第34話 飛行機の脚が出ないらしい
午後。俺は普通に仕事をしていた。パソコンの画面には、いつもの数字。
ワープも、政府も、飛行機もない。
少なくとも、その時までは。
「松さん、これ確認お願い」
「はい」
渡された資料を見て、数字を確認して入力する。
また確認。最近、俺の生活には妙なものが増えた。YouTube。
政府、空中スイマー、個人事業。
白石さん。自宅へ政府の医療担当まで来た。それでも会社へ来れば、仕事は普通にある。
世界で1人かもしれないワープ能力者でも、数字が合わなければ確認しないといけない。
「ここ、合ってます」
「ありがとう」
「はい」
返す。その時。ポケットの中で、短く振動した。
「ん?」
スマホ――ではない。政府から貸与されている端末だ。
画面を見る。
『緊急・協力可否確認』
「……来た」
今までの事務連絡とは違う。すぐに立ち上がる。
「すみません、ちょっと外します」
「はいよ」
人の少ない場所へ移動して、端末を確認する。ほぼ同時に着信。白石さんだった。
「はい」
『松さん、今お話できますか』
声が違う。この前、俺の家でお茶を飲んでいた時の白石さんではない。完全に仕事の声。
「大丈夫です」
『現在、国内線の旅客機で着陸装置の異常が発生しています』
「……飛行機?」
一瞬。
意味が入ってこなかった。
「旅客機って」
『はい。乗客が搭乗している旅客機です』
「脚が出ないとか、そういう?」
『現在確認されている内容では、その可能性があります。ただし、航空側で対応を継続中です』
急に話の規模がおかしくなった。この前まで。1人を危ない場所から移動する。
そんな救助をしていた。今回は。
「何人乗ってるんです?」
『人数も含めて、必要な情報を整理しています』
「俺に何してほしいんです?」
『現時点では、まだ何も』
「え?」
『まず、協力可能かどうかの確認です』
「ああ」
少し安心した。飛行機で異常。だから即、
『空中スイマー、お願いします』
ではないらしい。
『乗員側では通常の手順に基づく対応が続いています。空港側も緊急着陸に備えています』
「じゃあ俺は?」
『それでも解決しなかった場合に備えた追加の選択肢です』
「なるほど」
それなら分かる。俺は飛行機を操縦できない。航空事故の専門家でもない。
脚が出ない時に何をすればいいのかも知らない。そこを俺が、
『ワープできるので任せてください』
と言い始めたら危ない。
「行けます」
『現在勤務中ですよね』
「はい」
『勤務先側には、こちらから必要な調整を入れます』
「お願いします」
通話を切らず、そのまま仕事場へ戻る。俺が何か言うより先に。
「松さん」
上司から呼ばれた。
「はい」
目が合う。何か来たらしい。
「ちょっといい?」
「はい」
少し離れる。
「また例のやつ?」
「たぶん」
俺自身も詳しい事情を会社へ説明できない。上司も俺が空中スイマーだとは知らない。ただ。
国レベルの何かで、急に勤務調整が必要になる可能性がある。それだけは上の方から伝わっている。
「行かないとまずい?」
「今のところ、行けるか確認されてる段階です」
「なら行ってこい」
「いいんですか?」
「上からそういう時は対応しろって言われてる」
「すみません」
「戻れそうなら戻ってきて」
「はい」
会社員、政府案件、旅客機。
並べると意味が分からない。急いで自分の席へ戻り、仕事を最低限引き継ぐ。
「すみません、これ途中なんですけど」
「大丈夫。行ってきて」
「お願いします」
荷物を持って建物を出ると、政府端末から白石さんの声が入る。
『移動できますか』
「できます」
『配信は』
「しませんよ」
即答した。今日は遊びじゃない。
『念のためです』
「事故現場でYouTube始めるほど数字に飢えてないです」
『分かりました』
「俺が行ってることは公開するんです?」
『現時点ではこちらから積極的に公表する予定はありません』
「じゃあ普通に裏で助ける感じ?」
『状況次第です』
「了解」
人気のないところまで移動する。いつもの活動用の格好になる。水泳帽。
ミラーゴーグルとマスク。政府案件でも格好は同じだ。
「準備できました」
『今回は機体を追う必要はありません』
「え?」
『対象機は、緊急着陸に備えて指定された空港へ向かっています。松さんには先に空港へ入っていただきます』
「そっち来るんだ」
『はい』
「じゃあ待ってればいい?」
『航空側としても、その方が安全に確認できます』
「分かりました」
指定された空港までは、もう何度もやった方法で移動する。座標へ直接飛ぶわけではない。見える場所をつなぐ。
ワープ。
またワープ。街。道路。
遠くに空港施設。さらに近づく。
ワープ。
最後は事前に指定された、人のいない場所へ降りた。そこにはすでに政府側の人間が待っていた。
「空中スイマーさんですね」
「はい」
確認を終える。そこから車で、一般客の入れない区域へ移動した。
「……」
車窓の向こう。消防車。救難車両。
普段なら近くで見ることもない車両が並んでいる。
「本当に事故なんだな」
今さら実感した。案内された場所へ着く。滑走路そのものではない。
離れた、安全が確保された待機区域。そこからなら。広い滑走路が見える。
航空側が候補にしている、安全を確保した区域も見える。そして。飛行機が進入してくれば、こちらから直接見ることができる。
「ここなら」
俺は周りを見る。
「飛行機も、置く場所も見える?」
『そのための位置です』
政府端末から白石さん。
「なるほど」
能力的には、空を追いかけるよりずっといい。今回は、飛行機も置く場所も見えている方がいい。
特に置く場所が見えないと話にならない。だから空港へ先回りして、対象が来るのを待つ。
「普通に待ち伏せですね」
『言い方はともかく、そうです』
航空会社側の担当者。空港側。政府。
いろんな人が動いている。でも俺は。待つ。
「俺だけ暇だな」
『必要になるまでは、それでいいです』
「はい」
しばらくして。政府端末へ状況更新が入る。
『松さん、乗員側で代替手順も含めて対応しましたが、着陸装置の正常な展開を確認できていません』
「じゃあ、このままだと」
『航空側では、着陸装置を使用できない前提でも準備を進めています』
「分かりました」
その少し後、また新しい説明が入る。
『松さん、航空側から一点確認があります』
「はい」
『移動中の物体について、速度を低下させることは可能でしょうか』
「できます」
これは試している。能力を手に入れた最初の頃。動いている物をワープさせて。
勢いを変える。消す。方向を変える。
何度か確認した。
『完全に停止させることも可能ですか』
「できます」
少し間。
『対象が大型でも?』
「大型だから無理だったことは、今のところないです」
また少し間。向こうで誰かが話している気配。俺は滑走路を見ながら待つ。
「だったら」
『はい』
「脚が出ないんですよね?」
『はい』
「普通に着陸しなくてよくないですか?」
一瞬。
通話が静かになった。
『……どういう意味でしょうか』
「だから」
俺は滑走路の向こうを見る。
「飛行機の速度をゼロにして」
手で想像する。
「地面のすぐ上にワープさせて」
「そのまま置けばいいんじゃないですか?」
沈黙。俺の中ではかなり単純な話だった。飛行機は速い。
脚がない。なら。速くなくせばいい。
『現在、その方法を含めて航空側で検討します』
「ダメですか?」
『ダメとは言っていません』
「じゃあ」
『松さん』
白石さん。
「はい」
『専門側の確認を待ってください』
「はい」
当然だ。俺が思いついたから即実行。では困る。
飛行機の下には燃料もある。どこに置くか。機体下面が地面へ触れても問題ない場所か。
周囲に人や車両はいないか。消防はどこに待機するか。俺には分からないことが山ほどある。
「俺は置くだけ」
『はい』
「置く場所を決めるのはそっち」
『その認識でお願いします』
「分かりやすい」
これならできる。俺が全部やる必要はない。専門家が安全な場所を決める。
俺はそこへ飛行機を移す。役割分担。
「でも、脚なしなら下は壊れますよね」
『損傷の可能性はあります』
「完全無傷は無理か」
『高速で接地し続ける場合とは条件が大きく異なります。現在、安全面を確認しています』
「じゃあ止める意味はある」
『はい』
少しして。白石さんからまた声が入る。
『松さん』
「はい」
『航空側から、機体を丸ごと移動できる可能性について正式に確認したいとのことです』
「はい」
『乗員、乗客、搭載物を含めて、機体全体を1つの対象として扱えますか』
「実際に旅客機ではやったことないです」
『承知しています』
「でも」
岩。袋。中身。
まとまり。今までの感覚を思い出す。
「見えれば、たぶんできます」
『限界を感じたことは?』
「ないです」
『重量によって疲労が増えたことは』
「今のところないです」
『分かりました』
今度は俺から聞いた。
「乗ってる人」
『はい』
「何人ですか?」
白石さんが人数を伝える。
「……」
数字で聞くと。急に重くなった。飛行機一機。
ではない。その中に。1人。
1人。1人。それだけの人がいる。
家族がいる人も。仕事で乗っている人も。旅行の人もいる。
「全部」
『はい』
「俺が動かすんですね」
『もし正式に要請が出れば』
「……」
怖くないと言えば嘘になる。今まで。失敗して誰かを傷つけたことはない。
でも。人数が増えれば。失敗した時の結果も増える。
『松さん』
「はい」
『無理だと思った場合は、いつでも言ってください』
「……」
やれ。とは言わない。
『こちらから正式な要請が出ても、松さんが対応不可能と判断した場合は断って構いません』
「今言うんですね」
『今だから言っています』
少しだけ笑った。こういう時。白石さんが担当でよかったと思う。
「大丈夫です」
『できますか』
俺は広い滑走路を見る。消防車。救難車両。
待機している人たち。その全部が。一機の飛行機を待っている。
「できます」
いや。言い直した。
「やります」
『分かりました』
短い返事。
『ただし、無理はしないでください』
「はい」
今回は素直に返した。その時。遠くから声が上がった。
「対象機、接近します」
「来た?」
空を見る。まだ小さい。遠く。
点。でも。確実に近づいてくる。
周囲の空気が変わった。消防車のそばにいた人たちも動き始める。俺は滑走路の向こうを見る。
安全区域。見える。次に。
空。飛行機。まだ小さい。
でも見える。
「……これなら」
両方。直接見える。飛行機が近づく。
点だったものに。翼が見える。機体になる。
さらに。大きくなる。
「空で追いかける必要なかったな」
『最初からその予定です』
「ですよね」
近づく。旅客機。いつも地上から見る時より。
はるかに大きい。翼。胴体。
窓。エンジン。全部見える。
あの中に。人がいる。
「飛行機って」
俺は息を吐く。
「近くで見ると、でかいな」
『松さん』
「はい」
『航空側から正式な協力要請が出ました』
俺は飛行機を見る。次に。置く場所を見る。
どちらも。見えている。
『対象機の乗員側にも方法は共有済みです。機内は引き続き着陸に備えた状態を維持しています』
「分かりました」
『機体を安全区域へ移動してください』
「了解」
人生で初めて。俺は。旅客機一機を。
丸ごとワープさせようとしていた。
次回、第35話「飛行機って丸ごといけるんだ」
次回更新:10月13日 12:10予定




