第35話 飛行機って丸ごといけるんだ
『機体を安全区域へ移動してください』
「了解」
政府端末から聞こえた白石さんの声に答える。目の前には、こちらへ近づいてくる旅客機。その向こうには滑走路。
少し離れた場所には、航空側が確保した安全区域。消防車。救難車両。
待機している人たちも、飛行機も、全部見えている。
置く場所も。
「……よし」
一度、飛行機を見る。次に安全区域。もう一度、飛行機。
『空中スイマーさん』
「はい」
『最終確認です。異常を感じた場合は中止してください』
「分かりました」
俺は旅客機を見る。でかい。本当にでかい。
翼、胴体、エンジン、窓。あの中に乗員も乗客もいて、荷物もある。
燃料も積んでいる。
1個ずつ動かすわけではない。
昔。石を袋へ入れた時。中の石を1個ずつ意識しなくても、
『石の入った袋』
としてまとめてワープできた。なら。これも。
「飛行機一機」
そう考える。翼だけでも、胴体だけでもない。
中にいる人も、座席も、荷物も。
全部含めて。
「1個」
さすがに。人生で旅客機を指さして、
『1個』
と考える日が来るとは思わなかった。でも。感覚としては。
いける。
「速度は」
飛んでいる。かなり速く、その勢いもある。
「ゼロ」
置く場所を見る。安全区域で、周囲に人はいない。
消防も離れて待機。そこへ。地面すれすれ。
完全に空中ではなく。でも、いきなり地面へめり込むような位置でもなく。
「……いきます」
『お願いします』
白石さん。短い。それで十分だった。
俺は旅客機を見る。意識する。飛行機一機。
中身ごと。そのまま。速度だけ置いていく。
「ワープ」
消えた。
「……」
さっきまで旅客機が飛んでいた空には、もう機体がない。
少し離れた安全区域に、同じ旅客機が現れる。
速度はゼロ。機体がほんのわずかに落ち、下面が地面に触れた。
ドン。
鈍い音がして、機体が少し揺れた。
「……」
でも。走らない。滑らない。
何100メートルも火花を散らさない。その場に。旅客機がある。
置かれている。
「……いけた」
思わず声が出た。自分でも。びっくりするくらい小さい声だった。
『機体停止を確認』
政府端末から声。
『消防、接近開始』
周囲が一気に動く。消防車。救難車両。
人。さっきまで待っていた車両が、旅客機へ向かっていく。
「俺、もう何もしなくていい?」
『その場で待機してください』
「了解」
俺は動かない。ここから先は。俺の仕事じゃない。
火が出ていないか。燃料漏れはないか。機体がどこまで傷んでいるか。
中の人は大丈夫か。そういうのは。消防。
救急。航空側。専門家が確認する。
俺は遠くから旅客機を見る。
「……」
さっきまで空を飛んでいた。今は地面にいる。これだけ見ると。
普通に着陸したようにも見える。脚が出ていないことを除けば。
「飛行機、ほんとに動いたな」
今さらだった。できると思った。だからやった。
でも。実際に旅客機一機が目の前から消えて。別の場所へ出ると。
さすがに。
「俺の能力、やっぱり変だな」
『今気づいたんですか』
政府端末の向こうで、白石さんが返す。
「前から知ってました」
『ならいいです』
救助側の人たちが機体へ近づく。ドア。乗員。
乗客。確認。遠くなので全部は見えない。
ただ。動きは続いている。
「中、大丈夫ですかね」
『現在確認中です』
「……」
待つ。ワープした時間は1秒もない。でも。
この待ち時間は長い。機体を動かせた。だから成功。
ではない。中の人が怪我をしていたら。どこか壊れていたら。
俺が想像していない問題が起きていたら。
「……」
『空中スイマーさん』
「はい」
『乗員乗客の確認が進んでいます』
「はい」
一瞬。
呼吸を止める。
『現時点で、今回の移動による重大な負傷は確認されていません』
「……」
力が抜けた。
「良かった」
それだけだった。本当に。それだけ。
旅客機を丸ごとワープできたことより。ちゃんと人が無事だった。そっちの方が。
今は大事だった。
『空中スイマーさん自身はどうですか』
「俺?」
『はい』
「なんともないです」
『頭痛は』
「ないです」
『めまい』
「ないです」
『吐き気』
「ないです」
『強い疲労感は』
「ないです」
「……」
少し間。
「飛行機助けた直後に俺の健康チェックするんですね」
『そのために体制を作りました』
「仕事早いな」
『念のため、今回の対応後に簡単な確認を受けてください』
「はい」
ついこの前、俺の家まで来て説明された医療体制。大きな救助のあとには、必要に応じて体調を確認する。そういう話だった。
まさか。こんなに早く実際に使うとは思わなかった。俺はもう一度旅客機を見る。
「……これ」
『はい』
「旅客機でも重量の限界来なかったですね」
『今そこですか?』
「いや、だって」
飛行機を見る。
「でかいじゃないですか」
『はい』
「これ丸ごといけるなら」
一瞬。
想像が広がる。飛行機。もっと大きい物。
船。建物。コンテナ。
「どこまでいけるんだろ」
『今は能力試験を始めないでください』
「やりませんよ」
さすがに。今日このあと、
『じゃあ次はもっと大きい物を動かしてみます』
とはならない。
「じゃあ俺、帰っていいです?」
『もう少し待ってください』
「はい」
まだ確認が残っているらしい。俺は安全区域から離れたところで待つ。しばらくして。
現地で対応していた政府側の職員が、少し慌ただしい様子で近づいてきた。
「空中スイマーさん」
「はい」
「一点、確認いただきたいものがあります」
「何です?」
差し出されたタブレット。画面には。テレビ。
「……テレビ?」
「はい」
ニュース番組だった。画面には空港。俺がいる空港。
テロップ。
『着陸装置トラブルの旅客機 緊急着陸へ』
「報道されてたんですね」
まあ。飛行機のトラブルだ。それはニュースになる。
「これが何か?」
「少し前の映像です」
映像が巻き戻される。旅客機。空を飛んでいる。
アナウンサーの声。
『現在、対象の旅客機が空港へ接近しています。空港では消防車両などが待機し――』
旅客機が降りてくる。俺もさっき見ていた光景。そして。
消える。
『あっ』
アナウンサーの声が止まる。
『……』
スタジオも。止まっていた。
『今、機体が……』
数秒。
『機体が、映像から消えました』
「……」
俺は見ている。自分がやったので。何が起きたのか分かる。
でも。何も知らずに見ると。
「怖いなこれ」
本当に。飛行機が消えていた。そして。
カメラが切り替わる。別角度。
『待ってください』
『滑走路付近に――』
画面の端。さっきまで空にいた旅客機。もう地上にいる。
『機体があります』
『先ほどまで上空を飛行していた旅客機とみられます』
『一体、何が起きたのでしょうか』
俺は。少し笑いそうになった。
「分からんよな」
説明なしで見れば。本当に意味不明だ。飛行機が空から消える。
次の瞬間。地上。そして。
画面がまた変わった。遠くから撮った望遠映像。消防車。
旅客機。そのさらに離れた場所。
「……」
人影。水泳帽。ミラーゴーグル。
マスク。無地の服。
「……俺だ」
『現場には、政府と協力関係にある「空中スイマー」とみられる人物の姿も確認できます』
「……」
アップになる。完全に。俺。
「すげえ不審者だな」
自分で言ってしまった。旅客機の緊急事態。消防車。
政府関係者。その中に。水泳帽。
ミラーゴーグル。マスク。
「なんでこんな格好なんだろ」
いや。自分で決めた。身バレ防止。
安い。家にあった物中心。ちゃんと理由はある。
でも。テレビ映えは最悪だった。
「100人以上助けても見た目不審者なんだな」
目の前の政府職員が、何とも言えない顔をした。
「否定してくださいよ」
「……活動上必要な装備だと認識しています」
「それ否定してないですよね」
そこへ。手元の政府端末から白石さんの声が入った。
『空中スイマーさん』
「はい」
『こちらにも報告が入りました。今回の件について、すでに各社から問い合わせが来ています』
「俺、配信してないですよ」
『はい』
「なのに全国に映ってる」
『今回は配信する必要がありませんでした』
「……」
その言葉。妙に残った。最初の頃。
俺は。必死でスマホを持っていた。
『本当にワープできます』
と言って。実際にワープして。それでも。
『編集』
『仕掛け』
『ワープかは分からない』
と言われた。同接。1人。
3人。6人。縄跳びまでした。
それでも。信じてもらえなかった。今は。
俺は配信をしていない。カメラも回していない。コメント欄もない。
それなのに。テレビ局が勝手に撮って。全国へ流している。
飛行機が消えたところまで。
「有名になるって」
『はい』
「こういうことなんですね」
『少なくとも、以前とは状況が違います』
「ですね」
現地の政府職員が持つタブレットを見る。ニュース番組では。専門家らしい人が呼ばれていた。
『映像を見る限り、飛行中の機体が突然消失し、その直後に地上で確認されています』
「俺の方が詳しいな」
政府端末の向こうから白石さんが返す。
『当然です』
『ただ、現在の映像だけで原因を断定することはできません』
「“空中スイマーがやりました”って言えばいいのに」
『政府側の正式発表前です』
「俺ここにいるのに」
『報道側からは確認できません』
「めんどくさいな」
別の番組。
『空中スイマーが旅客機を救出か』
「“か”なんだ」
『正式確認前です』
「便利だな、“か”」
タブレットを現地職員へ返す。
「SNSもすごそうですね」
「かなり反応が出ています」
「見ない方がいい?」
「今は業務を優先してください」
「はい」
でも。想像はできる。
『は?』
『飛行機消えた』
『空中スイマーじゃね?』
『旅客機までいけるの?』
『人ごと?』
『何人乗ってるんだよ』
『水泳帽いる』
最後だけは絶対ある。
「水泳帽でトレンド入りしたら嫌だな」
端末の向こうで白石さんが答える。
『可能性はあります』
「そこは否定して」
『事実として可能性があります』
「白石さん冷たい」
『業務中です』
そうだった。少しして。救助された乗客たちの移動も進む。
その中の誰かが撮ったらしい映像が、早くもネットへ上がり始めたという。
「機内?」
『はい』
政府側で確認できた映像を見せてもらう。窓側から撮られた短い動画。機内。
緊張した声。窓の外には空。乗客は着陸に備えている。
そして。
一瞬。
景色が変わる。空。から。
地面。
「……」
撮っていた本人も。
『え?』
としか言っていない。周り。
『着いた?』
『何?』
『今の何?』
普通なら。高速で降りて。滑走路。
減速。そういう流れがある。でも。
ない。空から。地面。
途中が消えている。
「中から見るともっと変だな」
『映像だけでも、乗員乗客ごと移動したことはかなり分かりやすいですね』
「これ広まります?」
『すでに広まっています』
「早」
もう止められない。俺が配信する必要は。本当になかった。
しばらくして。政府側から移動していいと連絡が来た。
「じゃあ帰ります」
『その前に医療確認を』
「あ」
『忘れていましたね』
「忘れてました」
簡単な確認。問題なし。体調。
問題なし。異常なし。ようやく終了。
空港を出る。
「会社戻れるかな」
時間を見る。
「……微妙だな」
世界初かもしれない旅客機丸ごとワープをした直後。考えていることが。会社へ戻る時間。
「会社員だなあ」
結局。勤務先には政府側から連絡が入っていて、その日はそのまま戻らなくてよいことになった。
「助かる」
帰宅。服を着替える。水泳帽。
ゴーグル。マスク。外す。
テレビをつける。
「……やってる」
どの局も。飛行機。飛行機。
空中スイマー。また飛行機。
『旅客機が突然消失し――』
『政府と協力関係にある空中スイマーが――』
『乗客が撮影したとみられる映像では――』
「すごいな」
自分のことなのに。少し他人事みたいだった。テレビの中。
また。あの映像。空を飛ぶ旅客機。
消える。地上に現れる。そして。
安全区域の端に。水泳帽。ゴーグル。
マスク。
「……」
何度見ても。
「不審者だな」
救助した本人なのに。全然ヒーローっぽくない。もうちょっと。
格好。考えた方がいいのかもしれない。
「でも金かかるしな」
結論。まだ水泳帽でいい。テレビでは。
『今回の件で、大型旅客機そのものを移動できる能力が確認され、今後の輸送への応用にも注目が集まりそうです』
「可能性じゃなくて動かしました」
テレビへ言う。当然返事はない。その時。
政府端末。
「ん?」
白石さん。
『本日はありがとうございました』
『乗員乗客について、現時点で今回の移動に起因するとみられる重大な負傷は確認されていません』
「良かった」
改めて。安心する。続き。
『また、今回の航空会社から松さんへ、お礼を直接お伝えしたいとの申し出があります』
「それは別に」
救助相手から礼をもらうためにやったわけではない。ただ。その次。
『併せて、別件で相談したい事項があるとのことです』
「別件?」
電話する。すぐ白石さんが出た。
「お疲れさまです」
『お疲れさまです』
「相談って何です?」
『今回救助した航空会社からです』
「事故の確認?」
『いいえ』
「じゃあ何?」
一瞬。
白石さんが間を置いた。
『今回のような機体の移動を』
「はい」
『緊急時ではなく、通常の旅客輸送に利用できないか、という相談です』
「……」
テレビを見る。旅客機。今日。
俺が丸ごと動かした飛行機。
「通常の?」
『はい』
「飛行機を?」
『はい』
「俺が?」
『そういう相談です』
「……」
救助。全国ニュース。航空会社。
通常輸送。頭の中で。全部つながる。
そして。最初に出てきた感想は。
「それ」
少し考える。
「仕事になるんですか?」
『商業利用の相談ですので、そうなる可能性はあります』
「……」
俺はテレビを見る。画面ではまだ。
『今後の輸送への応用にも注目が――』
とか言っている。俺の政府端末では。もう。
次の金の話が始まっていた。
「飛行機って」
旅客機を見る。
「金になるんだ」
次回、第36話「航空会社から相談が来ました」
次回更新:10月13日 20:10予定




