第51話 水が引いたら帰れると思ってた
「空中スイマーさん、次の救助をお願いします!」
「はい!」
呼ばれた俺は、隊員から指定された住宅を確認して、再びワープした。
今度の救助対象は、2階で待っていた男性だった。足を痛めているらしく、歩くのが難しいという。
本人の状態を確認し、救助方法を説明して了解を得てから体を支える。受け入れ担当が待つ区画まで、実際に見える安全な場所をつないで移動した。
「着きましたよ」
「……本当に一瞬なんだな」
男性は驚いていたけど、すぐに救助隊員が対応してくれた。
俺は次の指示を待つ。
ところが、しばらくしても呼ばれない。
「あの、次は?」
「少し待機をお願いします」
「また待機ですか?」
「はい。現在、確認できている救助対象については、それぞれの隊で対応が進んでいます。新たな要請が入ればお声がけします」
「分かりました」
救助が終わったわけではない。まだ確認できていない家もあるし、ボートで移動している隊員もいる。
ただ、今すぐ俺に頼める仕事がなくなったらしい。
何度かワープしただけなのに、もう待機か。
俺としては、まだまだ動けるんだけどな。
そんなことを考えていると、白石さんがこちらへ歩いてきた。
「空中スイマーさん、お疲れさまです」
「お疲れさまです。今、暇になっちゃいました」
「ちょうどよかったです。別の場所で協力をお願いできますか?」
「もちろん。何を運びます?」
「今度は排水ポンプ車です」
「排水?」
「浸水した地域から水を抜く作業が始まります。必要な機材を運んでいただきたいんです」
俺は住宅地の方を見た。
道路も家も、まだ水に浸かっている。堤防の方では流れ込む水を減らす作業が続いているらしいけど、すでに住宅地へ入った水は残ったままだ。
「そうか。入ってきた水は勝手になくなるわけじゃないですもんね」
「はい。自然に排水できない場所では、ポンプなどを使う必要があります」
「じゃあ、俺が水をワープさせた方が早かったりしません?」
言ってから、ちょっと考える。
コップに入った水なら、コップごと運べる。大きなタンクでも、ひとまとまりの物として運べるなら問題ない。
でも、道路いっぱいに広がっている水はどうなんだろう。
「この辺の水、全部まとめて海とかに運べたら早いですよね」
「それができるんですか?」
白石さんが聞き返してきた。
「……分かんないです」
「分からない?」
「水って全部つながってるじゃないですか。どこまでを運ぶのか、俺にもよく分からなくて」
以前から物をまとめて運べることは確認しているけど、広い範囲にたまった水を、好きな量だけ切り取って移動させるような使い方は試していない。
それに、仮に大量の水を運べたとしても、どこへ出すのかという問題もある。
「少なくとも、今ここで試すのは怖いですね」
「そうですね。現場での実験は避けてください」
「ですよね。じゃあポンプ運びます」
俺がそう答えると、白石さんは少し安心したようだった。
案内されたのは、浸水区域から少し離れた活動拠点だった。
そこには排水作業を担当する人たちが集まっていて、ポンプ車やホース、発電機などの配置について確認していた。
「空中スイマーさん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。運ぶ物を教えてください」
担当者から説明を受ける。
まず必要なのは排水ポンプ車と関連機材。道路の一部が使えないため、通常の搬入には時間がかかるらしい。
「ポンプ車って、そのまま運んで大丈夫ですか?」
「車両の状態と設置場所はこちらで確認します。指定した場所まで運んでいただければ大丈夫です」
「了解です」
俺は運搬元と搬入先を確認した。
現場の人たちに誘導してもらいながら、周囲に障害物がないことを確かめる。搬入先は今いる高台から見える場所に設定されていて、必要な範囲には照明も設置されていた。
運転者が降り、エンジンが停止していることを確認する。俺も搬入先が見える位置に立ち、車両の周囲に人がいないことをもう一度確かめた。
「じゃあ、行きます」
ワープ。
ポンプ車ごと、景色が変わった。
受け入れ側の担当者が確認し、すぐに車両の設置作業が始まる。
俺は元の高台が見える位置を確認してから戻り、今度はホースや電源関係の機材を運んだ。
何度か往復すると、必要な物はひととおりそろった。
「これで排水開始ですか?」
「いえ、まだ準備があります」
「あ、そうなんですね」
「排水先の確認も必要ですし、ホースの配置や電源の準備もあります。ポンプを置けば終わりというわけではありませんから」
「なるほど。じゃあ、俺は追加で必要な物を運べばいいですか?」
「はい。必要になったらお願いします」
担当者たちが準備を進める間、俺は追加で必要になった資材を何度か運んだ。
やがて機械の音が聞こえ始める。
「動きました?」
「はい。排水を始めています」
「おお」
俺は少し離れた安全な場所から、その様子を眺めた。
ホースを通って水が排出されていく。
もちろん、目の前の水位が一瞬で下がるわけではない。住宅地にたまった水の量を考えれば、これから時間をかけて抜いていくことになる。
「どれくらいで水が引くんですか?」
「場所によります。流入の状況や排水量にも左右されるので、今はまだはっきり言えません」
「そうですか」
堤防の担当者もそうだったけど、専門家の人たちは簡単に終わるとは言わない。
まあ、実際に現場を見ていると、その理由も分かる気がした。
排水作業が始まってしばらくすると、白石さんから休憩を勧められた。
「空中スイマーさん、少し休んでください。追加の運搬が必要になれば連絡します」
「分かりました」
俺は高台の活動拠点へ戻り、配られた飲み物を受け取った。
雨は少し弱くなっていたけど、服はまだ湿っている。救助の時から何度も外を移動しているせいで、さすがに少し疲れてきた。
休憩場所には、救助された住民も何人かいた。
毛布をかぶっている人、家族と電話している人、黙って座っている人。みんな安全な場所まで来られたはずなのに、表情はあまり明るくない。
「あれ、空中スイマーさん?」
声をかけてきたのは、さっき救助した男性だった。
「どうも。体調は大丈夫ですか?」
「ええ、おかげさまで。あの時はありがとうございました」
「いえいえ。無事でよかったです」
男性は手に持っていた紙コップを見ながら、少し笑った。
「いやあ、まさかワープで助けてもらうとは思わなかったですよ」
「俺も、こんな使い方をするとは思ってなかったです」
「すごいですね、本当に」
「まあ、移動だけですけどね」
そんな話をしていると、男性が住宅地の方へ目を向けた。
「水、いつ引くんですかね」
「今、ポンプ車を運んできたところです。排水は始まってるみたいですよ」
「そうですか。それならよかった」
男性は少し安心したようだった。
でも、すぐに表情が曇る。
「家に帰れたら、まず掃除しないといけませんね」
「そうですね」
「冷蔵庫もダメだろうなあ。車も浸かってたし」
「ああ……車もですか」
「ええ。家の前に止めてたんですけど、もう屋根の近くまで水が来てましたから」
それは厳しい。
俺も車を使うから分かるけど、車が使えなくなるだけでも生活はかなり不便になる。
男性はしばらく黙っていたけど、今度は別のことを話し始めた。
「それより、仕事がどうなるか分からないんですよ」
「仕事ですか?」
「近くの店で働いてるんですけど、そこも浸水したらしくて。店長から、しばらく営業できないかもしれないって連絡が来ました」
「え、それって給料は?」
「まだ分からないそうです。会社も今、状況を確認しているところみたいで」
「そうなんですか……」
男性は困ったように笑った。
「家も車もダメになって、仕事までなくなったら、どうしたらいいんでしょうね」
俺は返す言葉が見つからなかった。
家が水に浸かっただけでも大変なのに、車まで使えなくなって、そのうえ収入まで止まるかもしれない。
今まで普通に働いて、普通に生活していた人が、たった一度の災害でそこまで追い込まれるのか。
「雇用保険とか、そういうのは使えないんですか?」
「どうなんでしょうね。失業したわけじゃないですし、会社が再開するなら戻りたいですから」
「ああ、そっか」
失業したら失業給付、という話は聞いたことがある。でも、会社が休業しているだけならどうなるんだろう。
俺も詳しくは知らない。
「何か支援とかあるといいですね」
「そうですね。今は家のことも仕事のことも、何から手をつければいいのか分からなくて」
男性はそう言って、紙コップに口をつけた。
俺は何も言えず、しばらく隣に座っていた。
少しして男性が家族に呼ばれ、俺は1人になった。
目の前では、避難してきた人たちがそれぞれの時間を過ごしている。
さっきまで俺が運んでいた人たちだ。
命が助かったことは間違いなくよかった。でも、その後の生活については、俺が思っていたよりずっと問題が多いらしい。
「空中スイマーさん」
白石さんが来た。
「休めていますか?」
「はい。ちょっと話してました」
「そうですか」
俺はさっきの男性との会話を思い出した。
「白石さん、こういう災害で仕事がなくなった人って、どうなるんですか?」
「状況によります。雇用保険や休業に関する制度、被災者向けの支援など、利用できるものを確認していくことになります」
「会社が休業してるだけでも、何かあるんですか?」
「条件によってはあります。ただ、会社の状況や本人の雇用関係によって扱いが違いますので、一律には言えません」
「なるほど」
「住宅についても支援制度がありますが、被害の程度や世帯の状況によって対象が変わります」
「じゃあ、みんな同じ金額がもらえるわけじゃないんですね」
「そうですね」
俺は少し考えた。
「それでも生活できなくなったら、生活保護とかになるんですか?」
白石さんはうなずいた。
「必要な方は利用を検討できます。ただ、災害に遭ったから必ず生活保護になるわけではありませんし、生活保護を利用すること自体が悪いことでもありません」
「そりゃそうですよね」
「仕事を続けたくても勤務先がなくなったり、住む場所を失ったりすることもあります。そういう時に生活を支えるための制度です」
俺はさっきの男性の顔を思い出した。
仕事を辞めたいわけじゃない。むしろ、店が再開したら戻りたいと言っていた。
それでも、店が再開できなければ働けない。
「本人が頑張れば何とかなる、って話でもないんですね」
「そうですね。もちろん再就職などの支援もありますが、すぐに元の生活へ戻れるとは限りません」
「……大変だな」
白石さんも住宅地の方を見る。
「今はまだ、被害の全体像も分かっていませんから」
俺は自分の生活について考えてみた。
会社で働いて、給料をもらって、毎月投資をする。ある程度資産がたまったらFIREして、仕事を辞めても生活できるようにしたい。
今の目標は8,000万円。
その金額があれば、普通に暮らしていく分には十分だと思っている。
でも、もし自分の家が水に浸かって、車も使えなくなって、仕事までなくなったらどうなるんだろう。
もちろん、8,000万円もあれば、今回話した男性よりはずっと余裕があるはずだ。
それでも、家を直す費用や車の買い替え、仮住まいの費用なんかが一度に必要になったら、予定していた資産計画はかなり変わるだろう。
俺が考えていたのは、普通に生活できる状態で仕事を辞めるためのお金だった。
普通の生活そのものが壊れた時にどうするかまでは、あまり考えていなかった気がする。
「……俺のFIRE計画も、もうちょっと考えた方がいいのかな」
「何か言いました?」
「いや、こっちの話です」
白石さんが少し不思議そうな顔をしたけど、それ以上は聞いてこなかった。
ありがたい。
まだ自分でも、何を考えたいのかまとまっていない。
その時、排水作業の担当者から連絡が入った。
「空中スイマーさん、追加の機材をお願いできますか?」
「はい、行きます!」
俺は立ち上がり、白石さんと一緒に作業場所へ戻った。
追加のホースや機材を運び終えると、担当者たちはすぐに設置作業を始めた。
「これで排水、少しは早くなります?」
「条件が整えば、排水能力を増やせます」
「よかった」
俺は浸水した住宅地を見る。
まだ水位が大きく下がったようには見えないけど、少なくとも排水は進んでいる。
「水が引けば、みんな家に帰れるんですかね」
何となくそう聞いた。
隣にいた白石さんは、少し考えてから答えた。
「帰れる家もあります。でも、すぐには住めない家もあります」
「……そうなんですか」
「水が引いても、建物の安全確認や片づけ、修繕が必要になります。被害の程度によっては、住み続けるのが難しい場合もあります」
俺は住宅地を見つめた。
さっきの男性から、家電も車も仕事も失うかもしれないと聞いた。それでも、せめて水が引けば家には戻れると思っていた。
けれど、建物そのものが危険なら、片づけを始める前に住む場所を探さなければならない人もいる。生活を立て直すまで、一体どれくらいかかるんだろう。
俺は今日、何人もの人をワープで助けた。
それはよかったと思う。
でも、助けた人たちが明日からどうやって暮らしていくのか、俺には分からない。
「人を助けたら終わりだと思ってたんだけどな」
小さくつぶやく。
遠くでは、排水ポンプの音が続いていた。
水の中に並んでいる家を見ながら、俺はしばらくその音を聞いていた。
次回、第52話「助けた人、その後どうなった?」
次回更新:10月22日 12:10予定




