閑話47.5 政府は松さんをどう扱う?
昼飯を食べたあと、私は松さんにワープで送ってもらい、政府の施設へ戻ってきた。
「ありがとうございました」
「いえいえ。じゃあ、また何かあったら連絡ください」
「はい。お疲れさまでした」
松さんは軽く手を振ると、その場を離れていった。
今日は松さんにとって休日だ。魚を捕って、焼いて食べて、配信する。なかなか充実した一日だったと思うし、私にとっても悪くない時間だった。
ただ、こちらの仕事はまだ終わっていない。このあと、今日の採捕記録に加えて、これまでの能力試験や航空案件、健康管理、今後の協力方針を報告する会議がある。議題のほとんどが松さんに関係している。
私は持ち帰った記録を整理し、会議室へ向かった。
「お疲れさまです、白石さん」
「お疲れさまです」
会議室には、すでに何人か集まっていた。対応チームの責任者、能力に関する情報を整理している担当者、医療連携の担当者。
私を含めて4人。
松さんから見れば、これだけでも政府の偉い人たちが集まっているように見えるかもしれない。
実際には、普段からそれぞれの仕事をしている担当者同士の会議だ。
ただ、扱っている案件が普通ではない。
「では、始めましょう。白石さん、本日の報告からお願いします」
「はい」
私は資料を開いた。
「本日、以前に高知県側へ確認した候補場所と条件で、2回目の魚の採捕試行を実施しました。松さん本人の移動にのみワープを使い、最終的な採捕はタモ網で行っています」
画面に記録写真を映す。魚種と採捕数、大きさを示し、今回の採捕方法について説明を続けた。
「前回は魚を見つけてから追いかけていましたが、今回はタモ網を構えた状態で、魚の直近へワープしています。網を数cm動かすだけで採捕に成功しました」
「なるほど。魚そのものは移動させていないんですね」
「はい。前回と同じです」
「今回の採捕数は?」
「1匹です」
少し間があった。
「……1匹?」
「はい」
「随分と小規模な試験ですね」
「昼食用ですので」
「なるほど。では、採捕方法について詳しくお願いします」
私は資料を切り替えた。
「今回確認できたのは、松さんが前回の経験をもとに、能力の使い方を改善しているという点です」
「能力そのものが強くなったということですか?」
「それは判断できません。今回変わったのは、能力の使い方です」
担当者が資料に視線を落とした。
「確かに、能力の出力が変化した証拠はありませんね」
「はい。ただ、松さん自身が経験から使い方を改善していることは確認できました」
「魚を捕るために?」
「はい。本人にとっては昼食のための工夫ですが、能力の利用方法としては記録する価値があると思います」
「分かりました。能力そのものの変化ではなく、運用方法の改善として整理しましょう」
私も、改めて考えると妙な話だと思う。
旅客機を丸ごと移動できる人が、魚を1匹捕るために能力の使い方を工夫している。
でも、松さんらしい。
「それでは、これまでの能力確認について整理しましょう」
責任者が話を進めた。
画面には、過去の試験結果が表示される。
最初は本人の移動。
物体の移動。
人を伴う移動。
そして、航空機。
「航空機については、かなり大きな進展がありましたね」
「はい。地上での停止状態、移動中、実際の飛行中と段階的に試験し、機内にいる松さん自身を含めて、機体全体を移動させられることが確認されています」
「運動状態を維持した移動も可能でしたね」
「はい。ただし、位置の誤差や飛行の安全性については、引き続き航空側の確認が必要です」
私は続けた。
「その後、一般のお客様100人を乗せた特別便も実施しました。予定されたワープは成功しています」
最初に飛行機の話を聞いた時は、正直、ここまで進むとは思っていなかった。
救助のために旅客機を移動した能力が、今では航空会社の商品として利用されようとしている。
それも、松さん本人が積極的に営業したわけではない。
航空会社が可能性を見つけ、関係者が安全性を確認し、松さんが協力した結果だ。
「能力の実用性は、かなり高いと言ってよさそうですね」
分析担当者が言う。
「ただし、現在確認できている条件での話です」
私は補足した。
「松さんが視認できる場所や、対象として認識できるものなど、能力の使用には条件があります。どのような状況でも自由に移動できるわけではありません」
「それに、本人もまだ能力のすべてを理解しているわけではない」
「はい」
できることは増えている。
それでも、何ができないのかを完全に把握できているわけではない。
そして、もう1つ。
私たちが特に注意しなければならないことがある。
「次に、健康面の報告をお願いします」
責任者が医療連携の担当者へ視線を向けた。
「はい。これまで実施してきた健康確認についてご報告します」
私は資料を閉じ、説明を聞く側に回った。
「まず、現在までの確認では、能力使用に伴う明らかな健康被害は報告されていません」
「航空機の移動後もですか?」
「はい。航空試験後の確認でも、頭痛、めまい、吐き気、強い疲労感などの訴えはありませんでした。一般客を乗せた特別便の後にも体調確認を実施しています」
私はうなずいた。
あの時も、松さんは元気そうだった。
むしろ、飛行機のワープ体験が商品として売れることに興味を持ち、報酬の話ばかり気にしていたくらいだ。
もちろん、元気そうに見えたから問題ない、という話ではない。
「ただし、現時点で異常が見つかっていないことと、長期的に安全であることは別です」
医療担当者が続ける。
「能力の仕組みそのものが解明されていません。長期間の使用による影響や、通常とは異なる条件で能力を使用した場合の負担については、まだ十分な情報がありません」
「つまり、今のところ問題は確認されていないけれど、将来も大丈夫とは言えない」
「その通りです」
責任者が腕を組む。
「今後も能力を使った仕事は増えるでしょう。政府としては、可能な限り長く健康に活動してもらいたい」
「はい。そのためにも、継続的な確認が必要だと考えています」
長く。
健康に。
松さんから見れば、政府が自分を長生きさせようとしているように見えるかもしれない。
実際、その考えは間違っていない。
能力を利用したいという理由もある。
でも、それだけではない。
政府が継続的に協力をお願いしている以上、その活動によって本人が健康を損なうようなことは避けなければならない。
「定期的な健康確認と、必要な活動後の確認を続ける方針に変更はありません。ただし、検査の必要性は活動内容に応じて判断します」
「本人の同意については?」
「これまでと同じです。検査も情報共有も、原則として本人の同意を前提とします」
私は確認した。
「医療情報の扱いも変わりませんね?」
「はい。詳しい医療情報は医療側で管理し、対応チームには活動上の安全確認に必要な範囲を共有します」
それなら問題ない。
松さんも、この条件を確認したうえで健康管理の体制に同意している。
「白石さん。本人は健康管理について、どのように受け止めていますか?」
「必要性は理解しています。ただ、過剰な検査や日常生活への介入は好まないと思います」
「毎週検査を受けるような運用は難しい?」
「難しいと思います。以前も、毎週採血するような話ではないかと心配していましたので」
「必要のない検査を増やすつもりはありません。活動内容に応じて判断します」
私自身も、毎週病院に来るように言われたら嫌だ。
それが能力の研究のためだと言われれば、なおさらだろう。
「では、人物面についてはどうでしょう」
責任者が次の資料を開いた。
「白石さんが最も接する機会が多いと思います。松さんは、どのような人物ですか?」
少し考えた。
能力についてなら、記録を見ればある程度分かる。
でも、性格となると難しい。
「まず、報酬には非常に関心があります」
「それは記録からも分かりますね」
「はい。本人はFIREを目指しており、能力の商業利用も、そのための副業として考えています」
「世界でも例のない能力を持っているのに、目的は早期退職ですか」
「本人にとっては、そこが重要なのだと思います」
「名誉や地位には?」
「少なくとも、今のところ強い関心は見られません。注目を集めること自体は、YouTube活動にも関係していますが、自由な時間を増やすことを優先しています」
私は航空会社との打ち合わせを思い出した。
月1回。
約1時間。
飛行機4機。
松さんは、より多くの飛行機を移動できるかどうかだけではなく、自分の休日がどの程度使われるかを気にしていた。
「時間に対するこだわりも強いです」
「それはどういう意味ですか?」
「仕事をしたくないというより、自分の時間を自由に使える状態を大切にしています。高額な報酬が得られるとしても、仕事のために長時間拘束されることは望んでいません」
「なるほど」
「それから、本業も続けています」
「航空案件で大きな報酬を得ても?」
「はい。今のところ、会社員を辞めるつもりはないようです」
責任者がうなずく。
「我々の側から見れば、能力を持つ彼が政府や企業の仕事に専念してくれた方が都合はいい」
「そうですね」
「ただ、それを本人が望んでいるわけではない」
「はい」
私ははっきり答えた。
「松さんは、今の生活を簡単に変えることを望んでいません。会社員として働き、休日には好きなことをして、その一部で能力を使う。それが現在の生活です」
「政府の専属職員になってもらう、という話ではありませんからね」
「はい。契約上も、本人の同意と本業の尊重が前提です」
松さんが今の生活を続けたいのなら、それを守る必要がある。
少なくとも、こちらの都合だけで変えるべきではない。
「一方で、人命救助への協力には前向きですね」
「はい。ただ、何でも引き受けるわけではありません」
私は過去の活動を思い返した。
事故現場での救助。
航空機の緊急対応。
その一方で、専門家の判断が必要な部分については、自分がすべてを決めようとはしない。
「松さんは、自分の能力でできることと、自分には判断できないことを分けようとしています」
「例えば?」
「飛行機をワープさせることはできます。でも、操縦や航空管制については専門家に任せています。能力があるからといって、すべてを自分で解決できるとは考えていません」
「それは良い傾向ですね」
「はい。ただ、本人の判断だけで危険性を把握できるとは限りません。そこは私たちが情報を整理する必要があります」
責任者が資料に目を落とした。
「能力の使用機会が増えれば、政府や民間からの依頼も増えるでしょう。そのとき、本人にどこまで協力をお願いするかが課題ですね」
「私は、今の方針を維持するべきだと思います」
責任者がこちらを見る。
「理由を聞かせてください」
「松さんの能力は、本人の意思で使われています。政府が管理できる設備ではありませんし、代わりの方もいません。長く協力していただくためには、本人が納得して引き受けるかどうかを決められる関係を保つ必要があります」
「協力を求めすぎないことが、長い協力につながるということですね」
「はい。それに、松さんが普段どおり生活できること自体が大切だと思います」
「普段どおり、ですか」
「今日も魚を捕って、焼いて食べていました。能力は特別ですが、本人がしたかったのは普通の昼食です」
「白石さんから見ても、普通の人ですか?」
私は少し考えた。
「考え方に独特なところはありますが、自分の生活を大切にしている方だと思います」
「分かりました。新しい案件はこれまでどおり、本人の希望と健康面、安全性を踏まえて、その都度相談しましょう」
「承知しました」
これで主な議題は終わった。責任者は資料を閉じ、少し表情を緩めた。
「しかし、改めて考えると不思議ですね」
「何がでしょうか?」
「旅客機を移動させた人物について、政府がここまで検討している。それなのに今日の活動は魚捕りですか」
「はい」
「しかも、1匹」
「……はい」
「ずいぶん平和な報告ですね」
私は少し笑った。
「私は、それでいいと思っています」
責任者がこちらを見る。
「と言いますと?」
「毎回、国家規模の仕事をしてもらう必要はないと思います。本人が魚を捕りたいなら、問題のない範囲で魚を捕ればいいですし、休みたいなら休めばいい」
少しだけ考える。
「そういう生活を続けられるようにすることも、私たちの仕事なのだと思います」
責任者はしばらく黙ってから、うなずいた。
「そうですね」
会議が終わり、私は資料をまとめて席へ戻った。今日の採捕記録と能力の使い方の変化、健康管理の継続、今後の協力方針を報告書に整理する。
記録を入力していると、昼間の海と焼いた魚、おにぎりを思い出した。
それから、先日、自分で口にした言葉。
『仕事半分、遊び半分』
あのときは深く考えていたわけではなかったけれど、今日の活動は確かにその通りだった。仕事として必要な確認を済ませてから、松さんと一緒に昼食を食べた。
配信が終わってからも、少し海を眺めていた。
私も、普通に楽しかった。
「……さて」
報告書を保存する。
松さんは今ごろ何をしているだろう。
もう家に帰っているかもしれない。
配信の記録を見直しているかもしれないし、何もせず休んでいるかもしれない。
いずれにしても、こちらから新しくお願いすることはない。
少なくとも、今日は。
私は政府端末を机に置き、次の仕事に取りかかった。
次回、第48話「雨が止まない」
次回更新:10月20日 12:10予定




