第17話 サファイア色のネックレス
昨晩は疲労と安堵から深い眠りについた。
微かに憶えている夢がある。妹のエルゼが「私とセルビアのどっちが大事なの」とシスコンぶりを発揮していた夢だ。アクセサリーの一件があったからだと思うが、私がなんて答えたのか覚えてはいない。だけどエルゼは子供のように駄々こねて私を困らせていた気がする。でも目覚めが悪くなるような返答をしなかったのは確かだった。なぜなら夢の中の私は笑っていた気がするから。
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「ずいぶん遅いお目覚めね」
なんだか聞き覚えのある言葉だった。目を開けるとベッドの端にセルビアが座っていた。本を広げて私が起きるのを待っていたのだろうか。私の部屋にはセルビアがいつも使っている柑橘系の香水が香る。その香りにおっとりする、ワケにはいかなかった。違和感。どうしてセルビアがここにいるのか。
「なに寝ぼけたこと言ってるの。今日は休講日で一緒にアクセサリーショップへ行く約束をしていたでしょう。だからちょっと早くに来ただけよ」
セルビアの知り合いにヴェネツィアでアクセサリーショップを営む者がいる。その者は魔法とは縁のない非魔法使いだけど、アクセサリーをこよなく愛し、信頼のおける店主だとセルビアは言っていた。そこでエルゼからもらったアクセサリーを粉々に壊してもらうのである。だけど私はそれが聞きたかったわけではない。今ここに、私の部屋に、どうしてセルビアがいるのか訊ねている。
「そんな熱烈な視線を送らないでちょうだい」
そんな視線は送っていない。早朝六時に鍵をかけた家に侵入して何食わぬ顔で読書している不審者を見るような目はしている。
「不審者だなんて失礼ね。もちろんベルは鳴らしたわよ。それでも起きないから心配になって窓から覗いたらぐっすり寝てるじゃないの。だから起きるまで待ってたのよ」
そもそも私の寝室は二階にある。覗く行為自体ありえない。それに重要なところの説明がない。私はどうやってこの家に入ったのか改めて問いた。
「……魔法で鍵を開けて」
倫理的な問題で、生命の危機が生じる緊急時以外は、原則使用は認められていない魔法である。常識中の常識であり講義でも学んだはずだ。知らずに使うのと知っていて使うのは罪の重さが桁違いである。彼女の将来を考えたらこのまま魔法国家公務員に通報して更生してもらうべきか。私は心苦しい思いでスマホを手にした。
「通報しようとしないでよ! 緊急だったからこうして部屋に入ったんじゃないの。アナタが苦しそうに私の名前を呼んでいたの。セルビア、セルビア〜、ってね」
微かに憶えていた夢は妹だと思っていたが、実はセルビアだったというのか。セルビアを前に、セルビアの夢を見て、セルビアの寝言を言う。そんな羞恥プレイに私は真っ赤になった顔を両手で覆い隠す。
「まあ冗談だけど」
低反発の枕を容赦なく投げつけた。
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セルビアに部屋を物色されないよう速やかに支度を済ませ、アクセサリーを鞄にしまって家を出た。
ヴェネツィアの終着駅であるサンタ・ルチア駅からサン・ポーロ方面まで歩くこと二十分。迷宮都市と呼ばれるだけあって幾度も路地を曲がり、ネコと戯れ、街外れの路地裏に入ったところでセルビアは立ち止まった。その路地裏は洋楽映画でマフィアの取引に使われていそうな不穏な空気が漂っていた。
「そんなに強く私の腕にしがみつかなくても安全な場所だから心配しないで。あなただって魔法使いなんだからギャングに襲われても返り討ちにできるでしょう。もう。学院を卒業した後のアナタが心配でしかたがないわ」
むっ。私より年下のくせに生意気なことを言うもんじゃない。もっと年上を敬うべきだ。
「一歳しか変わらないでしょうに。それに私の腕にしがみついたままだと説得力がないわよ」
路地裏の塀には扉が埋め込まれていた。その扉は異質なくらい真っ白で、鉄で作られた白色の薔薇が咲き誇っている。セルビアがその扉を開けると世界は一変する。
地面は緑緑しい芝生、青々しい空には雲が浮かんでいる。それらは美術クオリティの高い模造品で疑似空間を生み出している。不思議の国のアリスのように童話の国へ迷い込んだメルヘンチックな世界観だった。森の小人でもお迎えに来てくれそうである。とにかく私は開いた口が塞がらなかった。
「あれが私の紹介したかったアクセサリーショップよ。驚くのは無理ないわね。これは店長の趣味なの」
メルヘンな空間に大きなツリーハウスがあり、それがセルビアの言っていたアクセサリーショップだった。セルビアはツリーハウスのドアを開けた。鐘の音がカランコロンと愉快に鳴る。
「ご無沙汰しておりますユーラさん」
歯医者のドリルのような音がけたたましく響く店内を、セルビアの呼び声が一刀した。バンダナで前髪を上げている女性が工房からやってくる。風に揺られる白いロングスカート、紺色のエプロンには店のロゴが刺繍されている。私達と対して変わらない年齢の若い店主だった。
「誰かと思えばセルビアちゃんじゃない」
セルビアちゃん。その聞き馴染みのない呼称に鼻で笑ってしまう。そんな私に睨みを利かすセルビア。私は精一杯の可愛い笑みで返した。
「まあいいわ。この方はアクセサリーショップを経営している店長のユーラ・ドルミクさん。私の母親の学生時代からの友人で、ユーラさんには私が小さかった頃からお世話になっているの」
歳が近いと思ったら大間違いだった。このツリーハウスは森の小人ではなく魔女が住んでいた。魔女は魔女でも。
「「美魔女」あなたの言いたいことは分かるわ。他のお客さんからもそう呼ばれてるのよ。驚いたでしょう。正直、久々に会った私も驚いているわ。この人はまるで歳のとり方を知らないの。ユーラさんは人の皮を被った未確認生命体なのよ」
「セルビアちゃんったら遅めの反抗期かしら。綺麗な大人の女性になったかと思ったら、まだまだあの頃の可愛いセルビアちゃんで安心しちゃった。セルビアちゃんなりの褒め言葉として受け取っておくね」
ユーラさんは笑みを絶やさないおおらかな印象だった。店外のメルヘンチックな雰囲気を擬人化したような人である。右手にドリルさえ持っていなければ。
「それにしてもセルビアちゃんがお友達を連れてくるなんて初めてじゃない。それとも恋人さんかしら?」
「そ、そんな関係じゃありませんから!!」
「動揺しちゃうなんてセルビアちゃんらしくないじゃない。もしかすると、もしかするのかしら。セルビアちゃんが恋人を連れてきたってユノに連絡しちゃおう」
「それだけはやめて、お母様には何も言わないで!!」
学院では愛想が無くてクールに振る舞うセルビアは、身内だと子供のように多彩な表情を見せる。困ったりする顔や無邪気に笑う顔、照れる顔や頬を膨らませる顔。そんな彼女を見ているだけで、私は自然と笑みがこぼれていた。
「仕事も一段落したところだし、紅茶でも飲みながらゆっくりお話しましょう。セルビアちゃん私に用事があるのでしょう?」
「さすがユーラさん。お見通しなのね」
セルビアは店内に他のお客さんがいないことを確認したあと、「実はユーラさんに折り行ってお願いがありまして」と本題に入った。
店の奥にある工房へ案内されてイスに腰掛ける。用意されたのはアールグレイの紅茶とチョコチップクッキー。紅茶で一息つく前にセルビアは早速、アクセサリーをユーラさんに渡した。
「まずユーラさんにこのアクセサリーを見てほしくて」
「……これは」
ユーラさんにアクセサリーを渡すと表情が一変する。鑑定士のごとくサファイア色の鉱石に虫眼鏡を当てる。セルビアは私の代わりに魔法に関することを避けて事情を説明する。それが世に出回っていない珍しい鉱石であること、事情があってアクセサリーを復元不可能まで粉々に壊さなければならないこと。ユーラさんはさっきと比べて別人みたいに真剣な表情で話を聞いていた。
「ふむ、事情は分かった。まずこの鉱石を壊すのは容易にできると思う。ただアクセサリーショップ店員として、アクセサリーを破壊するのは気が引けるけどねぇ」
「すみません。だけどそうするしか方法が無くて……」
「マグダシア家は準貴族だものね。詳しい事情を伝えられないことも理解しているわ。だからこの件、承りました」
「ユーラさん! ありがとうございます」
「だけどひとつ聞かせてほしいの」
ユーラの視線は私へ向けられる。ハンカチでアクセサリーを包んで、私の手に乗せる。
「これはアナタのアクセサリーなのよね」
そうです。
「手入れが行き届いて大切にしているのが伝わる。大事にしていたのよね?」
はい。
「本当に壊しても良いのね。もう復元はできなくなるわよ?」
……そう覚悟を決めましたので。だからお願いします。
もう意思が揺らぐことはない。だから私は迷わずユーラさんの目を見てはっきりとそう告げた。するとユーラさんは少し考えた後に「ひとつ私から提案させてほしい」と席を立つ。
「事情があってアクセサリーを壊さなければならないのは理解したわ。でもアナタは覚悟に相反して寂しそうな顔をしている。それにアクセサリーを包んだハンカチをアナタの手に置いたとき、アナタはすかさず握りしめたのよ。無意識だったでしょう。だから私からひとつ提案。そんなに大切なアクセサリーなら違った形で残すことだってできるの」
「違った形で?」
彼女は店内の棚から小瓶をいくつも持ってテーブルに置いた。小瓶の中には白砂と小さな貝殻が入っており、小瓶を覗けば海を眺めている気分に浸れる。他にも銀色の小さなカプセルが付いたネックレスもある。
「例えば鉱石を砕いて砂状にしたものをこうやって小瓶に入れたり、このカプセルが付いたネックレスは、大切な人やペットの遺骨や形見を入れることができるの。希望があれば粉状のアクセサリーを特注で作ることもできる」
盲点だった。この鉱石を壊すことしか頭になかった。砂状であれば分析されて故郷の場所を特定されるリスクも回避され、鋭利な刃物として悪用されることだってない。私とセルビアは想定していなかった提案に言葉を失う。顔を見合わせるとお互い考えは同じだったようで自然と笑みがこぼれる。
「この鉱石にどんな価値があるのか私には分からない。だけどアナタにとってはお金に換えられないほど大切なアクセサリーなのよね。お客様の中には生きるために命の次に大切なアクセサリーを手放す方もいる。形は違えど、あなたと歩んだアクセサリーが残り続けるなら、私はその方法を選択してほしいかな」
「もう答えは決まっているわね■■■」
セルビアの問いかけに私は頷いた。さっきは寂しそうな顔と言われてしまったけど今は違う。
「ぜひユーラさんから提案いただいた方法で検討してもいいでしょうか。このアクセサリーは私にとって大切なもので、今、こうしている間も大切な記憶が重ねられている。きっとこれからもこのアクセサリーが私の背中を押してくれる」
「決まりね。私はアナタのそういう顔が見たかったの。俄然やる気が出てきたわぁ!」
それからユーラさんと仕様を細かく相談することになった。ネックレスにするかキーホルダーにするか。どういう形状にするか。砂の量をどのくらいにするか。相談だけで1時間以上もかかり、その間、セルビアは店番をしてくれていた。
こうして完成したのは、魔法使いが使う箒のような形状をしたガラスのネックレスだった。サファイア色の鉱石を砂状にしたものが入っており、左右に傾けると砂が動いてキラキラと音が鳴るような輝きを放つ。
「すごく綺麗ね。本当に私も貰っていいの?」
実はユーラさんにお願いしてネックレスをふたつ作ってもらっていた。そのひとつをセルビアにプレゼントした。準貴族のセルビアには安価な物で不釣り合いかもしれないけど。
「そんなことない。そんなことあるわけないじゃない。それこそ値段なんて飾りでしかないわ。すっごく嬉しい!」
セルビアはネックレスを空にかざして優しい笑みを零す。こんなに喜んでくれるなんてプレゼントした甲斐がある。
私たちはお互いにお揃いのネックレスを首につけて、記念写真を撮った。そうやって店内ではしゃいでいる私たちを、ユーラさんも嬉しそうにしていたのは鮮明に憶えている。
「本当に綺麗ね。いつか現地で本物の鉱石を見てみたいわ」
「……うん」
そう呟くセルビアに、私もいつか見せてあげたいと思うのであった。




