第15話 セルビアとの初めての喧嘩①
日常生活において魔法のある生活がどれだけ恵まれているのか、己の生活水準の高さを自覚していない魔法使いは多いだろう。
現代科学の発展により生み出されたお掃除ロボットや食洗機、自動調理機でさえ魔法ひとつあれば万事解決してしまう。痒いところに手が届くとはどういう意味か魔法使いは理解できない。特に失せ物なんて魔法使いには縁が無いのである。
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「本日はここまでとします。化学の五大基礎法則に準じた魔法の展開は次の講義で説明します。お疲れ様でした」
講義の終わりが告げられると受講生は荷物をまとめて退室していく。セルビアは眉間を指でつまみ、背もたれに体重を支えてもらいながら眼精疲労を和らげている。魔法を化学の法則に置き換えて、魔法から発せられる化学的影響はどんなものがあるのか解説されていた。
「赤ん坊が言語を覚えるように魔法は幼い頃から感覚で使っていたから、論理的に説明されると混乱するわね。同時にこんな難しいことを感覚で成し遂げていた私は天才なんじゃないかと自己肯定感が上がったわ」
セルビアの言うことも一理ある。大半の魔法使いは感覚で魔法を使っている。そもそも魔法とはどういう仕組みで動いているのか、無から有を生み出す原理はどうなっているのかここまで紐解いて勉強したことはない。
魔法はイメージ。つまり魔法を細分化して化学の法則にどんな影響を及ぼしているのか理解することで、自然エネルギーに調和する精度の高い魔法を生成することができる。
いつか手足を動かすみたいに魔法を思いどおりに動かすことができれば、今以上に生活が豊かになるだろう。
「手足を動かすみたいに魔法を使う、か。それができたらデザインの美しい陶器を造ることができるかもしれないわね。それが今の私が目指すべきゴール地点かしら」
その道のりがルート66のように果てしなく続いているのだろう。私達は歩いたばかりで背伸びしたところでゴールは見えないが、一歩ずつ確かに前へ進んでいる。
「そうだけども二年という制限はあるのだから、うかうかしていられないわ。ゴール地点はいつ見えるのかしら」
セルビアは遠い目をしていた。そんな雑談をしながらノートと筆記用具を片付けている時だった。リュックサックの底から光が漏れていた。指が二本入ってしまうほど大きさの穴が開いている。
「もう繊維がボロボロじゃない。これじゃあ魔法で結合しても意味がないかもしれないわね。買い替えたほうがいいんじゃない」
ノートや小物入れが落ちてしまうような大きな穴ではないものの、セルビアの言うとおりガタがきている。糸で縫ったとしても別の箇所に重みが生じて同じような穴が開いてしまうだろう。それにこれくらいの大きさであれば鍵やアクセサリーが落ちていた可能性もあった。
……アクセサリー?
私は顔を青ざめてリュックサックを漁る。小物入れや筆記用具、財布を取りだして中身まで念入りにチェックする。
「どうしたの、そんなに慌てて」
心配するセルビアをよそに、闇雲にリュックサックを探し続ける。じれったくなった私はリュックサックを逆さにして私物を長机の上に広げる。長机に叩きつけられた荷物のけたたましい音に、退室途中だった講義生らの注目の的となった。子供ならまだしも、大人が周りの目を気せず荷物を広げるのは若干の恐怖すら抱かせてしまう。
「ちょっと何してるの! そんな乱暴に荷物を出して、一体どうしたのよ」
それでも聞く耳も持たない私にただ事ではないと悟ったセルビアは、バスケットボールを掴むかのように私の顔を鷲づかみにする。ぐりん、と強制的に首を動かされ、冷静さを欠けていた私の視界はセルビアでいっぱいになった。
「そんな顔されたらほっとけないでしょう。私なら力になれる。だからまず何があったのか、きちんと説明しなさい」
祭囃子の太鼓のように速くなっていた鼓動が落ち着いていく。脳に酸素が回っていく感覚がした。こういうときセルビアの心強さには惚れ惚れする。彼女ならきっと解決してくれる気がしてならなかった。私は講義室のイスに腰掛けてセルビアに状況を説明した。
「妹からもらったお守りが無い?」
故郷で採掘できる特殊なサファイア色の鉱石。それを加工して作ったアクセサリーである。妹がお守りとして作ってくれた大切なもので、普段は身に付けているが、今朝は時間が無くてリュックサックに入れておいた。それを探しているがどこにも見当たらない。
「そんなに慌てることはないじゃない。魔法使いの私物には基本的に自分の魔法が微少ながらも付着しているのだし、魔法の痕跡を感知するなんて簡単に――」
セルビアはそう言うが、私は首を横に振った。アクセサリーの元となる鉱石は特殊な自然物質で魔法の影響を受けない。
「魔法の影響を受けない? つまりそれって」
魔法が無力化される。そのまんまの意味で魔法が付与されないのはもちろん、魔法探知や魔法操作もすることができない。物理で破壊はできるが魔法による破壊は不可能。だからセルビアの言う魔法の痕跡を辿って探すことは絶望的である。
「それってあなたの故郷でしか採掘できない鉱石で、市場に出回ってないのよね……」
顎に手を添えて深く考え込むセルビア。アクセサリーを無くした焦りよりも、セルビアが神妙な顔つきで訊ねてくる理由に不安が芽生える。セルビアはアクセサリーに使われているサファイア色の鉱石が気になっているようだった。
「私は魔法に関する知識をそれなりに持っていると自負しているわ。それに準貴族として善悪関わらず魔法に関するニュースは随時入っているの。そんな私でさえ魔法を無力化する鉱石なんて代物は聞いたことが無いわ。もしそれが本当だとしたら、誰かに拾われる前に見つけないと厄介なことになるかもしれない。魔法使いにとって脅威となるその鉱石を」
鉱石ひとつが魔法使いの脅威になるなんて、セルビアは何を言ってるのだろうか。
「……これはあくまで例えばの話。もし魔法を悪用する人がその鉱石を手に入れたらどうなる。基本的に魔法による攻撃は魔法で対抗する。格闘技と同じ要領で攻撃と防御でカバーし、それは善悪限らず、魔法使いはみんな同じ要領で対抗する。強盗が魔法を使ってきても、魔法国家公務員の公安部が駆けつけてくれるまで時間を稼ぐこともできる。魔法使いには己を守る術がある。だけど、あなたの言う鉱石はそのバランスを崩壊させるの」
もし、鉱石を鋭利な刃物に研いで魔法使いを襲ったらどうする。防御魔法を展開したところで無意味に心の臓を貫かれたらどうする。セルビアはあえて口にしなかったがそういうことだろう。
今までそんな風に考えたことも無かった。いいや、実を言えば彼女の言っていることは心の奥底で薄々理解していた。この学院で魔法を学び、魔法使いの世界の実情を知り、それゆえその鉱石がどれほど危険なものか想像することは容易だった。でも私は考えたくなくて見ないふりをしていた。
「そんな鉱石が存在すること自体、魔法国家公務員が認めるわけがない。本来その鉱石は魔法国家公務員のもとで制限されるべきものなの。だから誰かの手に拾われて表舞台に出てはならないもので」
「セルビア!!」
語気を強めてセルビアの口を止める。あの鉱石が魔法使いにとってどれほど危険なものだってことは理解できた。この鉱石ひとつで戦争のトリガーになる可能性だってあることも。セルビアの言いたいことも分かってる。それでも私にとっては妹が丹精込めて作ってくれた大事なお守りなのである。私が出発するその日まで毎晩遅くまで作ってくれた大切な物。だから。
「だからこれ以上、何も言わないで」
「……ごめんなさい。アナタの大切な物を悪く言うつもりはなかったの。だけど、もしそのアクセサリーが見つかったらどうするの?」
水の入った水槽に墨汁を垂らしたような、美しくない色が私を支配する。どうする、とはどういうことか。つまりセルビアは遠回しにアクセサリーを壊すべきだと言ってるのか。
「そうは言ってないけど、今後もあなたが持っているのは危ないと思ったのよ。またどこかへ落としたらどうするの。悪人に強奪されたらどうするの?」
……分かってる。
「あなただって今まで意識していなかっただけで、その鉱石の危険性を聞いてどう思った」
……分かってるって。
「その鉱石は誰かの命を奪う可能性もあるし、あなたの故郷も危険に晒す可能性だって――」
『ドンッ!』、私は講義室の机を力いっぱいに叩いた。けたたましい音が講義室を緊張に陥れる。癇癪を起した子供みたいで後になって後悔するだろうが、これ以上、セルビアの話を聞きたくはなかった。
もうほっといて。そんな冷たい一言を放って私は講義室を出ていった。
これがセルビアとの初めての喧嘩だった。




