第79話 抗議したはずなのに、また来た
「……よし! 今日も散歩しますか!」
仕事を終えて帰宅した俺は、パソコンの前で配信の準備をしていた。
前回の散歩配信では、視聴者の麦茶さんにコメントを読み上げてもらった。
あれは、なかなかよかった。
一人で配信していた時は、コメントを確認するたびに立ち止まっていたけど、誰かが読み上げてくれるなら、歩きながらでも普通に会話できる。
それに、コメントを読んでもらうだけでなく、相手も自分から質問したり、雑談に参加したりできる。
一人で喋り続けるより、ずっと気楽だ。
「……やっぱり、毎回交代で募集するのはいいかもしれないな!」
俺は応募一覧を確認した。
前回参加してくれた麦茶さんからも、また参加したいというメッセージが届いている。
ありがたいけど、今回は別の人にお願いしてみよう。
せっかくなら、いろいろな視聴者と話してみたい。
「……お、この人にしてみますか!」
今回選んだのは、配信名が『ラムネ』という視聴者だった。
普段から雑談配信を見ていて、コメントを紹介するのが面白そうだと思ったらしい。
さっそく連絡し、簡単な接続テストをしてみる。
「こんばんは! 聞こえますか?」
『あ、はい! 聞こえてます!』
「おお! よろしくお願いします!」
『よろしくお願いします! ちょっと緊張してます』
「大丈夫ですよ! 気楽にやりましょう!」
『はい!』
「コメントも全部読む必要はないですからね。気になったものとか、話しやすそうなものを選んで読んでもらえれば!」
『分かりました!』
「あと、ラムネさん自身も、俺に聞きたいことがあったら普通に聞いてください!」
『えっ、いいんですか?』
「もちろんですよ! そういう雑談がしたいんですから!」
俺が求めているのは、難しい配信の進行ではない。
視聴者と一緒に喋りながら散歩できれば、それで十分だ。
もちろん、配信の開始や終了、参加者の操作などは俺が担当する。
ラムネさんには、気楽に会話を楽しんでもらいたい。
「そういうわけで、今日はよろしくお願いします!」
『はい! 楽しみです!』
音声がライブ配信とアーカイブに残ることも説明し、了承を確認した。
準備は完了だ。
俺はパソコンを閉じ、外出の支度を始めた。
今回も女装姿である。
……そろそろ、散歩する時の普段着みたいになってきたな。
帽子とウィッグを整え、歩きやすい靴を履く。
もちろん、顔は公開しない。
そして、今日はもう一つ決めていることがある。
「……カメラは使わない方がいいかな」
前回、配信中に外国の物流会社の人から声をかけられた。
日本政府の窓口を通すように伝えたし、白石さんたちも対応してくれている。
ただ、どうやって俺の場所を知ったのかは、まだ分かっていない。
配信中に映した広場が手掛かりになった可能性もある。
だから、今日は音声だけにしよう。
景色を紹介したければ、後から動画として公開すればいい。
「……よし、行きますか!」
俺は目で見える安全な地点をいくつか経由して、以前にも訪れたことのある、歩きやすい地域へ移動した。
前回とは違う場所だ。
広い歩道が続き、夜でもある程度の明るさがある。
ここなら、落ち着いて歩けそうだ。
周囲の安全を確認し、スマホから配信を開始する。
「こんばんはー! 空中スイマーです!」
しばらくすると、視聴者が集まってきた。
「今日も健康のために散歩していきます! そして、コメントを紹介してもらうのはラムネさんです!」
『こんばんは! ラムネです! よろしくお願いします!』
「よろしくお願いします!」
『こんばんは』
『ラムネさんよろしく』
『麦茶さんからラムネさん』
『飲み物シリーズ?』
ラムネさんが笑った。
『早速コメントが来てますよ。「次はコーラさんかな」って』
「いや、飲み物で募集してるわけじゃないですよ!」
『「緑茶さんもあり」だそうです』
「もう飲み物から離れてください!」
最初から、なかなか賑やかだ。
……こういう感じがいいんだよな。
「さて、それじゃあ歩いていきますか!」
俺はスマホをカバンにしまい、歩き始めた。
今日はカメラを使わないので、映像を気にする必要もない。
ただ、イヤホンから聞こえるラムネさんの声を聞きながら、ゆっくり歩く。
「いやー、今日は結構涼しいですね!」
『散歩するにはちょうどよさそうですね!』
「そうなんですよ! でも、仕事が終わってから散歩に出るのって、ちょっと面倒なんですよね!」
『あ、それ分かります!』
「家に帰ると、もう出たくなくなりません?」
『なります! 私もそうです!』
『コメントです。「分かる」「帰宅したらもう無理」って来てますよ』
「ですよね!」
実際、今日も配信の予定がなければ、家で動画を編集していただろう。
外に出るのが嫌いというわけじゃない。
ただ、家にはやりたいことが多すぎるんだ。
「俺なんか、ゲームもしたいし、動画も作りたいし、やりたいことがいっぱいありますからね!」
『コメントで「仕事辞めたい人がまた仕事増やしてる」って言われてますよ』
「いや、これは趣味ですから!」
『でも、編集とか結構大変そうですよね?』
「……まあ、大変ではありますけどね!」
『じゃあ、それも仕事みたいなものじゃないですか?』
「いやいや! 自分で好きな時にやるのと、決められた時間にやらないといけないのは違うんですよ!」
『ああ、なるほど!』
「俺は好きなことをやめたいわけじゃなくて、自由な時間が欲しいんです!」
『「結局、FIREしても忙しそう」ってコメントが来てます』
「……それは否定できないですね!」
思わず笑ってしまった。
でも、こういう会話は楽しい。
ラムネさんも、気になったコメントを紹介したり、自分の疑問を聞いてくれたりする。
無理に話題を作ろうとしなくても、自然に会話が続いていく。
「……それにしても、コメントを読み上げてもらえるのって便利ですね!」
『そうですか?』
「そうですよ! 一人で配信してた時は、スマホを見るために何回も立ち止まってたんですから!」
『ああ、そうだったんですね!』
『コメントです。「ようやく散歩ができるようになった男」』
「いや、前から散歩してましたよ!」
『「立ち止まる時間の方が長そう」って』
「……そこまでじゃないですって!」
ラムネさんも笑っていた。
歩きながら話していると、時間が過ぎるのが早い。
今日は、いい感じに運動できそうだ。
「ラムネさんは、普段から散歩するんですか?」
『ああ、それなんですけど……実は、ちょっと聞きたいことがあったんですよ』
「おっ、何ですか?」
『私、健康のために散歩を始めても、いつも3日坊主になっちゃうんです』
「ああ、なるほど!」
『最初はやる気があるんですけど、仕事から帰ると面倒になって……。松さんはどうやって続けてるんですか?』
「……いや、俺も始めたばかりなんですけど!」
『あはは! そうなんですか?』
「そうですよ! むしろ、俺が聞きたいくらいです!」
『コメントで「先生にする人を間違えたw」って来てます!』
「先生じゃないですからね! 一緒に頑張る仲間ですよ!」
二人で笑ってしまった。
それにしても、3日坊主か。
俺だって、散歩をするぞと決めただけでは続かないと思う。
今は配信する理由があるから外に出ているけど、これがなかったらどうなっていたか分からない。
「……そうですねえ。ラムネさん、最初はどれくらい歩こうとしてるんですか?」
『30分くらいですね』
「おお! 結構歩きますね!」
『でも、毎日は続かないんですよ』
「じゃあ、最初は5分でもいいんじゃないですか?」
『5分ですか?』
「そうです! 5分だけなら、ちょっと外に出るだけでもできるじゃないですか!」
『ああ、それならできそうですね!』
「5分歩いて、まだ歩きたかったら続ければいいですし!」
『コメントです。「音楽1曲分だけ歩くのもいいよ」って』
「おお、それいいですね!」
『私、音楽聞くの好きなんですよ!』
「じゃあ、好きな曲を1曲聞く間だけ歩くとか!」
『それなら楽しそうです!』
ほかにも、ラジオを聴きながら歩くという意見や、最初から毎日続けることを目標にしすぎない方がいいというコメントも紹介された。
「……そういえば、3日坊主って言いますけど、3日間は歩いてるんですよね?」
『え? まあ、そうですね』
「じゃあ、全然やらなかったよりいいじゃないですか!」
『ああ、確かに!』
「俺も、毎日完璧に続けられるかは分からないですけど、できる時に少しずつやってみようと思ってます!」
『なるほど! じゃあ、私も明日は5分だけ歩いてみます!』
「いいですね!」
『コメントです。「頑張れ!」「まずは5分から」』
「ラムネさん、今度参加する時に、どうだったか教えてください!」
『はい! ……でも、また3日坊主だったらどうしましょう?』
「その時は、また始めればいいんじゃないですか!」
『……ああ!』
「別に、一回やめたからって、もう二度と散歩しちゃいけないわけじゃないですからね!」
『それもそうですね!』
なんだか、思っていた以上にいい話になった。
……まあ、俺も散歩を続けないと説得力がないんだけど。
「……よし! じゃあ、俺も頑張って続けますか!」
『コメントです。「松さんも3日坊主にならないでね」』
「……そこは頑張ります!」
また笑ってしまった。
こうして、視聴者のコメントをきっかけに、ラムネさん自身の話も聞ける。
これなら、毎回違う人と話すのも楽しそうだ。
「いやー、いいですね! こういう雑談がしたかったんですよ!」
『私も楽しいです!』
「次はどんな話をしましょうかね!」
『あ、そういえば、私からもう一つ聞いてもいいですか?』
「もちろんですよ!」
『松さんって、散歩が終わった後は何してるんですか?』
「散歩が終わった後ですか? ……普通に家に帰って、パソコンとかゲームですね!」
『結局、家で遊ぶんですね!』
「いや、インドア派なのは変わらないですよ!」
『コメントです。「外に出るために配信して、帰ったらゲーム」』
「そういう生活も、悪くないじゃないですか!」
ラムネさんが笑った。
俺もつられて笑ってしまった。
今日は本当に楽しいな。
このまま、もう少し歩こう。
◇
同じ頃。
マフィアンピースグループの関係者は、日本国内のいくつかの地域で情報を集めていた。
彼らが調べていたのは、空中スイマーが過去に訪れた可能性のある場所だった。
公開された動画や写真、目撃情報。
そこから候補を絞り、複数の関係者が手分けして確認している。
もちろん、ワープの移動先を把握できるわけではない。
実際、空振りに終わった場所も多かった。
だが、その夜。
候補地の一つで待機していた男性が、特徴の似た人物を見かけた。
帽子とウィッグを着用した姿。
それに、近くを通った時に聞こえた声。
「……もしかして」
男性は少し離れた位置から、公開されている過去の映像を確認した。
完全に一致しているとは言い切れない。
ただ、確認する価値はある。
男性はスマホを取り出し、近くで待機していた別の担当者へ連絡を入れた。
『空中スイマーと思われる人物を確認しました』
しばらくして、返信が届く。
『確認します。現在の位置を教えてください』
男性は目撃した場所と進行方向を伝えた。
それ以上、追いかけることはしなかった。
一方、そのことを知らない俺は、相変わらず散歩を楽しんでいた。
「いやー、今日は結構歩いてますね!」
『コメントです。「散歩配信、ちゃんと続いてるじゃん」』
「そうですよ! 健康のためですから!」
『「でも途中でゲームの話になってた」って』
「いや、別にゲームの話をしたら健康に悪いわけじゃないですからね!」
『あはは! 確かに!』
「それに、歩きながらいろいろ話せるのっていいですよね!」
『私も楽しいです! 普通に雑談してるだけなのに、松さんは散歩できるんですもんね!』
「そうなんですよ!」
今回の配信は、なかなかいい感じだ。
前回みたいに景色を映していないし、現在地も公開していない。
スマホの操作も、配信を始めた時以外はほとんどしていない。
これなら、気楽に続けられそうだ。
「……あ、そういえば!」
『はい?』
「ラムネさん、さっき明日は5分歩くって言ってましたよね?」
『はい!』
「俺も次の散歩配信、ちゃんとやらないとなって思いました!」
『じゃあ、お互い頑張りましょう!』
「ですね!」
『コメントです。「健康仲間が増えた」』
「いいですね! みんなで健康になりましょう!」
……まあ、俺が健康について偉そうなことを言える立場かは分からないけど。
でも、こうして視聴者と一緒に何かを続けるのも面白い。
次の配信では、ラムネさんから散歩の結果を聞いてみてもいいかもしれない。
……ああ、もちろん、次回の司会は別の人にお願いするつもりだけど。
ラムネさんも、普通の視聴者としてコメントしてくれればいい。
「いやー、これからも楽しみですね!」
その時だった。
「失礼いたします」
すぐ近くから、男性の声が聞こえた。
「……はい?」
俺は足を止めた。
前方には、スーツ姿の男性が立っていた。
見覚えのない人だ。
ただ、こちらへ向けられた視線には、妙な確信があるように感じた。
「松様でいらっしゃいますね?」
「……え?」
名前を呼ばれた。
また?
いや、まさか。
「私、マフィアンピースグループの者です」
「……は?」
思わず、変な声が出た。
マフィアンピースグループ?
あのメキシコの物流会社?
「先日、弊社の者からご案内いたしました大型設備の輸送案件につきまして、改めてお話をさせていただきたく――」
「……ちょっと待ってください!」
俺は慌てて言葉を遮った。
「前にも、日本政府の窓口を通してくださいってお願いしましたよね?」
「はい。その件は承知しております」
「……じゃあ、なんでまた直接来るんですか?」
男性は丁寧に頭を下げた。
「突然のお声がけ、申し訳ございません。ただ、弊社といたしましては、ぜひ松様ご本人に条件をご説明したいと考えておりまして」
「いや、だから!」
……ああ。
まだ配信中だった。
しかも、今の会話も聞こえてしまっている。
俺は立ち止まったままスマホを取り出した。
「すみません、ちょっと失礼します!」
マイクをミュートにする。
イヤホンから、ラムネさんの声が聞こえた。
『……あれ、何かあったんですかね?』
その後、事前に話していたとおり、ラムネさんも発言を控えてくれた。
俺は男性へ向き直った。
「すみません。もう一度言いますけど、仕事の話は日本政府の窓口にお願いします!」
「はい。ただ、今回の案件につきましては、松様にとっても非常に有利な条件をご用意できると考えております」
「いや、条件の問題じゃないんですよ!」
自分でも、少し声が強くなっているのが分かった。
でも、今回は仕方ないと思う。
前回、ちゃんと断った。
その後、白石さんにも報告した。
日本側からも、正式な窓口を利用するように連絡してくれている。
それなのに、また散歩中に話しかけてきた。
「日本政府からも連絡が行ってるはずですよね?」
「その件については承知しております。しかし、弊社としては、まずご本人のご意向を――」
「だから、それも前にお伝えしましたよね?」
男性が口を閉じた。
「俺、今は普通に散歩してるんですよ。仕事の話をするために来てるわけじゃないんです!」
「……はい」
「仕事の依頼なら、ちゃんと窓口へお願いします。そこで条件を確認してもらえれば、必要な時に俺にも話が来ますから!」
「……承知いたしました」
男性はもう一度頭を下げた。
しかし、俺としては納得できない。
この人自身が会社から言われて来たのかもしれない。
でも、それならなおさら、会社の中で俺の希望を共有してほしい。
「今後は、こういう直接の営業はやめてもらえますか?」
「ご意向は担当部署へお伝えいたします」
「お願いします!」
俺はそれ以上話を続けず、男性から距離を取った。
前回、白石さんからは無理に応対せず離れるよう言われていた。つい言い返してしまったけど、これ以上は関わらない方がいい。
周囲の安全を確認しながら歩いていく。
……なんなんだよ、もう。
前回は、珍しい営業が来たなと思った。
会社名が面白かったこともあって、視聴者と笑い話にできた。
でも、今回は違う。
一度断った会社が、また別の人を送ってきた。
しかも、政府から連絡してもらった後だ。
「……普通に迷惑なんだけど」
小さく呟いた。
せっかく楽しく散歩していたのに。
ラムネさんとの雑談も盛り上がっていた。
これから、もう少し歩こうと思っていた。
それなのに、相手の都合で中断させられた。
……なんだか、急に疲れたな。
俺は安全な場所まで移動して、立ち止まった。
スマホを確認し、マイクのミュートを解除する。
「……すみません。ラムネさん、お待たせしました!」
『あっ! 大丈夫でしたか?』
「はい! 大丈夫です!」
『よかったです。何かあったんですか?』
「……ちょっと、また仕事の話を持ちかけられまして」
『えっ、またですか?』
「そうなんですよ!」
『コメントでも心配してる人がいますよ。「また営業?」「大丈夫?」って』
「はい。とりあえず、ちゃんとお断りしました!」
それ以上、会社の話を広げるつもりはなかった。
仕事の内容を視聴者に説明する必要はないし、そもそも今は配信を楽しむために外にいる。
……いや、いたんだけど。
「……すみません。今日はここで配信を終わりにしようと思います」
『えっ、もうですか?』
「はい。ちょっと確認したいこともありますので!」
ラムネさんが、少し残念そうな声を出した。
『そうですか……。でも、無理しないでくださいね』
「ありがとうございます!」
『コメントでも「残念」「また次回楽しみにしてる」って来てます』
「……そうですよね!」
本当なら、もう少し話したかった。
散歩も続けたかった。
でも、今は相手がどうやって俺の場所を知ったのか分からない。
このまま別の場所へワープして配信を続けることもできるけど、また同じことが起きる可能性もある。
……今日は一旦終わらせよう。
「ラムネさん、今日はありがとうございました!」
『こちらこそ! すごく楽しかったです!』
「散歩の話もできましたしね!」
『はい! 明日は5分歩いてみます!』
「いいですね! 俺も続けられるように頑張ります!」
『コメントです。「二人とも頑張れ」「また話聞きたい」』
「ありがとうございます!」
……そうだ。
今日の配信が全部ダメになったわけじゃない。
ラムネさんと普通に会話できた。
視聴者のコメントもたくさん紹介してもらえた。
健康について、楽しく話すこともできた。
そこまでは、ちゃんと成功している。
「というわけで、今日はここまでにします! 次回もまた、希望する視聴者さんにコメントを紹介してもらいながら散歩する予定です!」
『またよろしくお願いします!』
「こちらこそ! お疲れさまでした!」
『お疲れさまでした!』
俺は配信を終了した。
イヤホンから聞こえていた声が途絶える。
……静かだ。
さっきまで、あんなに賑やかだったのに。
「……はあ」
ため息が出た。
楽しみにしていた時間を、途中で終わらせることになってしまった。
俺は周囲を確認し、人目につかない場所から、目で見える安全な地点をいくつか経由して自宅近くまで戻った。
◇
帰宅して着替えを済ませた俺は、政府側の連絡手段を開いた。
「……白石さんに連絡しておくか」
前回は、突然仕事の話を持ちかけられたと報告した。
今回は、すでに断っている会社の別の担当者が、再び接触してきた。
しかも、正式な窓口を通してほしいという俺の希望を知っていた。
……これ、前回より問題じゃないか?
俺は接触した時刻、場所、相手の特徴を整理した。
『こんばんは。以前のマフィアンピースグループの件ですが、今日また別の担当者から直接声をかけられました』
続けて、前回と同じ大型設備の輸送案件について話そうとしていたことを伝える。
もちろん、今回も交渉はしていない。
『日本政府の窓口を通してくださいと再度伝えました。危害を加えられたりはしていませんが、配信は途中で終了しました』
送信。
しばらくすると、白石さんから返信が届いた。
『ご連絡ありがとうございます。再び接触があったとのこと、承知しました。現在は安全な場所にいらっしゃいますか?』
『はい。もう自宅です』
その後、詳しい状況を確認したいということで、通話することになった。
「こんばんは、白石さん!」
「こんばんは、松さん。まず、ご無事で何よりです」
「はい! ただ……また来たんですよ!」
「前回とは別の担当者だったのですね?」
「そうです! でも、前の大型設備の輸送案件についてって言ってました!」
「なるほど。同じ企業の案件であることを示す発言があったわけですね」
「はい!」
白石さんは、前回の対応後にも直接接触が起きたことを、重要な追加情報として確認してくれた。
「松さん。前回、こちらからは正式な窓口を利用するよう企業側へ申し入れています」
「そうですよね!」
「今回、その後にも別の担当者が接触したのであれば、企業側でどのような指示が共有されていたのか確認する必要があります」
「……ですよね!」
俺が気になっているのも、そこだった。
前回の担当者と今回の担当者は、別人だった。
でも、同じ仕事の話をしていた。
ということは、会社の中で俺に仕事を依頼したいという話は共有されているのだろう。
それなのに、どうして政府の窓口を通してほしいという希望は守ってもらえないんだ?
「……白石さん。俺、ちゃんと断ってますよね?」
「はい。最初の接触でも、今回の接触でも、松さんの意思は明確に示されています」
「ですよね!」
思わず声が大きくなってしまった。
「いや、仕事を依頼されること自体は、別に嫌じゃないんですよ!」
「はい」
「ちゃんと窓口を通してもらって、条件がよければ検討することだってできます!」
「そうですね」
「でも、なんで散歩してる時に来るんですか?」
……そう。
俺が嫌なのは、そこだ。
仕事の依頼なら、仕事として相談してほしい。
俺は普通に生活したいし、自由な時間を大切にしたい。
だからこそ、いろいろな条件を考えて政府と協力している。
それなのに、配信の途中で何度も話しかけられたら、何のために窓口を作っているのか分からない。
「今日はラムネさんと楽しく話してたんですよ!」
「ラムネさん、ですか?」
「はい! 今回コメントを読み上げてくれた視聴者さんです!」
「なるほど」
「散歩が3日坊主になるって話をして、一緒に続けられるよう頑張りましょうって話になったんです!」
思い出すと、少し嬉しくなった。
ああいう普通の雑談がしたかった。
「……でも、そのあとにまた仕事の話を持ちかけられて、結局配信を途中で終わらせちゃいました」
「……そうでしたか」
白石さんは少し間を置いてから、口を開いた。
「松さんが私的な時間を大切にしたいと考えていることは、こちらも承知しています。今回の接触についても、正式な窓口を利用するよう求めていたにもかかわらず、再び接触があった事実を確認していきます」
「ありがとうございます!」
「企業側の責任部署へ、前回の説明と今回の行動の整合について問い合わせます。必要な関係先への情報共有も追加します」
「はい!」
「また、松さんが安心して活動できるよう、安全対策についても改めて相談させてください」
「分かりました!」
白石さんたちも、ちゃんと対応してくれている。
それは分かっている。
だから、日本側に怒っているわけではない。
ただ、なんというか。
「……国にお願いして、ちゃんと動いてもらってるのに、それでも俺の時間は止まるんですね」
思わず、そんな言葉が出てしまった。
「……そうですね」
白石さんの声は、いつもより少し落ち着いていた。
「今回のような接触を、すべて事前に防げるとは限りません。ただ、繰り返し起きている事実は重く受け止めています」
「はい……」
「今後の対応については、事実確認の結果も踏まえて、改めてご相談します」
「よろしくお願いします!」
通話を終えると、俺は椅子にもたれた。
……ふう。
もう一度、今日の配信を振り返ってみる。
ラムネさんとの雑談。
健康のための散歩の話。
視聴者から届いたコメント。
そこまでは、本当に順調だった。
しかも今回は、前回の反省を生かして、カメラを一度も使っていない。
地名も公開していない。
散歩する場所も事前には伝えていなかった。
それなのに、また見つかった。
「……なんで?」
前回は、広場の景色が手掛かりになったのかもしれない。
でも、今回は違う。
音声だけの配信だった。
……もちろん、俺が喋っている声を近くで聞かれた可能性はある。
服装だって、以前の動画を見た人なら分かるかもしれない。
ただ、それでも不思議だ。
ワープで移動した先に、都合よく同じ会社の関係者がいた。
それも、二度も。
「……偶然なのか?」
いや、そんなに何度も偶然が続くものなのか?
そもそも、外国の物流会社が、どうして俺の散歩先を探しているんだ?
仕事の話がしたいだけなら、日本政府を通せばいい。
それなのに、わざわざ俺が歩いている場所まで来る。
……なんだか、気持ち悪いな。
俺はパソコンの画面を見つめた。
今日の配信は楽しかった。
ラムネさんも楽しそうだったし、視聴者との会話も盛り上がっていた。
それなのに、途中で終わらせることになった。
……俺は、これからも普通に散歩したい。
視聴者と雑談したい。
でも、また同じことが起きたら?
「……俺、普通に散歩したいだけなんだけどな」
ワープできるようになって、どこへでも自由に行けるようになった。
それなのに、今は自由に散歩することさえ、少し面倒になっている。
……いや。
本当に、どうしてなんだ?
今回は景色も映していない。
今いる場所だって、誰にも言っていなかった。
それなのに。
どうして、俺がそこにいると分かったんだ?
次回、第80話「家まで来るんですか!?」
次回更新:11月5日 12:10予定




