第83話 今日は白石さんと、ご飯を食べる日!
約束していた休日になった。
先日の会議の帰りに白石さんから食事に誘われて、今日ようやくその日が来た。
待ち合わせ場所で合流すると、白石さんが笑った。
「お店、こちらです」
白石さんが歩き出したので、俺も隣に並んだ。
待ち合わせ場所から少し歩いたところに、今日のお店があるらしい。昼を少し過ぎているせいか、人通りはさっきより落ち着いていた。
「白石さんが選んでくれたんですよね?」
「はい。前から気になっていたお店なんです。まだ入ったことはないんですけど」
「じゃあ、二人とも初めてですね!」
「そうですね。もし松さんの好みに合わなかったら、すみません」
「えっ、そんなこと気にしなくていいですよ。俺、結構なんでも食べますし!」
「それなら、少し安心しました」
白石さんが笑う。
仕事中なら、もっと落ち着いている人だ。俺がとんでもないことを言っても、一度受け止めてから、できることとできないことを整理してくれる。
その白石さんが、店選びでちょっと心配そうにしている。
……なんか、新鮮だな。
案内されたのは、通りに面した小さな洋食店だった。ガラス越しにテーブルがいくつか見える。派手な看板はないけど、入口の脇に置かれたメニューの写真が妙にうまそうだ。
「おお、ハンバーグ!」
「オムライスもありますよ」
「うわ、そっちもいいですね」
「まだ入ってもいないのに迷ってますね」
「もう迷ってます!」
店内に入ると、焼いた肉とソースのいい匂いがした。奥の落ち着いた席に案内され、二人でメニューを開く。
ハンバーグ。オムライス。ナポリタン。どれも、わざわざ遠くまで食べに行くような高級料理じゃない。
でも、こういう店っていいんだよな。
値段も普通の外食の範囲だ。せっかく白石さんが選んでくれたんだし、今日は素直に楽しもう。
「……決まらない」
「さっきからずっと同じページですよ」
「ハンバーグ食べたいんですけど、オムライスも捨てがたいんですよ」
「また来ればいいんじゃないですか?」
「……あ」
前にも同じようなことを考えた気がするけど、なぜか毎回、一度で全部食べる前提になっている。
「そうですね! じゃあ今日はハンバーグで!」
「私はオムライスにします」
「おお、そっち行きますか!」
「松さんがずっと迷っていたので、私も食べたくなりました」
「それ、俺のせいですか?」
「少しだけ」
ふふ、と白石さんが笑った。
注文を済ませ、水を一口飲む。
いつもなら、この辺りで次の予定の話になる。どこへ行くか、何を撮るか、時間は何時までか。北海道の旅行だって、ずいぶん詰め込んだ。
でも今日は、店に入ってご飯を食べる。それだけだ。
「そういえば、今日は予定、これで終わりですか?」
白石さんが尋ねる。
「はい! 帰ったら動画でも触ろうかと思ってましたけど、別に急ぎじゃないです」
「そうなんですね」
「白石さんは?」
「私も、特には。買い物に寄るかもしれませんけど」
「いいですね。買い物」
「松さんは何か買いたいもの、ありますか?」
「うーん……」
すぐに出てこなかった。
欲しい物がないわけじゃない。動画に使う物も、生活用品も、探し始めたらいくらでもある。
ただ、今の住まいは政府の一時滞在施設だ。新しい家が決まっていないのに、大きな物を買っても置き場所に困る。
「今はあんまり物を増やせないんですよね。家のこと、まだ決まってないですし」
「そうでしたね」
「だから今日は、見るだけの買い物でも楽しそうです!」
「それ、買い物と言うんでしょうか?」
「ウィンドウショッピングってやつですよ!」
「ふふ。そうですね」
白石さんが少し肩の力を抜いたように笑った。
料理が運ばれてきたのは、その少しあとだった。
鉄板の上でソースが小さく音を立てている。湯気と一緒に、香ばしい匂いが上がってきた。
「うわ、うまそう!」
「松さんの、熱そうですね」
「もう匂いで勝ってます」
「何に勝ったんですか?」
「分かりません!」
俺がそう答えると、白石さんは笑いながら、自分のオムライスにスプーンを入れた。
俺もハンバーグを一口。
「……うまっ」
表面にはしっかり焼き目があって、中は柔らかい。ソースもご飯に合う。
これは当たりだ。
「どうですか?」
「大正解です! 白石さん、いい店見つけましたね!」
「よかったです」
白石さんもオムライスを食べて、目を細めた。
「こちらもおいしいですよ」
「ええ、やっぱりそっちも気になるなあ」
「ハンバーグ、正解だったんじゃないんですか?」
「正解が二つあるんですよ!」
「便利な言い方ですね」
「でも本当ですって!」
二人で笑って、また料理に手を伸ばす。
俺の仕事だとか、ワープだとか、そういう話をしなくても、会話が続く。
北海道では釣りや料理で一日中動き回ったけど、今日は食べたいものを選んで、席に座ってのんびりしているだけだ。
「白石さん、こういう休日もいいですね」
「はい。私も、ゆっくりできて嬉しいです」
「なんか、時間が過ぎるの早いですね!」
「ふふ。まだ食事中ですよ」
「……そうでした!」
白石さんが楽しそうに笑う。
その顔を見て、俺まで嬉しくなった。
食事の途中、窓の外を歩く人たちが目に入った。休日の街は、平日と少し違う。急いでいる人もいるけど、買い物袋を持ってのんびり歩く人も多い。
俺も昔は、休みの日になると何かやらなきゃ損だと思っていた。
……いや、今も結構そうか。
でも、今日の予定は一つだけ。それなのに、全然退屈じゃない。
「松さん?」
「はい?」
「何か気になりますか?」
「いや、今日は配信しなくてよかったなって」
「配信、ですか?」
「ご飯食べながらコメント見てたら、こんなにゆっくりできなかったと思うので」
「そうですね。今は松さんも、落ち着いて食べられますし」
「白石さんも、コメント読まなくていいですしね!」
「今日は2号じゃありませんからね」
「……あっ、そうでした!」
北海道で視聴者に呼ばれていた名前を思い出す。
「2号さん、結構人気だったんですけどね」
「それはありがたいですけど、今日は白石でお願いします」
「了解です!」
「普通のお休みですから」
その言い方が妙に嬉しくて、俺はもう一口、ハンバーグを食べた。
食べ終わる頃には、すっかり満腹になっていた。
……ところが。
メニューの最後のページが、なぜか目に入ってしまった。
「プリン……」
「気になります?」
「ちょっとだけ。いや、結構」
「まだ食べられそうですか?」
「別腹が存在するか、今確認してます」
「どうやって確認するんですか?」
「自分のお腹と相談を」
「お返事は?」
「……微妙です!」
白石さんが笑う。
俺がメニューを戻そうとすると、彼女はもう一度そのページをのぞき込んだ。
「私は、頼もうかなと思います」
「プリンですか?」
「はい。実は、このお店の写真を見た時から気になっていて」
「えっ、そうだったんですか!」
「食事の方もおいしそうでしたけど、こちらも」
「じゃあ、最初からデザート目当てだったんですね!」
「……少しは」
白石さんが照れたように笑った。
なるほど。
仕事中の白石さんなら、気になることは順番にきちんと説明してくれる。でも今日は、自分が食べたいプリンを頼むかどうかの話だ。
俺も食べたい。
ただ、本当に腹がいっぱいなんだよな。
「白石さん、感想聞かせてください。俺は次回来た時に食べます!」
「分かりました。では、遠慮なく」
運ばれてきたプリンは、小さなガラスの器に入っていた。上にかかったカラメルが、店の照明を受けて光っている。
「おお、これはうまそう」
「いただきます」
白石さんが一口食べる。
少しだけ間があった。
「……おいしいです」
「その顔で分かります!」
「どんな顔ですか?」
「さっきのオムライスより嬉しそうな顔です!」
「そんなに違いました?」
「違いましたね!」
「……それは、ちょっと恥ずかしいですね」
白石さんは小さく笑って、もう一口食べた。
本当においしいんだろうな。
「あ、写真撮ってもいいですか?」
「プリンをですか?」
「はい。次に食べる時の参考に。もちろん、ネットには載せませんよ」
「ふふ、いいですよ」
白石さんが器を少しこちらへ寄せてくれる。
俺はスマホで一枚だけ撮った。
いつもは動画や配信に使うことばかり考えているけど、今日は自分のための写真だ。
……まあ、写ってるのはプリンなんだけど。
「よし、次はこれですね!」
「次はハンバーグじゃなくてオムライスなんですよね?」
「あっ」
そうだった。
オムライスとプリン。
「……次回、食べすぎません?」
「松さんが決めたんですよ」
「ですよね!」
会計は、それぞれ自分の分を支払った。
店を出ると、昼過ぎの日差しが少し傾き始めていた。食べる前よりも、街が明るく見える気がする。
「いやー、おいしかったですね!」
「はい。来てよかったです」
「白石さんが選んでくれたおかげですよ」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
それから白石さんは、少しだけ間を置いて言った。
「松さん。もしお時間があれば、もう少し歩きませんか?」
「いいですね! 俺、まだ全然時間あります!」
「では、少しだけ」
二人で歩き出す。
特別な目的地はない。人目のある通りを、店先を眺めながらゆっくり進むだけだ。
雑貨屋の前で、白石さんが足を緩めた。
「こういうお店、つい見てしまうんです」
「何か気になるものありました?」
「いえ、見ているだけでも楽しくて」
「分かります! 俺も買うつもりないのに、電化製品とか見ちゃいます」
「松さんは、やっぱり機械なんですね」
「いや、食品売り場も好きですよ!」
「それは知っています」
「……ですよね!」
そういえば、白石さんとは魚を捕りに行ったことまである。
今さら食べ物が好きですと言っても、驚かれないか。
ショーウィンドウには小さな食器やマグカップが並んでいた。白石さんは一つのカップを見て、きれいな色だと言った。
「買わないんですか?」
「今日は見るだけにしておきます。家にもありますし」
「おお、堅実!」
「松さんに言われると、何だか不思議ですね」
「俺だって必要ないものは買いませんよ!」
「さっき、プリンは次回に取っておきましたしね」
「そういうことです!」
話しながら歩いていると、道沿いの小さな菓子店が目に入った。
ショーケースには、ケーキや焼き菓子が並んでいる。
「……あれ?」
思わず足が止まった。
「どうしました?」
「またプリンがあります」
「本当ですね」
「今日はプリンに縁がありますね」
「松さん、さっき食べなかったのを後悔してます?」
「ちょっとだけ!」
白石さんが笑った。
「じゃあ、次は甘いものを食べに行くのもいいですね」
「……おお」
何となく、その言葉が頭に残った。
次。
自然に、次の話が出てくる。
「あ、だったら次は俺がお店探しますよ!」
「いいんですか?」
「もちろんです! 今日、白石さんに連れてきてもらいましたし」
「ふふ。楽しみにしています」
「ただ、俺が選ぶと安い店になるかもしれませんよ?」
「おいしければ、私は気にしません」
「……じゃあ、結構候補ありますね!」
「もう考えているんですか?」
「今から探しておかないと、またメニューで迷いますから!」
「それは、お店を決めても変わらない気がします」
「……確かに」
二人で笑った。
少し先にベンチが見えたので、座って休むことにした。
通りを行き交う人を眺めながら、とりとめのない話をする。さっきの料理のこと、通りかかった店のこと、今度食べたいもののこと。
沈黙になっても、慌てて次の話題を探す必要はなかった。
「……白石さん」
「はい?」
「今日は誘ってくれて、ありがとうございます」
「さっきも、お店を褒めてくださいましたよ」
「それはお店の話です! 誘ってもらえたのも嬉しかったので」
白石さんは少し驚いた顔をしてから、柔らかく笑った。
「……そうですね。私も、来ていただけて嬉しかったです」
いつもの丁寧な言い方だった。
でも、今は仕事の連絡をもらっているわけじゃない。
白石さんが自分から誘ってくれて、一緒に食事をして、そのあとも散歩をしている。
それが、何となく特別に感じた。
しばらく休んでから、二人で帰り道へ向かった。
「それじゃあ、今日はこの辺で」
「はい。今日は楽しかったです」
白石さんが、まっすぐこちらを見て言った。
「私も、またご一緒できたら嬉しいです」
「俺もです! 次は本当に俺から誘いますね!」
「はい。お待ちしています」
お互いに手を振って、別れた。
一人になってから、俺はスマホを取り出す。
写真フォルダの一番新しい画像は、白石さんが食べていたプリンだった。
……人のプリンを撮った写真が、今日の記念か。
自分で考えて、少し笑ってしまう。
次に行く店を探そうとして、検索画面を開く。
けど、すぐには入力しなかった。
今日は急いで決めなくてもいいか。
次の休みも、きっと楽しみになる。
「……よし。今度は、俺が誘おう!」
スマホをしまって、政府の一時滞在施設へ向かう。
帰ったら編集の続きをするつもりだったけど、今日は少しくらい後回しでもいい。
今はまだ、さっきの会話を思い出していたかった。
次回、第84話「えっ、運ぶために分解してるんですか?」
次回更新:11月7日 12:10予定




