第76話 女装パトロール、始めます!
警察の方々との相談から、数日が経った。
昼休み、白石さんから新しい連絡が入った。
『先日ご相談いただいた防犯パトロールの見学について、川村さんから連絡がありました。参加者の皆さんにも確認が取れたそうです』
「おっ、決まった!」
今回はあくまで見学なので、撮影や配信はなし。普段着で参加し、実際に活動している方々の邪魔にならないようにする。
日時と集合場所も案内されていた。
「了解です!」
さっそく返事を送り、予定表に登録する。
俺が考えていた防犯パトロールは、夜道を歩いて怪しい人がいないか確認するというものだった。
でも、前回の会議で話を聞いた限りでは、それだけではないらしい。
街灯の点検や危険箇所の確認。何か異常があれば警察や自治体に報告することもあるという。
実際にやっている人たちは、どんなところを見ているんだろう。
「……ちょっと楽しみだな」
新しいYouTube企画の参考にもなるし、勉強にもなる。
そう考えると、仕事終わりの予定が一つ増えたことも、それほど気にならなかった。
◇
見学当日。
集合場所に到着すると、川村さんが手を振って迎えてくれた。
「こんばんは、松さん。今日はよろしくお願いします」
「こんばんは! こちらこそお願いします!」
今回は川村さんを含めた3人の方が活動するらしい。俺は見学者として同行させてもらう。
簡単に挨拶を済ませると、出発前の準備が始まった。
机の上には懐中電灯や活動用のベスト、巡回する場所が書かれた地図などが並んでいる。
「まず、今日の巡回経路を確認します」
川村さんが地図を広げた。
「この道を通って公園の方へ向かい、住宅街を回って戻ってきます。以前から気になっている場所もあるので、そこも確認しましょう」
「気になっている場所ですか?」
「街灯があるんですが、夜になると少し暗く感じる場所なんですよ」
なるほど。街灯が壊れているかどうかだけじゃなく、実際に明るいかも確認するのか。
ほかの参加者の方々は懐中電灯の動作や連絡方法を確認していた。
「何かあった時は、どういう対応をするかも決めておくんですか?」
「そうですね。ただ、私たちは無理に不審者を追いかけたりはしません。必要なら警察に連絡します」
「分かりました!」
俺の場合はワープが使えるけど、今日はその使い方を考える日ではない。まずは普通の防犯活動を見せてもらおう。
準備を終え、皆さんと一緒に夜の住宅街へ出発した。
歩き始めてしばらくは、ごく普通の散歩と変わらなかった。車が通り、家々には明かりがついている。時々すれ違う人に挨拶しながら、ゆっくりと進んでいく。
「松さん、あちらを見てください」
川村さんが指さしたのは、一本隣の道路だった。
「あの辺り、少し暗く感じませんか?」
「……ああ、確かに!」
街灯はある。でも、建物や木の影が重なり、歩道の奥が見えにくくなっていた。
「街灯があるから大丈夫、というわけでもないんですね」
「そうですね。だから、こうして実際に歩いて確認しているんです」
さらに進んだところでは、交差点の角にある植え込みについて教えてもらった。
以前は枝が伸びて、向こう側の様子が見えにくかったらしい。
「今は剪定されているので、だいぶ見通しがよくなりましたね」
言われて少し離れた場所から確認してみる。
確かに、植え込みがもっと高かったら、自転車が近づいてきても気づきにくそうだ。
「……これ、防犯というより交通安全にも関係ありますね」
「そうなんです。活動していると、そういう場所にも目が向くようになりますよ」
俺は改めて周囲を見渡した。
街灯、植え込み、交差点。
どれも普段なら気にせず通り過ぎていただろう。
そもそも俺の場合、普段はワープで移動することが多い。目的地へ一瞬で行けるのだから、途中の道路がどうなっているかなんて、ほとんど考えない。
でも、歩いてみると違う。
「……ワープじゃ分からないこともありますね」
「そうなんですか?」
「はい。俺、移動する時は一瞬なんで、途中に何があるかなんて見ないんですよ」
「ああ、なるほど。それは松さんならではですね」
川村さんが笑った。
その後も公園の出入り口や、少し人通りの少ない道などを確認しながら歩いた。
もちろん、何か事件が起きたわけではない。誰かを追いかけることもなかった。
約1時間の巡回を終えると、最後に活動内容を記録しているところを見せてもらった。
巡回した場所や気づいたことを残し、必要な情報があれば関係するところへ伝えるらしい。
「……結構、地道な活動なんですね」
「そうですね。でも、何も起きなかったら、それが一番いいんですよ」
「ああ、確かに!」
俺は思わず笑った。
言われてみれば当然だ。
俺はどこかで、パトロールをするなら何か成果が必要だと思っていた。でも、犯罪者を見つけることが目的ではない。何も起きないようにすることにも意味がある。
「今日はありがとうございました! 実際に歩いてみて、かなりイメージが変わりました」
「それはよかったです。松さんも、無理のない範囲でやってみてください」
「はい!」
俺は皆さんにお礼を言って、帰路についた。
……なるほどなあ。
防犯活動というと、もっと特別なことをするイメージだった。でも、街の様子を知って、小さな変化に気づく。それだけでも、できることがあるらしい。
「……これなら、俺にもできそうだな」
もちろん、見学したからといって、この団体の一員になったわけではないし、警察から何か権限をもらったわけでもない。
まずは、自分にできる範囲で試してみよう。
◇
数日後。
「よし、今日はこれでいくか!」
俺は鏡の前で、帽子の位置を調整していた。
黒いキャップから伸びるポニーテール。
古着で揃えた服とロングスカート。
前回作った女装セットだ。
後ろ姿を確認するため、スマホで写真を撮ってみる。
「……うん。それなりじゃない?」
自分で言うのもなんだけど、後ろ姿だけなら結構それらしい。
ただ、正面から見れば普通に俺だし、声だって変わらない。
まあ、そこまで本格的な女装をするつもりもない。今日はあくまでYouTubeの試験企画だ。
「……さて、配信の準備もしないとな」
今回は夜道を歩きながらの音声配信を考えている。
スマホはカバンに入れ、ワイヤレスマイクで話す。基本的には配信用の画像を表示しておき、必要があれば事前に撮影した写真などを見せる方式だ。
胸元にスマホを固定して周囲を録画する方法も考えているけど、専用の端末はまだ買っていない。まずは手持ちの機材で、どこまでできるか試してみたい。
家の中を歩きながらマイクの録音を確認する。
「どうもー! 空中スイマーです!」
録音した音声を再生してみる。
……うん、普通に聞こえる。
「これならいけそうだな」
カバンの中でスマホが熱くなりすぎないかは少し気になるけど、今回は短時間の試験だ。途中で問題があれば中止すればいい。
それから、今日歩く予定の場所も確認する。
初回なので、明るく歩道のある道を短時間だけ歩くことにした。危険な場所へわざわざ近づくつもりはないし、誰かに襲われるよう仕向けるつもりもない。
あくまで普通の散歩だ。
……女装していることを除けば。
「……まあ、そこはYouTubeの企画だし!」
準備を終えた俺は、荷物を持って家を出た。
少しして、予定していた場所に到着する。
周囲には街灯があり、車も時々通っている。人通りは多すぎず、歩くのにはちょうどよさそうだ。
俺は通行の邪魔にならない場所で立ち止まり、配信画面を開いた。
タイトルは、
『【試験配信】女装で夜道を散歩! ついでに見回りしてみる【空中スイマー】』
……うん。分かりやすい。
防犯パトロールと言っても、警察の活動を代行するわけではない。最初からその辺りを誤解されないようにしておこう。
「……では、始めますか!」
配信開始。
「どうもー! 空中スイマーです!」
少し待つと、コメントが流れてきた。
『こんばんは』
『なんか始まった』
『女装?』
『パトロールって何するんだ?』
「今日はですね、夜道を歩きながら雑談してみようと思います! 防犯活動をしている方々の見学もしてきたので、その話もちょっとできればなと!」
『普通の散歩では』
『空中スイマーが歩くの?』
『ワープしないのか』
「いや、ずっとワープしてたら、道の様子が見えないじゃないですか。今日はちゃんと歩きますよ!」
『正論』
『徒歩スイマー』
「なんですか、その名前!」
思わず笑ってしまった。
確かに、空中スイマーが普通に歩いているだけの配信なんて、これまでの企画と比べればずいぶん地味だ。でも、こういう雑談もやってみたかった。
「ちなみに、今日は女装もしてるんですよ!」
『見えないんだが』
『音声しかない』
『本当に女装してる?』
「してますよ! あとで写真も見せます!」
そんな話をしているうちに、ふと思いついた。
……そうだ。せっかくだし、あれを言ってみようかな。
前からちょっとやってみたかったんだよな。
「あと、先に言っておきますけど!」
俺は少し声を低くした。
「俺は新世界の神にはなりません!」
『急にどうした』
『デスノート?』
「そう! 勝手に人を裁いたりしません! 裁くのは……」
少し間を置く。
「俺のスタンド……警察だ!」
『警察をスタンド扱いするなw』
『裁くのは裁判所だぞ』
『ツッコミどころ多い』
「…………」
……あれ?
コメントが、一瞬止まった。
「……まさか、時が止まった?」
俺はさらに声を低くした。
「これが……スタープラチナのザ・ワールド!?」
『お前がスベっただけw』
『時を止めるな』
『いいから歩けw』
「……やべ、調子に乗ったか!」
自分で笑ってしまった。
……うん。これ以上続けるのはやめよう。
「はい! では普通に始めます!」
『切り替え早いw』
『本当に歩くんだな』
「歩きますよ!」
俺はスマホをカバンにしまい、ワイヤレスマイクの位置を確認した。
ここからは、画面を見ながら歩かない。コメントは安全な場所で立ち止まった時に確認することにしてある。
「じゃあ、行ってきまーす!」
夜の歩道を歩き始めた。
車の走る音が聞こえ、少し離れたところにはコンビニの明かりが見えている。
「いやー、こうして夜道を歩くのって、結構久しぶりですね」
普段なら、移動にはワープを使ってしまう。通勤でも旅行でも、使える時は便利な方を選ぶ。そのせいか、こうして普通に歩くことが少なくなっていた。
「この前、実際の防犯パトロールを見学してきたんですけど、結構いろいろなところを見るんですよ。街灯とか、交差点の見通しとか」
歩きながら周囲を確認する。
すぐ近くの街灯は明るいけど、少し先の道は建物の影になっている。曲がり角では、歩行者や自転車が来ていないか確認する必要がある。
実際に歩いてみると、教えてもらったことが少しずつ分かってくる。
「ワープだと、一瞬で通り過ぎちゃいますからね。こういう場所って、普段あんまり見ないんですよ」
しばらく歩き、道幅の広い場所で立ち止まった。通行の邪魔にならない位置を選んでから、スマホを取り出す。
『夜は明るい道を選んでる』
『イヤホンで音楽聞かないようにしてる』
『人通りのある道がいいよね』
『そもそも夜に外出ない』
「最後の人、俺と同じタイプですね!」
『インドア派』
『ワープできる人がインドア派なの面白い』
「いや、インドア派でも旅行は好きですよ!」
『ワープで行けるからだろ』
「……それは否定できない!」
俺は笑った。
旅行は好きだ。でも、移動時間が長いのは面倒くさい。だからこそ、ワープ能力が使えるのはありがたい。
「まあ、今日はちゃんと歩いてますからね!」
『普通のことw』
『歩いただけで褒められる男』
「……なんか扱いがひどくないですか?」
コメントが流れる。でも、こういう雑談は結構楽しい。
映像がなくても、視聴者と会話しているだけで時間が過ぎていく。
「そうだ。そろそろ女装の写真も見せましょうか!」
俺は事前に撮影しておいた画像へ配信画面を切り替えた。
場所が特定されないよう、背景を整えてある後ろ姿の写真だ。帽子から伸びるポニーテール。ロングスカート。上半身も、それなりに女性らしく見える……はずだ。
「どうですか!」
『おお』
『思ったより女』
『後ろ姿は普通にそれっぽい』
『なお声』
「……声は変わりませんからね!」
『喋った瞬間バレるw』
『前から見せて』
『正面は?』
「いや、正面はちょっと……」
別に顔を見せる必要はないし、身元が分からないように活動しているんだから、ここでわざわざ公開することもない。
「後ろ姿で勝負してますから!」
『後ろ姿限定w』
『正面に弱いタイプ』
『なんでそんな仕様なんだ』
「いや、これでも結構頑張ったんですよ!」
俺は笑いながら画面を元に戻した。
……しかし。
こうして考えると、女装している意味はどのくらいあるんだろう。今日は音声中心だから、視聴者に見えているのは事前に撮った写真だけだ。
「……まあ、面白いからいいか!」
『自己完結するなw』
『結局趣味じゃねえか』
「趣味ですよ! YouTubeですから!」
コメントが盛り上がる。俺もつられて笑ってしまった。
ただ、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
「じゃあ、もう少し歩きますね!」
スマホをカバンに戻し、再び歩き始める。
しばらく進むと、小さな交差点が見えてきた。曲がり角には植え込みがあり、歩道の先が少し見えにくい。
「……あれ?」
俺は足を止め、周囲を確認した。
別に、今すぐ危険というわけではない。でも、曲がってくる自転車がいたら、少し気づきにくそうだ。
……そういえば、見学した時にも似たような場所があったな。
俺は少し離れた位置から様子を確認する。
「……ここ、ちょっと気になるな」
あとで記録しておこう。
場所を詳しく配信で説明する必要はないし、そもそも問題があると決まったわけでもない。
見たことだけを残して、必要なら川村さんたちに相談してみればいい。
「今、ちょっと見通しが気になる場所がありまして。あとで確認できるようにしておこうと思います」
そう配信で伝え、再び歩き始めた。
……なんだろう。
最初は、女装して夜道を歩くYouTube企画のつもりだった。でも、実際に歩いてみると、街の様子を確認することにも意味がある。見学していなかったら、この交差点も気にせず通り過ぎていたかもしれない。
「……勉強してからやってみると、結構違うな」
その時、ふと思った。
「……あれ? でも待てよ」
見回りには歩くことが大事だ。かといって、一晩で歩ける距離には限りがある。
……俺にはワープがあるじゃないか。
一つの地域を少し歩いたら、別の地域へ移動して、また歩く。街から街への移動時間を飛ばせば、同じ30分でも、離れた場所をいくつも確認できる。
ワープで広く回り、現地では徒歩。これ、俺にしかできないパトロールじゃないか?
「……皆さん、ちょっと思いついたんですけど!」
俺は通行の邪魔にならない場所で立ち止まり、スマホを取り出した。
「さっきはワープしたら見回りにならないって言いましたけど、ちょっと違うかもしれません。現地を歩いて確認するのは変わらないんです。でも、一つの道を見終わったらワープで別の地域へ移動すれば、もっと広く回れません?」
『おお』
『徒歩とワープの合わせ技』
『移動だけ飛ばすのか』
『それは空中スイマーの強みだな』
「そうですよ! 歩いて確認するのは必要だけど、移動時間は短縮できるんですよ!」
ただし、飛んだ先が安全とは限らない。移動するなら、事前に確認しておいた場所を使い、到着先に人や車がいないことにも気をつけたい。
「あと、こうして雑談しながら歩いてるのも、案外いいかもしれませんね」
『どういうこと?』
「夜道で誰かが普通に喋ってたら、ああ、人がいるなって分かるじゃないですか。声でも少しは牽制になるかもしれません」
『防犯ラジオw』
『存在感を出す感じか』
『女装で独り言言ってる方が不審者では』
「……確かに、それはそう!」
俺は笑った。
「でも大声で騒ぐわけじゃないですからね! 夜ですし、ご近所迷惑になったら本末転倒です」
声だけで犯罪を防げると決まったわけではない。でも、無言で歩くより、人がそこにいると伝わることはあるかもしれない。
ワープで広い範囲を回る。そこでは歩いて観察する。視聴者と普通に会話しながら、近くには人の存在も知らせる。
「……あれ? なんか、ちゃんとした企画になってきてません?」
『最初からちゃんと考えろw』
『でも面白そう』
『どこでも散歩ラジオ』
「それだ!」
俺は思わず笑ってしまった。
初回だし、せっかくだから一度だけ試してみよう。もちろん、知らない場所へ勢いだけで飛ぶつもりはない。
「じゃあ、移動して、もう一か所だけ歩いてみます! 細かい場所は内緒ですけどね」
『本当にワープするのか』
『徒歩スイマー卒業』
『どこでも徒歩スイマー』
「結局、徒歩スイマーなんですね!」
周囲を確認して、以前からよく知っている別の地域へ向かうことにした。もちろん、知っているだけではワープできない。目で見える安全な地点を選び、そこを経由して移動すればいい。
スマホをカバンにしまい、マイクを一時的にミュートにする。
到着先に人や車がいないことを確かめながら、何度かワープを重ねた。
次の瞬間には、先ほどとは違う街の空気が流れていた。
「……よし」
マイクを戻し、配信の接続を確認する。今のところ問題はなさそうだ。
「到着しました! じゃあ、少し歩きますね」
『はやっ』
『移動時間ゼロw』
『本当に広く回れるな』
「便利ですよね。ただ、ここからはちゃんと歩きますよ!」
街並みは違っても、見るところは同じだ。
街灯や曲がり角を意識しながら、周囲に気を配って歩く。声は近所に響かない程度の普通の大きさで、視聴者との雑談も続ける。
知らない人を怪しいと決めつけたり、誰かを追いかけたりはしない。
最初の道と違って、こちらは交差点の見通しがよかった。道も明るい。特に気になることは見つからない。
でも、それならそれでいい。
しばらく歩いたところで予定の時間が近づき、俺は広い場所で立ち止まった。
「……いやー、試してみるもんですね」
スマホを取り出してコメントを確認する。
『普通に散歩ラジオだな』
『作業しながら聞いてる』
『ワープ散歩という新ジャンル』
「映像がないのに、結構楽しんでもらえてるんですね!」
『女装してる意味ある?』
「……それ、俺もちょっと思いました!」
『本人が言うなw』
『でも雑談は楽しい』
『こういうのもあり』
「ありがとうございます!」
映像がなくても楽しんでくれている人がいる。これはちょっと嬉しい。
もちろん、防犯活動の記録としては映像を残せる方が便利な場合もあるだろう。でも、配信と記録を分ければ、視聴者に無理に映像を見せ続ける必要はない。
「……やっぱり、あの方法かな」
『何が?』
「あ、今後の配信機材の話です! まだ試してるところなんで、いろいろ考えたいんですよ」
『そのうち完成形になるやつ』
『また何か買うのか』
「……買うかもしれないですね!」
録画専用のスマホを買うなら、バッテリー持ちと発熱対策を優先したい。ただ、今日は今ある機材でも配信できた。慌てて購入する必要はないだろう。
俺は時刻を確認した。そろそろ30分になる。
「じゃあ、今日はこの辺で終了しましょうか!」
『もう終わり?』
『意外と早い』
『次もやって』
「今日はテストですから! 最初から何時間もやったら大変じゃないですか!」
『毎日やらないの?』
「いや、毎日はやらないですよ!」
思わず即答してしまった。
「俺、自由な時間が欲しいんですから!」
『いつもの』
『FIREしたい男』
『趣味で仕事を増やすタイプ』
「……それ、最近ちょっと思ってるんですよね!」
自分でやりたいことを増やしているのだから仕方ない。でも、毎日決まった時間にやらなければならないとなったら、さすがに大変だ。
好きな時に、無理のない範囲でやるくらいがちょうどいい。
「というわけで、今日は女装して夜道を歩いてみました! 二つの場所を回って、大きな問題もなく終了です!」
『平和でよかった』
『事件起きなくてよかったな』
『徒歩スイマーおつ』
「だから徒歩スイマーって何ですか!」
最後に笑って、配信を終了した。
画面が切り替わる。
「……ふう。終わった!」
俺はスマホのバッテリー残量を確認した。
思ったより減っているけど、今回の配信時間なら問題なさそうだ。本体は少し温かくなっている。長時間使う場合は、カバンの中で熱がこもらないように考えた方がいいかもしれない。
マイクの接続も、途中で大きな問題はなかった。
「……初回としては、なかなかいいんじゃない?」
配信は楽しかったし、見学で教えてもらったことを実際に確認できた。それに、女装も一応使えた。
……写真だけだったけど。
「まあ、次は映像の使い方も考えるか」
今日の配信はほとんど音声だけだ。何か事件が起きていたとしても、周囲の様子を映像として残せたわけではない。
記録用のスマホは、やっぱり検討する価値がありそうだった。
俺は今日の活動について、簡単にメモを残した。
歩いた時間と、ワープで移動して回った二つの場所。気になった交差点。配信機材の状態。視聴者の反応。
……あれ?
「……これ、普通に活動記録じゃん!」
見学した時に、川村さんたちがやっていたことを思い出した。俺もいつの間にか、似たようなことをしている。
もちろん、今日の活動を警察公認のパトロールと呼ぶつもりはない。
でも、自分のペースで街の様子を確認することなら、今後も続けられそうだ。
「……悪くないな」
最初は、犯罪者を捕まえられないかと考えていた。
でも、今日は誰かを捕まえたわけでも、助けたわけでもない。ただ歩いて、雑談して、街の様子を確認しただけだ。
それで、何も問題は起きなかった。
「……まあ、平和が一番か!」
俺はスマホをカバンにしまった。
そろそろ帰ろう。今日は十分歩いたし、帰りまで歩く必要もない。
周囲に人がいないことを確認し、目で見える安全な地点をいくつか経由して、自宅の近くまで戻る。
「……やっぱり、帰りはこれが楽だな!」
歩くのも悪くない。でも、ワープできるなら移動時間を節約したい時は使えばいい。その分、自分の好きなことに時間を使える。
……そうだ。
帰ったら、今日の配信を見返してみようかな。音声の聞こえ方も確認したいし、視聴者がどんなところで盛り上がっていたのかも気になる。
特に、最初の決め台詞。
「……いや、あそこは見返したくないな」
思い出しただけで、ちょっと恥ずかしい。
でも、コメントは盛り上がっていた。
……たぶん、笑われていただけだけど。
「まあ、それも含めて動画だよな!」
俺は笑いながら家へ向かった。
初めての女装パトロール配信。
派手な事件も、特別な活躍もなかった。
でも、こうしてワープと散歩を組み合わせれば、思っていたより広い範囲を見て回れるかもしれない。
……こういう地道な活動も、案外面白いのかもしれない。
次回、第77話「雑談配信中、知らない人が来た」
次回更新:11月3日 20:10予定




