第74話 女装してパトロール? 後ろ姿ならいける!
翌朝。
出勤の準備をしていると、スマホにメッセージが届いた。白石さんからだった。
『おはようございます。昨日ご相談いただいた防犯パトロールについてですが、まずは松さんがどのような活動を考えているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?』
「……おお!」
昨日、配信を終えてから送ったメッセージだ。犯罪を未然に防ぐために、ワープ能力を使えないか。以前から考えていたことだけど、外国政府との会議が続いて、しばらく後回しになっていた。
『ありがとうございます! 今日の仕事が終わったあとなら時間あります!』
返信すると、しばらくして返事が来た。
『承知しました。では、夕方以降にお電話しましょう』
「……よし!」
これで専門家に相談するための第一歩だ。ただ、一つ問題がある。俺が考えている方法を、どう説明すればいいんだろう。
……まあ、そのまま話せばいいか。
俺はスマホをしまい、出勤の準備を続けた。
仕事を終え、帰宅した。夕食を済ませてからパソコンを開き、以前AIに調べてもらった防犯活動の資料を確認する。
地域の見守り活動。犯罪の起きやすい場所への対策。防犯カメラや街灯。警察と住民の協力。
いろいろな方法があるらしい。
「……でも、俺の場合はワープがあるからなあ」
普通の人なら時間のかかる場所でも、俺なら実際に見える安全な地点をつないで、短時間で移動できる。危険になったら、逃げることもできる。もちろん、何でも安全にできるわけじゃないけど。
「……やっぱり、一回試してみたいよな」
そんなことを考えていると、スマホが鳴った。白石さんだ。
「もしもし! お疲れさまです!」
「お疲れさまです、松さん。今、お時間は大丈夫でしょうか?」
「はい! 大丈夫です!」
「ありがとうございます。昨日の防犯パトロールについてですが、少し詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「もちろんです!」
俺はパソコンの画面を見た。
何から話そうか。
「えっとですね。俺、犯罪が起きる前に何かできないかなって考えてまして」
「犯罪を未然に防ぐ活動ですね」
「そうです! 普通のパトロールもいいんですけど、せっかくワープが使えるので、それを活かしたいんですよ!」
「なるほど。具体的には、どのような方法でしょうか?」
「例えば、危険な目に遭いそうな人がいたら、すぐ助けられるじゃないですか!」
「そうですね。ただ、実際には状況の確認や、ご本人の意思なども考える必要があります」
「ああ、もちろんです!」
以前、人を助けた時は、目の前で明らかに危険なことが起きていた。でも、いつもそんなに分かりやすいとは限らない。ただ歩いている人を見て、勝手に危険だと判断するわけにはいかないだろう。
「それで、ちょっと考えたんですけど」
「はい」
「俺自身が囮になったらどうかなって!」
少し間が空いた。
「……囮、ですか?」
「はい!」
「どのような状況を想定されていますか?」
「例えば、夜道を一人で歩いている人を狙う犯罪とかあるじゃないですか」
「はい」
「だったら、俺がその人の代わりになれないかなって!」
「……松さんが?」
「そうです!」
……あれ?
何となく、伝わっていない気がする。
「だからですね、俺が女装するんですよ!」
「……女装?」
白石さんの声が止まった。
「はい! 女装して、夜道を歩くんです!」
「…………」
「後ろ姿なら、女性っぽく見えるかもしれないじゃないですか!」
「……少々お待ちください」
「はい!」
電話の向こうで、白石さんが何か考えている。
……そんなに変な話だったかな?
いや、変ではあるか。
普通の会社員が政府関係者に電話して、いきなり女装の相談をしているんだから。
「松さん、確認させてください」
「はい!」
「女性の格好をして夜道を歩き、犯罪を行おうとする人物が現れるかどうかを確認する、ということでしょうか?」
「そうですね! そんな感じです!」
「……なるほど」
ようやく伝わったらしい。
「ただ、それは通常の防犯パトロールとは少し性質が異なりますね」
「……そうなんですか?」
「はい。犯罪の発生を抑止するために巡回することと、犯罪を行う人物との接触を想定して行動することは、分けて考える必要があります」
「ああ……確かに」
俺が普通に歩いていて、たまたま危険な場面を見つける。それと、危険な相手が現れることを期待して歩く。
似ているようで、目的が違う。
「それに、ワープで逃げられるとしても、必ず安全に対応できるとは限りません」
「ですよねえ」
「第三者を巻き込む可能性もありますし、警察の捜査活動に影響する場合も考えられます」
「……なるほど」
思ったより、考えることが多いな。
「ただ、防犯活動にワープ能力を活用するという発想自体は、検討する価値があると思います」
「おお!」
「警察関係者など、専門的な知識を持つ方に相談できるか確認してみます」
「ありがとうございます!」
よかった。少なくとも、最初から完全に却下されたわけではないらしい。
「それまで、実際に囮になるような活動は控えていただけますか?」
「もちろんです!」
「ありがとうございます」
「でも、衣装の準備くらいなら大丈夫ですよね?」
「……衣装ですか?」
「はい! 女装できるかどうか試してみたいんですよ!」
「……ご自宅など、安全な場所での試着ということでしたら、問題ないと思いますが」
「よし!」
「ただ、実際に防犯活動として使えるかどうかは別の話ですので」
「分かってます!」
俺はうなずいた。まずは実験だ。
後ろ姿が女性に見えないなら、そもそも計画が成立しない。だったら、試してみればいい。
「……ちなみに、松さん」
「はい?」
「女装のご経験は?」
「ないです!」
「……そうですか」
「でも、何とかなるんじゃないですかね!」
「……そうだといいですね」
何となく、白石さんの声が少し疲れているような気がした。
……気のせいだろう。
通話を終えた。
「……さて!」
俺はパソコンに向き直った。やることは決まった。まず、女装に必要なものを調べよう。
もっとも、本格的に女性になりたいわけじゃない。今回は後ろ姿で勝負する。正面から見れば、どう考えても厳しいだろう。
「……まあ、マスクもあるしな」
帽子もかぶれば、顔は結構隠せるはずだ。あとは服装と髪。
「……髪かあ」
俺は自分の頭を触った。
普通に短い。このまま女装しても、後ろ姿で男だと分かりそうだ。
「ウィッグって、いくらするんだろ」
検索してみる。
女性用のフルウィッグ。長い髪。自然なつむじ。耐熱素材。
いろいろな商品が出てきた。
「……結構高いな!」
安い商品もあるけど、自然な見た目を求めると値段が上がっていく。しかも、サイズ調整や着け方にも慣れが必要らしい。
「いや、別にそこまで本格的じゃなくていいんだけどな」
俺が欲しいのは、後ろ姿だけでもそれっぽく見える髪だ。もっと簡単な方法はないだろうか。
検索を続けていると、気になる商品を見つけた。
『クリップ式ポニーテールウィッグ』
「……お?」
毛束だけの商品だ。自分の髪を結び、その部分にクリップで取り付けるらしい。
「これ、いいんじゃない?」
価格もフルウィッグより安い商品がある。
ただ、商品説明を読んでいて問題に気づいた。
『自毛を束ねて装着してください』
「……あれ?」
俺は自分の頭を触った。
「……束ねる髪がないな」
当然だ。普通に短髪なんだから。
どうする?フルウィッグを買うしかないのか?
いや、待てよ。
「……帽子に付ければよくない?」
俺は商品画像を拡大した。クリップで挟むタイプなら、髪じゃなくても、固定する場所があればいいはずだ。
例えば、帽子の後ろ。サイズ調整用のベルトが付いているキャップなら、その周辺に毛束を固定できないだろうか。
「……おお!」
何だか、いけそうな気がしてきた。
帽子をかぶる。後ろからポニーテールが出ている。マスクを付ける。
これなら頭全体をウィッグで覆わなくても、それなりに見えるかもしれない。
「……よし! これでいこう!」
問題は、いくらかかるかだ。
俺はメモを開いた。
「今回も、予算を決めておこう」
女装用品に何万円もかけるつもりはない。そもそも、役立つかどうかも分からない実験だ。できるだけ安く済ませたい。
「……四千円かな!」
何となく、それくらいなら試してもいい気がする。もちろん、安くできるならもっといい。
必要なものを書き出していく。
トップス。
スカート。
帽子。
付けポニーテール。
マスク。
固定用の小物。
靴は手持ちのものでいいだろう。女装のためだけに新しい靴まで買うのは、さすがにもったいない。
「……服は古着でいいよな」
新品にこだわる理由もない。サイズが合って、見た目が普通なら十分だ。
「よし。次の休みに買いに行こう!」
何だか、普通に買い物が楽しみになってきた。
……いや。
俺、女装の準備を楽しんでないか?まあ、実験だからいいか。
数日後。
休日になったので、古着屋へ行くことにした。もちろん、普段着で。
店に入ると、服がずらりと並んでいた。男性用の棚を通り過ぎ、女性用の古着が並んでいる場所へ向かう。
「……さて」
何を選べばいいんだろう。普段、自分の服を買う時はそこまで悩まない。
でも、今回は違う。女性に見える服を探したい。しかも、安いもの。
「……まずは上かな」
棚を見て回る。
明るい色の服。柄物。ゆったりしたシャツ。カーディガン。いろいろある。
ただ、可愛い服なら何でもいいわけじゃない。俺が着られるサイズでなければ意味がない。
「……肩幅がなあ」
鏡の前で服を体に当ててみる。少し小さい。
別の服も試す。こっちはサイズが合いそうだ。
値札を見る。七百七十円。
「……おお、安い!」
落ち着いた色で、少しゆったりしている。体の線も目立ちにくそうだ。
「これでいいんじゃない?」
次は下。パンツでもよかったけど、今回は後ろ姿で女性っぽく見せたい。それなら、ロングスカートが分かりやすそうだ。
もちろん、歩きにくい服では困る。夜道を歩くことになるなら、足元が見えにくいものや、動きを妨げるものは避けたい。
棚を探していると、紺色のロングスカートを見つけた。ウエストはゴム。丈も長すぎない。
「……これ、入るかな?」
サイズを確認する。少し不安だけど、何とかなりそうだ。値段は九百九十円。
「……いいね!」
二つ合わせて千七百六十円。
まだ予算には余裕がある。
「……これならいけそうだな」
レジへ向かおうとしたところで、店員さんに声をかけられた。
「何かお探しですか?」
「……あ、はい!」
思わず返事をした。
「衣装用の服を探してまして!」
「そうなんですね。サイズなどは大丈夫そうですか?」
「はい! たぶん!」
「試着室もご利用いただけますよ」
「ありがとうございます!」
……試着する?
いや、ここで女性用の服に着替えるのは、ちょっと勇気がいるな。それに、まだ帽子も付け毛もない。
……でも、サイズだけは確かめておこう。試着室で実際に着られることを確かめてから、二着を購入した。
「……よし!」
最初の買い物は成功だ。続いて、安い雑貨を扱う店へ向かった。
帽子は三百三十円。黒っぽいキャップで、後ろにサイズ調整用の穴がある。
「……これだ!」
後ろから髪を出すことを考えると、ちょうどよさそうだ。マスクも百十円の商品を購入する。
さらに、付け毛を固定するための小物も探した。細いリボン。補強用の布。
いくつか候補はあったけど、今回は百十円の材料で十分そうだ。裁縫道具は家にある。
「……あとはポニーテールだな!」
ネットで見つけた商品を確認する。価格は千七百円。送料込みのものを選んで注文した。
これで買い物は終了。帰宅してから、支払った金額をメモに入力する。
トップス、七百七十円。
ロングスカート、九百九十円。
帽子、三百三十円。
付けポニーテール、千七百円。
固定用の小物、百十円。
マスク、百十円。
合計。
四千十円。
「……ん?」
俺は画面を見た。
四千十円。
予算は四千円。
「……十円オーバー?」
……いや。
十円だぞ?
ほとんど誤差じゃないか。
「……まあ、四千円みたいなもんでしょ!」
自分に言い聞かせた。ただ、予算を決めた意味はあったのだろうか。
……いや、四千円程度に収まったんだから、十分だ。
「それに、新品で全部買うより安いはずだし!」
俺は満足して、メモを閉じた。あとは、付けポニーテールが届くのを待つだけだ。
数日後。
注文していた荷物が届いた。
「おお、来た!」
箱を開けると、長い毛束が入っていた。落ち着いた茶色のポニーテール。写真で見た時より、少し光沢がある。
「……まあ、千七百円だしな」
手に取ってみる。意外と毛量がある。これを帽子の後ろに付ければ、少なくとも髪の長い人には見えるはずだ。
「……さて、どうやって付けるかな」
俺は机の上に帽子を置いた。その後ろにはサイズ調整用のベルトがあり、上には隙間がある。
このあたりに固定できればよさそうだ。最初は、そのままクリップで挟んでみた。
「……お?」
一応、付いた。帽子を持ち上げても、すぐには落ちない。
「これでいいんじゃない?」
試しに帽子をかぶって、首を左右に動かしてみる。
……ずるっ。
「うわっ!」
後ろで毛束がずれた。慌てて帽子を押さえる。
「……ダメだな!」
クリップだけでは、帽子の布をしっかりつかめていないらしい。しかも、付け毛の重さで帽子まで後ろへ引っ張られる。
「……これ、歩いてる途中で落ちたら最悪じゃない?」
夜道を歩いていて、突然ポニーテールだけ落ちる。その瞬間を誰かに見られたら、何をしている人だと思われるだろう。
「……いや、それは面白いけど!」
笑っている場合じゃない。俺は一度帽子を脱いだ。やっぱり、固定するための土台が必要だ。
そこで、買ってきたリボンと家にあった裁縫道具を取り出した。帽子の後ろ側に、クリップを挟める部分を作る。ただ縫い付けるだけでは弱そうなので、帽子のベルト付近を利用して固定することにした。
「……久しぶりに裁縫するなあ」
針に糸を通す。
……通らない。
「……あれ?」
もう一度。
……通らない。
「……これ、こんなに難しかったっけ?」
しばらく格闘して、ようやく糸が通った。
「よし!」
そこから少しずつ、帽子の内側に固定用の布を縫い付けていく。きれいな縫い目ではない。でも、外から見えない場所だし、しっかり固定できれば十分だ。
「……まあ、こんなもんかな」
付けポニーテールのクリップを挟む。今度は、さっきより安定している。
帽子を持ち上げる。軽く振る。
……落ちない。
「おお!」
もう少し強く振ってみる。
……大丈夫だ。
「できた!」
俺は思わず笑った。フルウィッグを買うより安く済んだし、帽子をかぶるだけでポニーテールまで付けられる。これは便利なんじゃないか?
「……よし、試着してみよう!」
まず、買ってきた古着に着替える。ゆったりしたトップス。
紺色のロングスカート。靴は、いつも使っているスニーカーだ。
「……おお?」
鏡を見る。
……まあ。
何というか。
普通に男だ。
「……そりゃそうか」
まだ帽子も髪も付けていない。これでは、男性がスカートを履いているだけだ。
次に、帽子をかぶる。後ろからポニーテールが垂れた。
「……お?」
少しだけ雰囲気が変わった。髪があるだけで、結構違うものらしい。さらに、マスクを付ける。
「……ほう?」
顔の下半分が隠れた。さっきよりは、少しマシになった気がする。
でも。
「……いや、正面は無理だな!」
普通に俺だった。帽子とマスクで顔を隠していても、目元や体つきはそのままだ。そもそも、女装したからといって顔の形まで変わるわけじゃない。
「……まあ、最初から後ろ姿で勝負するつもりだし!」
俺はスマホを取り出した。部屋の中に三脚を立てて、背中が映るようにカメラを設置する。タイマーを使い、少し離れた場所に立った。
撮影。
カシャッ。
写真を確認する。
「……おお?」
俺は画面を拡大した。
黒い帽子。
後ろから伸びたポニーテール。
ゆったりしたトップス。
ロングスカート。
……あれ?
「……結構いいんじゃない?」
もちろん、完璧ではない。肩幅は少し気になるし、歩き方だって普段のままだ。でも、後ろ姿の写真だけなら、女性の普段着姿に見えなくもない。
「……おお!」
思った以上の成果だ。俺はもう一枚、角度を変えて撮影した。
今度は少し遠くから。
「……これなら、分からない人もいるんじゃない?」
少なくとも、さっき正面の鏡で見た時よりはずっと自然だった。
「……よし!」
実験成功。
……いや、待てよ。
写真でそれっぽく見えるだけじゃ意味がない。実際に歩いたらどうなる?
俺はもう一度カメラを設置し、動画撮影を始めた。部屋の端から端まで歩く。
向きを変える。戻る。
……ただ、それだけだ。
撮影した動画を再生する。
「……うーん」
写真では悪くなかった。でも、歩くと少し違う。俺の歩き方って、こんな感じだったのか。
肩の動き。足の運び。それに、ポニーテールが思ったより揺れる。
「……髪の動きはいいな」
ただ、時々帽子が後ろへ引っ張られているように見える。まだ固定が甘いのかもしれない。
俺は帽子を脱いで、取り付けた部分を確認した。少し縫い直す。付け毛の位置も調整する。
もう一度かぶって、動画を撮る。今度はさっきより安定していた。
「……おお、改善した!」
何だか、工作をしているみたいで楽しい。安い材料を買って、少し加工して、使いやすくする。こういうのは結構好きだ。
「……あれ?」
俺は机の上を見た。
帽子。
裁縫道具。
余ったリボン。
買ってきた古着。
それから、女装した俺。
「……俺、何やってるんだ?」
犯罪を減らす方法を考えていたはずなのに。気がつけば、女装用の帽子を自作している。
……まあ、目的はあるんだけど。
「……いや、準備は大事だから!」
誰に言うでもなく、そうつぶやいた。それから、もう一つ気になることを思い出した。配信だ。
今回のパトロールを動画企画にするなら、撮影方法も考えなければならない。これまでのヒーロー活動では、映像を見せながら配信することが多かった。
でも、今回は女装だ。しかも、正面は見せたくない。
「……いや、音声配信でよくない?」
俺はパソコンを開き、配信方法を調べた。
基本は音声だけ。画面には配信用の画像を表示しておいて、必要な時だけスマホのカメラ映像に切り替える。
「……これならいけそうだな」
例えば、歩きながら雑談する。景色がよければ、少しカメラを向ける。今日作った帽子や服についても、後ろ姿の写真なら紹介できそうだ。
「女装パトロールってタイトルにしたら、結構見てもらえるんじゃない?」
……いや、まだ本当にやると決まったわけじゃないけど。
ただ、実際に試すと一つ問題が見つかった。
「どうもー! 空中スイマーです!」
マイクに向かって喋ってみる。録音した音声を再生する。
……普通に俺の声だった。
「……いや、当たり前か」
女装しても声は変わらない。当たり前すぎて、今まで気にしていなかった。
「……これ、近くで喋ったら普通に男だって分かるんじゃない?」
後ろ姿が女性っぽく見えたとしても、声を聞かれたらすぐに分かりそうだ。しかも、一人で歩きながら配信していたら、周囲からは独り言を言っているようにも見える。
「……それはそれで怪しいな!」
俺は少し考えた。まあ、ずっと喋り続ける必要もないだろう。
人が近くにいる時は静かにして、話せる時に話す。映像だって、常に見せる必要はない。
「……うん。そこは何とかなるかな」
むしろ、問題は配信中に何か起きた時だ。
誰かに声をかけられたらどうする?
視聴者が近くに来たら?
あるいは、配信していることで周囲に人が集まったら?
「……あれ?」
俺は少し考えた。
「……人が集まったら、逆に安全になるんじゃない?」
パトロールをする目的は、犯罪を防ぐことだ。別に、犯罪者を捕まえることが目的じゃない。周囲に人がいて、何人もの目があれば、犯罪を起こそうとする人にとっては都合が悪いはずだ。
「……おお!」
これ、結構いいんじゃないか?
例えば、夜道で一人になるのが怖い人がいたとする。そこにパトロールしている人がいて、近くで見守ってくれる人もいれば、もっと心強いだろう。それなら、少なくとも人目のない場所ではなくなる。
「……これ、普通に防犯活動になるかもしれない!」
俺は思わず笑った。最初は、自分が囮になって犯罪を防ぐことを考えていた。でも、そもそも犯罪が起きにくくなれば、囮になる必要もない。
「……いや、むしろこっちの方がよくない?」
もちろん、人が集まったからといって、必ず安全になるとは限らない。それに、配信を見て人が大勢集まったら、通行の邪魔になってしまうかもしれない。
「……まあ、そこはお願いすればいいかな?」
例えば、配信中に。
『見かけても声をかけたり、ついてきたりしないでください。通行の邪魔にならないようお願いします!』
そんなふうに伝えておけばいい。
……いや、全員が守ってくれる保証はないか。
そもそも、女装した空中スイマーを見に来る人が大量に現れたら、それはそれで騒ぎになりそうだ。
「……そこはちょっと面倒だな」
ただ、だから配信をやめるというのも違う気がする。
見せられる場所では映像を見せる。人が集まった時には、その場の状況を見て対応する。必要なら、パトロールを切り上げてもいい。
「……ああ、そうか」
俺はメモを開いた。
『パトロール配信で考えること』
まず、配信中の行動。
それから、人が集まった場合の対応。
さらに、何か事件が起きた場合。
「……ん?」
事件が起きた場合か。もし犯罪を目撃したら、警察へ通報する必要がある。
でも、その時に配信はどうする?
そのまま実況していいのか?
映像に映っている人の扱いは?
現場で危険な状況になったら、どこまで自分で対応する?
「……結構あるな!」
俺はメモを追加した。今度は、配信が終わったあとの対応だ。
誰かの顔が映っていた場合。
削除してほしいと連絡が来た場合。
事件の映像が残っていた場合。
警察から記録の提供を求められた場合。
「……ああ、なるほど」
配信をすること自体より、その後の対応をどうするかの方が重要なのかもしれない。俺がワープで移動しているだけなら、何かあっても自分の判断で終わることが多い。でも、生配信をすると記録が残る。
視聴者もいる。それを切り抜いて、別の場所に投稿する人だっているだろう。
「……そこは、ちゃんと考えないとな」
俺は今日のメモを見直した。
女装。
音声配信。
時々映像。
人が集まれば防犯につながる可能性。
問題が起きた時の対応。
……うん。
かなり整理できてきた。
「これ、白石さんにも相談した方がいいな!」
もちろん、何をしてもいいと言ってもらえるとは限らない。でも、配信をしない前提ではなく、どういう運用ならできるのかを考えてもらいたい。そもそも、俺がやりたいのは、誰かを裁くことではなく、犯罪を防ぐことだ。
「……よし!」
俺はメモを保存した。すると、スマホにメッセージが届いた。白石さんだった。
『松さん、先日ご相談いただいた防犯パトロールについて、関係する専門家との調整を進めています。詳しい活動内容が分かりましたら、事前に共有いただけますか?』
「……おお!」
早いな。
……いや。
よく考えたら、俺も結構早い。白石さんが専門家との調整を進めている間に、俺は衣装を完成させてしまった。
俺は返信した。
『ありがとうございます! とりあえず女装の準備はできました!』
送信。
少しして、返事が来た。
『……もう準備されたのですか?』
「……あれ?」
驚かれている。
『はい! 古着で安く揃えました! 帽子に付けポニーテールを付けたら、後ろ姿は結構いい感じです!』
今度は、少し返事が遅かった。
『そうなのですね。ですが、実際のパトロールについては、専門家への確認が済むまでお待ちください』
『もちろんです!』
『それと、確認ですが、女装をすること自体が目的ではなく、防犯活動の一環として検討されているのですよね?』
「……ん?」
俺はその文章を読み直した。
……そうだよな。
そのはずだ。
『はい! もちろんです!』
返信してから、部屋を見渡した。
机の上には、裁縫道具。
椅子には、古着。
俺はスカートを履いている。
帽子からは、長いポニーテールが垂れていた。
「…………」
……まあ、目的は防犯活動だ。
間違いない。
ただ。
「……なんか、女装の方がメインになってない?」
思わず笑ってしまった。そもそも、俺がやりたいのは、犯罪を減らすことだ。誰かが危険な目に遭う前に、何かできないか考えること。
女装は、そのために思いついた方法の一つにすぎない。それなのに、この数日でずいぶん詳しくなってしまった。
古着のサイズ。帽子の形。付けポニーテールの種類。クリップの固定方法。
……こんな知識、今まで一度も必要になったことがなかったぞ。
「……まあ、無駄ではないか」
少なくとも、四千十円で一つ実験ができた。本格的なウィッグを買わなくても、帽子と付け毛を組み合わせれば、後ろ姿くらいならそれっぽくなる。しかも、帽子ごと取り外せるから準備も簡単だ。
「……よし!」
俺は帽子を脱いだ。ポニーテールが付いたまま、机の上に置く。改めて眺めてみる。
黒いキャップ。後ろから伸びる茶色の髪。
……普通に売っていそうな見た目だ。
「……これ、自分で作った割にはいい出来じゃない?」
ちょっと満足した。俺はもう一度スマホを手に取り、白石さんに追加のメッセージを送った。
『あと、パトロールは音声中心で生配信したいです! 時々映像も見せる形で考えてます。視聴者が集まったら防犯にもなるかもしれませんし!』
続けて、もう一通。
『ただ、何か起きた時に配信をどうするか、終了後の映像の扱いなどは相談したいです!』
しばらくして返事が来た。
『承知しました。配信についても、活動内容とあわせて相談事項に含めます。人が集まることで抑止につながる可能性はありますが、混雑や安全管理も含めて検討しましょう』
「……おお!」
ちゃんと伝わったらしい。
『お願いします!』
返信する。これで、専門家に相談したいことも整理できた。
女装をするかどうか。
どんなパトロールをするか。
配信をどう運用するか。
そして、何か起きた時にどう対応するか。
「……やっぱり、考えること多いなあ」
俺はスマホの予定表を開いた。
仕事。
会議。
動画。
そして、これから専門家との相談が入るかもしれない。
「……また予定増えてない?」
……本当に。
何のためにFIREを目指しているんだろう。
「……まあ、面白いからいいか!」
俺は笑った。誰かに命令されたわけじゃない。
自分でやってみたいと思ったことだ。それなら、仕事というより趣味に近い。
……ただし。
「……四千十円は、ちゃんと元を取りたいな!」
できれば、動画の企画としても使いたい。もっとも、再生数が伸びるかどうかは分からないけど。
俺は机の上の帽子を見た。
後ろから伸びるポニーテール。古着で揃えた衣装。マスクもある。
準備だけなら、もうできている。あとは、本当にこれを使って何ができるのか。そこを考えなければならない。
「……まずは、専門家の話を聞いてからだな」
俺は古着を脱いで、普段着に着替えた。買った服はきれいに畳み、帽子と一緒に片づける。次に使う時も、すぐ準備できるようにしておこう。
「……しかし」
もう一度、帽子を手に取った。
「……俺、これで夜道を歩くつもりなんだよな」
想像してみる。
暗い道。
ポニーテール。
ロングスカート。
後ろから見れば女性っぽいかもしれない。
でも、正面から誰かに声をかけられたら。
「……こんばんは!」
俺は普段の声で挨拶してみた。さっきの女装姿で、目の前の相手に返事をする自分を想像する。
「…………」
……いや。
「……絶対バレるだろ!」
思わず笑ってしまった。
後ろ姿だけで勝負する。その方針は、どうやら間違っていなさそうだ。
次回、第75話「相手だけ交番にワープさせてもいいですか?」
次回更新:11月2日 20:10予定




