいませんでした。なぜ何もメッセージを残さなかったんでしょう。そのこと自体に何かメッセージ性があったんじゃないかと感じるんです」
「たしかに、なにも書かないことで逆に強いメッセージを残そうとしたのかも。わたしなら、なにか言い訳めいたことを書いちゃいそうだもの」
実樹本が言った。
「もしその頃、経営が芳しくなかったのなら、感情的な決別というだけじゃなく、冷静に区切りを付けたのかもしれませんね」
石山も落ち着いて分析してみせた。
「ひょっとすると、鍵を相手に返すことより、自分から手放す意思を示そうとしたんじゃないでしょうか」
夏目もそう指摘した。
皆の発言を聞いていた氷山が静かに口を開いた。
「鍵を返すだけなら、直接渡せばよかったはずよ。でも敢えてポストに無地の封筒で入れた…。経営者として言えば、鍵を手放すってことは、その場所での権限も責任も全部手放すってことよ。それに女性の立場として見ても、あえて言葉にしなかったのは、相当に覚悟が決まっていたってことじゃないかしら」
皆の言葉を受けて、芳賀が、思案気に口を開く。
「なるほどねえ。つまりこういう感じかねえ。パートナーの女性はエステの経営を離れる意味で、鍵を返そうとして、封筒に入れてポストの中に入れた。ただしそれは、鍵を経営者に戻すというだけじゃなく、自分の意思で鍵を手放すため、そして経営者との関係を清算して決別する意思を示すため、それを自分にも言い聞かせるための無言のメッセージを託す意味の無地の封筒だった。ただ、残念ながら、そのメッセージは相手には届かなかったわけだけど」
「なんだか今日も、人間の心の深い部分が見え隠れするところに落ち着いたね。マリ子ちゃん、何からそんな風に感じたんだい」
栗林が問いかけた。
「私にもはっきりとは分かりません。でも、不思議な鍵のお話だったと思います」
マリ子はそういうと、空になっているカップに紅茶を注いでいった。
「人と人の関係は、当人にしか分からないことも多いだろうからねえ」
栗林の言葉に皆が静かにうなずいた。
氷山もその小さな鍵を手に取ってもう一度見つめると封筒に戻し、テーブルの脇に置いた。
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