第2話 セルビアとヴェネツィアの街②
「おいおいおい、面倒事は勘弁してくれよお嬢さん。荷物はいいからすぐに船まで走れ――」
そんな船長の指示をゆっくり聞いてる暇もなく『パキパキッ』という音が壁を走り、倉庫内は一瞬にして氷に支配される。セキュリティによる攻撃フェーズとやらが開始された合図だった。
季節外れの白息どころではなく、肺も凍るような寒さである。視界すべてが頑丈な氷に包まれている。幸いにも船長は被害に遭わなかったが、私の逃げ場が失われた。
このまま氷の空間に捕らわれるだけならどれだけ良かったことか、それで終わるほど学院のセキュリティは甘くなかった。床や壁、天井に先端が鋭く尖った氷柱が生成される。地獄絵図の針の山を連想させるほど無数の氷柱である。
船長は必死に何かを叫んでいるが微かにしか聞こえない。それを聞き取る余裕は今の私にはなかった。私含めて船長もこの頑丈な氷の空間を壊すことはできない。それほど高度な魔法が使われているのは未熟な私でも理解できた。侵入者に対抗するための魔法なのだから簡単に破られてしまう魔法なわけがない。
私は腰を抜かして座り込む。氷柱に当たれば確実に死ぬ。この狭い空間だと避けることも逃げ回ることもできない。そんな窮地に立たされた私は、最悪な想定が脳裏をよぎって身体を震えさせる。寒さではなく恐怖による支配であった。
これは本当にマズイかもしれない。
シュンッ。眉間めがけて飛んできた氷柱を間一髪、防御魔法で防ぐことができた。こうやって攻撃を防ぎ続けて耐えることしかできない。はたして未熟な防御魔法でどれくらい保つことができるだろうか。
怖い。恐怖と寒さで過呼吸になりそうなくらい息が苦しい。なんでこんな目に遭わなきゃならないのか。そんな弱音を飲み込んで現実に目を向ける。弱音に身を委ねれば残るものは極楽浄土のみ。とにかく覚悟を決めるしかない。氷柱の動きに合わせて私はもう一度、魔法を展開する。
「邪魔よ」
殺意に満ちた数本の氷柱が『パキンッ』と割れた。それから私を庇うように現れたのは大きなキャリーケースを持った女性であった。標的が変わったとしても氷柱による攻撃は継続していた。
だが、それからは一瞬の出来事だった。女性は栗色の髪を靡かせて一切の迷いもなく右手で直線を描く。またたく間に氷の空間は粉々に破壊されていった。
彼女は『魔法』に対して『魔法』で対抗したのではなく、この短時間で複雑に構築された魔法を解析して分解した。そんな高度な技術・知識は私には持ち合わせていない。つまりは学院関係者が助けに来てくれたのだろう。
「大丈夫かいお嬢さん!!」
船長が駆け寄っていく中、その女性は私に見向きもせず黒電話の受話器をとる。ダイヤモンドダストのように氷粒が舞う中、彼女はこう名乗った。
「セルビア・マグダシア」
受話器から憎たらしい機械音声が流れ始める。
『入学者名簿と照合中。セルビア・マグダシア様を確認。ご入学おめでとうございます。これより学院への転移を行います』
その音声の後、ステンドグラスの六面体のボックスが彼女を囲む。どういう原理で転移されるのか分からないが、そのボックスに入ることで学院の特定の場所に転移されるのだろうか。とにかく彼女のおかげで攻撃フェーズやらは解除されたようだった。
「機械の故障か知らないが災難だったなお嬢さん。とにかく無事でなによりだ。そこのマグダシア家の令嬢もありがとう」
セルビアは返事もせず目線だけ船長に向けた。そんな冷静沈着でクールなセルビアに私は見惚れていた。彼女は私に目もくれず、表向きでも心配する素振りも見せず転移されていった。
「とりあえず俺から学院長に状況説明するから、お嬢さんはここで待ってろ……聞いてるのかお嬢さん」
事後処理の対応する船長を差し置いて、私は地面に座り込んだまま、セルビアが転移された跡を見つめていた。私は足が震えて立つことすらままならなかったのに、一切の無駄もない動作で私を守ってくれた。あの凛々しい横顔が瞼の裏に焼き付いている。
まるで魔法にかけられたように、頭の中が彼女に染まっているのを感じた。この心臓の高鳴りは何なのか。ドッ。ドッ。ドッ。と祭囃子の太鼓のように鼓動が鳴る。まだ氷の空間に閉じ込められているみたいに胸が苦しい。
セルビア・マグダシア。
彼女との出会いが、のちに私の人生の歯車を狂わすのだった。




