第31話 昼飯を捕りに行く
昼前。
「お先に失礼します」
軽く頭を下げて、アルターク九州本部を出た。今日は午後半休。政府から呼ばれたわけでもなければ、病院へ行くわけでもない。ただ休める日だったから休んだ。
建物を出たところで、ポケットの政府端末が震えた。
「お」
白石さん。数日前、仕事の休憩中に送っていた質問への返事だった。急ぎでもないし、ワープを使った魚の捕り方なんて前例もない。返事が遅いのは仕方ないと思っていた。
『お待たせしました。高知県側にも確認が取れました』
続けて読む。
『魚そのものをワープで移動させて採捕する方法については、既存の漁具・漁法の整理に当てはまるかを含め、引き続き確認中です』
「やっぱそこはすぐ決まらないか」
『一方、ワープを松さん自身の移動にのみ使い、採捕そのものをたも網で行う方法については、高知県側に伝えた候補場所と条件では、一般の遊漁者が使える漁具・漁法の範囲です』
「お」
それなら今日できる。
さらに注意事項。全長21cm以下のウナギ、15cm以下のブリの幼魚、いわゆるモジャコは採らない。イセエビ、アワビ、サザエなどにもサイズや時期の制限がある。漁業権の対象になっているものも避ける。魚種が判断できないものには手を出さない。
最後に。
『今回は能力を使った採捕方法の確認も兼ねるため、捕まえたものは種類、数、おおよその大きさが分かるよう報告してください』
「魚だけワープは保留。俺がワープして、最後はタモ網か」
分かりやすい。普通のルールの中に、俺の移動だけ混ぜる。
最近は政府との契約だの、YouTubeの収益だの、個人事業だのと、仕事以外でも妙に真面目なことばかり考えていた。せっかく昼から時間がある。
「なんか普通に遊ぶか」
そう思いながら、一度家へ帰った。もちろん、半休であることを配信で言うつもりはない。平日の昼間から配信できる日がある。
勤務時間はこの辺。休みはこの曜日。そういう情報を1つずつ出していけば、勤務先を探す材料になるかもしれない。
俺が会社員なのはもう隠していないけど、どこで働いているかまで公開する気はない。家に着いて、冷蔵庫を開ける。
「昼飯……」
普通に食べてから配信してもいい。でも。せっかくワープできる。
少し考えてから、炊いてあった米でおにぎりを作った。
2個。これで米はある。
次に冷蔵庫からバターを出す。箱ごとはいらない。今日使う分だけ切って、小さい容器へ入れる。塩。小さめのフライパン。
カセットコンロ、ガス、包丁、まな板、キッチンペーパー、ゴミ袋、箸、食器。念のため保冷剤。それからタモ網。
「海入るかもしれないな」
奥から、学生の頃に使っていた水着を引っ張り出した。
「まだ入る?」
入った。服の下に履いていく。タオルも追加。
「……結構あるな」
バッグへ詰める。サバイバルというには文明に頼りすぎている気もするけど、別に無人島生活をするわけじゃない。目的は1つ。
「美味しい魚食べたい」
ついでに昼飯代も少し浮けば嬉しい。FIREを目指しているから節約は好きだけど、何でも最安ならいいわけではない。ワープできるなら。
普通なら交通費をかけないと食べに行けないものを、ほぼ移動費ゼロで食べられる。そっちの方が面白い。準備を終えて家を出る。
身元と無関係な場所まで移動してから、いつもの格好になる。水泳帽。ミラーゴーグル。
マスク。配信タイトルを入力した。
『昼飯を捕りに行く【空中スイマー】』
「これでいいか」
配信開始。
「どうも、空中スイマーです」
すぐにコメントが流れ始める。
『昼配信珍しい』
『捕る?』
『釣るじゃないの?』
『今日何食うの』
『政府案件?』
「今日は平和です」
バッグを軽く持ち上げる。
「昼飯を食べに行きます」
『店?』
『旅行配信?』
「いや」
少し間を置く。
「おかずだけ現地調達します」
『サバイバル?』
『そのバッグ何』
『米は?』
「おにぎり持ってきました」
『現地調達とは』
「おにぎりまで現地調達してたら昼飯終わらないだろ」
『正論っぽく言うな』
「今日は魚を食べます」
『釣るの?』
「最初は魚を直接ワープさせて捕まえようと思ったんですけど」
『思いつくことが反則』
『まさか』
「それ、確認したらまだ協議中でした」
『法律が能力に追いついてない』
「俺もそう思う」
バッグからタモ網を少し見せる。
「なので今日は、魚を探すのと俺の移動だけワープ。捕まえるのはこれです」
『タモw』
『急に普通』
「高知県側にも確認してもらいました。タモ網は使える。ただし、規制されてる種類やサイズ、時期、漁業権の対象は当然ダメです」
『ちゃんと確認してる』
「小さいウナギとかモジャコ、イセエビとか貝類の面倒そうなやつは最初から狙いません。魚種が分からなかったら捕らない。食べるのは普通の魚を1匹だけ」
『報告書いる?』
「今回はいる。捕まえた魚の種類と数と、大体の大きさをあとで報告します」
『昼飯なのに行政案件』
「俺もそう思う」
「だからタイトルも『釣る』じゃなくて『捕る』にしました」
『そこだけ律儀』
「じゃ、行きます」
ワープ。
視界が切り替わる。そこからさらに何度も移動する。今日選んだのは、高知県の海だった。
理由は単純。魚が美味そうだから。俺の基準なんてそんなものだ。
海沿いの、人の邪魔にならない場所へ降りる。
「到着」
『高知!?』
『昼飯の距離じゃない』
『おにぎり持って高知来たの?』
「交通費ゼロだから」
『能力の使い方が庶民』
「FIRE目指してるんで」
回線状態を確認する。問題ない。海が映るように三脚を置き、配信用スマホを固定する。
バッグや調理道具はその近く。
「スマホはここ置いていきます」
『落とすよりいい』
『魚どうやって捕るの』
「見つけてきます」
一度画角の外へ出て、ズボンを脱ぐ。下は家から履いてきた水着だ。タオルはバッグへ残す。タモ網を持って海へ出る。
ワープ。
少し高い位置から下を見る。海面。
さらに場所を変える。
ワープ。
また下を見る。普段の釣りなら、一度場所を決めたら魚が来るのを待つんだろう。俺の場合は逆だ。
「魚がいるところまで俺が行けばいい」
誰に聞かせるでもなく呟く。
ワープ。
魚そのものは動かさない。俺だけ場所を変えて探す。
海の透明度が高い場所なら、上からでも魚影が見える。もちろん何でも狙えばいいわけじゃない。種類が分からない魚はやめる。大きすぎても1人の昼飯にはいらない。
「……いた」
浅いところに、事前に見分け方を確認していたメジナがいる。大きさも1人で食べるにはちょうどよさそうだ。
「これにするか」
近くの安全な足場へワープして、水へ入る。膝くらいまで。魚はすぐ逃げた。
「速いな」
そりゃそうだ。
進む方向を見る。俺だけ先回り。
ワープ。
タモ網を入れる。逃げる。
「ですよね」
もう一度、魚を見る。先回り。
ワープ。
今度は反対側から網を入れる。また逃げる。
『何してるんだ』
遠くのスマホからコメントが流れているのが見える気がする。
「魚はワープさせない縛りなんだよ」
3回目。進行方向へ先に出る。
ワープ。
網を水へ入れる。魚が向きを変えたところを、もう一度すくう。
「入った!」
タモ網の中で魚が跳ねる。
「よし!」
そのまま岸へ戻る。
『捕った!』
『結局タモ網』
『ワープの使い方そこ?』
『魚より先回りするのずるい』
「魚には使ってないから」
『能力の無駄遣い』
「昼飯確保」
魚を確認する。メジナ。1匹。大きさも問題ない。
写真も1枚撮る。
「これ、あとで報告するやつです」
『本当に報告するんだ』
「前例がないんでね」
「よし」
ここからだ。
『捌けるの?』
「捌けます」
『意外』
「なんでそこ驚くんだよ」
ただし。
「正確には」
魚を見ながら、少し止まる。
「下処理済みなら捌けます」
『条件付きだった』
『どういうこと』
「3枚にしたり、その後はできるんですけど」
釣ったばかりの魚。
「血抜きとか、釣った直後からの処理はやったことないんですよね」
『そこ一番最初では』
「そうなんだよ」
以前、魚を捌いていた時は、俺のところへ来た時点ですでに下処理済みだった。そこからなら分かる。でも、その前。
生きている魚を捕まえて、最初から処理する経験はない。もちろん、その仕事の話までは配信でしない。
『じゃあどうするの』
「今日は刺身じゃないから」
バッグからカセットコンロを出す。
『お』
『料理始まった』
「バター焼きにします」
『勝ち確』
「ちゃんと加熱して食べます」
分からない部分については、事前に調べた内容を確認しながら進める。血抜きを完璧にやって鮮度を最大限に引き出すとか、そういうところまでは狙わない。捕ってからすぐ調理。
生食しない。必要な処理をして、しっかり火を通す。
「美味しければいい」
『雑だけど分かる』
「今日は料理人企画じゃないから」
初めてやる部分は慎重に。ウロコや内臓など、食べる前に必要な処理を済ませる。包丁そのものには慣れているので、そこから先は早かった。
「ここからなら分かる」
『急に手際よくなった』
「この状態からならやったことあるから」
食べやすい形にして、フライパンを置き、カセットコンロに火をつける。
少量のバター。じゅっと音がする。
『うまそう』
『昼飯配信になってきた』
「これ絶対うまいだろ」
魚を置く。焼ける音。バターの香り。
塩を少し。
「もう勝った」
『まだ食ってない』
「匂いで分かる」
焦げないように見ながら、しっかり加熱する。ひっくり返す。反対側も焼く。
ワープ能力を使っている時間より、魚を焼いている時間の方が長い。
「能力あっても焼く時間は短縮できないな」
『ワープで時間飛ばせ』
「できるわけないだろ」
火の通りを確認する。
「完成」
おにぎりを出す。魚のバター焼き。昼飯。
「いただきます」
一口。
「……うま」
『知ってた』
「これ、いいな」
もう一口。普通に美味い。自分で海から持ってきたという補正もあるかもしれない。
でも、それを抜きにしても美味い。
「節約だけ考えたら、家で納豆でも食った方が安いと思うんですよ」
『急に現実』
「カセットコンロも使ってるし、バターも使ってるし」
『サバイバル失敗』
「でも」
魚を見る。
「美味しいもの食べて、ちょっと節約にもなるなら、これでいい」
『FIREなのに贅沢』
「FIREって不味いもの食う競技じゃないから」
『正論』
そう。金を使わないこと自体が目的じゃない。最終的に、働かなくても生活できるようにしたい。
そのために無駄な金は使わない。でも、能力を使えばほとんど移動費なしで、美味しい魚を食べられる。なら使えばいい。
「普通なら高知まで昼飯食べに来ないからな」
『普通は飛行機代かかる』
『昼飯の規模じゃない』
「俺はゼロ」
『能力格差』
おにぎりを食べる。魚を食べる。あっという間に昼飯が終わった。
「ごちそうさまでした」
『昼飯企画終了』
『帰る?』
「いや」
まだ時間はある。後片付けをする。コンロ。
フライパン。包丁。まな板。
全部きれいにして収納する。ゴミもまとめる。
「これ持ったまま移動するの邪魔だな」
『またどっか行くの?』
「せっかく配信してるんで」
コメント欄を見る。
『大阪来て』
『東京』
『こっち来て』
『会いたい』
こういうコメントは、配信を始めた頃からあった。でも昔は、意味が少し違った。最初の頃。
俺がワープできると言っても、ほとんど信じてもらえなかった。だから実際に遠くへ行った。知らない人に撮ってもらった。
本当に移動したことを証明した。今は。政府まで俺との協力を公表している。
ワープできるかどうかを証明するために会う必要はない。
「じゃあ今日は」
コメントを見る。
「視聴者に会いに行くか」
『!?』
『来て』
『マジ?』
『今から?』
「今から。ただ、家には行きません」
『当たり前』
「公開されてる場所だけ。あと人多すぎるところも無理です」
その前に荷物。近くで利用できるロッカーを探す。利用条件も確認して、問題ない場所へ調理道具とバッグを預ける。
「最後ここ戻ってきます」
『高知スタート高知ゴール』
「そうなるな」
スマホだけ持つ。
「じゃあ」
コメントを見る。
「どこ行く?」
大量の地名が流れ始めた。
『大阪』
『名古屋』
『東京』
『広島』
『仙台』
『札幌』
「多いな」
全部は無理。その中から、安全に会えそうな場所を何か所か選ぶ。
「まず大阪」
『きた』
空へ。
ワープ。
ワープ。
またワープ。昼飯を食べていた高知の海が、あっという間に遠ざかっていく。しばらくして大阪。
人の邪魔にならない公開された場所へ降りる。
「着いた」
『早』
『さっき魚食ってたぞ』
「いた人いる?」
数分後。
「あっ!」
遠くから1人走ってきた。
「空中スイマー!」
「どうも」
「本当に来た!」
「呼んだでしょ」
「いや、来ると思わんやん!」
「俺ワープできますからね」
『今さら強い』
写真を1枚。少し話す。次。
中部。
ワープ。
そこで2人。次。関東。
また何人か。
「さっき魚食べてましたよね?」
「食べてました」
「高知ですよね?」
「はい」
「今こっちですよね?」
「はい」
「意味分かんないっす」
「それは俺も最初思った」
笑う。移動する。会う。
写真を撮る。また移動する。全部のコメントには応えられない。
登録者は120,000人を超えている。数人しか見ていなかった頃とは違う。だから今日は数か所だけ。
「なんか不思議だな」
『何が?』
「前にこうやっていろんな場所回った時は」
昔を思い出す。
「俺が本当にワープできるって信じてもらうためだったんですよ」
『懐かしい』
『第三者に撮ってもらってたな』
「そう」
あの頃は。ワープしても。空を飛んでも。
全部、
『編集』
『仕掛け』
で終わった。
「今日は普通に、見てる人に会いに来てるだけだからな」
『出世した』
『登録者12万』
『最初同接一桁』
「それ言うな」
『縄跳び』
「それも言うな」
コメントを見る。
「まあ、ありがたいです」
そこだけは普通に言った。夕方。
「そろそろ戻るか」
『どこに?』
「高知」
『昼飯の場所』
「荷物置いてるから」
『忘れてなかった』
「忘れたら困る」
最後の移動。
ワープ。
ワープ。
景色をつなぐ。しばらくして、また高知県。
「戻ってきました」
『おかえり』
『1日で何県行ったんだ』
「数えてない」
ロッカーへ行く。荷物を回収。コンロ。
フライパン。包丁。残った道具。
「全部ある」
『これで終わり?』
「終わりです」
昼飯を食べるために海へ来た。ワープで魚を探して、タモ網で捕って。バターで焼いて。
そのあと各地へ行って視聴者に会って。最後はまた同じ県へ戻ってきた。
「今日は平和だったな」
『基準がおかしい』
「事故なし。政府からの緊急連絡なし」
『平和』
「魚一匹」
『犠牲者』
「昼飯だよ」
『視聴者何人か』
「会った」
政府案件も。救助も。大きな発表もない。
ただワープを使って、美味しいものを食べて、人に会った。
「こういう配信もいいな」
『普通の配信』
「俺基準では普通」
『普通の人は昼飯で県またがない』
「交通費かからないんだからいいだろ」
コメントが流れる。
「じゃあ今日は終わります」
『おつ』
『また飯捕りに行って』
『次は肉』
「肉は難易度上がるだろ」
『山へ』
「行かない」
配信終了。急に静かになる。荷物を持つ。
「……半休でこれだけできるの、やっぱ強いな」
これは視聴者には言えない。昼から始めて。県をまたいで魚を食べて。
さらに何か所も回って。まだ1日は終わっていない。少しだけ昼飯代を節約するために始めたつもりだった。
でも、「節約っていうより、能力で美味いもの食ってるな」
それでいい気がする。FIREしたいのは、金を使わない人生を送りたいからじゃない。時間を自由に使いたいからだ。
今日みたいな午後を。いつでも作れるようにするため。
「悪くないな」
そして。もう1つ。
「そういや」
今日の配信は、政府との発表も救助もなかった。本当に普通の配信。
「こういう日の収益って、どのくらいなんだろ」
前回の15万円とは、たぶん全然違う。それも一度。見ておいた方がよさそうだった。
次回、第32話「空中スイマーのお金を分けます」
次回更新:10月12日 12:10予定




