第六話 奢りの金の出どころ
「勇者カイル。予約者番号〇〇一番」
ザガンが四本の腕で書類をめくりながら、事務的に言った。
「番号一番って、俺しかいないってことか」
「そうだ」
「予約制の意味あるか? それ」
「制度は利用者数で価値が決まるものではない」
もっともらしいことを真顔で言われた。
「受付票だ。失くすな」
「受付票まであるのか」
「再発行には三日かかる」
俺は木札を受け取った。裏に『勇者・カ』とだけ彫ってあった。
「途中で終わってるぞ」
「彫っている最中に呼び出された」
「魔王軍、人手足りてないだろ」
「足りていない」ザガンは書類を閉じた。「言っておくが、我々は魔物を無限に湧かせられるわけではない。飼育と配置と補給が必要だ。あと、給料も」
「魔物に給料出るの!?」
「出す。出さないと逃げる」
俺の中の魔王軍像が、この五分で音を立てて崩れていった。
◆
リリスは、黒い外套に着替えて出てきた。
鎧のままよりはましだが、それでも街を歩くには目立つ。何より、角と尻尾は隠れていない。
「その格好、どうにかならないのか」
「なぜだ」
「いや、まあ、なんとかなるか。北ってことにすれば」
「北とは何だ」
「前回、お前は北の種族ってことになった」
「勝手に出身地を作るな」
「作らないと入れなかったんだよ」
リリスは何か言いかけて、やめた。たぶん、突っ込むところが多すぎて選べなかったのだと思う。
◆
鉄床亭の扉を開けると、ガドが顔を上げた。
「おっ、北の嬢ちゃん! また来てくれたか!」
リリスの眉が動いた。
「……北の嬢ちゃん」
「定着したな」
「定着させるな」
カウンターに座り――今回は最初から丸椅子が用意されていた。ガドが気を利かせたらしい。
「尻尾の分、こっちにしといたぜ」
「……感謝する」
リリスが少し戸惑った顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
◆
唐揚げは、前回と同じくらいうまかった。
というより、量が増えていた。ガドが「北の嬢ちゃんは食うからな」と笑っていた。リリスは黙々と食い、四皿目に手を伸ばしたところで、ふと言った。
「今日は、私が払う」
「お、マジか。太っ腹だな」
「当然だ。前回はお前が払った。人間の作法では、そういうものだろう」
「よく勉強してるじゃないか」
「三日かけて調べた」
「三日!?」
リリスは外套の内側から、革の袋を取り出してカウンターに置いた。
どすん、と重い音がした。
◆
ガドが袋の口を開けて、中を覗き込み――固まった。
「……旦那」
「なんだ」
「ちょっと、これ、見てくれ」
カウンターに広げられた硬貨を見て、今度は俺が固まった。
まず、金貨だった。それはいい。問題は、刻まれている紋章だ。
「これ……ヴァルドリア朝の紋だぞ」
「そうだな」
「ヴァルドリア朝、四百年前に滅んでるんだが」
「そうだったか」
「そうだったか、じゃねえよ!」
俺は袋の中をかき混ぜた。出てくる出てくる。見たこともない王冠の意匠。読めない文字。角が生えた鳥の紋章。片面が完全に摩耗して、のっぺらぼうになった銀貨。
「これは……何朝だ?」
「知らん。もらった時から古かった」
「五千年生きてる奴の『古い』は怖いんだよ!」
ガドが震える手で一枚つまみ上げた。
「旦那……これ、王立博物館なら、家が三軒建つぞ」
「使えるのか?」
「使えねえ。うちは両替商じゃねえ」
「使えないのかよ!」
◆
リリスは心底不思議そうな顔をしていた。
「金であることに変わりはないだろう」
「変わるんだよ。今の国で通用する金じゃないと、ただの金属だ」
「金属としての価値はある」
「そういう問題じゃない!」
「ではどういう問題だ」
真顔で聞かれた。俺は言葉に詰まった。
困ったことに、彼女は詭弁を弄しているわけではない。本気で理解できていない。
俺は袋の底から、比較的新しい金貨を数枚見つけ出した。今の王国の紋だ。これなら通る。
「これで払え。残りはしまっとけ」
「わかった」
ガドが硬貨を受け取り、名残惜しそうに古い金貨をもう一度眺めてから、厨房の奥へ引っ込んでいった。揚げ油の音が聞こえてくる。
俺は声を落とした。
「……で、この金、どこで手に入れたんだ」
聞いてから、後悔した。
「倒した者から奪った」
やっぱりか。
◆
「あのな、リリス」
「なんだ」
「その金で酒を飲むのは、ちょっと、気分的に複雑だ」
「なぜだ」
彼女はジョッキを置いて、こちらに向き直った。逃げ場のない目だった。
「お前たち人間も、魔物を倒して素材を売り、その金で飯を食うだろう」
「……そうだな」
「私が倒したのは、私を殺しに来た者たちだ。城に侵入し、私を狙い、私に敗れた。彼らが勝っていれば、私の持ち物が彼らのものになっていた」
「まあ、そうなるな」
「では、何が違う」
俺は答えられなかった。
論理としては、彼女が正しい。冒険者の常識で言えば、完全に正しい。俺が今腰に提げている剣だって、元は遺跡の奥で誰かの骸の隣に転がっていたものだ。
それでも、気持ち悪いものは気持ち悪い。
「……理屈じゃないんだ」
俺はそう言うしかなかった。
「理屈ではない」
「理屈じゃない」
「では、なんだ」
「なんだろうな」
揚げたての皿を持ったガドが、ちょうど戻ってきた。話の中身は何も聞いていない顔で、笑いながら皿を置く。
「なんだ旦那、また難しい顔してんのか」
「……いや」
「客商売を二十年やってるとな、わかることが一つある」ガドは布巾で手を拭った。「人にはよ、正しくても飲み込めねえもんがあるんだ。理屈で殴っても、腹が納得しねえ」
リリスがガドを見た。それから、しばらく黙った。
「……正しくても」
「そういうもんだ」
「不合理だな」
「そりゃあな。おかげでこっちは酒が売れるのさ」
◆
リリスは硬貨を一枚ずつ袋に戻していった。
その途中で、一枚だけ、手が止まった。
小さな銅貨だった。真ん中あたりで、大きく歪んで折れ曲がっている。金にも銀にもならない、何の価値もなさそうな一枚だ。
彼女はそれを、袋の中ではなく、外套の内ポケットに入れた。
「それは?」
「これは使わん」
「なんでだ」
「…………」
リリスは答えなかった。答えなかったこと自体が、答えのように見えた。
俺は、それ以上聞かなかった。
◆
「では、聞きたいことがある」
しばらくして、彼女は言った。
「お前たち人間は、どうやって金を得る」
「そりゃ、働くんだよ」
「働く」
「依頼を受けて、こなして、報酬をもらう。物を作って売る。店をやる。いろいろだ」
「私にもできるか」
俺はジョッキを吹きそうになった。
「お前が!?」
「なぜ驚く」
「いや、お前が、労働……?」
声を落とすのが一瞬遅れた。幸い、ガドは鍋の音で聞こえていない。
「不合理だと言われたのは私だ。ならば、お前たちの合理に合わせてみる」
彼女は真剣だった。心底、真剣だった。
「次にお前と飲む時は、私が働いて得た金で奢る」
「……いや、そこまでしなくても」
「する」
言い切られた。
カウンターの向こうで、ガドが腕を組んで唸った。
「……嬢ちゃん、うち、皿洗い募集してるぞ」
「おい待て」
「時給十二セロ、まかない付きだ」
「待て待て待て、こいつはな、その、魔王の――」
言いかけて、俺は自分の口を両手で塞いだ。
ガドがきょとんとしている。
「魔王の、なんだって?」
「…………」
「旦那?」
「……魔王の、いる方角から、来た女なんだよ」
「北か」
「そう! 北!」
北は本当に便利だ。今度から全部これでいく。
「北の女に皿を洗わせるのは、いろいろとまずいんだ」
「なんでだ」
「なんでだろうな」
「働くと言ったのは私だ」リリスがガドに向き直った。「いつから入れる」
「明日からでいいぞ」
「承知した」
「話が早すぎる!」
◆
帰り道、俺は隣を歩く女の横顔をちらりと見た。
五千年生きて、大陸中の勇者を返り討ちにしてきた魔王の娘が、明日から皿を洗う。
どう考えても、俺の作戦のせいだ。
油断させて、隙をつく。そのための接近だったはずだ。
……なのに、なぜ、この女の人生がこんなに変わっていっているんだろうな。
俺はその疑問に蓋をして、受付票をポケットの中で握った。
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