第37話「お父さんという呼び方――親子の在り方」
転生五十六日目。グランバルトを出たシン、ルカ、ボルゾイは、エレナリアの案内でエルフの村に向かっていた。
途中までは馬車で移動し、今は森の中を歩いている。
立ち並ぶ巨木は天を突き、折り重なる深緑の葉が陽光を細かな破片へと砕き、周囲を照らしていた。柔らかな苔に覆われた古道を進むたび、湿り気を帯びた土と清涼な大気の香りが鼻腔をくすぐった。時折、精霊の羽ばたきを思わせる銀色の光粒が宙を舞い、奥地へ誘うように揺らめいた。静謐の中に響く風の囁きが、異界の入り口へと導いていた。
「なんか雰囲気があるところだね。幽霊でも出そう」
ルカが肩を抱いて周囲を見た。
「幽霊は出ませんが精霊はいますね。ほら」
エレナリアがそういって手をかざすと周囲が光った。光の玉がフワフワと浮いていた。
「え……これ……精霊なの?」
ルカは指で触れようとした。光が消えた。
「ええ、そうです。ただ、精霊は臆病ですから触ったりはしないであげてください」
「あ……精霊さん、ごめんね」
ルカは小さく謝った。また、周囲が光り始めた。それを見てルカは少し微笑んだ。
「エレナ、あとどのくらいかかる」
シンは周囲を警戒しながら歩いていた。
「そうですね……このペースだとあと一時間くらいです……」
エレナリアは考えながら答えた。
「まだそんなにかかるぞい?」
ボルゾイが肩をすくめた。
「ええ……手順を踏まないと入れなくなっていますので、里を守るためです」
「まあ、気長にいくぞい」
ボルゾイは大声で笑った。
「そういえばエレナの本名って何なの?」
ルカはボルゾイの声で昨日のブルガイとのやり取りを思い出したように聞いた。
「……里につけば隠すこともできないですね……エレイナリス。エレイナリス・リアフィリアです」
エレナリアは答えた。
「なんかかっこいいね」
ルカはエレナリアを見つめた。
「そうでしょうか……」
エレナリアは顔をそらした。
「カッコいいよ」
ルカは笑顔で前に進んだ。
――――
「そろそろつきますね。ほら、あそこです」
エレナリアは村の入り口を指さした。
森を抜けた先に現れるのは、巨木の梢が天を覆う聖域のような集落だ。中央に鎮座する大樹は、銀の葉から淡い光を滴らせ、そこに住む人々を慈しむように枝を広げていた。それを取り囲むのは、生きた木々を魔法で編み上げたような端正な木造建築だ。精緻な彫刻が施された回廊が静謐な空気に溶け込み、森全体がひとつの神殿のような厳かさを纏っていた。
入り口にエルフの男がいた。新緑の革鎧を纏い、洗練された流線形の弓を携えていた。
「誰だ……何をしに来た」
男は弓を構えて牽制してきた。
「エレイナリスです。ご無沙汰しています」
エレナリアが小さく手を上げて名乗った。
「エレイナリス……エレイナリスなのか!? アシェンさんが待っているぞ。よく帰った!」
男はエレナリアの近くに来ると微笑んだ。だが、ボルゾイとシンに気付き声のトーンが変わった。
「エレイナリス……この人たちは? ドワーフもいるが……」
男はボルゾイとシンを交互に睨んだ。
「旅の仲間です。村に用があって……」
エレナリアが説明をしようとした。だが、その声は遮られた。
「それはダメです! 人間の男や、ドワーフを入れるのは……」
「なぜです?」
エレナリアは眉をひそめた。
「危険です。以前に奴隷商が紛れ込んだことがあって子供が攫われそうになりました」
男は下を向いて指を握りこんだ。
「いいですか。彼らは私の旅の仲間で悪いことなどしません。エルフの女性や子供をさらうようなことはありませんよ」
エレナリアが説明をしていると、村の奥から灰色髪のエルフの老人がやってきた。
流麗な灰色の長髪をなびかせ、同色のローブを纏った姿は森の静謐そのものだった。尖った耳の端に刻まれた皺に悠久の時を滲ませ、淡い銀色の瞳はすべてを見通すように澄んでいた。その佇まいには、峻厳さと慈愛が共存していた。
「エレイナリス……よく帰ったのう」
老人はエレナリアに声をかけた。
「お父様……」
エレナリアは目を潤ませて、目を伏せた。
「エレイナリス……村のルールはわかっているであろう。無理はいうな。これも村を守るためだからのう……」
「……わかりました。ただ、彼らを。シンとボルゾイが村の近くにいることは許してください」
「……しかたないのう。そちらの女性とエレイナリスは中に入りなさい。要件を聞こう。そちらのシンと、ボルゾイといったか、右手に木を切り出して作った寝屋があるからそこで待っておれ。終わったらエレイナリスたちを向かわせる」
アシェンはそう言い切ると村の奥に歩き始めた。エレナリアは苦い顔をしたが、息を吐いて答えた。
「わかりました……シン、ボルゾイ、ごめんなさい。待っていてください。ルカ、いきましょう」
エレナリアはそういうとアシェンを追いかけた。ルカも一度シンとボルゾイを見て「ごめん、いってくる」と伝えるとエレナリアを走って追いかけた。
シンとボルゾイは、言われた通りに寝屋をめざした。大きな木があった。その中が切り抜かれており、寝台のようなものが並んでいた。シンとボルゾイは腰掛けた。
「……閉鎖的だな」
シンは寝台の横に剣を置いた。
「……閉鎖的ぞい。ワシはいいぞい。エレナリアやルカやシンに失礼ぞい」
ボルゾイは寝台の壁の方に向かって寝転んだ。
——グランバルトでのエレナとゴンジャイとのやり取りを見た後だとなおさらだな……
ボルゾイの口数はその後も少なかった。壁を見たまま何かを考えているようだった。
静寂を切り裂くように聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ? こんなところでどうしたですかね? シンさん、ボルゾイさん?」
ビアだった。きょとんとしながら寝屋に入ってきた。
「ビア、ここで何をしている?」
シンが立ち上がった。
「王都からの依頼で、導きの手鏡? とかいう道具を取りに来たですかね」
ビアが少し首をかしげながら答えた。
「そうなのか。ちょうどエレナリアとルカが取りに行っているところだ」
ボルゾイがその会話を聞きながら体を起こした。
「そうなんですかね? じゃあ、果報は寝て待てといいますが、寝てると逃がしてしまいそうなので私の仲間とも合流しますかね? 森の奥にいますかね」
ビアは外を指さした。シンたちが来たのと逆の方角だった。
「セルジア達か?」
シンは剣を手に取った。
「そうですかね。道中歩いたのでちょっと疲れましたかね」
ビアはゆっくりと背伸びをした。
「ボルゾイ、いくぞ」
シンはボルゾイの方を見た。
「行くぞい」
ボルゾイは立ち上がり、シンに続いた。
シンが外に出た。その後ろにボルゾイが続いた。ビアが最後に後ろからゆっくりと追いかけた。
「シンさんたちどんな反応しますかね。楽しみですかねぇ……」
ビアはそうつぶやきながら、彼女に似つかわしくない、にやにやとした不自然な笑みを浮かべていた。
――
エレナリアとルカはアシェンに連れられ家に向かっていた。
「最近は無理はしていないのか? 冒険者で旅をしているとは思わなかったのう」
アシェンが目線をエレナリアに送った。
「お父様……いわれなくてもわかっているわ。百年前のようなことはもうないわ。それよりお父様こそ無理はしてないんでしょうね?」
エレナリアもアシェンに目線を送った。
「馬鹿なことを。無理をするのはいつもお前ではないかエレイナリス……」
アシェンは小さくため息をついて首を横に振った。
「何を! 百年前も無理した癖に……私はやめてとお願いしたのに」
エレナリアは身体ごとアシェンに向いた。
「そんな願い、親が聞けるわけがないだろう……どこの世界に子を見捨てる親がいる」
アシェンは前を向いたまま目を細めて答えた。
「だからって……私はお父様に死んでほしくない……」
エレナリアは涙を流した。
「子より後に死にたいと思う親はおらんよ……もうこの話はやめよう。もうすぐ家だのう」
アシェンが前を向いて指さした。
「そうやって会えば説教をして、都合が悪いと切り上げる。いつもそう。私の話なんか聞いてくれない……」
エレナリアが珍しく子供のようにぶつぶつといっていた。
ルカはその話を無言で聞きながら横を歩いていた。自然と目が潤んでいた。
——お母さんが死んで、私は歩道橋から飛び降りようとした。死ぬというよりもいなくなりたかった。あの時、あいつは血相を変えて走ってきた。抱きしめられた。それを拒んで私はあいつと一緒に一度死んだ……あいつも同じ気持ちだったのかな。一緒に死んだのはどう思われるんだろう。私、あいつに恨まれてないかな……
目の前にある大きな木の下に家が見えた。
大樹のうねる根に抱かれるように佇むその家は、生きた木肌と一体化したような柔らかな曲線を描いていた。小規模ながらも壁面には精緻な蔦の彫刻が施され、窓からは薬草の香りが漂った。森の鼓動が直接伝わるような、質素ながらも神秘的な静謐さに満ちた空間だ。
家の中に入ると木のテーブルがあり、そこに木でできた椅子が四脚あった。エレナリアはその一番奥に座った。隣に座るようにルカを促した。ルカも座った。
「お父様。蝕龍の復活が近いようです。手鏡がいります。保管庫のカギを出していただけますか」
エレナリアは立ったままのアシェンを見上げた。
「もうそんなに時間がたったのか。百二十年とはあっというまだのう」
アシェンは天井を見上げた。
「いえ……何者かが封印を解こうとしているようなのです。百年程度しかたっていませんが封印が解けます」
「何……誰がそんなバカなことを……大陸が滅びるぞ」
アシェンは眉をひそめた。
「わかりません……でも、急ぎなのです」
エレナリアは首を振った。
「わかった……保管庫のカギを渡す。もっていきなさい」
アシェンはそういって木の机の中からカギを取り出した。
「ありがとう、お父様。ルカ、いきましょう。シンたちも待っています」
エレナリアは立ち上がりカギを受け取ると外に出た。
「ねえ、エレナ。今日はLV5だったよ」
ルカは外に出て少し歩くとエレナリアを見てつぶやいた。
「……ひねくれ者ですか……」
エレナリアは間を開けて答えた。
「うん」
ルカは即答した。
「もう……やめてください」
エレナリアは伏し目がちに答えた。尖った耳が赤かった。
「素直になれない子供みたいだった。でも嬉しかった。フフ」
ルカは口に手を当て小さく声を漏らした。
「何がですか」
エレナリアの耳は完全に朱に染まっていた。
「エレナみたいな立派な人でも親の前では素直になれないし、こんなに行き違うんだなって。アシェンさんの言うこともわかるもん」
ルカは頭の後ろで手を組んで空を見上げながら歩いた。
「そうですか……? 私は間違ってないと思いますが」
エレナリアは少し頬を膨らませていた。
「合ってる、間違ってるじゃないと思う。親は子を大切に思うし、子は親を大切に思う。どっちも合ってるんだよ。そう思った」
ルカは上を向いたまま目を瞑った。
「ルカ……あなたがそれを言いますか……いまだにあいつとしか言わないじゃないですか」
エレナリアは少し呆れたように答えた。
ルカは少し小走りになり、エレナリアの前に立つと振り向いた。
「だからだよ! だから私ももう少し気楽に考えていいのかなって。そうしたらあいつのこと……ううん……お……とう……さんのこと、呼べるのかなって」
瞳には大粒の涙がたまっていた。
——面と向かってはまだ無理かも。でも、エレナが、アシェンさんが見せてくれたおかげでお父さんって言えるかも。お母さん、応援してて。私、頑張る。
「ルカ……」
エレナリアはそれを聞いて言葉に詰まった。一滴の涙が頬を伝った。
エレナリアとルカは村の外、入り口の近くにある保管庫に着いた。木製の扉を開けると地下に向かう階段があった。
階段を降りると少し苔むした匂いが広がった。奥に扉があった。エレナリアは扉に鍵を差し込み、開けて中に入った。
エレナリアが迷うことなく室内を突き進んでいった。一番奥に樹木の意匠が刻まれた木の箱が丁寧に保管されていた。
エレナリアはゆっくりと箱に手を添えて箱を開けた。
中身が入っていなかった。
エレナリアは目を疑った。
「手鏡がない……」
エレナリアの顔が青ざめた。
「え……そうなの?」
ルカがエレナリアの方を見た。
保管庫を出た。その時、聞き覚えのある下卑た笑い声と何か硬いものを打ち付けるような音が聞こえた。
「ま……まさか……」
エレナリアは音の方角に走った。ルカもそれを追った。
========== 【作者より】
読んでいただきありがとうございます。
ルカがついについにお父さんという言葉を心の中でつぶやき、エレナリアに伝えましたね。アシェンとエレナリアのやり取りも含めて何か感じることがあるのでしょうか。ビアも登場しましたが何が起こっているのでしょうか。次回もお楽しみに。




