閑話85.5 私が担当を外れたら?
松さんの勤務先に、またあの会社の人が来た。
今度は配信中でも、自宅でもない。アルターク九州本部の受付だった。
私は松さんとの通話記録と、会社側から共有された対応内容を並べて確認していた。
来訪したのはマフィアンピースグループの関係者。本人への直接面会を求めたものの、総務担当者が受付で対応し、松さんは会わなかった。
今回も、勤務先をどうやって調べたのかは分かっていない。
今のところ、暴力を振るわれたという報告はない。建物の中へ無理に入ろうとしたわけでもない。
それでも、問題がなかったとは言えない。
普通の会社の受付に、仕事とは関係のない外国企業がやってきた。対応するために、そこにいた人たちの仕事が止まった。
松さんは電話で言っていた。
『俺がいなくなっても、受付の人はそこにいるじゃないですか』
あの言葉は、報告書に残しておこうと思った。
ご本人が、自分以外の人への影響を気にしている。それは今後の対応を考えるうえでも大切な情報だ。
私は記録を保存し、会議室へ向かった。
会議には、いつもの対応チームの責任者と、能力情報を整理する遠野遼さん、対外調整の担当者が集まっていた。
遠野さんは、以前、松さんが魚を1匹捕った日の報告会議にもいた。能力そのものが変わったのか、それとも使い方を工夫したのか。そうした違いを整理するのが遠野さんの仕事だ。
松さんに関する会議は、これまでにも何度も開いている。
最初の頃は能力の確認や、どこまで協力をお願いできるかという話が多かった。
今は違う。
本人の能力が変わらなくても、周囲の状況が変わり続けている。
「では、始めましょう。白石さん、昨日の来訪についてお願いします」
「はい」
私は資料を開いた。
「勤務先への訪問は確認されていますが、松さん本人との接触はありませんでした。会社側で来客対応を行い、正式な窓口を通すよう案内しています」
「今後も同じ会社から来訪する可能性は?」
「否定できません。これまでにも複数回、場所を変えて接触しています」
「勤務先の情報がどこから出たかは?」
「確認を進めていますが、現時点では分かっていません」
責任者がうなずいた。
「会社側への影響は、今回から考えなければならない問題ですね」
対外調整の担当者が資料をめくった。
「日本側の窓口を案内している以上、企業にはその経路を利用してもらう必要があります。ただ、こちらから案内しただけで、相手が必ず従うとは限りません」
「そうですね」
「勤務先とも連絡方法を整理しましょう。何かあった際に、受付の方が毎回その場で判断するのは負担です」
私はうなずいた。
松さんは、次の仕事を探そうとしている。
産業や研究の専門家から話を聞き、先日はメーカーの工場まで見学した。本人が何をしたいのか、少しずつ具体的になってきている。
でも、転職先はまだ決まっていない。
それまでの間、今の会社で安全に働けるようにすることも必要だ。
「白石さん。現在、本人との連絡は主にあなたが担当していますね」
責任者から声をかけられた。
「はい。ただ、案件の確認や対外連絡は、各担当と分担しています」
「もちろん、それは承知しています」
遠野さんが口を開く。
「能力の確認結果や、案件ごとの記録は共有されています。問題は、その情報があることと、白石さんが不在の時に誰が本人へ連絡するかが決まっていることは別、という点です」
「緊急連絡の経路はありますが、通常の相談を引き継ぐ担当までは明確にしていませんね」
「はい。窓口を一本化したのは、松さんへ複数の部署から連絡しないためでしょう。そこは変えなくていいと思います」
遠野さんは画面の連絡経路を指した。
「ただし、白石さんがお休みの時、この窓口の返答は誰がするのか。判断できない案件は誰に確認するのか。その二つは決めておきたいです」
言われてみれば、確かにそうだ。
既存の医療担当も、安全担当も、対外調整の担当も、それぞれ仕事をしている。私一人が全部を動かしているわけではない。
でも、松さんから最初に相談を受ける役割は、私に偏っていた。
「……そうですね」
思い当たるところはある。
私も、別の案件で詳しい人に頼ることがある。
それで仕事は早く進む。でも、その人がいなくなった時に困るのは、組織の方だ。
責任者が資料を切り替えた。
「そこで、今後の担当体制について検討したいと思います」
画面に、三つの案が並んだ。
私を主担当として続け、休暇や不在の時だけ同じ窓口を別の担当者が代行する案。
松さんから見える窓口は一つのまま、私と副担当で日常の連絡も分担する案。
そして、主な連絡窓口そのものを、別の担当者へ引き継ぐ案。
……担当交代。
文字を見た瞬間、少しだけ手が止まった。
「白石さんの対応に問題があるということではありません」
責任者が言った。
「ただ、今後は産業案件も増えるでしょう。現在の体制をそのまま拡大するのが最善とは限りません」
「承知しました」
私は資料に視線を戻した。
それは、もっともな話だった。
私がここにいる理由は、松さんの担当を続けること自体ではない。安全に協力してもらえる体制を整えることだ。
それが別の人の方がうまくできるなら、交代も考えるべきだろう。
「今日、この場で決定するわけではありません。明日の体制協議までに、それぞれの案の課題を整理しましょう」
責任者がこちらを見る。
「白石さんには、引き継ぎに必要な情報と、ご自身の考えをまとめていただきたいです」
「分かりました」
会議はその後も続いた。
外国企業への対応、アルターク側との連絡手順、情報の共有範囲。
私はいつもどおりメモを取り、必要なところで意見を述べた。
でも、画面の端に残っていた「主担当交代」の文字が、何となく気になっていた。
会議が終わると、私は席へ戻り、引き継ぎのための資料を開いた。
まずは能力の条件。
視認できる場所への移動が基本で、何でも自由に運べるわけではない。本人ができることと、専門家による安全確認が必要なことを混同してはいけない。
次に契約関係。
航空会社との案件も、今後の産業案件も、政府が一方的に仕事を決める仕組みではない。松さん自身の希望と同意が必要だ。
それから、本人の生活。
FIREを目指している。長時間拘束される仕事は望まない。転職について検討しているが、次の仕事はまだ決まっていない。
ここまでは、問題なく書けた。
……と思ったところで、一つ迷った。
松さんは、ときどき突拍子もない案を思いつく。
それを単に「楽観的」と書いていいのだろうか。
工場見学でも、最初はワープで運べば分解しなくていいのでは、と話していた。
でも、技術者の方から修理や設置の問題を聞くと、きちんと納得していた。
私たちが危険性を説明した時も、理由が分かれば考え直すことがある。
だから、何でも思いつきで動く人、という説明は違う気がする。
『新しい案を積極的に提案する一方、安全性や専門的な判断について説明を受ければ、条件を確認しながら進める傾向がある』
……こんなところだろうか。
文章にすると、ずいぶん堅い人みたいだ。
私は少し笑ってしまった。
思い出したのは、以前、魚を一匹捕った日のことだった。
旅客機をワープさせた人についての政府会議で、昼食用の魚一匹を報告した。
あの時も、なかなか不思議な会議だったと思う。
そして、北海道。
仕事のためだけではなく、一緒に過ごした時間があった。
……あ。
私は手を止めた。
これは、引き継ぎには関係ない。
今書くべきなのは、本人の希望を尊重して安全に協力してもらうための情報だ。
私が何を楽しいと思ったかは、必要ない。
気を取り直して、資料の続きをまとめた。
退勤する頃には、明日の会議に持っていく説明の形が見えてきていた。
担当を続ける場合と、交代する場合。
どちらにも、利点と問題がある。
私の希望だけで決められることではないし、決めるべきでもない。
資料を保存して、仕事用の端末を片づけた。
帰りに夕食を買って、自分の部屋へ戻る。
温めた食事をテーブルに置いて、ようやく一息ついた。
……今日は、少し疲れた。
担当が変われば、こうして仕事のことを考える時間も減るのだろうか。
松さんから夜に連絡が来ることもある。急な相談で予定を調整しなければならないこともある。
それが減るなら、助かる部分はある。
私にも、休みの日にやりたいことくらいあるのだから。
食事をしながら、ふとスマートフォンを見た。
仕事用ではなく、自分のものだ。
そこに、先日の食事のことが浮かんできた。
洋食屋で食べたオムライス。
食後のプリン。
松さんはハンバーグを食べて、プリンは次にすると言っていた。
そのあと、二人で店を見ながら歩いた。
特別なことをしたわけじゃない。
それでも、楽しかった。
松さんは、次は自分がお店を探すと約束してくれた。
……そういえば、あれはまだ決まっていない。
仕事の都合で忙しいのかもしれないし、店を探しているところかもしれない。
どちらでもいい。
また都合が合えば、一緒に行けたら嬉しい。
そこで、少し変なことに気づいた。
担当が変わったとしても、あの約束はなくならない。
そもそも、最初に休日の食事へ誘ったのは私だ。
仕事だから一緒に食べたわけじゃない。
別の人が政府の窓口になったとしても、会いたければ普通に連絡すればいい。
……それなら。
私は、何を気にしていたんだろう。
今の仕事を最後まで担当したいからだろうか。それとも、松さんと顔を合わせる機会が減るのが寂しいから? 両方かもしれない。
松さんと話すのは、仕事としても面白い。
予想もしなかった質問をされて、こちらも考えさせられることがある。
でも、仕事の話をしない時間も好きだ。
私は食事を終えて、食器を流しへ運んだ。
……まあ、今日はこのくらいにしておこう。
明日の会議では、仕事の話をしなければならない。
自分がどんな気持ちでいるかと、どんな体制が必要かは、分けて考えよう。
そう決めてから、私は明日の予定を確認した。
翌日。
私は準備した資料を持って、会議室へ向かった。
「白石さん。昨日の件、整理できましたか?」
「はい。継続と交代、両方の案についてまとめました」
画面を共有し、まず現在の課題を説明した。
「各部署で専門的な対応はすでに分担できています。ただ、本人との連絡窓口を一本化している以上、私が不在の時に誰が代行するか、判断をどこへ上げるかを決めておく必要があります」
遠野さんがうなずいた。
「例えば、私が代行する場合ですね」
「はい。既存の記録を使い、確認済みの情報はお伝えできます。ただし、新しい条件の交渉や本人の安全に関わる判断は、遠野さん一人にお願いするものではありません」
「そこは責任者に確認します。何でも私が答えられるわけではありませんから」
「ありがとうございます。私も、連絡を引き継ぐ際の手順をまとめます」
次に、担当を交代する場合について話した。
「交代自体は可能だと思います。ただ、今は松さんの勤務先への対応や、転職先の検討が同時に進んでいます。窓口を急に替えると、本人にも会社側にも説明が増えます」
責任者が資料を見る。
「だから、白石さんが続けるべきだと?」
「必ずしも、そういう意味ではありません」
私は答えた。
「交代するなら、段階的に進めた方がいいという意見です。私が続ける場合でも、既に各部署で分担している業務を変える必要はありません。まずは本人との連絡の代行方法を決めるべきだと思います」
会議室が少し静かになった。
「では、白石さん自身は、今後も主な窓口を担当したいですか?」
昨日も聞かれたことだ。
でも、今日は答えを整理してきた。
「現在の案件については、引き続き担当したいと考えています。松さんの希望や、これまでの協議の経緯を把握していますので、その経験を生かせると思います」
私は少し間を置いた。
「ただし、私でなければいけない体制には、したくありません」
責任者がうなずいた。
「分かりました。白石さんを主担当とする窓口は当面維持します。既存の専門部署との分担も続けたうえで、まずは遠野さんに代行をお願いできるか、業務量と権限の範囲を確認しましょう」
「承知しました」
「正式な体制については、引き続き確認が必要です。まずは必要な引き継ぎから始めてください」
「はい」
会議が終わって席に戻ると、私は担当者向けの資料を開いた。
まず、遠野さんに代行手順の確認をお願いする。情報整理の本来業務もあるので、負担を無制限に増やすわけにはいかない。どこまで兼任できるか、責任者とも相談しなければ。
次に、松さんが使う政府端末の連絡窓口を変えずに、担当者の不在をどう伝えるかを考える。
仕事は、まだ結構ある。
……担当を続けたいと言ったからには、当然か。
少し笑いながら、必要な連絡を送る。
これで、私がいない時にも、松さんが困らずに済む体制へ一歩近づくはずだ。
それは素直に嬉しかった。
仕事用の画面を閉じかけたところで、ふと週末の予定が頭に浮かんだ。
あの洋食屋で食べたプリン、おいしかったな。
次は、松さんがどんなお店を選ぶんだろう。
……楽しみにしておこう。
それは、引き継ぎ資料には書かなくていいことだった。
次回、第86話「新しい担当者?いや、前からいたらしい!」
次回更新:11月8日 20:10予定




