第68話 画面の向こうでは玩具だった
翌朝。
出勤の準備をしていると、スマホに通知が届いた。白石さんからだった。
『おはようございます。昨夜の件ですが、公開されている投稿をいくつか確認しました。お時間のある時に、少しお話しできますか?』
「……ああ、あれか」
昨日は、航空会社から375万円が振り込まれた。150万円の追加投資も注文した。本当なら、かなり気分のいい一日だった。
でも、最後に見た動画のせいで、なんだかすっきりしないまま寝てしまった。俺が昔助けた人の映像が、ネットで面白おかしく編集されていたのだ。
「……休憩時間でいいかな」
出勤前に話し始めると、長くなりそうだ。
『おはようございます! 仕事の休憩時間なら大丈夫です。時間が分かり次第、連絡します』
返信して、スマホをしまった。
「……さて、今日も仕事か」
昨日375万円も振り込まれたのに、今日も普通に出勤する。なんだか不思議な気分だ。
「……まあ、会社辞めてないしな」
俺はいつもどおり、仕事へ向かった。
昼休み。
食事を済ませてから、白石さんへメッセージを送った。
『今から少し時間あります!』
すぐに返信が来た。
『ありがとうございます。お電話してもよろしいですか?』
『お願いします!』
少しして、スマホが鳴った。
「もしもし、お疲れさまです!」
「お疲れさまです、松さん。お仕事中にすみません」
「いえ、休憩中なので大丈夫です!」
「では、昨夜の動画についてですが」
白石さんの声が、少し真面目になった。
「松さんからいただいたURLを確認しました。関連する投稿も複数見つかっています」
「やっぱり、結構あるんですか?」
「はい。同じ映像を使ったものだけでなく、元の配信と組み合わせて編集した動画もあります」
「……ですよね」
俺が昨日見ただけでも、何本かあった。
「これ、全部削除してもらうことってできないんですか?」
「問題のある投稿について、プラットフォームへ報告することはできます。ただ、報告したものが必ず削除されるとは限りません」
「……ああ、そうなんですね」
「それに、同じ映像が別の場所へ転載されている可能性もあります」
「……じゃあ、一つ消しても終わらない?」
「そういうことです」
「面倒ですねえ」
思わず本音が出た。
「そうですね。ただ、対応できることから進めるしかありません」
「……ですよね」
ワープなら、一瞬で物を移動させられる。
でも、動画を消す能力はない。
……いや、仮に誰かのスマホをワープで持ってきたとしても、そんなことをしていいわけがない。
「……本当、ネットって難しいな」
「松さん、もう一つお伝えしたいことがあります」
「はい?」
「この映像が広まり始めた頃は、救助された方を疑う内容が中心ではなかったようです」
「……そうなんですか?」
俺は少し意外だった。昨日見た動画には、『倒れ方が不自然』とか、『仕込みでは?』といった文字が入っていた。最初から、そういう切り抜きばかりだったと思っていた。
「現時点で確認できた古い投稿では、主にワープの瞬間が話題になっていました」
「……ああ、そっちですか」
「はい。珍しい現象を記録した映像として紹介されていたようです」
「……それなら分かりますね」
俺だって、自分が映っているドラレコ映像を初めて見た時は、ちょっと面白かった。道路から見ると、ワープってあんなふうになるのか。そう思った。
「ただ、別の投稿では、倒れていた方の動きについて憶測が加えられています」
「……それが広まったんですね」
「複数の編集動画が出ていますので、単純に一つの投稿が原因とは言い切れませんが」
なるほど。最初に撮影した人が、悪意を持っていたとは限らない。
珍しい映像だったから投稿した。それを見た人が切り抜いた。さらに別の人が編集した。その結果、救助された人を疑うような動画になった。
「……同じ映像なのに、随分変わるんですね」
「そうですね」
少し考えてから、俺は聞いた。
「じゃあ、最初に投稿した人に消してもらえばいいんですかね?」
「それも一つの方法かもしれません。ただ、現在の投稿者と最初の撮影者が同じとは限りませんし、削除によって既存の転載まで消えるわけではありません」
「……ですよねえ」
「まずは、明確に問題のある投稿を整理しましょう。松さんの配信映像が使われているものについても、必要なら権利関係を確認できます」
「お願いします!」
「それと、もう一つお願いがあります」
「はい?」
「今回の件については、引き続き配信やSNSでの反応を控えていただけますか?」
「ああ、はい! 今のところ何も言ってませんし、そのつもりです!」
「ありがとうございます。松さんが取り上げることで、かえって注目が集まる可能性もありますので」
「……確かに。俺が紹介したら、余計に見に行く人が増えそうですね」
「はい。まずは状況を確認してから、必要な対応を考えましょう」
「分かりました!」
通話が終わった。俺はスマホを置いて、少し考えた。
「……結局、すぐには終わらないんだな」
救助する時は、考える暇もなかった。人が倒れていて、車が来ていた。危ないから移動させた。
それだけだった。
でも、今は違う。動画一つにしても、いろいろな人が関わっている。
「……まあ、仕方ないか」
休憩時間も、そろそろ終わりだ。俺はスマホをしまって仕事へ戻った。
帰宅後。
夕食を済ませてから、パソコンを開いた。昨日見つけた動画と、白石さんに送ったURLをもう一度確認する。今度は、いきなりコメント欄を見るのをやめた。
「……まずは、いつ投稿されたのかだな」
AIを開く。確認できた動画のURLと投稿日時をまとめて送った。
『公開されている情報だけを使って、これらの動画を時系列順に整理してください。確認できないことは推測で埋めないでください』
少しして、表が返ってきた。
「……どれどれ」
最初に確認できたのは、俺がパトロール配信をした数日後の投稿だった。
『空中スイマーのワープを車載カメラが捉えた』
そんな内容だ。
「……ああ、これなら普通だな」
動画を開く。
車の前方から、道路が映っている。
人が倒れている。
突然、姿が消える。
画面の外から驚いたような声が聞こえる。
そして動画が終わった。
「……短っ!」
数秒しかない。タイトルも、ワープが撮影されていたことを紹介しているだけだった。
ただ、最初に投稿された映像かどうかまでは分からない。同じ映像が、もっと前に別の場所へ投稿されていた可能性もある。
「……まあ、そこは分からないか」
次の投稿を見る。今度は、俺の配信映像とドラレコ映像が並べられていた。同じ瞬間を、別々の角度から見る動画だ。
「……これは結構面白いな」
俺の配信では、空から道路を見下ろしている。ドラレコでは、道路側から人が消える。二つを並べると、ワープの瞬間が分かりやすい。
「……普通にこっちの方が好きだな」
でも、そのあとから雰囲気が変わっていく。
『倒れ方が不自然?』
『謎の人物を検証』
『空中スイマー救助の真相』
「……真相って」
そんなもの、俺も知らないぞ。俺が分かっているのは、あの時危険な場所に人が倒れていたということだけだ。なのに、動画のタイトルを見ると、何か秘密があるように感じられる。
「……うまいこと書くなあ」
いや、感心している場合じゃない。俺は投稿時期を見比べた。
最初は、ワープの映像が話題になっていた。その後、倒れていた人の動きについて疑う動画が出てくる。さらに、似たようなタイトルの動画が増えている。
「……こうして並べると分かりやすいな」
何となく見ていた時は、全部同じような切り抜きに思えた。でも、時系列に並べると、話題が変わっているのが分かる。
ワープがすごい。
どうやって助けたんだ。
あの人は何をしていたんだ。
倒れ方がおかしい。
仕込みだったのでは。
「……話が変わりすぎじゃない?」
最初の動画には、そんな疑惑はなかった。誰かが言い始めて、それを別の人が取り上げている。
「……これ、証拠が増えたわけじゃないよな」
新しい映像が出てきたわけではない。何か事実が判明したわけでもない。ただ、同じ数秒間を何度も再生しているだけだ。それなのに、動画が増えるほど、本当に怪しいことがあったように見えてくる。
「……怖いな」
俺はさらに、最近の投稿を確認した。すると、見覚えのあるタイトルが目に入った。
『空中スイマーの過去の救助を振り返る』
投稿日は、復興ドキュメンタリーを公開したあとだった。
「……ん?」
説明欄を見る。
『復興ドキュメンタリーで昔の救助が話題になっていたので、過去の映像をまとめました』
「……ああ」
そういうことか。少し思い当たる節がある。
復興ドキュメンタリーには、救助された上條さんのその後の生活を紹介していた。家に戻れないこと。生活を立て直すのが大変なこと。命が助かっても、それで終わりではないこと。そんな話をしていた。
その動画が200万回も再生された。当然、以前の救助について興味を持った人もいるだろう。実際、俺のコメント欄にも質問が来ていた。
『あの時、車道から助けた人って、その後どうなったんですか?』
「……そういうことか」
過去の救助を探しているうちに、ドラレコ映像を見つけた人がいたのかもしれない。そこから、また話題になった。
「……俺の復興動画がきっかけの一つなのかな」
もちろん、分からない。動画が伸びた理由は、一つとは限らない。別の誰かがSNSで紹介したのかもしれないし、たまたまおすすめに表示されたのかもしれない。
でも、少なくとも復興動画をきっかけに、過去の救助へ興味を持った人がいることは分かった。
「……なんだか複雑だなあ」
復興ドキュメンタリーは、作ってよかったと思っている。上條さんも、たくさんの人に見てもらえたことを喜んでくれた。寄付もできた。
でも、その動画を見た人が別の救助を探し、結果として変な切り抜きまで広まったのだとしたら。
「……そこまでは考えてなかったな」
もちろん、俺のせいだと決まったわけじゃない。だからといって、何も気にしなくていいとも思えない。
「……うーん」
考えても答えが出なさそうだった。俺は次に、コメント欄を確認した。ただし、昨日と同じようなコメントを何度も読むつもりはない。今回は、投稿時期によって何が変わっているのかを見てみる。
古いコメントには、ワープへの驚きが多かった。
『マジで消えた』
『車から見るとこうなるのか』
『すごい能力だな』
「……うん、普通だ」
少しあとのコメント。
『この人、何で倒れてたんだろ』
『怪我じゃない?』
『具合悪かったのかな』
「……まあ、気にはなるよな」
俺だって、あのあとどうなったのか気になっていた。
でも、さらに後になると。
『どうせ仕込みだろ』
『あの倒れ方の人ね』
『まだ信じてる人いるんだ』
「……あれ?」
いつの間にか、仕込みだったことが前提になっている。もちろん、反論している人もいた。
『証拠ないじゃん』
『決めつけるなよ』
『普通に危険な状況だっただろ』
でも、別の人はそんなことを気にしていない。
『疑われるようなことするのが悪い』
「……いや、何したんだよ」
思わず声が出た。
倒れたことが悪いのか?
それとも、助けられたことが悪いのか?
「……分からんなあ」
さらに、倒れていた人を勝手に呼ぶ名前まで出てきていた。誰が最初に言い出したのかは分からない。
本人の名前ではない。動画の中だけで使われている、あだ名のようなものだ。
「……あの人、名前まで付けられてるのか」
その名前を使って、冗談を言っている人もいる。画像を加工している人もいる。短い映像を繰り返して、音楽を付けたものまであった。
「……ここまでやる?」
ワープの瞬間を編集するのなら、まだ分かる。俺だって、自分の動画でふざけたことをする。でも、倒れていた人を何度も映して笑うのは、何が面白いんだろう。
「……いや、面白いと思う人がいるから広まってるのか」
そう考えると、余計に複雑だった。もちろん、みんなが悪意を持っているわけじゃないと思う。深く考えずに笑っている人もいるだろう。ただの冗談のつもりかもしれない。
でも。
「……本人が見たら、どう思うんだろうな」
俺は椅子にもたれた。復興ドキュメンタリーを作った時のことを思い出す。
上條さんには、事前に取材をお願いした。どんな話をするかも確認した。編集した動画も公開前に見てもらった。顔や名前を出さず、家族を特定できる情報にも気をつけることを、本人と確認していた。
「……あの時は、結構いろいろ気をつけたよな」
でも、今回の人は違う。名前すら知らない。
あの時は緊急事態だった。倒れていた人に、撮影してもいいかなんて聞ける状況じゃなかった。
だから、俺は救助したあと、すぐにカメラを自撮りへ切り替えた。それで十分だと思っていた。
「……でも、別のカメラがあったんだよな」
俺が配信していなくても、ドラレコの映像は残ったかもしれない。でも、少なくとも俺の救助が注目されたことで、映像が広まった部分もあるのだろう。
「……難しいな」
考えてみれば、上條さんは自分の意思で動画に出演した。でも、あの人は違う。
俺に助けられたというだけだ。
「……あの人、動画の出演者じゃないんだけどな」
俺は画面を見た。
倒れていた人が、数秒間だけ映っている。
繰り返し再生される。
何度も。
何度も。
「……普通に生きてる人なんだよな」
俺が助けたのは、動画の登場人物じゃない。あのあと病院へ行ったかもしれない。
家に帰ったかもしれない。翌日には仕事へ行ったかもしれない。元気に暮らしている可能性だってある。
それなのに、ネットでは数秒間の映像だけで、勝手に人物像が作られている。
「……これ、本人のこと何も知らないじゃん」
もちろん、俺だって知らない。でも、知らないなら、知らないでいいじゃないか。どうして勝手に話を作るんだろう。
俺はコメント欄を閉じた。
「……そうだ」
自分の配信を非公開にすることも考えた。少なくとも、これ以上新しく見られる機会は減るかもしれない。
でも。
「……ドラレコの方は残るんだよな」
それに、既に切り抜かれている映像もある。今さら俺の配信を消しても、全部が消えるわけではない。
「……かといって、俺が配信で怒ったら余計に広まりそうだしなあ」
『この動画を見ないでください!』
なんて言ったら、逆に何の動画なのか気になってしまう。
「……絶対そうなるよな」
俺だったら気になる。だから、余計なことはしない方がいい。
俺は問題のある動画のURLと、気になったコメントを記録した。画面のスクリーンショットも保存する。公開されている情報だけを整理して、白石さんに送った。
『確認できた動画を時系列順にまとめました。最初はワープの映像が話題だったようですが、途中から救助された人を疑う内容が増えています』
続けて、復興ドキュメンタリーの公開後に投稿された動画についても伝える。
『復興動画を見て過去の救助を調べた人もいるみたいです。ただ、これが今回の拡散の主な原因なのかは分かりません』
送信。
「……よし」
ひとまず、俺にできることはここまでだ。動画の報告も、問題があると思ったものについて進める。あとは白石さんと相談しながら考えよう。
「……本当、面倒だなあ」
ワープなら、あの人を助けるのに一瞬だった。でも、ネットに広まった映像は、一瞬ではどうにもならない。
「……まあ、能力があれば全部解決するわけじゃないか」
俺はパソコンを閉じようとした。その時、ふと気になるコメントが目に入った。
『まだこの動画で笑ってる人いるんだ』
「……ん?」
何だろう。
今までのコメントとは、少し雰囲気が違った。投稿されたのは最近だ。返信を見る。
『何かあったの?』
『どういう意味?』
でも、最初にコメントした人は、それ以上詳しく説明していなかった。
「……何か知ってるのかな?」
いや。
ただの煽りかもしれない。意味深なことを書いて、反応を楽しんでいるだけかもしれない。
俺はほかのコメントも確認した。すると、似たようなものがあった。
『こういう動画、今見ると笑えない』
「……今見ると?」
昔は笑えたけど、今は笑えない。そういう意味だろうか。
「……何かあったのかな」
でも、何があったのかは書かれていない。誰かが質問しているけど、返信もない。
「……気になるなあ」
思わず検索しようとした。でも、すぐに手を止めた。
白石さんから、本人の身元を独自に調べる必要はないと言われている。そもそも、これだけでは何の話なのかも分からない。
「……そうだよな」
意味深なコメントがあるからといって、本当に何か事件があったとは限らない。俺はそのコメントのURLだけ控えた。そして、白石さんへ追加で送る。
『あと、少し気になるコメントがありました。何かあったようにも読めますが、内容は分かりません』
送信。
「……これで終わりにしよう」
もう一度パソコンを閉じようとしたところで、返信が届いた。白石さんだった。
『ありがとうございます。投稿の整理も助かります』
「……よかった」
続けて、もう一通。
『実は、公開されている情報を確認する中で、少し気になるものがありました』
「……ん?」
何だろう。
『ただ、救助された方と同じ人物に関係する情報なのかは、まだ確認できていません』
俺は画面を見つめた。
「……同じ方?」
さらにメッセージが届く。
『別の出来事との関連が疑われますが、断定できる段階ではありません。確認が取れるまで、詳細をお伝えするのは控えさせてください』
「……別の出来事?」
俺は思わず声に出した。あの人が、何か別のことに巻き込まれたのだろうか。それとも、まったく関係のない人の話なのだろうか。
分からない。白石さん自身も、まだ確認できていないらしい。だから、今ここで勝手に想像しても仕方ない。
……そう思うのに。
「……なんだよ、それ」
気になってしまう。俺は返信を入力した。
『分かりました。確認できてからで大丈夫です。ただ、もし何か私にできることがあれば教えてください』
送信。
しばらくして、白石さんから返事が来た。
『ありがとうございます。まずは事実関係を確認します。松さんも、ネット上の憶測を事実として受け取らないようにしてください』
「……はい」
俺はスマホを置いた。昨日までは、ただの変な切り抜き動画だと思っていた。今日、その動画がどんなふうに広まっていたのかを知った。
でも。
今は、別のことが気になっている。
「……あの人、本当にどうなったんだろうな」
俺が知っているのは、あの日の数分間だけだ。
車道側に倒れていたこと。ワープで歩道へ移動させたこと。意識があったこと。周囲の人に119番通報をお願いしたこと。
そこから先は、何も知らない。なのにネット上では、何年も前から知っている人物のように、勝手な話が作られている。
「……助けた時は、そんなこと考えもしなかったな」
あの日、俺は確かに一人の人を助けた。それは今でも、よかったと思っている。でも、その人の人生がどうなったのかは分からない。
そして今。
どうやら、俺の知らないところで何かが起きていたのかもしれない。
「……別の出来事、か」
俺は白石さんのメッセージをもう一度読んだ。何があったのかは書かれていない。関係があるかどうかも、まだ分からない。
それなのに。なぜだろう。
さっきまで見ていた、あの短い映像が頭から離れなかった。
次回、第69話「最悪の後日談」
次回更新:10月30日 20:10予定




