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第5話「シン(伸二):間に合わせるために——庇護の本能」

 次の日、シンは日が昇ると同時に宿を出た。


 風車亭の女将が早起きだったらしく、干し肉とパンを包んで持たせてくれた。礼を言って受け取った。


 シンはギルドに向かった。


 既にエミリアが来ていたようだ。


「おはようございます。どうかしましたか?」


「ああ……何か依頼を受けようと思ってな……」


「そうですか? いろいろありますよ……」


 エミリアはそう言いながら、カウンターのしたから依頼書の束を取り出して説明をしてくれた。荷馬車の護衛、ゴブリンの討伐、物探し、魔法実験の手伝いなど、さまざまな依頼があった。


 十分ほど説明を受けたところで、背後から低い声がした。


「おい! いつまで待たせるんだ!?」


 シンが振り返ると、頭一つ分大きい男が腕を組んで立っていた。革鎧に大剣。腕の傷跡が場数を物語っていた。周囲の冒険者たちがちらちらとこちらを見ていた。


「す、すみませんガルドさん、もう少し待ってもらえますか……」


 エミリアが慌てて割って入ろうとした。


 シンはエミリアの方を見た。不安そうな顔だった。


 その様子を確認したあと、男の目を見た。


 ——酔ってはいない。ただ、新人をからかって暇を潰す類の人間だ。会社にもいた。こういう手合いは反応するほど喜ぶ。


「すまない、長引いた。もう終わる」


 シンは軽く頭を下げて、カウンターから離れようとした。


「おいおい、随分素直じゃねえか……」


 男の手がシンの肩を掴んだ。


 シンは止まった。振り返らなかった。ただ、肩に置かれた手を静かに見下ろした。


「……用が済んだなら、手を離してくれ」


 声は低かった。怒気はなかった。しかし温度が消えていた。取引先の無理な要求を聞き流す時の、あの時の目をしていた。相手にしないのではない。相手にする価値を測って、切り捨てている目だった。


 男の指が、わずかに緩んだ。


 見えた。


 肩の筋肉が動いた瞬間に分かった。速い。しかし当てる気がない。威嚇のための拳だ。予備動作を隠そうとすらしていない。


 シンは半歩横にずれた。それだけだった。


 男の拳が空を切った。勢い余った男が前のめりによろけた。


 シンは追撃をしなかった。剣にも手をかけなかった。ただ半歩ずれた位置に立っていた。構えてすらいなかった。


「……なっ」


 男の顔が赤くなった。避けられたことより、構えもしなかったことが屈辱だったのだろう。


「てめえ……!」


「ガルドさん! ギルド内での暴力は禁止です!」


 エミリアの鋭い声が飛んだ。いつもの柔らかさが消えた声だった。


「……チッ」


 ガルドが舌打ちをした。周囲の冒険者たちの視線が刺さっていた。自分から仕掛けて空振りした事実は、もう全員が見ていた。


「お前、覚えてろよ……」


 吐き捨てて、男は酒場の奥に消えた。


 シンはエミリアに向き直った。


「すまない。騒がせた」


「いえ、大丈夫です。それより今日はこの依頼はどうでしょうか……」


 エミリアがカウンターの下から別の依頼書を出したとき、ギルドに大きな声が響いた。


「だ……誰か! 助けてください!」


 シンは声の方を向いた。声の主は赤髪を立てた若い男だった。小柄だが革鎧の肩幅に筋肉の厚みがあった。顔色は悪く、脇腹を止血用の布切れで押さえていた。


「カイルさん! どうしました!?」


 エミリアが顔を青くしてカイルの方に走った。


「ゴブリンに襲われて……リーネが攫われました。俺も腹を刺されて逃げるしかできなかった……」


 男はそこまで言うとその場に崩れ落ちた。


「大変! ランケさん!」


 エミリアは奥の方に走っていった。


 シンはゆっくりとカイルに近づいた。


「……どこで襲われた?」


「……も……森の奥、セイラ草の群生地のあたりです」


 ——昨日いた場所の近くか……


「……わかった。俺が行く」


 シンはそう言うと入口の方に向かった。


「え……」


 カイルが驚いていた。


「お願いします! リーネは……俺の幼馴染なんです! 大切な人なんです!」


 カイルは叫んでいた。


「ああ……任せろ」


 シンはギルドを出ると森の方に走った。


 ——


 エミリアがランケを連れて戻ってきた。


「もう大丈夫だ……よく生きて帰ってきた」


 ランケはカイルの手当を始めた。


「あれ……シンさんは」


 エミリアはあたりを見渡した。


「さっきの剣士の方なら……リーネを探しに行きました」


 カイルは治療を受けながら答えた。


「そ……そんな……無茶よ……」


 エミリアの青白かった顔がさらに青くなった。


 その時、疑問形の多い、若い女性の声がした。


「エミリア、青い顔してどうしたんですかね? 子犬みたいに元気いっぱいなエミリアが珍しいですかね?」


 ——


 シンは、昨日薬草の採取を行った場所に来ていた。洞察力が何かを引っかけた。


 視線を落とした。


 ——草が一部、不自然な方向に踏み倒されている。一人分ではない。複数の足跡。人間のものとゴブリンのもの……だが、同じではない。人間の足跡は二種類ある。一方は歩幅が均等だ。踏み込みが深く、重心が安定している。訓練を受けた体の動き方をしている。もう一方は乱れている。歩幅がばらばらで、右足の着地が浅い。走りながら、何かをかばっていた。


 ゴブリンの足跡は六つか七つ。そのうち二体分だけ、深さが違う。荷を持っていた。引きずるような人間の痕跡と重なっていた。


 数字を追う時と同じだった。一点だけ見ても何も分からない。足跡という数字の列を、体が勝手に読んでいた。


 人間は二人。ゴブリンは六体以上。


 シンは赤黒く変色した染みを見つけた。


 血痕だった。


 血の跡は二方向に分かれていた。一方は森の奥へ。ゴブリンの足跡と一緒だ。もう一方は街の方角へ続いていた。


 ——街の方がカイル……森の奥がリーネという子か。


 剣の柄に手をかけた。


「……無理はしない」


 シンは自分に言い聞かせた。バーバラの言葉が頭にあった。


 ——死んだら探せない。その通りだ。しかし、まだ生きているなら……


 時間がない。


 シンは森の奥へ向かった。


 ——


 リーネの痕跡を追った。引きずった跡と、ゴブリンの足跡が五つ以上。血痕は途切れていない。まだ出血している。生きている証拠だ。


 隠蔽スキルを意識した。気配が薄まる感覚があった。使い方はまだ手探りだが、効いている実感はあった。


 ——粉飾決算で身につけた技術だ。後ろめたいが、今は使う。それだけだ。


 シンは足音を殺し、歩いた。一歩一歩、地面を確かめながら進んだ。


 五分ほど追うと、地面が下り坂になった。岩場が増えた。木が減って、代わりに苔むした巨石が目立ち始めた。


 そして、匂いが変わった。


 獣の匂い、腐った肉の匂い、排泄物の匂い、その全部が混ざった、吐き気を催す臭気だった。


 岩陰に身を潜めて、先を覗いた。


 洞窟があった。入口は大人が二人並べる程度の幅。中から微かに声が聞こえた。甲高い笑い声が。


 ——ゴブリンだ。笑い声の数。一つ二つではない。重なっている。最低でも三体以上が同じ場所にいる。声の方向から奥行きを測ると、洞窟は思ったより深い可能性がある。


 そして、うめき声がした。人間の声だった。


 ——まだ生きている。


 シンは岩陰から動かなかった。洞察力が周囲を探る。洞窟の入口付近に二体。一体は入口の左側に背をつけている。もう一体は三、四歩の範囲を行ったり来たりしていた。


 ——落ち着きがない。見張りに飽きているだけか。あるいは中で何か起きているからか。単独で突入するには数が読めない。しかし時間をかければ中の人間が持たないかもしれない。


 結華はこの世界にいる。神がそう言った。容姿が変わっていても、年齢が変わっていても……


 あのうめき声が結華のものでない保証はどこにもない。


「……まだ間に合う。行くか」


 ——間に合ってくれ。


 そうつぶやいたシンの脳裏に、「大切な人なんです」と叫んだ顔が浮かんだ。


 ——


 洞窟の中を覗いた。


 天井は低かった。大人が立てる高さはあるが、剣を振り上げるには窮屈だ。横薙(よこな)ぎか突き——動ける技が限られていた。出口は見える範囲で一つ。奥がどこまで続いているかは分からない。松明(たいまつ)の残り火が壁を舐めるように照らしていた。煙が低く漂っている。臭気が鼻の奥を刺した。


 そして……


 シンの目が止まった。


 奥の壁際に、若い女性が押さえつけられていた。服が破れていた。抵抗する力はもう残っていないのか、ぐったりとした体をゴブリンたちが弄んでいた。淡い金髪が泥で汚れて、壁に貼りついていた。小柄な体が、岩の冷たさに溶け込むように縮こまっていた。


 結華と同じくらいの年齢だった。


 血が逆流した。


 シンの頭の中が白くなりかけた。


 ——冷静でいろ。感情で動くな。数を数えろ。配置を読め。洞察力が警告を鳴らしていた。六体。狭い空間。不利。


 しかし目が、あの女性から離れなかった。


 ——結華が頭をよぎった。非行グループに入った結華。夜の街にいた結華。七百日、毎晩歩いた。道場の前。学校の前。駅。商店街。あの二年間、結華がどこで何をしていたか、何も分からなかった。分からないまま、ただ歩き続けた。もしあの夜道のどこかで、こんな目に遭っていたら……遥が死んで、一人になった娘が……


 ——考えるな。


 握った柄が軋んだ。


 息を止めた。


 シンは隠蔽スキルに意識を集中した。気配が薄れていく感覚。


 ——使い慣れてきた。使い慣れてきたことが、一番嫌だった。


 数字を整える。少しだけ。少しが積み重なって、気づいた時には引き返せない場所にいた。


 シンは一歩、また一歩と、洞窟の壁に沿って影を縫うように進んだ。同じ技術を、今は違う目的で使っていた。それだけが救いだった。


 見張りの二体は入口付近の岩に背を預けていた。一体は眠りかけていた。もう一体はぼんやりと奥を見ていた。


 ——近い方からだ。


 シンは背後に回った。心臓が速い。しかし手は震えていなかった。


 一体目の口を左手で塞ぎ、右手の剣を首に差し込んだ。短く痙攣して、動かなくなった。音を立てないように、ゆっくりと地面に横たわらせる。迷いはなかった。


 二体目が欠伸をした。


 その隙に距離を詰めた。同じ手順。口を塞ぎ、首に刃を通した。小さな呻きが掌の中で消えた。


 二体。無音。


 奥の四体はまだ気づいていなかった。女性の呻き声と、ゴブリンたちの笑い声が洞窟に反響していた。その声が壁に反響するたびに、胸の奥で何かが軋んだ。


 ——残り四体。狭い空間。剣は横薙(よこな)ぎか突き。


 シンは足元の拳大の石を一つ拾い上げた。


 奥の四体のうち、女性から最も離れた一体に狙いを定めた。手首を返して投げた。石がゴブリンの側頭部を捉えた。甲高い声を上げて崩れ落ちた。残り三体が音に反応して振り返った。


 ゴブリンたちの間に隙があった。


 その瞬間、身体が弾けた。


 シンは大きく踏み込んでいた。自分でも説明できない速さで。女性に覆いかぶさっていたゴブリンの首に、横薙(よこな)ぎを叩き込んだ。刃が肉を断つ感触があり、小さな頭が転がった。


 女性の前に立った。背中で庇う形になった。


 残りを確認した。正面に一体。左に一体。右に——石を受けてまだ倒れたままの一体。三方。


 ——狭い。天井が低い。大振りはできない。小柄なゴブリンには関係のない制約だ。こちらが不利な空間で戦うしかない。


 三体が同時に動いた。


「来い」


 低い声が洞窟に響いた。自分の声だとは思えないほど静かだった。背中の向こうで、女性の微かな息遣いが聞こえた。


 ——まだ生きている。まだ間に合う。


 守る。


 その一念だけが、シンの頭の中にあった。


 正面の一体が飛びかかってきた。


 突きで迎え撃った。胸を貫いた。そのまま引き抜かず、剣に刺さったゴブリンの体を蹴り飛ばした。小さな体がもう一体に衝突して、二体が絡み合って転がった。


 ——放っておく。立ち上がるまでに数秒ある。


 残りの一体。石を受けてふらついていた奴が、視界が定まらないまま棍棒を振り回してきた。振りが大きかった。狭い空間でかえって危険だった。


 半身でかわした。棍棒が壁を叩いて石片が散った。


 追撃はしなかった。背後の女性から離れすぎる位置には動けない。


 ゴブリンがもう一度振りかぶった。同じ軌道。


 今度は避けずに受け流した。棍棒の勢いを剣の腹で逸らし、がら空きの胴に突きを入れた。


 崩れ落ちた。


 背後で二体が立ち上がる気配がした。振り返った。一体は仲間の死体の下敷きになってもがいていた。もう一体が這うように逃げ出そうとしていた。


 入口に向かっていた。


 ——逃がせば仲間を呼ぶかもしれない。


 足元のゴブリンの棍棒を拾い上げた。


 逃げる背中に投げつけた。棍棒が後頭部に当たり、ゴブリンが前のめりに倒れた。


 また、振り返った。下敷きの一体がもがいていた。仲間の死体を押しのけようと必死だった。目が合った。濁った黄色い目に恐怖が浮かんでいた。


 剣を喉に突き立てた。


 動かなくなった。


 入口で倒れたゴブリンが起き上がろうとしていた。駆け寄って、踏みつけた。背中を剣で貫いた。


 六体。全滅。


 洞窟の中に、シンの荒い呼吸だけが響いた。


 ——


 剣を抜いて、壁に手をついた。膝が震えていた。十八歳の体力でも、密閉空間での連戦は堪えた。


 女性の方を見た。


 女性が壁際で丸くなっていた。破れた服を必死にかき寄せて、体を隠そうとしていた。小刻みに震えていた。泥で汚れた金髪が顔に貼りついていた。


 シンは上着を脱いだ。


 近づきすぎないように、手の届く距離に置いた。それ以上は近づかなかった。今この女性にとって、見知らぬ男が距離を詰めることは恐怖でしかない。


「……もう大丈夫だ。全部倒した」


 シンは静かに言った。


 女性の目がシンを見た。恐怖と安堵が混じった、焦点の合わない目だった。


 その時だった。


 背後から、何かが踏み込んでくる気配。


 シンの反応は一瞬遅れた。


 洞察力が警告を鳴らしたのは、足音が耳に届いてからだった。岩陰に(うずくま)っていた一体。


 ——奥の暗がりに溶け込んでいた。数に入れていなかった。頭に血が上っていた。六体と決めつけていた。それだけのことだった。


 ゴブリンが跳躍した。その手に短剣が光っている。黒ずんだ刃。


 ——女性に、リーネに届く……


 その瞬間、また身体が弾けた。


 シンは反射で身を割り込ませた。背中を庇う形で体を入れた咄嗟(とっさ)、短剣がシンの左肩に差し込まれた。


「……ぐっ……」


 シンの体に鋭い痛みが走った。深くはなかった。しかし傷口からじわりと熱が広がった。普通の痛みとは違う、嫌な種類の熱だった。


 咄嗟に剣を薙いだ。手応えがあった。ゴブリンが床に崩れ落ち、動かなくなった。


 ——息が乱れる。立っていられる。だが……指先が……痺れる……普通の傷の熱ではない。毒……か?


 シンの視界の端が揺れた。足元が不確かになった。壁に手をついた。膝を折って床に片手をついた。腕が言うことを聞きにくくなっていた。体が勝手に壁を探していた。


 その時、温かい何かが、左肩に触れた。


 女性がシンの傍らに膝をついていた。震える両手を肩口に押し当てて、唇を動かしている。言葉にならない呻きのような音が続いていた。ぼろぼろの状態でも、手だけは下ろさなかった。


 淡い金色の光が滲んだ。弱い光だった。たぶん本来の出力ではない。それでも傷口の熱が引いていった。深く潜っていた痛みが、表面だけのものになった。傷が塞がっていく感覚。


 女性が一度大きく息を吸った。肩が上下した。


 次の光は白みがかった緑色だった。先ほどよりさらに細い光が、傷口から滲み込むように入ってきた。それが毒に触れた瞬間、指先の痺れが根から断ち切られるように消えた。視界が戻った。床に付いた手に力が戻ってきた。


 女性の両手が、小刻みに震えていた。自分がぼろぼろの状態で、それでもこの手を下ろさなかった。


 ——左肩の痛みは残っているが、体が動く。


「……結華」


 声が、勝手に出た。少女の目がシンを見た。怪訝そうな、焦点の合わない目だった。


 違う。


 それだけを確認した。


「リーネ……か? 俺はシンだ。カイルに頼まれた……」


「カイルは……無事……だったんですね……よかった」


「ああ……無事だ……」


「リーネは魔法が、使えるのか」


 ——声に出してから気づいた。この世界に来て初めて、魔法というものを肌で感じた。痛みが引いていく感覚。毒が根から断ち切られる感覚。剣道の三十年が教えてくれなかった種類の力だ。


「回復魔法と、解毒を、少しだけ……シンさんが……助けてくれなければ……使う力も……残っていませんでした……」


 リーネの声は途切れ途切れだった。それでも手は下ろさなかった。


 ——


 七体。全滅。


 シンは壁に背をつけたまま、しばらく息を整えた。


 乗り越えた安堵と、数を読み誤ったことへの後悔が、静かに重なっていた。


 ——頭に血が上っていた。それだけのことだった。それだけのことが、命を落とすことに直結する世界だった。それだけを、教訓にする。


 鼻を七つ、麻袋に詰めた。


 もう何も感じなかった。それが少しだけ怖かった。


 少女の方を振り返った。上着を羽織って、壁に背を預けていた。まだ震えていたが、目に少しだけ光が戻っていた。


「歩けるか」


 少女が立ち上がれるかどうかを見たが、膝が折れた。


「ごめんなさい……足が、言うことを聞かなくて」


 シンは自身の左肩の傷口を確認した。服の布地は黒ずんでいたが、指で触れると傷口は塞がっていた。


 ——疼きは残っている。しかし動く。


 シンは黙って背を向けた。片膝をついて、両手を後ろに差し出した。


「乗れ」


「でも……」


「怪我人を歩かせるわけにはいかない」


 少女がおずおずとシンの背中に体を預けた。


 ——軽い。こんなに軽いのか。


 背中に伝わる体温が、上着一枚を通してもはっきりと分かった。小さくて、震えていた。それでもシンの首の後ろで、少女の手がゆっくりと何かを握り締めるのが分かった。


 ふと、体の奥で何かが変わった感覚があった。熱でも痛みでもない。骨の芯が僅かに締まるような、静かな変化だった。


 腰のギルドカードに手を触れた。薄い板が淡く光り、表示が浮かび上がる。


 ―――


 LV3 → LV5


【隠蔽 LV2 → LV3】 【仲間思い LV1 → LV2】


 ―――


 カードを閉じた。レベルが上がった。スキルも、二つ同時に。


 ——隠蔽のレベルが上がった。あの忌まわしい粉飾決算で得た技術が。後ろめたいが……守るために使える。今日も、そのためだけに使った。使い方は変えられる。それだけを言い訳にしながら、また使い続けるのだろう。


 仲間思い。


 ——頭に血が上って、洞察力が機能しなかった。それでも体は先に動いていた。マルタの時と同じだった。ゴブリンを追いかけた時には出なかった何かが、今日も庇う瞬間に動いた。


 自分が仲間思いな人間だとは思えない。守ろうとして間違えたことが何度もある。間違えたまま、体だけが先に動いた。それでもこのスキルは上がった。


 間に合わせるために。


 立ち上がった。背中の震えはまだ止まっていなかった。

 読んでいただきありがとうございます。今回は短めですみません!


 好きな作品へのリスペクトが少し滲み出てしまったかもしれません。お気づきの方はニヤリとしていただけると嬉しいです。

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