第8話 準貴族
これは遠い遠い昔のお話。
あるところに集落から離れた辺鄙な土地で、畑を耕しながらのんびり暮らす男性がいました。
その土地は土壌が柔らかく、日当たりも良好で野生鳥獣や害虫による被害も少ない場所でした。農作物の被害が少なく男性ひとりでは食べきることができません。そこで男性は畑で採れた農作物を領主様に献上していました。男性が献上する農作物はどれも美味で、お気に召した領主様は男性にこんな提案をしました。
「この土地一帯を自由に使っていい。だから奴隷達を使役してもっと野菜を作ってくれ」と。
その土地を治める領地から特別な権利を与えられ、男性は畑を拡張し、奴隷や労働者を雇って畑仕事を任せるようになりました。そして自らが作業することもなくなった男性は、隣町への野菜や果物の販売し、うなぎのぼりで収益を上げていき、新種の野菜の栽培も始めました。
農作物を栽培して一部を献上。残りを販売し、その収益で労働者の賃金を支払う。それが上手く循環して、男性の手元にはお金が余るくらい増えていきました。
数年後、男性は領主から土地を買い取り、やがて土地や集落を支配するようになりました。
その男性はのちに平民からこう呼ばれるようになりました。領主から特権階級を得た「貴族」であると。
▼
次の講義は「敵意に対する防衛実習」であった。
敵意を持たれるとはどういうことか受講者が身をもって体感するのが目的だそうだ。敵意や殺意を瞬時に感じ取ることで被害を最小限に抑えることができる。もしもの時に家族、大切な友人を守れるように学んでおきたいと思った。まずは座学で説明を受けたのち、実戦形式で敵意を体験するという。一部、魔法による攻防を行うことから汚れてもいい服装で受講するよう魔導員から指示を受けていた。
ちなみにこの講義はセルビアは選択していない。他の実技の講義ではセルビアにサポートしてもらうことも多かったから心細さは拭えない。
場所は確かⅡ棟-401講義室だったはず。私は廊下に貼られた院内図を指差しながら行き先を確認する。
現在地点からⅡ棟まで正規ルートを歩けば15分はかかる。この学院の敷地は広大で、移動するのに自動二輪車や自動車を使う生徒もいるくらいだが、あいにく私は免許を取得していない。魔法の学び舎であるのだから魔法で移動したり箒で飛べばいいのでは、と思うだろうが、敷地内において魔法による飛行は原則禁止されている。危険であるのも理由の1つだが、学院長の方針では魔法で移動する癖をつけさせたくないからだという。
敷地には主要となる建築物がⅠ棟からⅥ棟まで建築されており、上空から学院全体を見下ろせば五角形を成している。学院長が滞在するⅠ棟は五角形の中心点に位置する。各棟はすべて廊下で繋がっているものの、毛糸の編み物のように複雑に入り組んでいた。というのも二本線が交差するだけならまだしも、正三角形やシャープ記号のように廊下が交差している部分もあるのだ。新入生からは迷宮の学院とも呼ばれている。
私とセルビアは最近、遊び半分で学院内を散策していたことから、ある程度は位置情報を把握している。もちろん全てを網羅できているわけではない。正確に言えば「学院長以外は」学院の構造の全てを網羅することができないのである。
「あーもう、いい加減にして!」
魔導書を抱きかかえる院生が怒りを露わにしている。私に対して怒鳴ったのかと思わず身を竦ませてしまったが、そうではなかった。彼女は忙しない様子で院内図を舐めまわすように視線を巡らせている。遅れてきた子も足踏みをして落ち着きがない。
「あったここだ、Ⅲ棟の二階研究室。先週までⅡ棟にあったはずなのにやっぱり場所が変わってる。ここ最近、区画変動が多い気がするんだけど、学院がご機嫌斜めなんじゃないの」
「ユーブレイン、文句言ってる暇があったら足を動かして。そんなこと考える余裕は無いわ。とりあえず場所が分かったなら急ぎましょう。このままだと講義に遅れちゃう」
学院生は苛立ちを抑えながら颯爽と走り去って行く。
彼女達の会話を聞いて分かるとおり、本学院は不定期で区画変動が起きる。講義室や廊下、音楽院室など各部屋がパズルの如く動いてるそうだ。昨日まで歩いていた廊下は食堂に、講義室が図書館になっていることもしばしば。
つまり、本学院は生きている。無機物であり生命の概念から外れている建築物を『生きている』と表現するのは些か適切でないかもしれないが、魔法によって誰の手も借りずに区画変動を起こす程度の意思が植え付けられている。私の暮らしていた集落では考えられない最先端の魔法技術である。
そもそもこの学院はイタリアのヴェネツィアの運河の下に建築されている。ただ下といっても運河を掘り進めていても学院にたどり着くことはない。「非魔法使いが関与しない」を前提に複雑に構築された魔法で本学院は隠されているが、稀に学院に対して悪意を持つ魔法使いが学院内に侵入することもあるそうだ。入学式の黒電話の件がまさに防衛機能が働いた良い例だ。
その防衛手段の1つとして学院内の複雑な構造と不定期な区画変動が行われているわけだが、学院の魔導員らも不満は蓄積されているみたいだった。
魔法とはつくづく不思議なものである。そんな事を考えながら、ふと、私は早歩きだった足を止める。
Ⅰ棟の芝生広場は2メートルも満たない塀に囲まれている。その塀の向こう側はⅡ棟の敷地となっており、ここから正規ルートで歩くより塀を登ったほうが断然と速い。塀を登るなんて魔導員に見つかれば怒られるのは必然である。だが、そう思ってしまった時点で答えは既に決まっていた。
塀はコンクリートブロックで、叩いても壊れる気配はなかった。これなら私の体重も支えてくれるだろう。敷地を隔てる塀に手をかけて腕力を頼りによじ登る。スピーディかつ物音を立てないように慎重に。
すると偶然、その塀の真下にセルビアがいた。他にも名の知れぬ女性が三人いる。珍しい組み合わせだった。
まず最初に飛び込んだのは純白の生地に淡い赤色のレースが縫われたドレス。白昼に舞踏会でも開かれるのか、その名の知れぬ女性らは絵本に出てくるような美しいドレスを着飾っている。思わず見惚れてしまった。美しいドレスは女の子にとって憧れであるもの。
ただ、魔法を学びに来ている学院において相応しくない恰好をしていると思った。私が知らないだけで舞踏会のお作法に関する講義でもあるのだろうか。とは言え、私とは住む世界の違う話だ。セルビアも準貴族として顔が広いから友人も多いのだろう。
「――貴族の品性が下がるような行為ばかり。自分の立場を分かっているのかしら」
会話を盗み聞きしたかったわけではないが、その一言は、セルビアが壁に追いやられて一方的に責められているようにも見えた。名の知らぬ女性らは、その立派な身なりから貴族だと想定される。とにかく殺伐としているのは明白だった。これが貴族同士の修羅場というものか。私は固唾を飲んだ。
「き、きゃー!」
塀に跨っている私に気付いたようで、見知らぬ女性らは腰を抜かして尻もちをつく。まるで歌劇のお姫様のような可愛らしい悲鳴である。ここが舞台上であるならば、さしずめ私は盗賊役だろうか。
「■、■■■!?」
あるいは、セルビアのナイトと言ったところだろうか。
偶然とは言え不利な立場にいたセルビアを救ったのは間違いない。良い意味で場の空気を壊した。私を見上げるセルビアは一瞬驚いた後、その表情は安心したように柔らいだ――と思ったら冷ややかな視線が送られた。私はこの目を知っている。変質者を見るような目だ。
「きっと近道だと思って塀を登ったのでしょうけど、私ですら塀を登るなんて考えには至らないわ。無邪気なのはいいけど、一応アナタは大人の女性なのだから」
おや。思った反応と違うな。セルビアは意地悪な女性に虐められた悲劇のヒロインなのだと思ったが、涙ひとつも浮かべていない。むしろ冷静さは通常運転である。しかし、私の登場は無駄ではなかった。
「な、なんてことでしょう。私のドレスに泥がついてしまったわ! お父様から買ってもらったハリウッド俳優御用達の有名ブランド「ビュチャード・バルク」のシルク製高級ドレス約六百万円が」
見事なまでに嫌味ったらしい言い方である。着飾れば勝手に商品説明してくれる歩く宣伝塔か。企業側は看板に宣伝費用をかけるよりも彼女に広告料を支払ってあげれば手っ取り早く名前を広められるに違いない。
そんなことよりも間接的ではあるが、名の知れぬ女性らを困らせるのができた。これが友人であるセルビアを虐めた報いである。これに懲りたら二度とセルビアには。
「汚れたところ見せて」
セルビアは一人の女性に近づいてドレスを掴む。地面に膝をついてドレスの汚れを確認している。セルビアは「うん」と観察したあと、淡い光を放ち魔法で汚れを落とした。
「これで大丈夫ね。私の友人が驚かせてしまいごめんなさい」
「ありがとうございますわ」
ん?
「さっきの話は私も問題視しているし、お父様にも伝えておくから安心して。また迷惑行為があったら共有してくれると嬉しいわ。それよりこれから王族に招待されたパーティなのだから、そんなこと心配しないで美味しいものいっぱい食べて楽しんできな」
うん?
「ありがとうございますわ。お姉様も御招待されていたのにご都合が合わず残念です。そしてお姉様の御学友様もお恥ずかしい声を上げてしまい大変失礼いたしました。私の御無礼をどうかお許しください。ではお姉様、またお会いしましょう。愛してますわ!」
「はいはい、またね」
……お姉様。
何度も振り返ってはセルビアに手を振る女性。いじめ現場を目撃されて紛らわそうと演技をしているわけでもなく、セルビアに好意を寄せているのが見て分かる。
……。塀に跨っていた私は、物音を立てずにⅠ棟の芝生へ戻ろう(逃げよう)とする。
「あの子達は非魔法使いだけど貴族として名高い家系で、学院長と接点があることから特別にこの学院へ出入りできるわけ」
聞いてもいないことをセルビアは喋り始める。私が勘違いしていたことなんてお見通しなのだ。
「貴族の家系には歴史がある。私は準貴族で、貴族か貴族ではないか問われれば貴族の部類に入る。ただし比較的に外側の者。私の家庭は生粋の貴族ではないの。私が幼子のときにお父様の尽力により庶民から準貴族へ一代で成り上がった。多額の献金を払ったわけではなく、周囲に認められて準貴族と名乗れるほどの地位を与えられたの。そんなお父様を私は心の底から尊敬している」
セルビアは壁にもたれかかる。こんな場所で、そして塀に跨がった状況で聞くような話ではないことは理解している。いいや、むしろこんなところだからこそ話してくれたのかもしれない。
「だから準貴族に成り上がったばかりの私達は後ろ指を差されて蔑ろにされることも懸念していたけど、彼女のバルミャーダ家は私達を歓迎し、貴族としてのイロハを教えてくれた。新参者なのに同じ立場の貴族として問題を共有してくれるんだ」
ふ、ふーんそうなんだ。と相槌を打つ。この場から逃走するタイミングを逃し、かつ、より逃げられない状況が生まれてしまった。それを見計らってセルビアは話し始めたのだろう。
「さっきの話は貴族の中でも民衆に迷惑をかける一族もいて、そいつらの迷惑行為の相談に乗っていたわけなのだけど……ねぇ、そんなに私のことが心配だった?」
ニマニマとした笑みを浮かべながら煽るように尋ねる。それは自意識過剰だ。勘違いはしていたけど断じて心配していたわけじゃない。現にセルビアの前に立って守ろうとしていないし、塀の上から様子を眺めていただけだ。
「でも■■■、あの子達に対してとても怖い顔をしていたわよ。あなたと出会って一度も見たことないくらい怖い顔を。そうね、例えるならば家族を守るため敵に威嚇するレッサーパンダかしら。彼女もあなたが突然現れたことに驚いたというより、威嚇した顔に驚いて尻もちをついたんだと思う」
威嚇してないし馬鹿にしている。見慣れない格好をした人がいたから、私はただ学院内に不審人物が侵入したかと思って……などと言い訳したところで無駄であることは分かっていた。セルビアは聞く耳も持たず、肩を揺らして笑いを堪えているのだ。
「ふふ。なら、そういうことにしといてあげる。でもとりあえずお礼だけは言っておくわね。ありがとう、■■■」
何故かセルビアは嬉しそうに笑うのであった。
それこそ彼女と出逢った中で一度も見たことのない、眩い笑顔で。




