第40話「父の心娘知らず、娘の心父知らず――魂の灯火」
「エレナ! 目を開けてよ……」ルカがエレナを抱きしめていた。エレナリアの右手は手首から先が砕け散り、全身にひびが入りボロボロと砕け散っていた。
「……回復が追い付かんぞい……」ボルゾイは眉を顰め、汗をかいていた。治癒魔法は確かに届いていた。体の崩壊は止まっていたが、崩れた体が元に戻ることはなかった。
ボルゾイが治癒を止めると体が崩れ始め、ボルゾイは治療を続けるしかなかった。
――まずいぞい……もう、魔法力がないぞい……
「ボル爺……エレナは大丈夫だよね……?」ルカがボルゾイの方を見た。
「だ……大丈夫ぞい! 回復を続ければ何とかなるぞい」ボルゾイは努めて明るく答えていた。手は震えていた。
シンは、ビアを抱きしめたままその様子をみていた。ビアは意識を失っていた。
――呼吸は落ち着いている……問題はエレナか……
シンの背後から声が聞こえた。
「全く……無理はするなといったのに……本当に聞き分けの無い子だ……」アシェンだった。
ゆっくりとシンの横を通り過ぎると、ボルゾイの肩に手を添えた。シンはその様子をみていた。
「うちの娘が迷惑をかけるな……もうよいぞ……あとはわしがやる」ボルゾイにそう告げると、アシェンはエレナリアに手をかざした。
アシェンはボルゾイと、ルカを見た。
「百年前からこの子は学習しない子だ……」アシェンの体が輝き始めた。まばゆいオレンジ色の光が、周囲に広がった。エレナリアを包むと、体のヒビがふさがっていった。エレナリアの右腕が再生した。
「す……すごいぞい……これは……完全治癒魔法ぞい……」ボルゾイが口を開けていた。
エレナリアの体を包むオレンジ色の光が消えると、また少しずつ体が崩れ始めた。
「嘘……直らないの……?」ルカがまた涙ぐんだ。
アシェンは独白のように話をつづけた。
「百年前も王都を守るために、魔力が枯渇するほど魔法を使い、足りない分を生命力で補おうとした。その結果今日のように体が崩れ、その影響でこの子は全力で魔法が行使できなくなった」
「私は当時もこうやってエレイナリスを助けた。それと同時に責めた。高々百年に満たない時間しか生きられない人間のために命を使うのはおろかだと……それがいけなかった……娘は人間の男に恋をしていた。そしてその人を失った直後だった」アシェンはエレナリアの顔を見た。
「娘はその日からまともに目を合わせてくれなくなった。口をきいてくれなくなった。数千年の時を生きてきて、たった一言で私と娘の関係性は崩れてしまった……」アシェンはエレナリアの頬に手を添えた。
「当時の私は余裕がなくてね、ドワーフの友、セルゲイに、娘を助けるために無茶をしたことを怒られた。助けた娘には距離を置かれているのにそんなことを言われたもんだから大げんかをしてしまってね。今思えば恥ずかしい限りだ。これも些細な一言が原因だった」アシェンはエレナリアの頬を撫でた。
「今日もエレイナリスとはまともに会話もできなくてどうしてこうなってしまったんだろうな……後悔しても遅い……」アシェンは目を瞑った。
「もう……私にはそれを修復する時間もない……ボルゾイ、ルカ、シンといったか。エレイナリスのことを頼んだぞ」アシェンは目を開け、小さく目を細めた。
両手を合わせ、胸の前で握ると、詠唱を始めた。
「数多の聖霊よ……悠久の時を彷徨う輝きよ、今ここに集いて消えゆく命に灯火を与え給え。黄泉の淵を歩む足音を止め、冷え切った器に再び熱き種火を」アシェンの詠唱に合わせて、体から霧状の淡い光が漏れ始めた。
「な……その魔法は……やめるぞい!」ボルゾイは目を見開いた。アシェンの体を掴んだ。
アシェンは詠唱を続けながらボルゾイの目を見た。慈愛に満ちた目だった。
「わが血は油となり、わが吐息は風となって、潰えかけた焔をいま一度呼び覚まさん」霧状の淡い光が集まると徐々に光の玉に形を変えた。
ボルゾイは手を離した。下を向いて泣き始めた。
――ああ……アシェンは……覚悟を決めとるぞい……
「ボ……ボル爺? どうしたの……」ルカがエレナリアに手を添えたままボルゾイとアシェンを交互に見た。
「たとえ、わが命の火を削り、この身を深く蝕もうとも。理の境界、その門を叩く者へ、夜明けの兆しを。」
光の玉はエレナリアの方にゆっくりと近づいていった。胸の前で止まった。
「その瞳に、再び現世の光を宿し給え!」
「さあ、わが命を吸いて顕現せよ! 『魂の灯火』!」
アシェンが手をかざすと、光の玉がエレナリアに入った。エレナリアの体の崩壊が止まった。
ボルゾイはそれに合わせて治癒魔法を使った。涙は止まっていなかった。
エレナリアの体の傷がふさがっていった。
「ボル爺! やったエレナが治ったよ」ルカはボルゾイの手を握った。
ボルゾイは泣いていた。声を上げて泣いていた。
「ボル爺……エレナは助からないの……?」ルカの手は震えていた。
「ち……違うぞい……エレナは……エレナだけは無事ぞい……」ボルゾイは下を向いたままアシェンの方を指さした。
ルカはボルゾイが指さす方向を見た。
目を見開いた。
アシェンの体にひびが入っていた……
両手が崩れ、
顔に、両腕に、両足に、全身に微細なひびが入っていた。
「え……なんで……?」ルカは手を口に当てた。再び涙が頬を濡らした。
「……」アシェンは口を動かした。言葉にはなっていなかった。
エレナリアを一瞥すると、
アシェンはかすかに笑ったように……見えた。
アシェンの体は崩れ落ち、
そのかけらは霧となり、空に解けていった。
エルフの森の一角に、ドワーフの慟哭が響き続けていた。
――――――――――――
アシェンは目を覚ました。
辺りは一面真っ白だった。
アシェンは周囲を見渡した。
壁も天井も床も区別がない真っ白な空間だった。
――ここは……以前にどこかで見覚えがある……まさか……転移空間!?
「誰か……誰かいないのか!?」アシェンは周囲を見渡した。
「そうか……あなたもここに来てしまったんですね」背後から無機質な悲し気な声が聞こえた。
「その声は……まさか……」アシェンは息をのんだ。
「娘たちの、エレナたちの行く末を見ていきませんか?」声が柔らかな温かみのある色合いを帯びた。
アシェンはゆっくり振り向くと目を見開いた。
「お前は……ワタル!?」
――――――――――――
五人はグランバルトに戻る馬車の中にいた。
ビアはシンの膝にもたれかかるように眠っていた。
エレナリアは横たわり眠っていた。その横にルカがいた。
ボルゾイは下を向き、座ったまま膝に顔をうずめていた。
シンは、ビアの頭に子供をあやすように手を添えて、三人の様子を眺めていた。
――ビア……俺はこれからお前とどう接すればいい? あのキスは正しかったのか……?
――エレナ……自身が死力を尽くした姿、お前の父の姿、あれは俺の死んでも守るという心と変わらないな。お前もルカもみんな守る。
――ボルゾイ……魂の灯火とはなんだ……お前ほどの男がなぜあれほど泣いた……?
ルカは、エレナリアの手を病気の家族を心配するように優しく握り、三人の様子を眺めていた。
――ビアさん……あいつのことあんなに好きだなんて……私のこのもやもやは何なの? お母さんに対する同情……? わからないや……でもイライラする……
――エレナ……起きたら何を話そう。アシェンさんのこと聞いたらどうなるんだろう……今度は私が支えないと……
――ボル爺は何を知っているの? なんであんなに泣いたの? 教えてよ……ボル爺……聞いてもいいかな?
二つの月が照らす中で、父娘はそれぞれの仲間に対する思いを言葉には出さず、心の中で巡らせていた。
========== 【作者より】
読んでいただきありがとうございます。
エレナリアは目覚めたとき何を思うのでしょうか。




