第6話「シン(伸二):大切な人――ラステルのギルドマスター」
シンはリーネを背負い洞窟を出た。そこで足を止めた。人影があった。
「シンさんですかね?」
若い女性の声がした。その女性の金色の短髪は活動的で、深い森のような緑色の瞳は獲物を決して逃さない鋭さを秘めていた。動きやすさを重視した、使い込まれた茶色の革製の短パンツスタイルを着こなし、背中には愛用の弓と、矢筒を背負っていた。
「誰だ……」
シンはリーネを背負ったまま、剣の柄に手をかけた。
「敵じゃないですかね。エミリアにお願いされて助けに来たですかね。ビア・アルバといいますかね」
女性は両手をぶんぶんと振った。
「エミリアが……?」
シンは剣から手を離した。
「ビアさん……」
リーネがかすれた声を出した。
「リーネ……無事……とは言えないかもしれないけどよかったですかね……」
ビアは緑色の目を潤ませていた。目を拭うとシンを見た。
ビアの雰囲気が変わった。野生の獣のような慎重な動きになった。
「シンさん、中を調査してきます。リーネを連れて先に帰って……」
疑問形も消えた。ゆっくりと洞窟に入ると、静かに姿を消した。
——
街に向かった。リーネは眠っていた。ギルドの扉を開けた。
カウンターにエミリアがいた。シンの姿を見た瞬間、顔から色が引いた。
「シンさん……!」
声が上ずっていた。普段の受付の声ではない。
「俺はいい。この子の手当てが先だ」
シンは短く伝えた。エミリアが駆け寄ってきた。その背後にカイルがいた。カイルは声を上げた。
「リーネ……!」
リーネの手が、シンの肩をぎゅっと握った。
「カイ……ル……」
ずっと震えていた声が、初めて泣き声に変わった。
「感動の再会はあとだ。リーネの治療を頼む」
シンはリーネを静かに椅子に下ろした。カイルが立ち上がろうとした。吊った腕が軋んで、顔がしかめた。
「動くな。お前も怪我人だろう」
カイルが口を開きかけて、閉じた。シンの目を一度見て、従った。
エミリアが奥に向かって叫んだ。
「ランケ先生、お願いします!」
奥の扉から白衣の老人が現れ、リーネの状態を素早く確認し始めた。余計な言葉を出さない。手際よく傷を診て、回復魔法の光を当てていく。
——ランケ。マルタから聞いた名前だ。薬草を頼んでいる治療師。ギルドに常駐しているとは聞いていなかったが同じ人間だろう。だとすれば、薬草はこの老人が頼んだものか。
シンは壁際から治療の様子を見届けた。リーネの顔の強張りが、少しずつほどけていった。カイルが椅子から身を乗り出して、吊った腕をかばいながらリーネの手を握っていた。ランケは少し立ち位置を変えて、カイルが手を握りやすくした。
ランケは治療を終えるとシンの元に来た。静かな声で話しかけた。
「……あの娘を助けたのはあんたか」
「……ああ」
「そうか」
ランケが白い眉をわずかに下げた。感謝でも同情でもない、ただ事実を確認するような目だった。
「若い冒険者が来るたびに思う。生きて戻ってくれると、ただそれだけを思う。……カイルや、あんた、リーネが戻ってきてくれて、よかった」
老人の言葉は短かった。シンはそれ以上答えなかった。ただ、一度だけ頷いた。
シンはランケとの会話を終え、カウンターに向かった。
麻袋をカウンターの上に置いた。
「ゴブリン七体。巣を一つ潰した」
エミリアが麻袋を受け取りながら、シンの肩口に目を止めた。
「シンさん、あなたの治療も……」
「俺の傷はもう治っている」
エミリアが何か言いたそうな顔をして、唇を結んだ。
「リーネに回復魔法をかけてもらった。見た目は派手だが、もう問題ない」
シンは服の隙間から肩の傷を見せた。血の跡は残っているが、傷口は塞がっていた。
エミリアが目を凝らして確認し、ようやく肩の力を抜いた。
「……よかった。でも後で洗ってくださいね。血まみれのままうろつかれると他の依頼者が怖がりますから」
少しだけ笑った。冗談を言えるくらいには、安心したのだろう。
「ああ、すまない」
シンは手で肩に触れた。乾いた血が粉になって落ちた。
エミリアが改まった顔になった。
「それで、報酬の件ですが……」
エミリアが別の書類を引き出した。
「ゴブリン七体で銀貨一枚と鉄貨二枚。それに加えて巣の討伐ボーナスが銀貨一枚。さらに人命救助の報告は、ランク昇格の査定に加点されます」
「……昇格の加点?」
「はい。シンさん、登録二日目でソロ巣穴討伐と人命救助ですから。このままいけばEランクへの昇格、かなり早いと思いますよ」
少し明るくなった声だった。エミリアなりの切り替えだろう。
「それでは昇格条件の確認も兼ねて、ギルドカードを通させていただけますか」
シンはカードを差し出した。エミリアが受け取り、カウンター下の台座に置く。淡い光が走った。
エミリアの指が、一瞬止まった。
「……レベルが上がっていますね。5レベルに。スキルも二つ」
「クエストを通じて上がった」
「隠蔽が、LV3に」
エミリアが顔を上げた。笑顔は崩れていない。しかし目の奥に、わずかに違う色があった。
——隠蔽は盗賊系の職業が持つスキルだ。冒険者の中でも珍しい。それがLV3。登録二日目の新人に。
「……何か問題があるか」
シンの洞察力が、エミリアの表情の変化を拾っていた。
「いいえ」
エミリアが即座に答えた。
「ただ……珍しいスキルですので、少し驚いただけです」
それ以上は言わなかった。シンも聞かなかった。
「それから、仲間思いもLV2に上がっています」
エミリアの声のトーンが、わずかに変わった。
「登録時に申し上げましたが、このスキルは私も見たことがなくて。どんな場面で発動したか、差し支えなければ教えていただけますか」
その時、後ろから声をかけられた。
「面白そうな話をしてるじゃあないか。あたしにも聞かせてくれるかい?」
シンが声の方を向くと、黒髪に紫色の瞳の女性が立っていた。長い髪を片耳にかけ、袖をまくっていた。細身だが、立ち方に隙がない。腰の両側に短剣のホルスターをつけたまま、シンを値踏みするような目で見ていた。三十代半ばだろうか。整った顔立ちだが、右の口角だけが少し上がった笑い方が、どこか油断ならない印象を与えた。
「ギルドマスターのカルラ・ゼーリングだ。特殊なスキルの話だからね。ちょっと場所を変えさせてもらうよ。ついてきな」
カルラはそう言うとギルドの奥に歩いて行った。
「ああ……」
シンはカルラについていった。
——何か事情があるのかもしれない。まずは行くか。
シンがカウンターに向き直ると、エミリアが頭を下げていた。
——
ギルドマスターの部屋についた。カルラが立ったまま、シンをしばらく眺めた。値踏みするような目だった。それから椅子を引いて、どかりと腰を下ろした。テーブルに肘をついて、顎を片手で支えた。
「シン・タキシタ。面白い奴が来たもんだね」
「……何がだ」
カルラが指先でテーブルを一度叩いた。
「登録二日目でゴブリン七体を洞窟内で単独討伐。Fランクでやる仕事じゃない。それだけでも十分おかしいのに、隠蔽LV3まで持ってる。あのスキルを持つ奴が登録に来た時点で、あたしには報告が入る」
シンは答えなかった。
「ひとつ聞くが」
カルラが身を乗り出した。
「あのスキル、どこで覚えた。通常じゃDランクくらいにならないと取れないスキルだ。Fランクになったばかりの奴が持っているのはおかしい」
シンは少し間を置いた。
「子どもの頃から剣を続けていた。隠蔽は……別の仕事で覚えた」
シンの回答には一瞬の間があった。
その間にカルラの気配が消えた。
気づいた時にはカルラがシンの背後に回っていた。首元に冷たいものが触れた。ナイフだった。黒髪がシンの肩口にかかった。
「別の仕事、ね」
カルラの声が耳元で低くなった。
「堅気か。それともアサシンか」
シンは動かなかった。
カルラがシンの横に顔を出した。目を覗き込むように、しばらく見た。シンのまっすぐな目を。
シンは目をそらさなかった。
それからナイフを引いて、元の椅子に戻った。
「……違うか。裏稼業の目じゃない」
カルラが短剣をホルスターに収めた。
「ただの堅気でもないが……まあいい。出所は保留にしといてやる」
シンは息を静かに吐いた。
「ただし」
カルラが人差し指を立てた。
「あのスキル、使い方によっちゃ相当タチが悪い。ギルドの依頼情報を盗む、他の冒険者の動きを隠れて探る、依頼主を騙す、やろうと思えばいくらでもできる。あたしの目の届く範囲でそういう使い方をしたら、ただじゃおかないよ」
「するつもりはない」
「そう言う奴に限って、ってこともある」
カルラがテーブルを指で叩いた。
「釘を刺しておくだけだ。戦闘で使う分には文句はない。陽動でも、フェイントでも、好きにしな」
シンは頷いた。
カルラが書棚に目をやった。
「あと、もうひとつ聞くが」
「何だ」
「仲間思い。あんたが持ってるスキルだ。エミリアから報告は受けてる。発動条件と効果、あんたの口から聞かせろ」
シンは少し間を置いた。
「守ろうとした瞬間に、爆発的な速度で体が動く。考えるより先に」
「レベルアップの条件は。その影響は?」
「分からない」
カルラが書棚から視線を戻した。
「分からない、ね」
「……ただ」
シンは言葉を選んだ。
「今回、助けられた。ぼろぼろの状態で俺に回復魔法をかけてくれた娘がいた。守る側が守られた。それが関係しているかもしれない」
カルラがしばらくシンを見た。それから短く息を吐いた。
「……守る時にしか発動しない。守った、あるいは、守られたときにレベルが上がるスキルか。レベル影響は不明……ね。まあいい」
カルラは呟くようにそう言うと、腕を組んだままシンの方へ半歩寄った。
「人を探してるんだろ。バーバラから聞いてる。Eランク以上で安定してきたら依頼の幅も広がる。焦らず励みな」
「……ああ」
カルラが鼻を鳴らした。
「話は終わりだ。行きな」
扉が閉まった。
カルラは窓の外に目をやった。
——ただの不器用な男さね。だが、面白い……スキルも、あいつも。
——
ギルドの受付に戻るとエミリアに声をかけられた。
「カルラさんとの話は終わりましたか?」
「ああ……」
「話の途中だったので手短に済ませますね。昇格条件についてですが、Fランククエストの完了実績十件以上、それと昇格試験を受けることでEランクに昇格できます」
「実績のカウントですが、今日だけでも巣穴討伐が一件、人命救助の加点が二件分つきます。それと、ランケ先生からお聞きしましたが、昨日薬草を倍量納品されたとか。あちらも二件分として計上できます。昨日のゴブリン討伐と合わせると、すでに六件分です。あと四件で実績条件を満たせます」
「……早いな」
「……Cランクまではどのくらいかかる」
エミリアが少し考え込んだ。
「早い方でも三ヶ月から半年です。普通は一年以上かかります」
——遠い。だが、やるしかない。
「人を探しているんでしたっけ? どういったご関係の方ですか」
エミリアが何気なく聞いた。
シンは一瞬、口を開きかけて止まった。
——娘だ。その一言が喉まで来て、飲み込んだ。十八歳の外見で娘を探していると言えば、奇妙に思われるだろう。それ以前に。父親と名乗る資格が、自分にあるのか。
「……大切な人だ」
カイルがリーネを称した言葉が出てきた。自然と出たのはそれだった。
エミリアの目がわずかに輝いた。明らかに誤解している方向に。
「なるほど……! 大切な方なんですね」
「ああ」
答えながら、胸ポケットの写真入れが指に触れた。薄い革のケース。異世界に来た時からずっとそこにある。開けば三人が写っている——遥が真ん中で笑っていて、結華が右で笑っていて、自分が左でそこにいる。
今は開けられない気がした。
——大切な人だと言った。嘘ではない。そのままだ。
「きっと見つかりますよ。この世界は広いですけど、冒険者は出会うようにできてますから」
根拠のない言葉だった。しかし不思議と、耳に残った。
シンは報酬を受け取って、ギルドを出た。
——大切な人。嘘ではない。娘だとも恋人だとも言っていない。ただ、大切な人だと。
それだけは……嘘のない一言だった。
読んでいただきありがとうございます。
大切な人が危険な目にあっていたら、冷静な判断は取れないですよね。私も無理だと思いながら書いていました。皆さんはいかがでしょうか。




