第50話 あ! ワープの人!
「あ! ワープの人!」
俺を指さしたのは、救助隊員に付き添われて移動していた男性だった。
周囲にいた人たちも何人かこちらを見る。水に浸かった道路のすぐ近くで、こんなふうに注目されるとは思わなかった。
「名前よりそっちで覚えられてるのか」
小さくつぶやくと、隣にいた救助隊員がこちらへ歩いてきた。
「空中スイマーさんですね。お待ちしていました」
「はい。何をすればいいですか?」
「まず、こちらで状況を説明します」
案内された場所には、救助隊の車両と数人の隊員が集まっていた。少し離れた道路は完全に冠水していて、ボートが住宅地の方へ向かっている。
川の水が住宅地へ流れ込んでいるのは高台からも見えたけど、近くまで来ると被害の大きさがよく分かる。
普段なら車が走っている道路に水があり、住宅の1階部分はほとんど見えない。街灯の光が水面に反射して、どこまでが道路なのかも分かりづらかった。
「俺、家まで直接行って、取り残されている人を連れてくればいいですか?」
「お願いしたいのはそれですが、こちらで指定した方からお願いします」
「順番があるんですか?」
「はい。救助済みの方、救助中の方、まだ確認できていない方を分けて管理しています。別の隊が向かっている場所もありますので、勝手に救助されると所在確認が難しくなります」
なるほど。俺が適当に人を見つけて運んでしまうと、後から救助隊がその家へ行って、誰もいないということになるのか。それは困る。
「じゃあ、俺も救助班の1人として動く感じですね」
「そうしてください。救助した方は、必ずこちらへ引き渡してください」
「分かりました」
説明を聞きながら、少し安心した。
俺は人を運ぶことならできるけど、どの家に誰がいるかなんて分からない。最初から全部自分で判断するより、こうして指示してもらった方がずっとやりやすい。
「最初はこちらです」
隊員が地図を見せてくる。
「2階に避難している高齢の女性が1人います。連絡は取れていますが、階段を下りるのが難しく、ボートでの救助にも時間がかかっています」
「分かりました。家はどこですか?」
隊員が建物の特徴と方向を教えてくれる。
ただ、地図を見ただけではワープできないので、俺は近くの安全な高所へ移動し、実際の住宅地を確認することにした。
「あの白い屋根の家です」
隊員が指さす。
「……あれですか?」
「はい。2階にベランダがあります」
雨のせいで見えづらかったけど、双眼鏡を借りて確認すると、確かに白い屋根とベランダが見えた。電子画面じゃないから、双眼鏡越しでも問題ない。
「ベランダに行けそうですね」
「玄関側は流れが強いので、そちらには近づかないでください。ベランダからの救助については、現地側でも確認が取れています」
「了解です」
救助後に戻る場所も確認する。さっきまでいた救助拠点の一角で、受け入れ担当の隊員が待機している。人が立ち入らないように区画を空けてもらい、そこを移動先にすることになった。
これなら運ぶ先で誰かにぶつかる心配も少ない。
「じゃあ、行ってきます」
ワープ。
一瞬で景色が変わった。住宅の2階、ベランダだ。
足元を確認してから窓を軽くたたく。
「すみませーん! 救助に来ました!」
少し待つと、窓の向こうに人影が現れた。高齢の女性だった。
俺の姿を見た瞬間、目を丸くする。
「えっ!?」
「空中スイマーです。救助隊から頼まれて来ました」
「ええっ、あのテレビの!?」
「はい。その人です」
自分で言うのも変だけど、説明としては間違っていない。
女性は窓を開けて、俺をまじまじと見た。
「本物なの?」
「本物です。今から安全な場所までお連れします」
「どうやって?」
「ワープで。一瞬です」
「ええ……」
そりゃそうなるよな。
俺にとっては毎日のことだけど、普通の人からすれば、突然現れた知らない男に一緒に瞬間移動しましょうと言われているわけだ。怖くない方がおかしい。
「救助隊の人が向こうで待っています。俺につかまってもらえれば、一緒に移動できます」
「落ちたりしない?」
「移動先は確認してあります。ただ、初めてだと驚くと思います」
事前に救助隊と確認した方法で女性の体を支え、本人にも動ける範囲を確認して、しっかりつかまってもらった。
ベランダからは、照明のついた救助拠点の受け入れ区画が見えていた。今も人が入り込んでいないことを確かめる。
「じゃあ、行きますよ」
「はい……」
「3、2、1」
ワープ。
景色が変わり、目の前には救助隊員がいた。
女性は俺につかまったまま、しばらく動かなかった。
「……え?」
「着きました」
「もう?」
「はい」
隊員がすぐに近づいてきて、女性を引き継いでくれる。
「お疲れさまでした。こちらへどうぞ」
「ええ……本当に?」
女性は何度も後ろを振り返りながら、隊員に付き添われて移動していった。
俺はその様子を見送ってから、次の指示を待つ。
「これ、かなり速いですね」
隊員が言った。
「ワープ自体は一瞬なので」
「ボートを使う場合は、接近や乗り移りにも時間がかかりますから」
「じゃあ、次もどんどん行きましょう」
そう言ったところで、隊員が手元の情報を確認した。
「次の対象については、まだ確認中です。少しお待ちください」
「え? 俺、もう行けますけど」
「分かっています。ただ、現地の状況と受け入れ先を確認する必要があります」
「ああ、なるほど」
待つこと数分。その間にも、近くでは救助隊が忙しく動いていた。
ボートが戻ってきて、別の隊員が出発する。無線では次々に連絡が入っているようだったけど、俺は手持ち無沙汰になってしまった。
さっきの女性を運ぶのにかかった時間なんて、ほとんど一瞬だ。それなのに次の救助まで数分待っている。
「なんか、俺だけ暇ですね」
近くの隊員に言うと、少し苦笑された。
「空中スイマーさんの移動が速すぎるんです」
「まあ、そうなんですけど」
「救助対象の確認や、受け入れ側の準備まで一瞬で終わるわけではありませんから」
それもそうか。
俺が速くても、救助全体が同じ速度になるわけじゃない。
「次、お願いします!」
声がかかった。
「はい!」
今度は別の住宅だった。
2階の窓から救助を求めている人がいるらしい。現地側で確認が取れていて、移動先も準備できている。
建物を実際に確認し、見えている安全な場所へワープする。
取り残されていた男性は俺を見るなり、
「本当に来た!」
と叫んだ。
「来ました。今から運びます」
「テレビで見たことあるぞ!」
「ありがとうございます。とりあえず避難しましょう」
そんな会話をしながら、男性を安全な場所へ運ぶ。
ワープ。
救助完了。
次は親子だった。
子どもは俺の水泳帽とゴーグルを見て、
「空中スイマーだ!」
と喜んでいたけど、お母さんの方は泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫です。救助隊の人が待っています」
お母さんが子どもを先にと頼んだので、まず子どもを安全な場所へ運んだ。
子どもはワープした瞬間、
「すげえ! もう1回!」
と叫んだ。
「いや、遊びじゃないから」
思わず返してしまう。
子どもを受け入れ担当の隊員に預け、すぐにお母さんも迎えに戻った。
お母さんは無事に再会できた子どもを抱きしめて、何度も頭を下げていた。
「ありがとうございました。本当に……」
「いえ、無事でよかったです」
こういう時、何て返せばいいのか分からない。
YouTubeならコメントに「ありがとうございます」と返せばいいけど、目の前で泣きながら感謝されると、ちょっと困る。でも、悪い気分ではなかった。
その後も救助は続いた。
確認済みの人がいて、安全な移動先があり、俺が実際に見える場所まで近づける。その条件がそろえば、救助自体はかなり速い。
救助隊も次第に俺の使い方に慣れてきたようで、確認が取れた場所から順番に指示が来るようになった。
俺も毎回何を確認すればいいのかが分かってきた。移動先、周囲の安全、救助対象の状態、接触方法、受け入れ担当。
それに、救助する場所から移動先が実際に見えるかどうか。見えなければ、安全な場所をつないで移動する。
条件がそろえば、あとはワープするだけだ。
「これなら、かなり助けられそうですね」
思わず言うと、近くの隊員もうなずいた。
「ええ。助かっています」
その時だった。
「あっち! あっちにも人がいるんです!」
避難してきた男性が、住宅地の奥を指さした。
「屋根の上に人がいるんです! さっき見えたんです!」
俺もそちらを見る。
少し離れた住宅の屋根に、雨の中でも確かに人影が見えた。
「いますね」
俺ならすぐに行ける。屋根も見えているし、近くまでワープして本人の状態を確認すればいい。
そう思って一歩踏み出しかけたけど、止まった。
「すみません、あそこ行っていいですか?」
救助隊員へ確認する。
隊員も屋根の方を見た。
「確認します。少し待ってください」
「はい」
また待つのか。
目の前に人がいる。俺なら数秒で近づけるのに、と思うと少しだけもどかしかった。
でも、今は勝手に動かないと決めている。
隊員が無線で連絡を取り、対象の位置や救助状況を確認する。
やがて返事が来た。
「別の隊が確認していた方です。こちらで救助を引き継ぎます」
「じゃあ?」
「お願いします。ただし、屋根の状態には注意してください。安全に接近できなければ戻ってください」
「了解です!」
ようやく出番だ。
俺は見えている屋根を確認する。いきなり人の隣へは飛ばず、まず足場を確保できそうな広い部分を探した。目に見える破損や大きな傾きがないことを確かめ、危なければすぐに引き返すつもりで移動先を決める。
ワープ。
屋根の上にいたのは、中年くらいの男性だった。
俺を見た瞬間、驚いた顔をする。
「えっ、どこから!?」
「空中スイマーです。救助に来ました!」
「ああ! ワープの!」
またそれだ。でも、今は説明が早くて助かる。
「救助隊から頼まれて来ました。安全な場所へ移動します」
男性は何度もうなずいた。
「頼む! もうずっとここにいて……」
「分かりました。大丈夫です」
接触方法を説明し、しっかりつかまってもらう。
ワープ。
無事に救助拠点へ戻ると、男性は地面に足が着いた瞬間、その場に座り込んだ。
「助かった……」
救助隊員がすぐに対応するのを見ながら、俺は少し考えていた。
もし、さっき勝手に飛んでいたらどうなっていただろう。
結果だけ見れば、同じように助けられたかもしれない。でも、別の隊が向かっていたら? 俺が誰をどこへ運んだのか、誰にも伝わっていなかったら?
救助する人が増えるほど、そういう確認は必要になる。
待つ時間が無駄なんじゃない。その時間も救助の一部なんだろう。
しばらくして、救助隊から休憩を勧められた。
「空中スイマーさん、少し休んでください。こちらでも次の対象を整理します」
「俺、まだ全然動けますよ」
「分かっています。ただ、受け入れ側の対応もありますので」
「なるほど」
そう言われると仕方ない。
俺は救助拠点の端へ移動し、配られた水を飲んだ。
雨はまだ降っている。遠くでは救助活動が続いていて、無線の声も途切れない。
ふと、近くにいた人から声をかけられた。
「あ、空中スイマーさん」
振り返ると、さっき助けた女性だった。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ。無事でよかったです」
「テレビで見た時は、すごい人がいるんだなって思ってたけど……まさか自分が助けてもらうなんて」
「俺も、まさかこんなことになるとは思ってなかったです」
女性は少し笑ってから、また頭を下げた。
その後も何人かに声をかけられた。
「あの、ありがとうございました」
「さっきの人ですよね」
「助かりました」
俺はそのたびに、どう返せばいいのか分からなくなる。
別に俺1人で助けたわけじゃない。救助隊が場所を確認して、受け入れ先を準備して、俺に指示を出してくれた。俺はその間をワープしただけだ。
近くにいた隊員に、ついそんなことを言ってしまった。
「いや、俺は運んだだけなんで」
隊員は少し笑った。
「その『運んだだけ』が助かります」
ああ、またそれか。
堤防のところでも似たようなことを言われたな。
俺は何でもできるわけじゃない。でも、できることだけをやっても、ちゃんと役に立つらしい。
そう考えると、少し気が楽になった。
救助された人たちは、安全な場所で次の移動を待っていた。
毛布をかぶっている人もいれば、濡れた服のまま座っている人もいる。家族に電話をかけている人や、子どもを抱いている人もいた。
みんな、とりあえず命は助かった。
「家、どうなるんだろうね……」
近くにいた女性が、隣の人へ話しかけていた。
「1階、全部水に浸かってたよ」
「車もダメだろうね」
「保険って、こういうの出るのかな……」
そんな会話が聞こえてくる。
俺は何となく、住宅地の方を振り返った。
道路も家も、さっきと同じように水に浸かっている。
あの人たちは助かったけど、家はあそこに残っている。車も家具も、普段の生活も全部だ。
ワープで人を運ぶことはできる。でも、家の中に入った水を全部なかったことにはできない。
「……これ、助かった後も大変だな」
思わずつぶやく。
白石さんが隣に来ていた。
「そうですね」
「水が引いたら終わり、じゃないですよね」
「はい。むしろ、その後も長く続きます」
俺はもう一度、浸水した住宅地を見る。
命が助かったのは間違いなくよかった。でも、元の生活に戻れるかどうかは、また別の話らしい。
遠くで救助隊員が俺を呼んだ。
「空中スイマーさん、次の救助をお願いします!」
「はい!」
俺は立ち上がる。考えるのは後だ。今は、まだ助けを待っている人がいる。
まずは呼んでいる隊員のところへ。移動先が見えることを確かめる。
ワープ。
次回、第51話「水が引いたら帰れると思ってた」
次回更新:10月21日 20:10予定




