第42話 150万円もらっても、今日も出勤です
数日後の朝。いつもの時間に起きて、着替え、朝飯を食べ、荷物を確認して出勤する。
「……普通だな」
数日前、一般のお客さんを100人乗せた飛行機を3回ワープさせ、報酬は150万円。そして今日は、アルターク九州本部へ出勤だ。
いつもの職場、いつもの机、いつもの仕事。
落差がすごい。
「おはようございます」
「おはよう」
席についてパソコンを起動する。メール、資料、数字、予定。
ワープなし。当然だけど。俺がクリックしても、Excelの数字は瞬間移動してくれない。
「松さん、昨日のこれ見た?」
「何ですか?」
「空中スイマーの飛行機」
「ああ」
来た。同僚の画面にはニュースと、見覚えしかない飛行機。
『世界初のワープ体験便』
俺。乗ってた。
「10万円だって」
「高いですね」
言ってから、ちょっと変な感じがした。俺も最初そう言った。
「でも乗ってみたくない?」
別の人が会話に入ってくる。
「いや、10万は高いだろ」
「でも世界初だぞ」
「世界初じゃなくなったら?」
「世界で1人しかできないなら、2回目でも珍しいだろ」
「俺なら旅行に10万使う」
「俺は1回くらいなら乗りたい」
全部、アンケートで聞いたことがある。
「松さんは?」
「俺?」
「10万払って乗る?」
「うーん」
乗った。むしろ150万円もらった。
「1回くらいなら、ありかもしれないですね」
「だよな」
「いや高いって」
意見が割れる。それも知ってる。
「てかさ」
「はい」
「空中スイマーって、あれでいくらもらってんだろ」
来た。
「どうなんですかね」
「100万くらい?」
惜しい。
「そんなもらうか?」
「飛行機丸ごとワープできるんだぞ」
「でも3回くらいだろ?」
そう。俺もそう思った。
「時間じゃないんじゃない?」
「何が?」
「3回ワープする時間じゃなくて、そいつがいないと商品にならないから払うとか」
「なるほど」
めちゃくちゃ正解。航空会社の人ですか?
「じゃあ200万とか?」
150万です。言えない。
「夢あるなあ」
「ワープできたら会社辞めるわ」
誰かが言った。
「分かる」
「絶対辞める」
「俺ならその日辞める」
「いや、せめて引き継ぎしろよ」
「ワープできるのに引き継ぎする?」
「能力関係ないだろ」
笑いが起き、俺も笑う。でも、少し引っかかった。俺だったら会社を辞める。普通なら、そうなのかもしれない。
「松さん、これ確認お願い」
「あ、はい」
仕事に戻り、資料と数字を確認する。
「ここ、前月比じゃなくて前年比になってる」
「あ」
「直しといて」
「すみません」
飛行機をワープさせても、資料は間違える。普通に直す。
午前中はそのまま仕事をする。メールを返し、数字を確認し、資料を直す。途中で電話や会議もあり、能力は一度も使わないまま昼休みになった。
飯を食べながら、朝の会話を思い出す。ワープできたら会社を辞める。
「……」
俺は辞めたいのか。FIREはしたい。それは変わらない。目標は8,000万円で、金融資産を作って会社に行かなくても生活できる状態になる。そこは最初から同じ。でも、今すぐ今日辞めたいかと言われると。
「違うな」
小さく言う。会社が大好きだからでも、仕事が生きがいだからでもない。嫌な日だってあるし、朝行きたくない日もある。休みは普通に嬉しい。じゃあ、なんでだろう。少し考える。もし今日会社を辞めたら、明日から何をする?
YouTube、政府からの連絡、救助、航空会社との打ち合わせ、企業からの相談、能力の実験。配信して、また政府、またワープ。
「……」
全部。ワープだ。朝起きて。
ワープ。
昼も。
ワープ。
休みの日も。
ワープ。
俺の生活そのものが空中スイマーになる。
「それは」
まだ違う。ワープは好きだ。便利で、面白くて、金にもなる。人生を変えてくれた。でも、人生全部をワープにしたいわけではない。今はまだ。会社に来れば。
俺は普通の会社員。誰も。飛行機をワープさせてください。
とは言わない。資料を見て。数字を直して。
会議して。昼飯を食う。能力と関係ない話をする。
それがある。
「鎖か」
言葉にすると。ちょっと物騒だけど。たぶん。
近い。本業。俺を会社につないでいる鎖。
でも。今の俺には。俺を普通の生活につないでいる鎖でもある。
能力を手に入れて。YouTubeを始めて。政府と話して。
人を助けて。飛行機までワープさせた。変化が。
早すぎる。だから。全部一気に変える必要はない。
普通に仕事をしながら。少しずつ。慣れる。
空中スイマーになった自分に。ワープで金を稼ぐ自分に。政府から連絡が来る自分に。
150万円の報酬を見ても。次の日に普通に出勤する自分に。
「それでいいか」
FIRE。したくなくなったわけじゃない。むしろ。
前より近づいている。でも。FIREする時は。
勢いで会社を辞める時ではない。この鎖がなくても。俺が俺の普通を保てる。
そう思えた時。その時に。自分で外せばいい。
「松さん?」
「はい?」
「何難しい顔してんの」
「FIREについて考えてました」
「昼休みに?」
「昼休みだから」
「休めよ」
「はい」
午後も普通に仕事をして、そのままちょっと残業。
「ワープで帰れたら楽なんだけどな」
これは使う。退勤後、人のいない場所まで移動し、周囲を確認する。
ワープ。
帰宅。
「便利」
会社員生活を守るために。通勤だけは能力を使う。そこはいい。
家に着いて政府端末を見ると、通知が1件。
白石さん。
『次回の航空試験について、候補日が届きました』
「お」
開く。約3週間後。
「まだ結構あるな」
『松さんの勤務予定を優先して調整します。急ぎではありません』
「了解です」
送る。少しして。返信。
『それと』
「?」
『先日の昼食ですが、ごちそうさまでした』
「今?」
『言っていなかったので』
そういえば。払った。普通の定食。
「また行きましょう」
送る。少し待つ。
『予定が合えば』
「……」
前と同じ。でも。悪くない。
スマホを見る。政府端末を見る。仕事用のものを見る。
会社員。YouTube。政府協力。
航空会社。
ワープ。
色々増えた。数か月前なら。想像もしていなかった。
それでも。明日。平日。
「出勤か」
ちょっと面倒。でも。今は。
それでいい。ワープが俺の日常になるんじゃなくて。俺の日常の中に。
ワープがある。そのくらいの距離で。もう少し。
やってみようと思う。
次回、第43話「今日は飛行機、ありません」
次回更新:10月17日 12:10予定




