第53話 会社員、通常営業に戻ります
災害対応が一段落して、俺はいつもどおりアルタークに出勤していた。
出勤といっても、災害対応中もずっと休んでいたわけではない。会社と調整しながら働いていたので、今日は久しぶりに予定どおり1日勤務するというだけだ。
「おはようございます」
「おはよう。松さん、ニュース見た?」
「大雨のやつですか?」
「そうそう。空中スイマー、すごかったな」
「そうですね。現場の人たちも大変だったと思います」
本人だと知らない同僚とニュースの話をする。俺は曖昧に笑って、自分の席に着いた。
机の上には、確認待ちの資料が置かれていた。
パソコンを起動すると、メールもたまっている。
「……うん、こっちも大変だな」
災害現場では、何十トンもある資材を一瞬で運んだ。
重機だって、条件が合えば運べる。
でも、会社のメールはワープしてくれない。
いや、メール自体はもう届いているんだから、ある意味ワープより速いのかもしれない。
問題は、その中身を俺が確認しないといけないことだ。
「松さん、これ今日中に確認お願いできます?」
「はい、分かりました」
普通の会社員に戻ってきた。
いや、別に会社員をやめていたわけじゃないんだけど。
午前中、同僚たちの間でも災害のニュースが話題になった。
「ニュースだと空中スイマーが全部やったみたいに見えたけど」
「現場の消防や専門家の人たちも、相当大変だったでしょうね」
「まあ、そりゃそうだよな」
俺は頷いた。堤防の工事をどう進めるかは専門家が決めたし、救助活動も消防や現地の人たちが中心だった。
俺1人で何もかも解決したわけじゃない。そう言いたくても、当事者として話すわけにはいかない。
少し妙な気分だった。
でも、会社の仕事が減るわけではない。そこは残念だった。
昼休み。
いつものように昼飯を食べながら、スマホを開いた。
確認したのは、自分の資産管理だ。
俺が目指しているFIREの目標額は、8,000万円。
会社員をやめても、投資の運用益や手元の資金で暮らしていけるようにする。
もちろん、8,000万円を持っていれば何も考えずに一生遊べる、という話ではない。
相場が下がることもあるし、物価も上がる。
それでも、俺1人が普通に暮らしていくなら、十分に現実的な目標だと思っていた。
いや、今もそう思っている。
ただ、最近ちょっと考えることが増えた。
「……8,000万円か」
スマホに表示された目標額を眺める。
今回の災害で見たものを思い出した。
家の中まで泥水が入って、家具も家電も使えなくなった家。
車が壊れて、通勤手段を失った人。
仕事に行きたくても、店や工場そのものが被害を受けている人。
ああいうことが、自分にも起きたらどうなるんだろう。
家を直す。場合によっては建て直す。
車を買い直す。
その間の生活費も必要になる。
保険や公的支援はあるだろうけど、被害が全部補償されるとは限らない。
それに、制度によっては所得や資産の条件もあるはずだ。
自分で十分なお金を持っているなら、受けられない支援もあるかもしれない。
もちろん、だから資産を持たない方がいい、なんて話ではない。
むしろ逆だ。
何かあった時に、支援だけに頼らなくても生活を立て直せるようにしたい。
「そう考えると、8,000万円じゃ足りないのかな……」
じゃあ、いくらあればいい?
1億円?
2億円?
いや、災害だけを考えるなら、住む場所や保険の入り方でも変わる。
どこまで備えるかによっては、もっと必要になるかもしれない。
そもそも、何が起きても絶対に大丈夫な金額なんて、あるのか?
「……ないよなあ」
資産を増やせば安心は増える。
でも、目標を上げれば上げるほど、FIREする日は遠くなる。
8,000万円を目指していたのに、途中で2億円に変更したら、いつまでたっても会社員をやめられない気がする。
それはそれで、本末転倒だ。
「まあ、今決める必要はないか」
まだ8,000万円に到達したわけでもない。
今の目標はそのままにして、必要な金額をもう少し考えてみよう。
俺は資産管理の画面を閉じた。
昼休みが終わるまで、あと少し。
ついでにYouTubeの管理画面も開いてみる。
以前の救助配信のアーカイブにも、今回の災害についてのコメントが増えていた。
感謝の言葉もあれば、現地の状況を心配する声もある。
中には、俺が助けた人たちのその後を知りたいというコメントもあった。
「……それは俺も知りたいんだよな」
上條さん一家には、生活再建の様子を取材させてもらえないかと提案している。
ただ、返事を急かすつもりはない。
家の片付けも、今後の生活をどうするかも、考えることは山ほどあるだろう。
動画のことなんて、後回しでいい。
俺としても、企画を始めるなら、出演する人にちゃんと報酬を払える仕組みを整えておきたい。
募金を集めるのではなく、動画を見てもらって得た収益を、取材に協力してくれた人へ還元する。
その考えは変わっていない。
でも、今はまだ準備中だ。
「さて、仕事に戻るか」
スマホをしまって席へ戻った。
午後も普通に仕事をした。
途中、政府側の連絡用端末に通知が届いていたけど、緊急の連絡ではなかったので、休憩時間に確認することにした。
次回の航空ワープ業務に向けた、日程調整の連絡だった。
「ああ、そういえばこっちもあるんだった」
災害対応の間、すっかり意識がそちらへ向いていた。
航空会社との仕事は、今後も月に一度程度のペースで続く予定だ。
飛行機をワープさせる。
文章にすると相変わらず意味が分からないけど、もう商業サービスとして動き始めている。
初めての体験便では150万円の報酬が確定している。
ただし、今後の定期的な仕事でいくらもらえるのかは、また別の話だ。
それに、報酬が入ったとしても、税金や必要経費を考えないといけない。
150万円の報酬が確定したからといって、資産がそのまま150万円増えるわけじゃない。
「……こういうの、会社員の給料より管理が面倒なんだよな」
もっとも、その面倒な仕事をしてでも、収入は増やしたい。
FIREしたいからだ。
俺は休憩時間に、日程の確認だけ返信しておいた。
詳しい調整は、勤務が終わってからにしよう。
夕方。
無事に仕事を終えて、会社を出た。
「お疲れさまでした」
「お疲れさま」
今日も一日、ちゃんと働いた。
災害対応の時とは違う疲れがある。
肉体的には、重い物を運んでいるわけじゃない。
でも、頭を使う仕事は頭を使う仕事で疲れる。
ワープ能力で疲労までどこかへ飛ばせたら便利なんだけどな。
そんなことを考えながら、政府の連絡用端末を確認した。
白石さんから、災害対応に関する事務連絡が届いていた。
俺が輸送した機材の記録について、確認したいことがあるらしい。
電話で済む内容だったので、こちらから連絡した。
『お疲れさまです、松さん』
「お疲れさまです。今、少し大丈夫ですか?」
『はい。お仕事は終わりました?』
「終わりました。今日は普通に1日働いてきましたよ」
『それはお疲れさまでした』
「白石さんはどうです? 災害対応でずっと忙しかったでしょう」
『まだ報告関係の仕事は残っていますけど、現地での対応が続いていた時よりは落ち着きました』
「ちゃんと休めてます?」
少し間があった。
『……松さんに言われるとは思いませんでした』
「え、なんでですか」
『災害対応をして、会社にも出勤して、YouTubeも続けているじゃないですか』
「いや、YouTubeは最近あんまりできてないですよ」
『そういう問題でしょうか』
「いや、俺の場合、現場への移動はワープでかなり短縮できますから。普通に移動してたら、もっと大変だったと思いますよ」
『それでも、休息は必要です』
「白石さんもですよ」
『はい。気をつけます』
少し笑ったような声が聞こえた。
こうして話していると、災害の前に一緒に魚を捕りに行った時のことを思い出す。
あの時も、仕事のような、遊びのような、よく分からない時間だった。
でも、楽しかった。
「また落ち着いたら、何か撮影でもしましょうか」
『撮影ですか?』
「いや、別に魚じゃなくてもいいんですけど。普通のYouTube企画とか」
『私も参加する前提なんですね』
「……あ、嫌なら別に」
『嫌とは言ってませんよ。ただ、内容によっては確認が必要ですけど』
「ああ、それはもちろん」
『でも、楽しみにしています』
「じゃあ、何か考えておきます」
……楽しみにしてるのか。
これは何か考えないといけないな。
その後、必要な事務確認を済ませて電話を切った。
帰宅して、夕飯を食べて、風呂に入る。
ようやく自由時間だ。
パソコンの前に座って、YouTubeの企画を考え始めた。
最近は災害関係の話題が多かった。
もちろん、それは大事なことだ。
上條さん一家の取材についても、返事が来たらちゃんと考えたい。
でも、俺のチャンネルは、もともとワープでいろいろやってみるチャンネルだ。
災害対応専門のチャンネルにするつもりはない。
「久しぶりに、普通の動画を撮るか」
そうつぶやいて、企画を考える。
ワープを使って何かする。
できれば安く。
準備も簡単で。
見ている人がちょっと面白いと思えるもの。
「……何がある?」
以前は魚を捕りに行った。
空を飛ぶように見せる配信もした。
飛行機まで運んでしまった。
ここまで来ると、逆に普通の企画が思いつかない。
「ワープを使って、何もしない動画とか?」
いや、何もしないならワープする必要がない。
「ワープで通勤時間ゼロを体験してみた?」
いや、普段の通勤は普通に移動している。動画のために会社までワープするのも、場所を特定されそうで嫌だな。
そもそも自宅と会社の位置関係が分かるような撮影は避けたい。
「……意外と難しいな」
世界で唯一の能力を持っているのに、YouTubeの企画一つ思いつかない。
贅沢な悩みだ。
俺はスマホを手に取った。
「AI、ワープ能力を使った、安くてしょうもないYouTube企画を考えて」
送信する。
少しして、候補が並び始めた。
その一番上を見て、俺は首をかしげた。
「……これ、ワープ使わなくてもできるだろ」
結局、いつもの企画会議が始まった。
次回、第54話「飛行機4機で375万円?」
次回更新:10月23日 12:10予定




