第69話 最悪の後日談
それから二日後。
仕事の休憩時間にスマホを確認すると、白石さんからメッセージが届いていた。
『先日の件で、少しお話ししたいことがあります。今日はお時間をいただけますか?』
「……あ」
あの件か。以前、俺がパトロール配信中に助けた人。その人がネット上で勝手にネタにされていた問題だ。
白石さんは、何か別の出来事との関係が疑われると言っていた。ただし、同じ人物なのかはまだ確認できていない、とも。
「……何か分かったのかな」
俺は返信した。
『今日は普通に帰れる予定なので、夕食後なら大丈夫です!』
少しして、返事が届いた。
『ありがとうございます。では、20時頃にお電話してもよろしいでしょうか』
『お願いします!』
送信。
「……さて、仕事に戻るか」
気にはなるけど、まだ休憩時間だ。急いで知ったところで、今すぐ何かできるとは限らない。それに、白石さんも確認が済んでいない情報を勝手に話すような人ではない。
「……まあ、帰ってからだな」
スマホをしまった。
仕事を終え、帰宅した。夕食を済ませて、パソコンを開く。まだ20時まで少し時間があった。
「……そうだ」
先日まとめた動画の一覧を確認する。問題のある切り抜きは、相変わらず残っていた。いくつかの動画は再生数が増えている。
「……まだ伸びてるのか」
俺はコメント欄を開きかけて、やめた。もう十分見た。
誰かが勝手に付けたあだ名。何度も繰り返される、倒れた瞬間の映像。根拠のない仕込み説。見たところで、俺が新しく分かることはあまりない。
「……早く落ち着けばいいんだけどな」
その時だった。
スマホが鳴った。
白石さんだ。
「もしもし! お疲れさまです!」
「お疲れさまです、松さん。お時間、大丈夫ですか?」
「はい! 大丈夫です!」
「ありがとうございます。先日の動画について、進展がありました」
「おお! 何か分かったんですか?」
「はい。ただ、少し重いお話になります」
「……重い?」
白石さんの声が、いつもより慎重だった。
「実は先方から、私の連絡窓口にも問い合わせがありまして。松さんの公開されている仕事用アドレスにも、同じ内容を送ったそうです」
「……問い合わせ?」
「今日届いていると思います。ご確認いただけますか?」
「ちょっと待ってくださいね」
俺はメールを開いた。未読が何件かある。企業からの問い合わせ。動画の感想。
……あった。件名は、過去の救助動画について。
「……これですか?」
「はい。そちらだと思います」
送り主には、弁護士事務所の名前が記載されていた。
「……弁護士?」
「救助された方のご家族から相談を受けている、という内容です」
「……え?」
俺はメールを開いた。そこには、以前のパトロール配信について、家族として確認したいことがあると書かれていた。現在、ネット上に出回っている映像についても相談したいらしい。
「……あの人の家族ですか?」
「そのように連絡されています。ただし、メールだけで本人確認が済むわけではありません」
「……ですよね」
「ご相談をいただけるのであれば、事務所や担当者の確認も含めて、慎重に進めた方がいいと思います」
「分かりました」
一瞬、何かを聞きたくなった。でも、やめた。俺は、今もあの人の名前すら知らない。いきなり家族について調べ始めるのも、何か違う気がする。
「……で、白石さんが言ってた別の出来事って、この話ですか?」
「関係しています。ただ、まずは一つ、ニュースを確認していただけますか?」
「ニュース?」
「公開されている記事です。URLをお送りします」
ピコン。
メッセージが届いた。
「……これですか?」
「はい」
俺はリンクを開いた。地方ニュースのサイトだった。社会面の記事。
「……ん?」
見出しを読む。性犯罪事件で逮捕されていた男性が、その後死亡していたことを伝える記事だった。
「……え?」
思わず声が出た。事件が起きたのは先月。
警察は男性を逮捕し、取り調べを進めていたという。記事によれば、男性は事件への関与を認める供述をしていたとされる。ただ、刑事裁判で有罪が確定したわけではない。その後、男性が亡くなったため、事件について裁判で判断されることはなかった。
「……えっと」
俺は記事を読み直した。
「白石さん、これ……」
「はい」
「……この人が?」
言葉が止まった。白石さんは、すぐには答えなかった。
「現時点で、ニュース記事だけから救助された方と同一人物だと判断することはできません」
「……ですよね」
「ただ、ご家族の代理人を名乗る方からの連絡には、救助された日時や状況について具体的な記載があります」
「……ああ」
「こちらから個人情報を調査したわけではありません。先方が自発的に伝えてきた情報です。ただし、正式に確認できるまでは、同一人物だと断定しないでください」
「……分かりました」
俺は画面を見つめた。
あの時、倒れていた人。
車道側にいて、車が近づいていた人。
俺が歩道へ移動させた人。
その人が、性犯罪事件に関係していたかもしれない。
「……そんなこと、あるんですかね」
「私も、軽々しく申し上げられることではないと思っています」
俺は記事をもう一度読んだ。そこには、事件の概要が書かれていた。
被害を受けた人がいる。警察が捜査した。男性が逮捕された。そして、その男性が亡くなった。
短い記事だった。でも、何だろう。読み終わっても、頭に入ってこなかった。
「……ちょっと、整理していいですか?」
「もちろんです」
「このニュースの人が、俺の助けた人かもしれない」
「はい」
「でも、まだ確認中」
「そうです」
「……で、事件の方は?」
「報道によれば、性犯罪の容疑で逮捕され、関与を認める供述をしていたとされています。ただし、有罪判決が出たわけではありません」
「……そうですか」
俺は椅子にもたれた。
「……なんだかなあ」
うまく言葉が出てこなかった。俺が助けた時は、ただ倒れている人だった。危ない場所にいて、動きが遅くて。
だから助けた。
それだけだ。
「……もし同じ人だったら、ちょっと衝撃ですね」
「そうですね」
「……亡くなったんですよね?」
「はい。報道されている男性については、そのようです」
俺はスマホを持ち直した。ニュースには、遺書とみられる文書が残されていたことも書かれていた。死因についても報じられている。
「……自殺だったんですか」
「報道では、そのように伝えられています」
「……そうですか」
少しの間、何も言えなかった。
あの日、助けた命。
もし同じ人なら。
もう、この世にいない。
「……白石さん」
「はい」
「これ、本当に同じ人だったら……」
そこまで言って、止まった。何を言いたいのか、自分でも分からなかった。
しばらくして、白石さんが言った。
「松さん。今は、確認できていることだけを受け止めましょう」
「……はい」
「それと、今回の件について、松さんが公に何か発言する必要はありません」
「分かってます」
俺は小さく息を吐いた。
「……とりあえず、メールの件はどうすればいいですか?」
「まずは、連絡先と代理人としての立場を確認しましょう。松さんがご希望なら、必要な範囲で専門家に相談することもできます」
「……お願いします」
「承知しました」
通話を終えた。俺はニュース記事を閉じなかった。何度か読み直した。でも、何度読んでも、同じことしか書かれていない。
「……まさかなあ」
その日は、ほかの作業をする気になれなかった。
数日後。
白石さんから再び連絡があった。メールの送り主は、実際に弁護士事務所の担当者だった。
先方が希望した連絡方法で確認を進め、救助された人物の家族から依頼を受けていることも確認できたという。そのうえで、家族が伝えてよいと認めた範囲の説明を受けることになった。
「……分かりました」
今回は、白石さんにも同席してもらう。とはいっても、政府の仕事ではない。俺の過去の配信に関する、私的な相談だ。だからこそ、誰に何を共有するのかは、最初に確認しておいた。
画面越しに挨拶を交わす。相手は、落ち着いた口調の男性だった。
「このたびは、お時間をいただきありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
簡単な挨拶のあと、本題に入った。相手は、以前のパトロール配信で救助された人物について、家族から預かった情報を説明した。内容は、救助された日とおおよその時間、場所、救急搬送されたこと、その後に医療機関で診察を受けたことだった。
「……ああ」
俺は画面を見つめた。どれも、あの日の状況と一致していた。
さらに、家族が提供を認めた記録について説明を受ける。その内容を確認したうえで、俺は尋ねた。
「……じゃあ、本当にあの時の人なんですか?」
相手はうなずいた。
「はい。ご家族も、間違いないと確認されています」
「……そうですか」
胸の奥が、少し重くなった。
「……あの時は、ちゃんと助かったんですよね?」
「はい。救助のあと、医療機関で診察を受けています」
「……よかった」
思わず、そう言っていた。あの日の救助は、無駄ではなかった。
少なくとも、あの時は助かった。そこは確かだった。
でも、その先がある。
「……ニュースの事件についても、同じ方なんですね」
「はい」
返事は短かった。俺は一度うなずいたものの、次の言葉が出てこなかった。
相手は事件について、公開されている情報以上の詳しい話はしなかった。俺も、聞かなかった。
被害を受けた人がいる。それだけで、十分に重い話だった。
「……ご家族は、どうして俺に連絡を?」
少し迷ってから、尋ねた。
「現在、インターネット上で過去の映像が再び広まっていることを、ご家族が心配されています」
「……ああ」
「特に、ご本人を面白おかしく扱う編集動画について、対応できないかと考えておられます」
「……ですよね」
俺はうなずいた。
「俺も、その件は気になってました」
「ありがとうございます。ご家族としては、できるだけ静かに対応したいとのことです」
「はい。俺も、配信では何も言ってません」
「その点も、ありがたく思っておられます」
「……いえ」
なんだか、変な気分だった。俺は動画を投稿した側でもある。もちろん、救助された人を笑うために投稿したわけじゃない。でも、その動画がきっかけの一つになって、今の騒ぎにつながった可能性もある。
感謝されると、どう返していいのか分からない。
「……あの」
少し考えて、俺は言った。
「もし俺にできることがあれば、協力したいです。ただ、動画を消すとか、そういうことしかできないかもしれませんが」
「ありがとうございます。その件は、改めて整理してご相談させてください」
「分かりました」
話は、そこで終わると思った。でも、相手は少し間を置いてから言った。
「もう一つ、ご家族から伝えてほしいと頼まれていることがあります」
「……はい?」
「亡くなられた方が、どのような思いでいたのかについてです」
俺は姿勢を正した。
「……遺書のことですか?」
「はい。ただし、全文をお見せすることはできません。ご家族も、内容の公開を望んでいません」
「もちろんです」
「そのうえで、一部については、松さんにも知っておいていただきたいとのことでした」
「……分かりました」
相手は、慎重に言葉を選びながら説明を始めた。
「亡くなられた方は、もともとインターネットの動画をよくご覧になっていたそうです。ゲーム実況や音楽、昔の映像を使ったパロディ動画などですね」
「……そうだったんですか」
「はい。ネットミームと呼ばれるものも、お好きだったと伺っています」
「……ああ」
俺も、そういう動画なら見たことがある。例えば、淫夢と呼ばれるネット文化。元の映像から台詞や音声を切り抜いて、まったく別の動画にしてしまうものだ。最近だと、AIを使ったINMU KINGなんていう動画もある。
もちろん、あの人が具体的にどんな動画を見ていたのかまでは知らない。でも、ネット上にはそういう遊びが昔からある。
「……へえ」
なんだか意外だった。あの時、俺が助けた人。ただ倒れていただけの人。
その人にも、好きな動画があった。好きな音楽があった。くだらないことで笑っていた時間があった。
当たり前のことなのに、初めて考えた気がした。
「ただ、ご自身がネット上で取り上げられるようになってからは、感じ方が変わっていったようです」
「……ああ」
「以前は、他人がネタにされている動画を見て笑っていた。でも、自分が同じように扱われると、想像していた以上につらかった、と」
「……そうだったんですか」
俺はパソコンの画面を見た。そこには、例の切り抜き動画の一覧がある。倒れている姿を繰り返す動画。勝手に名前を付けた動画。音楽を付けて、踊っているように編集した動画。
「……確かに、自分だったら嫌だろうな」
誰かがネットで話題になる。それを見て、笑う。
でも、画面の向こうにいる人間が、自分だったら。
「……全然違いますよね」
「はい」
相手は続けた。
「ただ、ご本人は、ネット上の出来事だけが苦しかったとは書き残していません」
「……え?」
「以前から、生きることそのものに疲れを感じていたことがうかがえます」
「……そうですか」
「救助されたことや、映像が広まったことだけで、ご本人の人生を説明することはできないと思います」
俺は黙って聞いていた。
「それに、残された文章から、その方の気持ちをすべて理解できるわけでもありません」
「……ですよね」
俺はうなずいた。少しして、相手は言った。
「ご家族が松さんにお伝えしたかったのは、ご本人にも、映像には映っていない生活があったということです」
「……はい」
「そして、今後はこれ以上、面白おかしく取り上げられることを望んでおられません」
「……分かりました」
俺は、ゆっくり答えた。
「できることは、ちゃんと協力します」
それから、もう一つ気になっていたことを聞いた。
「……事件のことは、遺書に何か書いてあったんですか?」
相手は少し間を置いた。
「その点について、ご家族から松さんへの説明は預かっていません」
「……あ、分かりました。すみません」
「いえ。ただ、今回の事件で被害を受けた方がいることは、忘れてはいけないと思います」
「……はい」
その言葉に、俺はうなずいた。ネットでネタにされていた人が、つらい思いをしていた。それは分かった。
でも、それとは別に。
事件で傷ついた人がいる。その人の人生だって、今も続いている。
「……そうですよね」
俺はそれ以上、聞かなかった。最後に、今後の動画への対応について連絡方法を確認した。そして、通話が終わった。
「……ふう」
俺は椅子にもたれた。なんだか、ものすごく疲れた。
白石さんからメッセージが届く。
『松さん、大丈夫ですか?』
「……ああ」
俺は返信した。
『大丈夫です! ちょっとびっくりしてますけど』
すぐに返事が来た。
『今日は無理に整理しようとしなくても大丈夫ですよ』
「……そうだなあ」
スマホを置く。パソコンには、まだニュース記事が表示されていた。
事件の概要。逮捕。死亡。遺書とみられる文書。短い文章だ。でも、その裏には、いろいろな人の人生がある。
「……俺、何も知らなかったな」
あの日、俺は人を助けた。確かに、助けた。
あの時は、危険な場所から移動させることしか考えていなかった。それでいいと思う。今、同じ場面に出会っても、きっと助ける。
でも。
「……そのあと、こんなことになるなんてな」
俺は目を閉じた。一瞬、嫌な考えが浮かんだ。
俺があの時、助けていなかったら。
……いや。
そこから先を考えるのは、やめた。何が起きたかなんて、分かるわけがない。
あの人が助かったあと、こんな事件と関わらずに済んだ未来だってあったかもしれない。そもそも、あの時の俺に未来が分かるわけじゃない。
「……だからって、なあ」
分かっている。救助したことと、その後に起きた事件は別だ。あの時助けた俺が、その後の出来事まで責任を負うわけじゃない。
でも、だからといって、何も感じないわけじゃない。
「……なんだかなあ」
俺はニュースの記事を閉じた。次に、動画一覧を見る。
あの時のパトロール配信。初めて人を助けた日。当時は、ちょっと嬉しかった。ヒーローっぽいことをしてみようと思って始めた配信だった。実際に人を助けられた。だから、少し誇らしかった。
「……ヒーロー、か」
今考えると、ずいぶん気楽なタイトルだったな。もちろん、悪いことをしたつもりはない。でも、俺が助けたのは、ヒーロー物語の登場人物じゃなかった。ただの人間だった。
好きな動画を見て。くだらないことで笑って。つらいことがあって。
そして、誰かを傷つけた疑いを持たれた。最後には、亡くなった。
「……重いなあ」
俺は深く息を吐いた。ネットで笑われていたことと、事件との間に何か関係はあったのか。もともと別の問題を抱えていたのか。何が原因だったのか。
そんなことは、俺には分からない。本人が残した文章を全部読んだとしても、分からないことはあるだろう。
ただ。
一つだけ、はっきりしていることがある。事件で被害を受けた人がいる。その人は、何も悪いことをしていない。少なくとも、今回の事件で傷つけられていい理由なんてない。
「……その人、今どうしてるんだろうな」
俺は、ふと考えた。あの人を助けた時には、そんなことを考えもしなかった。
危険な場所にいる人を移動させる。それはできる。でも、誰かに傷つけられた人を、傷つく前の状態に戻すことはできない。
「……ワープでも無理だよな」
人を移動させられる。物を移動させられる。遠くまで行ける。でも、時間は戻せない。起きてしまったことを、なかったことにはできない。
「……そうか」
そこで、ふと考えた。俺が今までやってきた救助は、基本的に何かが起きてから動くものだった。
事故が起きそうになったら助ける。飛行機が危なくなったら運ぶ。災害が起きたら、必要なものを届ける。
どれも、大事なことだと思う。
でも。
「……事件って、起きる前に止められないのかな」
俺はパソコンを開き直した。犯罪について、ほとんど知識がない。ニュースで見るくらいだ。
警察が何をしているのか、どんな対策があり、何が効果的なのか。俺には全然分からない。
でも、俺にはワープがある。普通の人にはできない移動ができる。危険な場所にも、一瞬で駆けつけられる。
「……俺なら、何かできるんじゃないか?」
例えば、犯罪の現場を見つけた時。被害を受けそうな人を、安全な場所へ移動させることならできるかもしれない。
もちろん、勝手に何でもやっていいわけじゃない。相手を間違えたら大変だ。警察の仕事もある。
でも。
「……犯罪が起きてから助けるより、起きる前に止められた方がいいよな」
俺はAIの入力欄を開いた。何を書こうか、少し迷う。そして、キーボードを打ち始めた。
『ワープ能力を使って、犯罪を未然に防ぐことはできませんか?』
送信しようとして、手が止まった。
「……いや」
もう少し、根本的なことを知りたい。俺は文章を書き直した。
『そもそも、犯罪そのものを減らすには、どんな方法がありますか?』
送信。
画面に回答が表示され始めた。俺は、その文字をじっと見つめていた。
次回、第70話「犯罪を減らす方法を調べていたら、外国から連絡が来た」
次回更新:10月31日 12:10予定




