第32話 空中スイマーのお金を分けます
本日も3話更新です!
数日後。仕事から帰って、いつものようにYouTube Studioを開いた。
「出てるな」
この前の昼飯配信。高知まで行って魚を捕って、バターで焼いて、そのあと何か所か回って視聴者に会った日。政府との発表はなし。
救助もなし。登録者100,000人突破みたいな大きな出来事もなし。本当に、ただ遊んでいただけの配信だ。
その日の数字が、少しずつ見えるようになっていた。
「……2万円台か」
前回の15万円とは違う。あの日は政府協力の発表と救助が重なった特別な配信だ。毎回あれだったら、むしろ怖い。
「でも」
画面を見る。
「普通に魚食ってただけで、これだけ入るんだな」
正確には、魚を食べただけではない。海までワープして、魚を探して。ワープで先回りしながら、タモ網で捕まえた。
その後は各地を回って視聴者に会った。俺にとっては割と普通の1日だったけど、普通の人から見れば十分変な配信なんだろう。
「これなら、普通の配信もちゃんと続ける意味あるな」
事故が起きないと稼げない。政府から依頼が来ないと稼げない。そんな状態にはしたくなかった。
空を飛び、遠くへ行き、飯を食う。
視聴者と遊ぶ。そういうので収益になるなら、その方がいい。そして。
収益が出た。ということは。
「……また金の話か」
前回、空中スイマーとしての活動を事業として整理する方針を立てた。今日は、その続きだ。
「実際、どう分けるんだ?」
今の給与口座は生活費や投資の引き落としも兼ねている。そこへYouTubeや政府からの報酬が入ったら、仕事用の機材も食費も一緒に支払うことになる。
「……後で見返しても絶対分からなくなるな」
自信がある。俺はスマホを開いてAIへ聞いた。
『会社員をしながら個人事業をする場合、仕事用の銀行口座は必ず作る必要がありますか?』
回答を読む。
「必須ではない」
ここは思っていたより簡単だった。個人事業を始めたら、必ず専用の銀行口座を作らなければ違法になる。そういうものではない。
大事なのは、収入と支出。
いつ、どこから、いくら入ったのか。何のために、いくら使ったのか。それを分かるように記録しておくこと。
国税庁の案内でも、事業を行う場合は収入や必要経費について日々の取引を記帳し、関係する書類を保存することが基本になっている。
「じゃあ今の口座でもできるんだ」
理屈ではできる。俺は少し考える。
「……でも分けよう」
法律で強制されているからじゃない。俺が後で見て分からなくなるからだ。
「未来の俺のためだな」
会社の給料は今までの口座で、生活費も基本そこ。そして、空中スイマーとして入ってくる金は別の口座にまとめる。YouTube、政府協力、将来の企業案件。
「これなら」
口座を2つに分けて考える。
「会社員の金」
こっち。
「空中スイマーの金」
こっち。
「分かりやすい」
前回は仕事の種類を分けて考えた。今度は、通帳の中身も分ける。
「よし」
新しく仕事用として使う口座を1つ用意することにした。別に銀行へ行って、
『世界で唯一かもしれないワープ能力者です』
と申告する必要はない。普通に俺名義の口座を用意して、俺の中で
『空中スイマー用』
と決めておけばいい。
「これで入ってくる方は終わり」
少し達成感がある。まだ口座を分けると決めただけだけど。
「じゃあ、出ていく金は?」
ここが少し分からない。YouTubeを始める時に買った物。活動用のゴーグル。
三脚。今後、新しい機材を買う可能性もある。政府から渡されたスマホは違う。
あれは貸与品だから、俺の金で買っていない。この前の昼飯配信では、カセットコンロ、ガス、バター、塩、おにぎり。
「……バター?」
急に難しくなってきた。
「これ経費?」
よく聞く言葉、経費。YouTuberが、
『これは経費です』
と言って何か買っている動画を見たこともある。
「そういえば経費って、結局何なんだ?」
AIへ。
『個人事業の経費を、初めての人向けにできるだけ簡単に説明してください』
返事を読む。
「……ああ」
思っていたより単純だった。
『収入から、その収入を得るために使ったお金を引いて、残った分を儲けとして考える』
ざっくり言えば、そういうことらしい。細かい税務上の区分はまだ確認が必要だけど、今の俺にはこのくらいの理解で十分だ。
「じゃあ」
分かりやすい数字にする。
「10万円売れました」
1万円、仕事のために使いました。
「残り9万円」
そういう話。
「……経費って、1万円返ってくるわけじゃないの?」
なんとなく。
『経費で落とす』
と聞くと、1万円使っても税金で1万円戻ってくるような雰囲気がある。でも違った。
「1万円タダになるんじゃなくて」
自分で言い直す。
「実際の儲けは9万円でした、って計算する?」
そういうことらしい。
「経費、思ったより普通だな」
魔法の言葉ではなかった。1万円使ったら、1万円は普通になくなる。
「そりゃそうか」
じゃあ。活動用にしか使っていないゴーグル。配信用の三脚。
そういう物は分かりやすい。空中スイマーとして活動しなければ買っていない。
「じゃあ、バターは?」
また戻ってきた。この前。高知で魚を焼くために使った。
配信企画のためとも言える。でも。普通に俺が食った。
「……」
難しい。
「バター10グラムで税理士呼びたくないぞ」
1人で笑う。AIにも聞いてみる。
『配信で自分が食べる昼食に使った食材など、仕事と私生活の両方の性質がありそうな支出はどう考えればいいですか?』
返ってきた説明は。
「はい、難しくなった」
やっぱり。私生活のための支出は、そのまま全部事業の経費になるわけではない。事業と私生活の両方に関係するものも、事業上必要な部分を明確に区分できるかなどを考える必要がある。国税庁も、家事上の経費は原則として必要経費にならず、業務上必要な部分を明確に区分できる場合はその部分を必要経費にできるとしている。
「……やめよう」
今日はここまで。
「バターは保留」
無理に経費にしなくても死なない。10グラムだ。分からないものを、
『たぶん経費』
で入れるより。明らかなものだけ記録して、難しいものは後で聞けばいい。
「これでいいだろ」
少なくとも今の俺には、その方が安全だ。ゴーグル。三脚。
今後買う配信専用機材。こういう分かりやすい物。そして収益。
YouTubeからいくら。政府からいくら。
「記録する」
そこまで決めて。
「……何に?」
また止まる。帳簿、という言葉は見た。
「帳簿って何使うんだ?」
紙のノートに1件ずつ書くのか。日付。YouTube。
2万円。みたいに。
「いや」
絶対続かない。俺は紙の管理が得意じゃない。なくす。
あとでどこに書いたか分からなくなる。だからスマホやPCで記録することにした。会計ソフトを使うか、表計算で始めるかは後で考える。
今重要なのは、残すこと。日付。
何のお金か。入った金。使った金。
領収書やレシート。
「これだけならできそうだな」
国税庁の案内でも、記帳する内容として収入や経費の年月日、相手方、金額などが挙げられている。俺はスマホに新しくメモを作った。
『空中スイマー事業』
その下。
『収入』
『支出』
『確認が必要』
3つ。
「確認が必要」
そこへ。
『バター』
と入れる。
「最初がバターかよ」
もっと世界初のワープ能力者らしい項目が欲しかった。でも。現実はこんなものなんだろう。
次に、レシート。
「これも保存か」
紙をずっと財布に突っ込んでおくのは嫌だ。だから、とりあえず事業関係のものは一か所にまとめる。電子で受け取ったものも消さない。
後で会計のやり方を正式に決める時に整理する。
「よし。入金は分ける、使った金は記録する」
「分からないやつは……」
スマホを見る。
「専門家」
全部自分で抱え込まなくていい。少なくとも、今の俺にはこれで十分だ。
そこで、もう1つ思いついた。
「FIREの記録も残すか」
もともと俺は、ここ数年NISAで全世界株式のインデックスを毎月3万円ずつ積み立ててきた。貯金と合わせれば、ワープを使い始めた頃の金融資産は約550万円だった。
どうせYouTubeでもFIREの話をしている。なら、空中スイマー名義で進捗をまとめるブログを作ってもいい。ただし。
「リアルタイムは嫌だな」
今月いくら増えた。その直前に政府の仕事をした。そんな出し方をすれば、報酬額を推測される。
だからルールを決めた。公開するのは、2か月前の締め終わった月末資産。給料、YouTube、政府協力、今後の企業案件。
どこから入った金かは分けない。生活費や仕事で使った金、税金用に残した金、投資の値動きまで全部終わった後の金融資産だけ。さらに10万円未満は切り捨てる。
「これなら、何の金がいくら入ったかまでは分からないだろ」
最初の記事。
『FIRE目標 8,000万円』
『金融資産 約550万円』
ざっくり。
「なんか投資ブログっぽくなったな」
ワープ能力者のブログとして正しいのかは分からない。でも。俺がワープを始めた理由の1つは、FIREを早めるためだった。
「これも空中スイマーか」
YouTubeの概要欄から見られるようにしておく。毎月きっちりリアルタイム更新する必要はない。締めた分だけ、遅れて出す。
これなら続けられそうだった。AIの画面には、まだ説明が続いている。青色申告。
帳簿の種類。保存期間。申告方法。
税率。
「今日は見ない」
画面を閉じる。これ以上やったら、また一話全部税金になる。
「必要になった時にちゃんとやろう」
逃げるわけではない。今の段階で理解する必要があるところまでは分かった。金が入ったら記録する。
仕事のために使った金も記録する。証拠になる書類を残す。分からないところは勝手に判断しない。
それでいい。
「個人事業って」
机の上を見る。スマホ。パソコン。
メモ。
「思ってたより地味だな」
ワープ能力を使って空を飛んで。政府と契約して。120,000人以上に見られて。
その結果。銀行口座を分けて。レシートを保存する。
「まあ」
笑う。
「金稼ぐってこういうことか」
そのまま最初の記事を公開し、YouTubeの概要欄から見られるようにしておいた。
「ワープ能力者というより、投資ブログっぽくなってきたな」
その時。机の横に置いていた政府端末が鳴った。
「ん?」
白石さん。メッセージではなく、通話。出る。
「はい」
『お疲れさまです。今、お時間よろしいでしょうか』
「大丈夫です」
何か事故か。そう思って少し姿勢を正す。でも、白石さんの声は緊急時のものではなかった。
『次回の確認事項について、一点追加でご相談があります』
「はい」
『松さんの健康管理についてです』
「……健康管理?」
思っていた方向と違った。
「俺、元気ですよ」
『現時点で体調不良があるという話ではありません』
「じゃあ健康診断?」
『それも含みますが、もう少し広い意味です』
少し間がある。
『今後、政府との協力を継続するにあたって、定期的な健康確認や、救助活動後の医療面でのフォロー、緊急時の受け入れ先などを事前に整理しておきたいと考えています』
「そこまで?」
『必要だと考えています』
俺は少し笑った。
「政府、俺を健康にしたいんですか?」
『かなり簡単に言えば』
白石さんも少し間を置いた。
『元気なうちに決めておく話です』
「……なるほど」
世界で1人かもしれないワープ能力者。事故で怪我をする。病気になる。
救助のあとに体調を崩す。能力とは関係なく、普通に起きることだ。前にも考えたことがある。
ワープできても。病気にはなる。毒を食べたら危ない。
普通に死ぬ。
「分かりました」
『詳細は改めてご説明します』
「白石さんも来るんですか?」
『私が連絡担当ですので』
「便利だな、その肩書き」
少し間が空いた。
『必要な業務です』
「はい」
いつもの返しだった。通話を終える。
「健康管理か」
銀行口座。経費。レシート。
ようやく金の整理が終わったと思ったら。次は。
「政府、俺を長生きさせたいらしい」
また1つ。普通の会社員にはあまりない話が増えた。
次回、第33話「政府、俺を長生きさせたいらしい」
次回更新:10月12日 16:10予定




