第85話 えっ、会社にまで来たんですか!?
工場見学から数日後。
俺はアルターク九州本部の自分の席で、パソコンの画面とにらめっこしていた。
「……あれ? この数字、合わなくない?」
店舗から届いた資料と、集計表の数字が少し違う。
確認してみると、どうやら一方だけ集計期間がずれているらしい。担当部署に問い合わせて、資料の条件をそろえる。やることが分かれば、あとはいつもの仕事だ。
……いや、最初からそろえておいてほしいけど!
最近はワープで飛行機を動かしたり、工場の大きな機械を見たりしている。でも、会社に来れば普通の会社員に戻る。
朝、政府の一時滞在施設から出勤して、パソコンを開いて、数字を確認する。
この生活も、なんだかんだ落ち着くんだよな。
仕事は早く終わってほしいけど。
そこは別問題です!
「松、さっきの件、確認できた?」
近くの席から声をかけられた。
「はい! 集計期間が違ってました。条件を合わせれば大丈夫そうです!」
「助かった。じゃあ、修正したら一度見せて」
「了解です!」
返信を送って、俺はスマホのメモをちらりと確認した。
『運ぶために分けているものは、分けなくて済むかもしれない』
この前、工場見学の帰りに書いたメモだ。
あの機械、面白かったな。運び方が変われば、作り方まで変わるかもしれないなんて。
帰ったら、もう少し調べてみよう。
……よし。まずは目の前の仕事を終わらせないとな!
そう思っていたところで、少し離れた席にいる上司の電話が鳴った。
「はい。……ええ、松はおりますが」
俺の名前だ。
何か頼まれるのかな?
上司は電話の相手と少し話してから、急に表情を変えた。
「……空中スイマー、ですか?」
……ん?
空中スイマー?
俺は思わず顔を上げた。
「分かりました。本人には確認しますが、そのまま受付でお待ちいただくようにしてください。執務室にはご案内しないでください」
電話が切れる。
上司は一度こちらを見てから、手招きした。
「松。ちょっといいか?」
「はい!」
さっきの話、なんだろう。
……いや、だいたい分かるけど!
近くの打ち合わせスペースに移ると、上司が声を落とした。
「受付に、海外の会社の人が来てるらしい」
「海外ですか?」
「お前に会いたいそうだ。『空中スイマーの松さん』と話がしたい、と」
嫌な予感が、確信に変わった。
「……会社の名前、聞いてもいいですか?」
「マフィアンピースグループ、だそうだ」
「またかー!」
思わず声が出てしまった。
「また?」
「すみません! 前にも何回か接触があった会社なんです!」
散歩中の配信で声をかけられた。
別の日にも来た。
それから、自宅にまで来た。
俺が仕事の話は日本政府を通してくださいと言っても、なぜか直接会おうとしてくる。
そして今度は、アルターク。
「……いや、ここは普通の会社なんですけど!」
「俺もそう思うよ」
上司の返事が、妙に真剣だった。
「相手は、ここにお前が勤めていると知ってるんだな?」
「そうみたいですね……」
でも、どうやって?
自宅の場所が知られた理由だって、まだ分かっていない。
勤務先まで調べられるなんて。
「受付では、どうなってます?」
「来客対応の場所で待ってもらってる。総務が確認していて、こちらに直接来られる状況じゃない」
「よかった……」
よかった、で済むのかな。
上司は俺を見た。
「会う予定はあるのか?」
「ないです! というか、その会社とは直接交渉しないようにしてます。日本政府の窓口を案内しているんですけど……」
「政府?」
「あっ、はい。今、そういう関係のお仕事もしてまして」
どこまで説明していいんだろう。
政府と協力していること自体は公表している。でも、会社に来た相手のことを、俺の判断だけで全部話していいわけじゃない。
「詳しいことは担当の方に確認します。俺からもすぐ連絡します!」
「分かった。ひとまず、お前が受付へ行く必要はない。総務にもそう伝えておく」
「ありがとうございます!」
俺は仕事用の席には戻らず、その場で政府側の連絡先を開いた。
白石さんへ、来客の会社名と場所、今の状況を送る。
送信して間もなく、返信が届いた。
『ご連絡ありがとうございます。松さんは今、来訪者と直接お会いにならないでください。会社側の窓口とこちらで状況を確認します』
……ですよね!
続けて、電話がかかってきた。
「松さん、お怪我などはありませんか?」
「大丈夫です! 俺のところまで来たわけじゃないので!」
「承知しました。受付の方や周囲の社員の方に、何か影響は出ていますか?」
「それが、俺に会いたいって言ってるみたいで。受付の方が対応してくれてます」
「分かりました。まず、どのような用件を伝えているのか確認します。総務の方に、政府側から連絡してよいかもお伝えください」
「はい!」
「今回も、相手の会社がどうやって勤務先を把握したのかは、まだ確認できていません。現時点で決めつけずに対応します」
「……そうですね」
外国の会社からすると、大きな仕事の話をしたいだけなのかもしれない。
でも、断っても断っても、別の場所に現れる。
こちらが嫌がっていることは伝わっていないんだろうか。
上司に政府側からの連絡について相談すると、「総務に話を通しておく」と言ってくれた。
それから少しして、来客は受付での案内を受け、建物を出たそうだ。
相手は物流案件の説明をしたいと申し出たらしいけど、総務は本人が直接の面会に応じないことと、正式な窓口を通す必要があることを伝えたという。
大声で騒いだわけでも、無理に中へ入ってきたわけでもない。
丁寧に名刺を渡して帰っていった。
……それが、また来ない理由にはならないのが困る。
「松、ちょっと聞いてもいい?」
席に戻ると、隣の人が声をかけてきた。
「はい?」
「さっき、空中スイマーって言ってなかった?」
……ああ。
上司が電話で話していたの、聞こえてたのか。
「……言ってましたね」
「動画で見たことあるんだけど。あの、空を泳ぐ人だよな?」
「そうですね!」
「もしかして、お前?」
……どうしよう。
いや、今さらごまかしても、受付で名前を出されてるんだよな。
それに、完全に秘密にしていたわけでもない。政府との協力や空中スイマーとしての活動は、もう公表している。
ただ、ここで働く俺と結び付けられるとは思っていなかっただけだ。
「……はい。実は俺です!」
「えっ、マジで!?」
「マジです!」
隣の人は一瞬ぽかんとしてから、思わず笑った。
「いやいや! お前、あんなすごいことできるのに、何で普通に出勤してるんだよ!」
「そりゃ、会社員ですからね!」
「いや、そうなんだけど!」
「俺だって、仕事の途中で勝手に帰ったら怒られますよ!」
「ワープで一瞬で帰れるだろ!」
「そこは能力の問題じゃないんですよ!」
二人で笑ってしまった。
……あれ?
思ったより普通の反応だ。
もっと大騒ぎになるかと思ったけど、隣の人が気にしているのは、俺がどうして今も会社で働いているのかということらしい。
「あ、じゃあ今ここで飛べる?」
「いやいや! 職場でいきなりワープしたら駄目でしょう!」
「確かに。上に怒られるな」
「そういうことです!」
……上司に怒られるだけで済むのかは、ちょっと分からないけど。
そこへ上司が戻ってきた。
「話は終わったか?」
「はい。もう帰られたそうです」
「そうか。総務からも連絡が来た。あとで対応の記録を確認する」
上司はそれから、俺と隣の人を見た。
「今回の件は、面白がってあちこちに広める話じゃないからな。会社の外でも、勝手に事情を話さないようにしてくれ」
「はい、分かりました」
隣の人がうなずく。
俺も、もちろんうなずいた。
「松も、今後同じような来客があったら、自分で対応しようとしないでくれ。会社としての手順があるから」
「はい! 助かります!」
「ただな……」
上司は少し言いにくそうに続けた。
「正直、こういうことが続くと困る。受付の人も普段の仕事があるし、ほかのお客さんも来る。今日は対応できたけど、次も同じとは限らない」
「……ですよね」
「お前を責めてるわけじゃない。でも、うちも普通の会社だからな」
その言葉が、妙に残った。
普通の会社。
そうだよな。
俺がワープできるからって、アルタークの社員までワープできるわけじゃない。
知らない人が突然やって来たら、受付の人は応対しなきゃいけない。総務の人も仕事を止める。上司だって、俺の代わりに判断することになる。
俺一人なら、危なくなった瞬間に逃げられる。
でも、ほかの人はそうじゃない。
「……すみません。俺も、会社に来るとは思ってなくて」
「まあ、そうだろうな。俺も驚いたよ」
上司は小さく息を吐いた。
「今すぐ仕事を辞めろという話じゃない。ただ、今後の勤務をどうするかは相談しないとな。会社側でも確認することがある」
「はい」
俺も、転職についてはもう考え始めている。白石さんたちと産業の専門家に相談して、工場見学にまで行った。でも、新しい仕事の条件も、いつ移るかも、まだ決まっていない。
それまで今の会社に迷惑をかけずに働けると思っていたんだけどな。
「今日はひとまず、落ち着いて仕事をしてくれ。必要な連絡があれば、こっちで調整する」
「分かりました!」
俺は席に戻った。
画面には、さっきまで確認していた数字が残っている。
うん。集計期間をそろえれば、ちゃんと合う。
こんな日でも、数字は数字なんだよな。
当たり前なんだけど。
しばらく作業してから、休憩の時間に白石さんへもう一度連絡した。
会社から聞いた内容と、上司が話していたことを伝える。
「松さんの勤務先の方々にも、ご負担が生じていますね」
「そうなんですよ。俺に用があるだけなのに、受付の人とかまで巻き込んじゃって」
「ご自身を責める必要はありませんが、対応を会社の方だけに任せきりにするわけにもいきません。関係部署と、連絡方法や今後の対策を確認します」
「はい。お願いします!」
「松さん。転職については以前からご相談いただいていますが、新しい勤務先が決まるまで、今の会社への出勤をどうするかも考える必要があります」
「……そうですよね」
自宅に来られた時から、今の仕事を続けるかどうかは考えていた。産業の専門家にも話を聞いたし、工場見学にも行った。
日本のためになる仕事をしたい。自分の自由な時間も守りたい。その気持ちは変わっていない。
でも、次の仕事はまだ決まっていないんだ。
「俺、次の仕事を探すつもりではいるんです。でも、決まるまでは普通に出勤できると思ってたんですよ」
「はい」
「まさか会社まで来られるとは……。俺の転職が決まるまで、みんなに迷惑をかけ続けるのも嫌ですし」
「今後の出勤方法については、会社側のご意向も確認して調整しましょう。松さんが次のお仕事を検討されていることとは、分けて考える必要があります」
「……なるほど。今の会社でどう働くかと、次にどこで働くかは別なんですね!」
「そうです。どちらも松さんのご希望を確認しながら進めます」
「分かりました。……あの、白石さん」
「はい?」
「俺がワープでどこかに移動すれば、それで済むと思ってたんですよ」
「はい」
「でも、俺がいなくなっても、受付の人はそこにいるじゃないですか」
少し間があった。
「……そうですね」
「俺の能力で何とかできるの、俺のことだけなんだなって」
「すべてを松さん一人で解決する必要はありません。今回は、複数の組織が対応する問題です」
「……複数の組織」
「はい。私たちも含めて、対応方法を検討します」
「じゃあ、俺はまず、自分の仕事をちゃんと終わらせます!」
「ふふ。それはいいと思います」
電話を終えて、席へ戻る。
隣の人はもう普通にパソコンに向かっていた。
上司も、別の担当者と資料の話をしている。
受付の人だって、今ごろは次のお客さんを案内しているのかもしれない。
俺の正体を知った人は、まだ社内の一部だけだと思う。
ネットにまで広まったのかは分からない。
でも、今日、俺がここで働いていることを、あの会社の人たちは知っていた。
その事実だけは変わらない。
画面を開くと、修正した集計表が表示された。
「あ、松。さっきの資料、もう一回見せて」
「はい! 今送ります!」
いつもどおり返事をして、ファイルを送る。
前は、ここで働きながらお金を貯めて、いつかFIREするつもりだった。
今は違う。
自宅の件があってから、転職について考えている。せっかくなら、ワープを使って日本のためになる仕事をしたい。工場見学だって、思っていた以上に面白かった。
……もちろん、自由な時間は欲しいけど!
ただ、新しい仕事を見つけるまで、今の会社で普通に働けると思っていた。
今日のことで、その当たり前も難しくなってきた。
転職することと、それまでの間みんなに迷惑をかけずに働くこと。
両方考えないといけないんだな。
「……まいったな」
小さくつぶやいて、もう一度画面を見た。
ワープなら、俺一人はどこへでも逃げられる。
でも、会社の人たちの日常まで、一緒に運べるわけじゃなかった。
次回、閑話85.5「私が担当を外れたら?」
次回更新:11月8日 12:10予定




