第8話 2色の詫び状
第8話です。亡き父が受け取った詫び状にはどんな謎があったのか
今月の主催者、芳賀悦子が連れてきたゲストは、緊張して落ち着かない様子で始終そわそわしていた。
見かねた芳賀が声をかけた。
「三上さん、少し落ち着いたらどう。何か気になることでもあるの?」
ゲストの三上詩織はそれでも落ち着かないようで、
「だって、芳賀先生、こんなりっぱなレストランに来たの、私初めてなんですよ。しかも、個室に通されるなんて思ってなくて、もうどうしようもなく緊張しちゃってるんですよぅ」
と、今にも泣き出すのではないかという様子だった。
「もう、しょうがないねぇ。お茶でも飲んで少し落ち着きなさいな。マリ子ちゃん、ゲストの方に紅茶を差し上げて」
「承知いたしました」
給仕のマリ子が返事をして、すぐに三上の前に湯気の立つ紅茶のカップが運ばれた。
三上は紅茶を口に含み、ほっと息を吐き出すと、ようやく少し落ち着いたようだった。
「美味しいですね、こんなに美味しい紅茶初めて飲みました」
ゲストの三上は、芳賀の担当編集者である。歳は30代後半、いかにも編集者といった厚い眼鏡をかけ、職場から直接やってきたらしい、地味なスカートスーツの上下という出で立ちだった。
頃合いを見て、芳賀が、ゲストを会員に紹介していった。そのたびに三上は、会員たちの立派な肩書に、驚き、おののくのだった。
最後に、今日も遅れていた弁護士の石山美里が会にやってきた。そして個室に入るなり、
「マリ子ちゃん、今日もひどく疲れちゃってるの。いつものハーブティーをすぐに用意してもらえるかしら」
といって、ソファにその身を沈めた。
「先生、あの方は?」
「ああ、弁護士の石山さんよ。いつも忙しくしていてね、会に遅刻することもしょっちゅうなのよ」
石山は、マリ子が用意したハーブティーを飲みながら、大きく息を吐いて、体を落ち着けていた。
「やっぱり、弁護士さんって大変なお仕事なんですねえ」
「石山さんばかりじゃないよ。ここに来る会員は、普段はみんな大変な責任を負って、それぞれの仕事を精一杯頑張ってるんだ。それが、この会に集まるときだけはその重荷を下ろして、心からリラックスするってわけさ」
「そうなんですね。皆さん立派なお仕事をしてらっしゃる方ばかりで驚いてしまいました」
「はは、肩書なんてね、ここじゃ意味ないのさ。あなたもリラックスして、会を楽しみなさいな」
「分かりました。先生」
そうしていると、栗林敏江がカバンから何かを取り出し、マリ子に声をかけた。
「マリ子ちゃん、ちょっとこっちへ来てくれないかい」
「はい、ただいま」
マリ子が返事をして、栗林のもとへ行く。
「またいつものことかって思うだろうけど、今日の人はほんとにマリ子ちゃんにお似合いだと思ってね。この写真を見てごらんよ。笑顔がさわやかで、誠実さを絵にかいたみたいじゃないか」
「あのう、栗林様、いつもそのようにお気遣いいただいて大変うれしいことではございますが、私はまだ当分は今の仕事をして、皆様のおそばで何かとお世話をさせていただくのが最もうれしいことなのです。ですから、今回のお話も申し訳ありませんがお断りさせてください。
「そうかい、そう言われちゃあねえ。しょうがない、今日のところは引き下がるとするよ。でもマリ子ちゃん、行き遅れたなんてことになったらほんとにもったいないことだから、自分の将来のことはよく考えておくれよ」
「はい。将来のことも良く考えて、栗林様のお話も聞いておりますので」
と言って、マリ子は下がった。
「今の、お見合い話だったんですか?給仕の方は華麗にスルーしてましたけど」
三上が芳賀に問いかける。
「ええ、よくあるのよ。栗林さんはとても面倒見がいいからねえ。ああやってたびたびお見合い話を持ってきては、マリ子ちゃんにはそのたびに断られてるのさ。恒例行事みたいなものなのよ」
「でも、あの給仕さん私よりずっと若いのに行き遅れなんて言われて、わたしもまだ大丈夫ですよね。行き遅れになるには余裕がありますよね!」
「何を興奮してるのよ。その人にはその人のちょうどいいタイミングってものがあるのよ。あなたはまだその時じゃないってだけよ。焦りなさんな」
「そうですよね。わたし頑張ります」
そんなやり取りがあって、石山も落ち着いてきたので、主催者の芳賀は会食を始めることにした。
「マリ子ちゃん、そろそろ食事を始めようか。食前酒の用意をお願いよ」
「かしこまりました」
マリ子が一旦奥に下がり、すぐにシャンパンのグラスを持って現れた。
銘々がグラスを持つと、芳賀が音頭をとる。
「皆さん、よろしいですか。今日もこうして黄水仙の会に皆が集まることができました。今宵もおいしい食事と楽しい語らいのひと時を楽しみましょう。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
そうして皆でシャンパンを傾け、会食が始まった。
今回の食事は基本に立ち返って、フレンチのコースだったが、いつに劣らず素晴らしい出来栄えだった。
今回は、前菜、スープ、魚料理、肉料理、ワインに合わせたチーズと、ほぼフルコースで、皆それぞれに舌鼓を打ち、おなかも気持ちも満たしていった。
ゲストの三上などは、すべてのメニューのおいしさに感激して、「おいしい!」を連呼し、涙を流すほどだった。
食事が一段落して、デザートと紅茶が運ばれた。
ゲストへの質問タイムの時間である。
芳賀が、進行役の石山に声をかける。
「石山さん、お願いね」
呼びかけられた石山はテーブルのベルを鳴らして、質問タイムの幕開けを告げた。
「三上さん、これからあなたには今日の食事の対価として、自己紹介と身の上話をしてもらいます。もし言いづらいことがあっても、ここで話されたことは口外無用。一切外へは漏れませんから心配はいりません。会員全員と給仕のマリ子さんも含めて固く保証します。ですから、どんなことでも気兼ねなく話していただいてけっこうですよ」
「えーと、恐れ入ります。三上詩織と申します。書籍編集者をしておりまして、芳賀悦子先生の担当をこの5年ほどさせていただいています。芳賀先生の作品は素晴らしいものばかりで、それは、どの作品もたくさんの読者の方々に読まれていることからも分かると思いますが、そんな作品を生み出すことのお手伝いが出来て、ほんとに幸せだと思っています」
「もちろん編集の仕事は楽しいことばかりではなくて、たくさんの苦労も経験するんですけれど、まず、芳賀先生との信頼関係が一番大事ですから、先生を失望させることのないように、毎日努力しているつもりです」
芳賀もうなづきながら口を開いた。
「三上さんはほんとによくやってくれてると思う。私の執筆の邪魔はしないし、資料の収集やいろんな相談にも乗ってくれるしね。それに私が直接関わらない制作の進行や販売のプロモーションもそつなくこなすでしょう。大したもんよ」
「先生にそんな風に言われると照れてしまいますけど、どれも素晴らしい本を世の中の読者の皆様に届けるためには必要なことですから」
と、三上は照れ臭そうに笑った。
「それで、あんた、今日は何か持ってきたものがあるんだろう」
芳賀が促すように尋ねる。
「あ、はい、今日の食事会では、身の上話として何か話題になるものを提供するようにって、先生から言われてましたから。と言っても、私自身のことで話題になりそうなことがなかなか思いつかなくて、これを持ってきました」
と言って三上は一通の封筒をカバンから取り出し、さらに封筒の中の便せんを取り出してテーブルの上に広げて置いた。
便せんは手紙のようで、以下のような文章が書かれていた。
『 拝啓
日頃よりひとかたならぬお引き立てを賜り、心より感謝申し上げます。
この度は、私の不徳の致すところにより、三上様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、心より深くお詫び申し上げます。
本来であれば直ちにお伺いし、直接お詫び申し上げるべきところ、まずは書面にてご無礼の段、何卒ご容赦ください。
日頃から温かくお見守りいただいている三上様のご信頼を裏切る結果となりましたこと、悔やんでも悔やみきれません。
明朝、三上様をお訪ねする知人に、どうしてもこの手紙を託したく、夜分ではございますが筆を執りました。
今後は二度とこのような不始末を起こさぬよう、一層身を引き締めてまいる所存でございます。
何卒ご容赦を賜りますよう、切にお願い申し上げます。
敬具 』
「どうやらこれは、詫び状のようだね」
栗林が書面を確かめながら言った。
「三上さん、この手紙はどうしたんだい」
芳賀が問いかけた。
「これ実は、10年ほど前に亡くなった父の遺品整理をしていた時に見つけたものなんです。大事にとってあったようで、今まで保管しておいたんです」
「でもこの手紙、それだけでなくて少し変わったところがありますよ」
夏目京香がそう言うとおり、手紙の文字は最初は黒色なのだが、だんだんと青色が混じり、文面の最後は完全に青色に変わっていた。
「文字の色がグラデーションになってるのね。確かに変わってるわ」
美樹本佳織もうなずく。
「でもきれいじゃない。どうしたらこんなになるのかしら」
氷山麗子が不思議がる。
「そうなんです。わたしもそれが不思議で」
と三上も同調する。
芳賀がそれに対して、
「それはね、案外簡単なんだよ。黒いインクのカートリッジで使っていた万年筆が、インクがなくなったから同じ黒のカートリッジを使えばいいのに、どういうわけか青のカートリッジを付けて書いちまったんだろうねえ。それで、万年筆の軸に残っていた黒のインクと青のインクが混じって、グラデーションになったってわけさ。ただ、なぜカ-トリッジの色を変えたのかは分からずじまいだけれどね」
「なるほど、そういうことなんですね。インクの色の変化の理由が分かりました。先生、ありがとうございます」
三上が言った。
「大したことじゃないさ、今じゃもう原稿を書くのはパソコンでばかりだけど、万年筆や文房具にも少し凝ってるとこがあるからね」
「そうなんですね。私は今まで、文字の色のグラデーションがきれいだなくらいにしか思ってなくて。でもこの手紙を書いた人が、インクの色を変えた理由って何なんでしょう。詫び状なんてけっこう大事な手紙なのに」
「おや、今日も謎解きの時間になってきたわね」
美樹本がやや意気込んでいる。
「まず単純に考えたら、黒のカートリッジが見つからなくて、仕方なく青のカートリッジを使うしかなかったってことよね」
「それはどうして?」
石山が聞く。
「急いでいて、黒のカートリッジを探す時間がなかったんじゃないの?文面にも『明朝、三上様をお訪ねする知人に、どうしてもこの手紙を託したく』ってあるじゃない」
「じゃあ、次の朝、この手紙を書いた人自身は、三上さんのお父様に直接会うことができない理由があったんだ」
「多分ね、会えなかったのか、会うことを避けたかったのか、詫び状の感じからすると、相当な失態を犯した感じがするものね」
「ひょっとして会社のお金を横領していたりしたら取り返しがつかないけど、そこまでのことじゃないわよね」
「それはないでしょう。そんなに深刻な話だったら、詫び状なんかじゃ済まないわ。それこそ会社の中だけじゃすまない大ごとよ」
「そういえばさ」
氷山が口を開いた。
「その手紙を書いた人は、手紙を渡すのに知人に託そうとしてたんでしょ?その知人にはいつ会って手紙を渡すつもりでいたのかしら」
「その知人の人が翌朝、三上さんのお父様に手紙を渡してくれるように頼みたかったんでしょう?そうすると、前日の夜には手紙を書いて、その知人の人に渡す必要があったはずだわ」
美樹本がそう言うと、氷山も
「それじゃあ、急ぐ必要があったのもうなずけるわね」
しかし石山が、
「でも、手紙を書いた人が直接三上さんのお父様に手紙を渡せなかったのは、やっぱり気にならない?三上さんのお父様って、そんなに怖い人だったのかしら。それよりも何かほかにどうしようもない理由があったんじゃないかと思うのよね」
「それはどんな?」
氷山が聞く。
「例えばだけど、翌日の早い時間から長期の出張とか海外赴任で不在になるとか、その人にとっては、その日の夜が最後のタイムリミットだったんじゃないかしら?」
「そうか、そういう時間制限があったから、どうしてもその夜に手紙を書き上げて、その知人に渡す必要があったのね」
美樹本もうなずく。
「つまりこういうことだね。その手紙を書いた人物は、三上さんのお父様にできれば直接お詫びをしたかったけれども、直ぐに不在になる外せない事情があったから、その日、万年筆を使って詫び状を書いた。途中でインクがなくなり、色違いのカートリッジしかなくても書き続けるしかなかった。書き上げた手紙をその日のうちに知人に託して、翌朝その手紙は三上さんのお父様に手渡された。手紙を書いた人物はその時にはもう遠くの地にいて直接詫びることは叶わなかったというわけだ」
栗林が手紙についての顛末をまとめてみせた。
「そういうことでしょうね。一通の手紙にもいろんな背景があるものですね」
石山もうなずいた。
「不思議ないきさつですね。でも、どうして父はこの手紙を手元に置いておいたのかしら」
三上が誰にともなく尋ねた。
「それは、インクの色が変化している手紙が印象深かったからなんじゃないの?」
美樹本も何の気はなしに答えた。
「でも、今までの話を聞いていて、何かもっと大事な理由があって保管していたような気がしてきたんです」
三上はなんとなく納得がいっていない感じだった。
「そうねえ。でも一区切りついたところだから、少し休憩にしない?」
美樹本が提案し、芳賀も、
「そうだね、休憩してから考えてみようよ。三上さん、いいかい?」
「マリ子さん、紅茶のお代わりをお願いするわ」
「かしこまりました」
一旦奥に下がったマリ子がすぐに紅茶のポットを持ってきて、皆のカップにお代わりを注いでいった。
皆がお茶を口にし、くつろぐ中で、三上は何やら思案気だった。
しばらくして芳賀が、
「そろそろひと心地ついたし、三上さんの疑問に答えてあげようよ。一通の詫び状をお父様が大事にしていた理由だ。何かあるに違いないよ」
と、皆に促した。
しかし、皆悩まし気に頭をひねるばかりで、意見を言うものはなかなか出てこない。
その時、マリ子が静かに問いかけた。
「失礼ですが、三上様。お父様のお仕事はどのようなものだったのでしょうか」
「父の仕事ですか?父は金融関係の企業に勤めていて、部長職を務めていました。支店が多いので出張に出かけることがとても多くて、良く家を空けていましたね」
「どちらの部門にお勤めだったかを伺うことはできますか?」
「たしか、監査部だったと思います」
「それは大変だったでしょうね」
石山が口を開いた。
「監査部と言えば、企業の中のいわば警察みたいなもの。独立した立場で社内に不正がないか調査するといった部署ですからね」
「お父様は、普段はどんな方だったんですか?」
今度は栗林が問いかけた。
「うちの中ではとても優しい、いい父でした」
三上が懐かしがるように言った。
「そうですか、だからかもしれませんね。インクの色が変わる言ってみれば無礼な詫び状を大事にしまっていたのは。本当は心根の優しいお父様が、会社の中では皆を監査する、厳しくならざるを得ない立場にあったわけですから。必死に詫び状を送って来たある社員の心情を思いやったからかもしれませんね。ひょっとしたらご自身も監査部の部長という立場で、様々な葛藤を抱えていたんじゃないでしょうかねえ」
「そうですね。そう言われると、わたしも父の気持ちが少し分かった気がします。きっとこの手紙は、父が自分への戒めとしてとっておいた、そんな気がしてきました」
「なるほどね。きっとそうだよ。優しい父親であるお父様が、社内の監査をする重責を負っていたんだ。この手紙はなるほど不躾だけれど、自分の失敗を謝罪しようとする懸命さは伝わってくる。そこに自分の厳しい業務と重なるものを感じたのかもしれないね」
芳賀が、三上の気持ちを思いやるように言った。
「皆さん、ありがとうございます。この手紙、ほんの話題作りくらいのつもりだったんですけど、思いがけず、父の心情に思いをはせることができて、とてもうれしいです。すいません。なんだか懐かしくて、涙が出てきました」
「三上さん、良かったじゃないか。これは思ってもみないところから出た”瓢箪から駒”だよ」
「ほんとですね。そうだ、芳賀先生、わたしふと思いついたんですけど、文のやり取りで気持ちを伝えあうっていうお話で一作書いてみませんか?とても深い情緒が出せると思うんです」
「また、とんだところから瓢箪から駒だよ。いいね、また近いうちに相談して考えさせておくれ。これは、いいものが出来るかもしれないねえ」
そう言って芳賀は、
「さあ、いい頃合いだ。そろそろ締めくくりの乾杯といこうかね。それにしてもマリ子さん、今日も鋭い一言だったよ。お父様の仕事の件から一気に話が進んだからねえ」
マリ子は、そう話を振られたが控えめに
「いえ、私の言葉はほんのきっかけになったに過ぎませんから」
と言って謙遜した。
「ともかく、マリ子さん、乾杯の用意をお願いね」
「すぐにご用意いたします」
と返事をしたマリ子は、素早くシャンパンのグラスを銘々に配っていった。
主催者である芳賀は、グラスが行き渡ったのを見ると、
「それでは締めくくりといきましょう。今宵も素敵な食事とおしゃべりと、それだけでなく得るものも多かったと思います。そして次回また皆が元気で集まれますように。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
グラスを掲げた皆の顔は、部屋の明かりに照らされて、明るく満足げだった。
その中でも三上の顔はひときわ明るい笑顔に満ちていた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




