第77話 雑談配信中、知らない人が来た
ワープできるようになって、俺の生活は随分便利になった。
遠くへ出かけるのも一瞬だし、仕事が終わればすぐに帰宅できる。移動に時間を取られないというのは、想像していた以上に快適だった。
ただ、最近になって一つ問題に気づいた。
「……俺、全然歩いてなくない?」
普通なら駅まで歩いたり、駐車場から目的地まで移動したりするところを、俺はワープで済ませてしまう。そのうえ、自宅での趣味は動画制作やゲーム、パソコンを使った作業が中心だ。
便利になった結果、運動する機会が減っている。
……これは、あまりよろしくない。
そこで思い出したのが、先日の女装パトロール配信だった。
最初は街の見回りを試してみるつもりだったけど、実際には視聴者との雑談が思った以上に盛り上がった。歩きながら話していると意外と退屈しないし、地域間の移動はワープで済ませられる。
「……これ、普通に散歩企画として続けられるんじゃない?」
健康のために歩く。ついでに街の様子も確認する。さらにYouTubeの配信までできる。
一度の外出で三つのことができるなら、なかなか効率がいい。
……いや、健康のための散歩に効率を求めるのも、何か違う気がするけど。
まあ、いいか!
というわけで、今日は仕事が終わってから、もう一度雑談配信をすることにした。
前回使った帽子をかぶり、ウィッグを整える。服装も以前と同じ方向にしてみたけど、今日は歩きやすさを優先した。スカートの丈が長すぎると歩く時に少し気になるし、靴だって動きやすいものがいい。
「……なんか、普通に散歩用の服装を考えてるな」
女装していることへの抵抗がなくなったわけではない。ただ、前回の配信では後ろ姿と声のギャップが視聴者に受けていたし、どうせならしばらく続けてみてもいいだろう。
もちろん、顔は見せない。俺が女装していると知ったうえで、後ろ姿だけ見た視聴者が勝手に面白がっている。
……なんだか不思議な企画になってきたな。
スマホとワイヤレスマイクを確認する。今日はStreamYardを使い、基本は音声だけで配信するつもりだ。必要ならスマホのカメラ映像も見せられる。録画専用のスマホについては、まだ購入していない。
「……よし、行きますか!」
周囲の安全を確かめ、目で見える安全な地点をいくつか経由して、以前にも訪れたことのある地域へ移動した。広めの歩道があり、街灯も整備されている。歩いて回るにはちょうどよさそうだ。
俺は安全な場所に立ち止まって配信を開始した。
『【雑談】ワープで散歩! 健康のために歩きます』
「こんばんはー! 空中スイマーです! 今日は健康のために散歩していきます! 場所は内緒ですけどね!」
最初に届いた挨拶を確認し、スマホをカバンにしまって歩き始める。
しばらくして、歩道の端にある広い場所で立ち止まった。コメントを読む時だけはスマホを取り出すことにしている。
『こんばんは』
『また散歩?』
『徒歩スイマーきた』
『ワープしろよ』
「いや、歩くために来たんですよ!」
『ワープできるのに散歩w』
『じゃあワープ封印すれば?』
「いや、それは嫌ですよ!」
思わず即答してしまった。
「だって、遠くまで移動するのに何時間もかかったら、散歩する時間がなくなるじゃないですか!」
『言ってることがめちゃくちゃ』
『目的地まで歩けw』
「……まあ、それもそうなんですけど!」
俺は笑いながらスマホを戻し、再び歩き始めた。
今日は少し涼しい。車の走る音が遠くから聞こえるけど、歩道の周辺は比較的静かだ。前回は街の見回りを意識していたけど、今日はもっと気楽に歩いてみよう。
「いやー、こうして歩いてみると、普通に気持ちいいですね。皆さんは散歩する時、何してます?」
返事は少し先で確認することにする。
歩道の広くなったところで足を止めると、コメントがいくつも届いていた。
『音楽聞いてる』
『ラジオ』
『考え事』
『散歩しない』
「散歩しない人もいるんですね!」
『家から出たくない』
「……分かる! 俺も何も用事がなかったら家にいるタイプですからね!」
『なのに今は散歩してる』
「だから配信を理由に外に出てるんですよ!」
『自分に用事を作ってるのか』
「そうそう! 何か目的があると、外に出やすいじゃないですか!」
配信していなければ、今日も家で動画を編集していたと思う。気づいたら夜になり、あとは風呂に入って寝る。それも悪くないけど、時々は体を動かしたい。
「……あ、でもゲームしてる時は外に出たくないですけどね!」
『結局インドア』
「そこは変わらないですよ!」
そんな雑談をしながら、少しずつ歩く距離を伸ばしていく。
「そういえば、皆さん。俺がFIREしたら、何をすると思います?」
質問してから歩き、次の安全な場所で反応を確認した。
『動画制作』
『ゲーム』
『旅行』
『ずっと寝てる』
『また仕事始めそう』
「いや、最後の人! なんでまた仕事始めるんですか!」
『今も趣味で仕事増やしてるじゃん』
「……ああ」
言われてみれば、最近は自分からやることを増やしている。動画を作り、小説のことを考え、いろいろな企画を始めている。
それなのに、俺の目標は仕事を辞めることだ。
「……いや、違うんですよ! 会社の仕事を辞めたいんです! 自分の好きなことはやりたいんですよ!」
『自由に働きたいのか』
「そうです! それです!」
自分の好きな時に、好きなことをする。やりたくないことを無理して続けるのではなく、やりたいことを選べる生活だ。
「だから、今みたいな散歩配信もいいんですよね!」
『今もやってるじゃん』
「……それはそうなんですけど!」
結局、また笑われてしまった。
でも、こういうやり取りは嫌いじゃない。むしろ視聴者との会話があるから、散歩が思っていた以上に楽しい。
……ただ、ちょっと不便だな。
歩いている間はコメントを読めない。確認するたびに立ち止まり、またスマホをしまって歩く。これを繰り返していると、運動のために来たのか、コメントを読むために来たのか分からなくなってくる。
「……なんか、今日は立ち止まってばっかりですね」
そう呟いたところで、一つ思いついた。
「これ、誰かコメントを読み上げてくれたら、歩きながら普通に会話できるんじゃないですか?」
『読み上げ機能あるぞ』
『コメント読み上げれば?』
「いや、それも考えたんですけどね!」
全部のコメントを機械的に読んでもらうと、同じ内容が続いたり、変なコメントが混ざったりするかもしれない。それなら、人が選んで紹介してくれる方が楽しそうだ。
「例えば、視聴者さんの中から司会進行役を募集するんですよ!」
『司会?』
『モデレーターみたいな?』
「そうです! コメントを読み上げてもらったり、話題を振ってもらったりするんですよ!」
『面白そう』
『誰がやるの?』
「それなんですけど、毎回希望者に交代でお願いするのはどうですか?」
ずっと同じ人にお願いすると負担が大きい。でも交代制なら参加しやすいし、毎回違う人と話せる楽しみもある。
「しかも、司会者さんとは直接通話できるじゃないですか!」
『俺も話したい』
『参加型配信?』
『人生相談していい?』
「いや、人生相談は俺が答えられるか分からないですよ!」
思わず笑ってしまった。
「でも、これ結構面白そうですね。司会とは別に、視聴者さんと直接話すコーナーを作るのもありかもしれません!」
『やってほしい』
『参加したい』
『いつから?』
「……いつから?」
そこで、俺は少し考えた。
別に、今からでもできるんじゃないか?
StreamYardにはゲストを呼ぶ機能があるはずだし、自宅に戻ってパソコンで準備すれば、そこまで難しくない気がする。
「……よし! じゃあ、今から募集してみましょうか!」
『今から!?』
『行動早いw』
「いや、せっかく思いついたんですから!」
『司会やりたい』
『俺も』
『何すればいいの?』
「コメントを読んでもらったり、俺に話題を振ってもらったりする感じです! 今回はお試しなので、短時間でも大丈夫ですよ!」
『報酬は?』
「最初はボランティアでお願いする形ですね。無理して参加する必要はないです!」
『楽しそうだからやりたい』
『通話できるなら参加する』
「おお! 結構いますね!」
予想以上に反応がよかった。中には普段からラジオをよく聞いているという人や、配信をやってみたかったという人もいるらしい。
「じゃあ、ちょっと家に帰って準備してきます!」
『今から帰宅?』
「はい! パソコンで応募方法と通話の設定を作ります!」
『帰るの何分?』
「一秒です!」
『ずるいw』
『設定の方が長そう』
「……まあ、それはそうですね!」
確かに、家へ帰るよりパソコンの設定の方が時間がかかる。
「準備ができたら、第二部の配信で実際に司会をお願いしてみます! 参加したい方は、このあと案内する応募方法を確認してください!」
『今日中にやるのか』
『楽しみ』
「せっかくですからね! ただ、個人情報とか現在地を聞くのはなしでお願いします!」
『松さん、今どこ?』
「だから、それはダメですって!」
最後までコメントに笑わされながら、俺は第一部の配信を終了した。
周囲を確認し、人目につかない場所から、目で見える安全な地点をいくつか経由して自宅近くまで戻った。
玄関を開けて部屋に入る。
「……ただいま!」
当然だけど、誰も返事をしない。まあ、一人暮らしだからな。
◇
「さて、パソコン開きますか!」
俺は椅子に座り、StreamYardの画面を確認した。
ゲストの招待機能は見つかった。参加者が待機する場所もあるし、配信に声を載せるタイミングもこちらで操作できるらしい。
「……おお、結構便利じゃない?」
ただし、招待リンクを誰でも見られる場所へ公開するのは避けたい。
そこで配信用の応募窓口を作り、参加希望者へ個別に連絡できるようにした。電話番号も個人のLINEも必要ない。
応募方法を先ほどの配信の説明欄とSNSで案内し、しばらく待ってみる。
「……あ、来た!」
思っていたより早く、複数の応募が届いた。中には、先ほどコメント欄で手を挙げてくれた人もいる。
「……さて、誰にお願いしようかな」
今回は初めての試みなので、まずは短時間のお試しだ。
俺は応募してくれた人の中から、配信名が『麦茶』という視聴者を選んだ。先ほどの配信でも何度かコメントしてくれていた人だ。
もちろん、実際に話してみないと、どんな人なのかは分からない。
俺は、音声がライブ配信とアーカイブに残ることや、個人情報を話さないことなどを伝え、了承を確認してから招待リンクを送った。
「……よし。入ってきたかな?」
しばらくすると、待機中の参加者が表示された。
俺は配信を始める前に、音声だけで接続を確認することにした。
「こんばんは! 聞こえますか?」
『あ、はい! 聞こえてます!』
イヤホンから、少し緊張した声が聞こえてきた。
「おお! ちゃんと聞こえますね!」
『本当に空中スイマーさんだ……』
「いや、本人ですよ!」
『すみません、ちょっと緊張してます』
「大丈夫ですよ! 俺もこういうの初めてなんで!」
思わず笑ってしまった。
「とりあえず、コメントを選んで読んでもらったり、話題を振ってもらったりする感じでお願いします!」
『分かりました!』
「あと、もし外で何かあったら、一旦俺のマイクを切ることがあります。その時は少し待っていてください!」
『はい!』
簡単な確認を済ませ、第二部の配信に参加してもらうことを決めた。もちろん今回限りのお試しだ。
次回はまた別の人にお願いしてもいいし、誰も希望しなければ一人で配信すればいい。
「……よし! これで準備完了!」
思いついてから、もう実際に通話できるところまで来た。こういうのは、やってみるものだな。
俺はスマホを手に取り、再び外へ出る準備をした。
◇
第二部は先ほどとは別の、以前にも訪れたことのある地域にする。
目で見える安全な地点を順に経由してその地域へ向かい、歩道の端で立ち止まって新しいライブを開始した。
「こんばんはー! 空中スイマーです! 第二部、始めます!」
今度は一人ではない。
先ほど応募してくれた視聴者が、音声だけで司会に参加している。
「というわけで、今日は新しいことに挑戦してみます! 司会をお願いするのは、麦茶さんです!」
『こんばんは! 麦茶です。よろしくお願いします!』
「よろしくお願いします!」
『おお、声が増えた』
『本当に司会が来た』
『行動早すぎw』
麦茶さんが早速コメントを紹介してくれた。
『えー、コメントです。「さっき思いついた企画をもう実行してるの?」』
「そうなんですよ! ワープで帰って、パソコンで設定してきました!」
『「散歩中に帰宅する配信者」だそうです』
「いや、ちゃんと戻ってきたじゃないですか!」
『「散歩するより設定してる時間の方が長そう」とも来てます』
「……そこは言わないでください!」
麦茶さんが笑った。
初めての通話だから少しぎこちないけど、思っていた以上に楽しい。何より、俺がコメントを読む必要がない。
イヤホンから声が聞こえるので、歩きながらでも普通に会話できる。
「いやー、これいいですね! 今までコメントを読むたびに立ち止まってたんですよ!」
『そうだったんですか?』
「そうなんですよ! 今日は健康のために歩いてるのに、途中で止まってばっかりでした!」
『コメントが来てます。「やっと普通の散歩になった」』
「いや、今までも散歩でしたよ!」
『「立ち止まり配信から卒業」だそうです』
「そんな配信名じゃないですから!」
二人で笑いながら、歩道を進んでいく。
これはいい。一人で喋るのも楽しいけど、相手がいると話が自然に広がる。
それに、麦茶さんは視聴者のコメントを選んで紹介してくれるので、話が途切れにくい。
『あ、空中スイマーさん。質問が来てますよ』
「はい!」
『「FIREしたら、こういう配信を毎日やるんですか?」』
「毎日は分からないですね! やりたい時にやりたいことをするのが目標ですから!」
『「結局、動画制作ばっかりしてそう」とも言われてます』
「……それは否定できないですね!」
また笑ってしまった。
この調子なら、毎回違う視聴者さんと話す企画も面白そうだ。
「麦茶さん、どうです? 司会、難しくないですか?」
『思ってたより楽しいです! コメントを選ぶのはちょっと迷いますけど』
「それならよかったです!」
『次は別の視聴者さんと直接話すコーナーもできそうですね』
「そうなんですよ! 質問したい人とか、雑談したい人にも参加してもらえたら面白そうですよね!」
『「次は俺も出たい」ってコメントが来てますよ』
「おお! じゃあ、ぜひ応募してください!」
まだ始めたばかりだけど、これは続けてみたい。俺はイヤホンから聞こえる麦茶さんの声に返事をしながら、夜の道を歩いていった。
『あ、空中スイマーさん。コメントで景色を見たいって人が結構いますよ』
「景色ですか?」
『はい。「音声だけじゃなくて、少しだけ見せてほしい」って』
「……ああ、それいいですね!」
せっかくStreamYardを使っているのだから、少しくらい映像を見せてもいいだろう。
俺は近くの広い場所で立ち止まり、スマホを取り出した。周囲の人が映り込まないことを確認して、背面カメラに切り替える。
「じゃあ、少しだけ映しますね!」
画面に映ったのは、広場の夜景だった。
曲線を描く屋根、青いタイルで飾られた壁。そして、少し離れたところに置かれた丸いオブジェ。
街灯に照らされた広場は、なかなかきれいだった。
「こんな場所を歩いてます!」
『おお、結構きれいですね!』
麦茶さんの声が聞こえる。
『コメントも来てます。「普通に散歩配信だ」「景色いいね」』
「いや、最初から散歩配信ですからね!」
『「ここどこ?」って質問もありますよ』
「場所は内緒です!」
『「またそれw」だそうです』
「リアルタイムで場所を公開するのは、ちょっと怖いじゃないですか!」
『確かに、そうですね』
俺はカメラをゆっくり動かし、広場の様子を短く紹介した。ただ、あまり長く映すと、どこなのか分かる人もいるかもしれない。
「……じゃあ、そろそろカメラを戻しますか!」
スマホを操作し、映像をオフにする。
『「また景色見せてほしい」ってコメントが来てますよ』
「安全そうな場所があったら、またやってみます!」
スマホをカバンにしまい、歩き始めた。
「いやー、これ結構いいですね! 麦茶さんがコメントを紹介してくれるし、景色も映せるし!」
『私も楽しいです!』
「しかも、歩きながら会話できるのがいいですよ!」
『「ようやく散歩の目的を達成した」だそうです』
「……そこはもう許してください!」
その頃。
マフィアンピースグループの日本向け事業チームでは、空中スイマーの配信が確認されていた。
彼らが見ていたのは、誰でも視聴できる公開ライブだった。
以前から公開動画や目撃情報を調べ、松さんが立ち寄りそうな場所をいくつか候補に挙げていた。国内の協力者にも、それぞれの周辺を確認してもらっている。
ただ、ワープの行き先を正確に知る方法などない。配信を見ていても、音声だけでは現在地はほとんど分からなかった。
しかし、第二部で短時間映された景色が、その状況を変えた。
「……ここ、見覚えがありませんか?」
配信を見ていた社員の一人が、画面を指さした。
曲線を描く屋根、青いタイルの壁、丸いオブジェ。
「ああ。候補に挙がっていた広場ですね」
別の社員が、事前に整理していた資料を確認する。似たような場所という可能性もあるが、映像に映った特徴は以前の調査で確認した場所と一致していた。
「近くに担当者は?」
「います。別の地点を確認しているはずですが、ここからなら遠くありません」
「では、向かってもらってください。本人かどうか、現地で確認を」
社員は連絡を入れた。
配信を映した画面では、すでにカメラがオフになり、いつもの音声だけに戻っている。
彼らも現在地を完全に把握できたわけではない。広場からどちらへ歩いたのかも分からない。
ただ、近くに人員がいるなら探すことはできる。少なくとも、何も手掛かりがない状態ではなくなっていた。
そんなことが起きているとは知らず、俺は相変わらず散歩を楽しんでいた。
「いやー、今日は結構歩きましたね!」
『コメントです。「第一部から合わせたら、結構な時間歩いてるんじゃない?」』
「そうなんですよ! 途中で帰宅しましたけどね!」
『「途中で家に帰る散歩って何?」だそうです』
「……ワープできる人の散歩です!」
麦茶さんが笑った。
このやり取りにも、随分慣れてきた。最初は少し緊張していた麦茶さんも、今では自然にコメントを紹介してくれている。
「麦茶さん、今日はありがとうございました! 初めてなのに、結構いい感じじゃないですか?」
『こちらこそありがとうございます! でも、まだ終わってないですよね?』
「そうでした!」
『コメントにも「まだ歩け」って来てます』
「……いや、なんでそんなに歩かせたいんですか!」
『健康のためじゃないですか?』
「……ああ、そうでしたね!」
すっかり忘れていた。俺は健康のために散歩しているんだった。
なんだか、司会者との雑談が楽しすぎて、そちらがメインになってしまっている。
……まあ、歩いているからいいか!
「そういえば、さっき美味しそうな匂いがするお店があったんですよ!」
『あ、食べ物の話ですね!』
「そうです! 焼いた肉みたいな匂いがして、ちょっとお腹空いちゃいました!」
『コメントです。「食べればいいじゃん」』
「いや、今日は我慢します!」
『「運動した分だけ食べたら意味ない」って人もいますね』
「いや、別にダイエットが目的じゃないんですけどね! 今日は帰ってから食べます!」
『「でも松さん、食べたそう」だそうです』
「……食べたいです!」
二人で笑ってしまった。
こういう他愛もない話が、思っていた以上に楽しい。固定の司会者を置くつもりはないけど、毎回違う人と話すのもよさそうだ。
「いやー、これなら散歩配信も続けられそうですね!」
『コメントです。「次回の司会も募集する?」』
「もちろんです! 毎回交代で、希望する人にお願いするつもりですよ!」
『「次は参加したい」って人もいますね』
「ありがとうございます! 気軽に応募してください!」
この企画を思いついた時は、単にコメントを読んでもらえたら便利だと思っただけだった。でも、実際にやってみると、それ以上に面白い。
視聴者と直接話せるし、思いがけない話題も出てくる。何より、自分一人では思いつかないようなことも聞ける。
「……これ、結構いい企画になりそうだな」
『私も、また参加したいくらいです!』
「ぜひぜひ! ただ、他の人にも順番にお願いしたいですけどね!」
『もちろんです!』
そんな話をしながら歩いていると、前方から一人の男性が近づいてきた。
落ち着いた服装で、小さなカバンを持っている。俺は特に気にせず、そのまま歩こうとした。
ところが。
「失礼します」
男性がこちらに声をかけてきた。
「……はい?」
俺は足を止めた。
「空中スイマーさん、ですね?」
「……え?」
なんで俺の配信名を知ってるんだ?
……ああ、視聴者の人かな。さっきから普通に声を出していたし、気づかれたのかもしれない。
「はい、そうですけど……」
『あれ、誰か来たんですか?』
イヤホンから麦茶さんの声が聞こえた。
「あ、はい。ちょっと声をかけられまして……」
男性は軽く頭を下げた。
「配信中のところ、大変申し訳ありません」
……配信中って知ってるんだ。
「私、メキシコの物流会社、マフィアンピースグループの者です」
「……マフィアンピース?」
聞き慣れない名前に、思わず聞き返してしまった。
「はい。弊社では大型設備などの国際輸送を手がけておりまして、松様にぜひ直接ご相談したいお仕事がございます」
……え?
仕事? それも、メキシコの会社?
なんで散歩しているところに、いきなり仕事の話が来るんだ?
いや、それ以前に、この人、俺が配信中だって知ってるんだよな?
もしかして、配信を見て来たのか?
……でも、今いる場所は公開していないはずだ。さっき少し景色を映したけど、あれだけで分かったのか?
いや、ちょっと待って。今はそんなことを考えている場合じゃない。
俺は、イヤホンから聞こえていた麦茶さんの声が止まっていることに気づいた。
……そうだ。
今の会話、全部配信に入ってるじゃん!
「す、すみません! ちょっと失礼します!」
俺は立ち止まったままスマホを取り出し、慌ててマイクをミュートにした。
次回、第78話「仕事の話は、日本政府へお願いします」
次回更新:11月4日 12:10予定




