第51話「仲間思いが歩んだ八十二日――泡沫の神威」
シンの意識が戻った。前を見た。
蝕龍の息吹はルカの目前まで来ていた。
「結華ッ!」
シンの体が七色に光った。
黄、白、緑、橙、赤、青、桃が混ざった七色に。
エゲツェンコが丸眼鏡を少し上げ、眉をひそめた。
――おやおや、何ですか? あの光は。
次の瞬間、シンの体が爆発的な加速をした。
間に合うはずはなかった。そう思った次の瞬間。
ルカを抱え、壁際まで来ていた。
「結華ッ! 大丈夫か?」
「う……うん……」
ルカは震えていた。
「あの、お……とう……」
ルカは目が泳いでいた。
――今……結華って……私も言わなきゃ……でも……体が、喉が震えて声が出ないよ……
「結華はここにいろ。俺が皆を守る」
シンはヴェノルクスとエゲツェンコを見ていた。
――六十秒……時間が……ない……
ルカの声を待たずにシンは地面を蹴った。
エレナリアがルカの元に走ってきた。
シンはセルジアを、ボルゾイを抱え、エレナリアとルカの元まで運んだ。
「おやおや……なかなかのスピードですね……ですが……」
エゲツェンコはルカ達の方に杖をかざした。上空で炎が渦巻いた。
シンはエゲツェンコに左手をかざした。
周囲が暗くなった。そう錯覚するかのような圧倒的な冷気が広がった。
蒼紫色の氷が、氷獄の氷がエゲツェンコを包み込んだ。
「おやおや……これは……」
エゲツェンコは唇を噛んだ。
氷から抜け出そうと力を込めた。
力を込めた。微動だにしなかった。
――ちぃッ! 身動きが取れない……
「おやおや! 何をぼさっとしているのです。ヴェノルクス、この男を殺しなさい!」
エゲツェンコの胸元が蒼紫色の氷の奥で白く光った。
ヴェノルクスが咆哮を上げた。黒色の禍々しい吐息がシンに迫った。
しかし、その吐息はシンに届くことはなく、七色の光の前で霧散した。
シンの体を包んだ七色の光は手に集まり剣を象った。
天井にも届かんばかりの長い剣だ。
光の奔流が洞窟全体を照らした。
セルジア達の体が桃色に輝いた。傷が治っていった。セルジアの左腕を蝕んでいた黒色も、跡形なく消えていた。
「う……私は……生きているのか?」
セルジアがゆっくりと体を起こした。周囲を見渡した。
「魔力が回復しています……」
エレナリアはつぶやいた。ボルゾイの方を見た。
ヴェノルクスの攻撃は続いた。爪で薙ぎ、尻尾で払い、足で踏みつぶした。
鱗が棘のように変わり、シンを襲った。
すべての攻撃がシンに届くことはなく、虹の光の前にかき消えていった。
「な……なんだ! その力は! ダメだ! ボルゾイ! エレナリア! ルカ! 誰かその馬鹿者を止めろ! そんな力が何の犠牲もなく使えるわけがない! あれは命を削る力だ!」
セルジアが叫んだ。ルカはその声を聞いて固まっていた。
その時、皆の心にシンの声が響いた。
――セルジア、ボルゾイ、エレナリア、ルカ。もう無駄だ。このスキルを発動した以上、俺はもう六十秒も経たないうちに死ぬ……すまない……
「何ですかね……この声……シンさん……?」
「お……おい、どうなってんだこりゃ。ビアの声が聞こえるぞ。しかも……体の傷が消えただって……? トビアス……大丈夫か……?」
離れた場所にいるはずのビア、ダリオ、トビアスたちの声も聞こえた。
シンが一人一人に語り掛けた。
——セルジア、守るために生きる。その意味が分かった。アルノが持っていた矜持、生きることの、死ぬことの、命の価値がよくわかった。だが、俺は死んでも守ることでしか、行動することでしか、周りを助けることができなかった。セルジアは生きろ。その考えを伝えて多くの人々を救え。お前にはその力がある。仲間を頼む。
アルノよ……お前が助けた命はこんなにも強く輝いているぞ。ああ……惜しむらくは私にこいつを守るための力がなかったことだ……敵を、災厄を、ヴェノルクスを、エゲツェンコを、殲滅する力が私には足りなかった……すまない、シン……私が騙されたせいでお前は……お前の想いは私がつなぐ……この国を、お前の仲間を、ルカを、ビアを、ボルゾイを、エレナリアを守る。この命に代えても……
——エレナ、自己犠牲では周りは幸せになれない、自分を大切にしろと言ってくれたな。ありがとう。だが、すまない、俺は不器用な男だった。最後の最後まで。仲間の中に自分がいることも理解している。残された人が何を思うかも理解している。だが、ルカを、結華を、子供を守るために親は死力を尽くすんだ。残すために。アシェンがそうだったように。だから、これからも結華を頼んだ。
シン、私はあなたが守るべき仲間の中に、自分も入れて大切にしてくださいと言いました。でも、それはかなわなかったのですね。今なら私は父の想いが分かる。あなたとルカが私に見せてくれたから、ルカは、結華さんは私が支えます……シン……本当に不器用な人……
——ボルゾイ、長くなったがようやく言えた。槌は振らないと音が鳴らない。その通りだった。このタイミングまで出なかったことが俺らしいと思うか。俺が死んでも笑ってくれ。豪快に、高らかと。俺以上に結華を気にかけて、言葉を紡いでくれたお前に感謝している。最高の友だった。ありがとう。そして、さようならだ。
わしは嫌ぞい! そんなセリフは求めてないぞい。お前は言葉の下手くそな男ぞい! こんな言葉、お前のセリフじゃないぞい! さてはお前は偽物ぞいな! シンを出すぞい!
……シン……聞きたくないぞい……シン……生きるといってくれぞい……ワシはお前が死んだら笑えんぞい……頼む……頼むぞい……馬鹿で、不器用で、言葉の下手くそなワシの一番の友達に……生きてほしいぞい……
——ビア、最後の最後までお前の気持ちに答えてやることはできなかった。お前は前を向いてくれ。俺のことを忘れろとは言わない、言葉を刻んで強く生きろ。幸せになってくれ。ありがとう。ビア。俺の大切な、すばしっこくて健気なキツネ。この世界での二人目の娘よ……娘として愛していた……
シンさん、私は強いですかね……今も涙が止まらないですかね。シンさんに会えなくなるのは嫌だな……前を向く気力を持てるかなんてわからないですかね。でも、シンさんの想いはわかりましたかね。努力しますかね。私の大好きな……大好きだった土石流みたいな優しく強い亀……ほんとに大好き…………シンさん……伸二さん……
——カルラ、お前は初めからすべてわかっていたんだな。それでも黙っていたのは意味があったということを今ならわかる。支えてくれて感謝している。一つ気がかりなのが、セルジアにお前はどうだと言われて、年が離れているからと断っただろう。あれはお前が十個下で幼すぎるから考えられないという意味だ。お前はきれいでいいヤツだ。いい人を見つけて幸せになれ、祈ってる……
何言ってんだい。馬鹿め。全部聞こえてるさね……
ちょっと! マリアどこ掴んでるさね! ちゃんと捕まってないと落ちるよ!
そんなこと言ったって速すぎるのよ。馬鹿……
——ノエル、お前は子どもだが努力のできる子だ。フィーネもお前のことを認めたうえで心配していた。無理はするな。そのまま努力をしていればお前はもっと強くなれる。今は難しいかもしれないが、いつかはフィーネのように封印術も使えるようになる。毎日積み上げろ。お前ならできる。
シンさん……私……今日みたいなことにならないためにも……がんばり……ます……明日から毎日……ううぅっ……ぐすっ……
これは……カリーナの剣だぁッ! 俺と、トビアスと、ビアの怒りを受け取れぇええッ! ロクディモフゥウウウウッ!!!!!!!
ダリオッ! やっちゃってください!
——ダリオ、トビアス、お前たちのことはよく知らない。だが、結華が、ルカが、お前たちに見せた笑顔は本物だった。お前たちは俺の代わりにルカを支えてくれたんだな。そして今は、ロクディモフと戦ってくれているんだな。ビアを心配し、ビアのために怒ってくれたその力。ルカや、エレナ、俺たちの仲間も守ってくれ。勝って来い。勝って生きて。皆を守ってくれ。
——最後に、結華、お前は強い子だ。遥に似て人の心がわかる子だ。そう思っていた。だが、俺には言葉が足りなかった。お前や遥の気持ち、弱さに気付いていながらそれを見ないふりをしていた。俺は卑怯な男だった。俺のようにはなるな。不器用な俺を許してくれとは言わない。ごめんな。遊んでやれなくて、一緒にいてやれなくて。
だが、これだけは最後に言わせてくれ、俺は結華や遥のために自分を殺して生きた。それは間違いだったとは思っていない。これからお前を残して死ぬことも。俺は俺のために、お前のために力を使う。結華、愛している。強くなれとは言わない、弱くてもいい、仲間を頼って、幸せに生きろ。
今までありがとう。愛してる。向こうで遥に会ったら、遥にも伝える。
……
——————
「ヴェノルクス、お前は俺が倒す。仲間を守る。さあ、これが最後だ……」
ヴェノルクスはシンを見て叫んだ。咆哮が洞窟内に響いて地面が、天井が揺れた。
シンは天井まで届く長さの七色の剣を、
ゆっくりと、
縦に薙いだ。
それは、言葉を伝えられない不器用な男が、
皆に己の言葉を届け、
生涯で最後に、
人生を乗せた一振りだった。
その腕が地面に向いたとき、
轟音があたりに響いた。
ヴェノルクスの体が縦に裂けた。四本脚を折り、その場に崩れ落ちた。
ヴェノルクスの眼から赤い色が消えた。
シンの体を包む七色の光が消えた。
それと同時に皆に届いていた言葉が、
シンの言葉が消えた。
シンはその場に崩れ落ち、
静寂があたりを包んだ。
大きな声が洞窟内に響いた。
「お父さん! ヤダよ! 死んじゃヤダよ————ッ! 私を一人にしないでよ!」
七百日間、娘を思い夜道を歩き続けた父親。
たった一言しか伝えられなかった父親。
行動でしか示せなかった父親。
守ろうとして守り方を間違えた父親。
八十二日間、異世界で仲間と出会い、娘と出会い、
言葉と行動を成長させてきた父親、
その最期は仲間を守り、娘を守り、
言葉を届け、世界を救った壮絶な最期だった。
しかし、最後に娘が叫んだその言葉だけは、
今の父親に届くことはなかった。
=============【作者より】
読んでいただきありがとうございます。
作者からの言葉は無粋なのでいらないですよね。
でも一つだけ。シン……本当にありがとう。




