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セルビア・マグダシア  作者: 猫公
第一章 セルビアと私

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第9話 セルビアと■■■(私)

 私の生まれ育った故郷は過疎地域や田舎と呼べるほど生活基盤は整っておらず、元より人間社会に紐づかれた地域ではなかった。人よりも動物の数が遥かに多く、自然を開拓して人里を作った人間社会と比較して、私の故郷は『大自然の一部を間借りしている』と言った方が適切である。


 飲食店や娯楽施設、呉服店なども存在しない。通貨や紙幣も存在しない。ヴェネチアのサン・マルコ広場にある高層建造物『鐘楼』は、私の故郷でいうところの神木と呼ばれる大木であった。


▼

 

 「ほら■■■、こっちよ」


 ここはどこだろうか。薄暗くて肌寒い。例えるならば地下鉄のトンネルのような場所である。私の履いているブーツの靴音が四方八方に反響している。


 私の右手を誰かが握っている。手を握られるなんて久しぶりで、その手に安心感を覚えながら手を引かれる方向へ歩いていた。顔をあげるとそこに居たのはセルビアだった。私の手を引いていたのはセルビアだったのだ。


 「さっきからどうしたの。今日一日ずっと上の空よ。それに今日の講義は一度も眠らずに受けていたし、あなたにしては珍しいわ。もし講義で疲れちゃったのなら今日はやめておく?」 


 ボーッとして状況が理解できてなかったが、私は大丈夫だと返事をした。疲れているのは確かだけど、イタリアの首都であるローマへ行きたいと言ったのは私である。その願いを聞き入れて講義後で疲れているはずなのに観光案内してあげると言ってくれたセルビアには感謝しかない。


 書籍や雑誌でしか知らない風景がこれから目の当たりにできるというのに興奮しないわけがない。それもセルビアと一緒ならなおのこと楽しいに違いない。イタリアの建造物や美味しい食べ物、星の数だけ存在する美しい魔法を、いつか妹へのお土産話に。

 

 「--ちょっと大丈夫、■■■!」

 

 歩いていた筈の足は膝から崩れ落ち、受け身を取ろうとする前にセルビアが抱えてくれた。彼女の優しい匂いに包まれて、私の意識は霞のようにぼやけていった。

 

 ………。

 ……。

 …。


 私の生まれ育った故郷は貴族社会と似ている。


 その故郷に住む者達は、全員が歴史のある魔法使いの家系で、一般的な人間社会から隔離されて生活していた。私の故郷は世界地図には載っておらず、一般社会との交流も皆無である。

 

 それもあって私はこの21年間、故郷を出たことは一度もなかった。セルビアから常識知らずと言われても無理はない。


 だって一般社会で常識と言われるルールが私の故郷には存在しないのだから。魔法国家公務員の監視外にいる魔法使い。法律や戦争にも縛られない地球の一部分で私たちは暮らしていた。

 

 何かを成すために生きているのではなく、明日へ命を繋ぐために毎日を生きていた。排気ガスや二酸化炭素に埋め尽くされた社会より、自然世界の匂いが恋しい。その記憶は私の満たされていたはずの心に寂しさを植え付ける。これをホームシックと呼ぶのだろう。


 それよりも思い出すのは、いつも私の手を握ってくる妹の存在だった。


 「起きた?」


 重たい瞼を開けるとセルビアが顔を覗き込んでいた。起き上がろうとすると頭痛がして、すぐ布団に身体を委ねた。

 

 右手がやけに温かい。私が起きるまでずっと手を繋いでいてくれたのだろうか。ここはどこだろう、と疑う余地もなくここは私の部屋で、これは私の布団だった。

 

 「起きたばかりなのだからまだ安静にしておきなさい」


 私のおでこにセルビアが手を添える。ぬくい。


 「熱は無いみたいだけど疲労かしら。寝不足か貧血かもしれないわね。とにかくあなたが突然意識を失った後、寮の管理人さんに連絡してあなたを家まで送り届けてくれたのよ。あとでお礼を言っておきなさいね」


 セルビアはベッドの端に腰を下ろし、私が倒れたときのことを詳しく説明してくれた。意識が朦朧として鮮明に覚えていない部分が多かった。ともあれ衰弱しきっていた私を介抱してくれたのがセルビアで良かった。それともセルビアが居たから安心して意識を失うことができたのかもしれない。


 「……」

 

 冗談を言ってみるもセルビアから返事はなかった。その代わりに眉間を人差し指をぐりぐりと押された。地味に痛い。

 

 「まっったくアナタは、体調が悪いならそう言いなさい」


 膨らんだ風船の空気が抜かれていくように、セルビアは深いため息をする。


「アナタの行動や思考は何となく分かるようになってきたけど、私は医者じゃないのだから体調まで把握できないわ。医療魔法も使えないからあなたを治すこともできない。ローマ観光を自分で言った手前、断ることに気が引けたんでしょうけど、私にそんな気遣いはやめてちょうだい。今日行けなければ明日や明後日があるのだから」


 「あまり心配をかけないで」、セルビアは私の頭をそっと撫でる。想像していた反応と違って呆然としてしまった。私はなんて馬鹿げたことを言ってしまったのだろう。さっきのセルビアの言葉は薄氷のような優しさではなく、心底、私の安否を心配してくれていた。それを冗談交じり笑い話にしようとした私は愚か者だ。


 「アナタの髪って艶やかで綺麗だと思ってたけど、やっぱり触り心地も良いわね。なんだか日向ぼっこしていた猫の毛を撫でてるみたい」

   

 セルビアの手の温かさが頭にじんわりと伝わってくる。

 眠気を誘う心地よいリズムで揺さぶれる。頭を撫でられるなんていつ振りだろう。気恥ずかしさと心地よさに表情筋が柔らいでいく。頭を撫でられて喜ぶなんて子供みたいだと笑われてしまうだろうか。布団をぎゅっと握る手が強くなっていく。


 体調の悪さと相まって彼女の優しさが私を支配する。セルビアは渇き飢えた心に水を与えてくれる。丁寧に砂糖とレモンを混ぜた甘い酸っぱい水である。

 

 それが私にとって毒だと知っていても私はスポンジのように吸ってしまう。その毒に体を蝕まれようとも、セルビアがくれたのなら痛みに耐えて喜んで受け入れてしまうだろう。これを『依存』と呼ぶことくらい知っている。


 「不謹慎だけど弱っているアナタは素直で可愛いわね。普段のアナタはこんなこと絶対させてくれないから」


 もうやめてほしい。これ以上、私に踏み込んでこないでほしい。その建前とは裏腹に、彼女を拒絶できない意気地ない私がいた。この愛おしい時間は私とセルビアの間に敷かれた境界線を緩ませる。セルビアの優しい匂いが私の熱を上げていく。

  

 「思い出した。そういえばあなたに聞きたいことがあったんだわ。あなたって妹がいるの?」


 頭を撫でられて蕩けていたところに、セルビアが気になる質問をしてくる。たしかに私は長女だが、セルビアに妹がいることを喋った覚えもない。


「教えてもらってないけど、寝言で「お姉ちゃんに任せて」と言っていたから妹さんが居るのかなって」


 ――ッ。私は恥ずかしさのあまり布団に潜って赤くなっているであろう顔を隠した。せっかく頭を撫でてくれていたのに恥じらいが優先されてしまった。


「そんなに恥ずかしがることないじゃない。私はひとりっ子だから羨ましいと思うくらいよ」


 セルビアの言うとおり私には五歳も離れた可愛い妹が居る。まだ成人はしていないが私よりしっかりとした出来た妹である。


 「そうなのね。イメージの話をするとアナタは妹っぽいのにね」


 それは一体どういう意味なのか詳しく説明してもらいたいところだが、きっと寝言の原因は、さっきまで故郷にいる妹の夢を見ていたからだ。妹は魔法のセンスがあって頭脳も切れていて、故郷の集落では狩りや釣りの道具も、妹が魔法で作った道具を使っている。

 みんなから頼りにされている自慢の妹である。だけど私に対して過保護すぎて、妹とは行動を共にすることが多かった。そのときいつも妹と手を繋いでいた。だからセルビアが手を繋いでくれたとき妹との思い出に浸っていた。


 「……」


 シンっと音が消えた。セルビアから返答も相槌、布が擦れる音すらも聞こえなくなった。秒針の音と木の葉が擦れる音のみが、私の部屋で寂しいメロディーを奏でている。


 「セルビア?」

 『■■■■?』

 

 違和感を覚えた私は、布団の隙間からセルビアの様子を伺うと、彼女はちゃんとコチラを見ていた。表情が柔らかく機嫌を損ねているわけではなさそうだった。


 「どうしたの、突然黙り込んで」

 『■■■■■、■■■■■■■』

 

 その瞬間、私はハッと気が付いた。その異変の正体の確信を得た。彼女と私を隔てる見えない壁が消滅している。届くはずのなかった私の声が、よく響いている気がした。それは同時にセルビアが魔法に侵されている事実を告げるものだった。


 「ねえセルビア。しっかりしてセルビア!」

 「■■■■■■。■■■■■■■■■■!」


 灰色に濁る彼女の瞳には灯が欠けている。肩を揺らしてもされるがままに揺らされるだけ。嫉妬でもして機嫌を損ねていたのならどれだけ良かったことか。今のセルビアは人が立ち入れる領域を越えた深い魔法瓶の底で眠っている。私の声と魔法ではどうにもすることができない。

 

 「セルビア。私は、どうすればいいのかな。」

 『■■■■。■■、■■■■■■■■■■。』


 弱音を吐けばいつもなら背中を叩いて励ましてくれるセルビアは、精巧に作られた生き人形のように動かない。時計の秒針が虚しさを膨らませる。

 

 「あなたは私に近づいてくれるけど、これ以上はあなたに近づくことさえできない。ただ魔法を学ぶだけでよかったのに、孤独が寂しいものだと教えてくれたあなたのせいで、私は随分と弱くなってしまった」

 『■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■』

 

 セルビアの存在を確かめるように柔肌に手を優しく添えて、親指で赤みを帯びた唇に触れる。このまま唇を奪って私を忘れられないように身体に覚えさせることもできる。首元に消えない痣を作ることだって。だけどそんなことをしたところで、きっと傷つくのは私だけだろう。

 

 「まだ私は、セルビアに名前すら呼んでもらえていない」

 『■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』


 セルビアの体を包みこむようにして身を寄せた。彼女の鼓動は変わらず動いていている。息もしている。それでもこのまま一生起きてこないんじゃないかという不安は拭えない。どうしようもならないこの状況で、私はただただ願うことしかできない。私にはこの魔法に抗うことも、どうすることもできない。


 「ごめん、セルビア……ごめん」

 『■■■、■■■■■■■■■』 

 

 次にセルビアが意識を取り戻したのは二時間後だった。セルビアが正気を取り戻したとき、私はもう一度、彼女を抱きしめた。痛いと言われるくらい。背中に痕が残るくらい。


 「そんな心配しなくても少し疲れて寝てしまっただけだから。そうね、眠気冷ましにハーブティでも淹れようかしら」


 背中をぽんぽんと叩いてくる。遠回しに退いてと言っているのだろうけど、嫌がられても離れたくなかった。今だけはセルビアに触れていたかった。

 

 「安心して。今日はここに泊まらせてもらって看病してあげるから。一人は心細いわよね。だから泣かないで、■■■」

 

 セルビアが私を呼ぶ声に、今だけは我慢ができなかった。

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