第五話 魔王城の門を叩く男
三日間、俺は使い物にならなかった。
◆
「カイル、パンとってくれ」
「……ああ」
「カイル。それ、俺の靴」
「……ああ」
「カイル、燃えてる」
「……ああ」
「燃えてる! 袖! お前の袖が燃えてる!」
ガロンに叩き消されて、俺はようやく我に返った。焚き火に腕を突っ込んでいたらしい。
宿の裏庭で、仲間三人が俺を取り囲んでいた。魔術師のミラが腕を組み、僧侶のノエルが心配そうに杖を握り、戦士のガロンが焦げた俺の袖を見ている。
「……あのさ」ミラが言った。「あんた、あの日から様子おかしいでしょ」
「そんなことはない」
「あたしたちが気絶してる間に、何があったの」
「何も」
「じゃあなんで魔王城から一人で戻ってきた時、荷物に唐揚げの油の匂いがついてたのよ」
鋭すぎる。この女、魔術より嗅覚で戦った方がいいんじゃないか。
「揚げ物の店の前を通っただけだ」
「魔王城の前に揚げ物屋があるの?」
「……あるだろ、たぶん」
「ないでしょ」
◆
三人は勝手に結論を出した。
「わかった」ガロンが重々しく頷いた。「カイルは、心が折れたんだ」
「折れてない」
「六度目の敗北だもんな。無理もねえよ」
「折れてないって言ってるだろ」
「大丈夫だカイル。俺たちがついてる」ガロンは俺の肩を掴んだ。「たとえお前が立てなくなっても、俺がお前を背負って城まで運ぶ」
「運ばれて何をするんだよ、俺は」
「気持ちだ」
「気持ちで魔王は倒せねえよ」
ノエルが横から、震える声で言った。
「あの、わたし、回復魔法……心にも効くやつ、練習しました」
「そんな都合のいい魔法あるか」
「あるんです。『安らぎの祝福』っていって」
「じゃあかけてくれ」
かけてもらった。
効かなかった。
「……効きませんね」
「効かねえな」
「これ、罪悪感には効かないんです」
ノエルが無邪気にそう言った瞬間、俺は自分の膝を見つめた。
◆
言えるわけがなかった。
魔王の娘と酒場に行きました。唐揚げが好評でした。腕相撲でテーブルが割れました。使い回しの口説き文句がバレて、帰られました。
どこから話しても、勇者パーティの解散会議が始まる。
俺は立ち上がった。
「城に行ってくる」
「よし!」ガロンが拳を握った。「今度こそ決着を――」
「一人で行く」
「はァ!?」
「いいから」
ミラが目を細めた。長い付き合いだ。この女は、たぶん半分くらい気づいている。
だが彼女は、こうとだけ言った。
「死んだら化けて出るからね」
「死なねえよ」
「死ぬより厄介なことになってそうだけど」
この女、本当に嫌いだ。当たるから。
◆
魔王城の大門は、閉まっていた。
いつもは開いている。というより、こちらが押し破って入る前提で、たいてい半開きになっている。それが今日は、完全に閉じていた。
門の前に、見覚えのない男が椅子を置いて座っていた。
黒い外套。四本の腕。頭には湾曲した角が三本。明らかに、下級の魔物ではない。
「……お前、誰だ」
「魔王軍四天王が一角、ザガン」
四天王。しかも門番。
「四天王が門番やってるのか」
「不服か」
「いや、不服っていうか」俺は言葉を選んだ。「もっとこう、中盤で出てくるものだと思ってた」
「配置は上の判断だ」
ザガンは四本の腕のうち二本を組み、残り二本で書類の束をめくり始めた。
「勇者カイル。用件は」
「リリスに会いに来た」
「アポイントメントは」
「……は?」
「アポイントメントだ。予約」
俺は聞き返した。
「魔王城って、予約制なの?」
「三ヶ月前からそうなった」ザガンは淡々と答えた。「侵入者が多すぎて業務に支障が出ていた。門を破って入ってくる者を都度対応していては、こちらの人員が持たん」
「その対応、全部リリスがやってるんじゃないのか」
「そうだ。だから逆に困る」
「なんで」
「リリス様が全て一人で片付けてしまうので、四天王に仕事がない。予算会議で毎回問い詰められる」
「魔王城、予算会議あるんだ」
「ある。年二回」
人間側は書類が多すぎて軍勢が動かせない。魔王側は仕事がなさすぎて四天王が門番をしている。
なんだこの戦争は。
◆
「とにかく、リリスに会わせてくれ」
「予約がなければ通せん」
「じゃあ今から予約する」
「最短で四十日後だ」
「長い!」
「文句は運用に言え」
「その運用を作ったの誰だよ」
「私だ」
「じゃあお前に言ってるんだよ!」
ザガンは書類を閉じ、椅子に深く座り直した。話は終わりだ、という姿勢だった。
俺はしばらく門を見上げた。
高さ十メートル。厚さは知らないが、たぶん俺の身長より厚い。剣で斬れる代物ではない。
――まあ、いいか。
俺は門に歩み寄り、拳で叩いた。
ゴン。
「おい」
ゴン。ゴン。
「やめろ」
ゴン。ゴン。ゴン。ゴン。
「リリス! いるんだろ! 出てこい!」
ザガンが立ち上がった。四本の腕が全部こちらを向いた。
「不審者として排除する」
「不審者じゃない! 予約が取れなかっただけだ!」
「同じことだ」
「全然違うわ!」
ゴン。ゴン。ゴン。ゴン。ゴン。
◆
二時間、叩いた。
途中で拳が痛くなったので、柄頭で叩いた。それも痛くなったので、また拳に戻した。ザガンは一度こちらを排除しようとして、俺が真正面から吹き飛ばされて、それでも起き上がって門に戻ってきたあたりで、諦めたらしい。椅子に戻って書類を読み始めた。
やがて。
重い音を立てて、門が開いた。
◆
リリスが立っていた。
鎧ではなく、簡素な黒い上着だった。髪が少し乱れている。寝ていたのかもしれない。
彼女は俺を見て、それから門を見て、それからザガンを見た。
「……何事だ」
「勇者カイルです」ザガンが即答した。「予約なしです」
「知っている」
リリスは俺に向き直った。その目は、三日前の夜と同じ、静かな目だった。
「二度目はないと言ったはずだ」
「言われた」
「なぜ来た」
「…………」
俺は口を開いた。
いつもなら、ここで言葉が出てくる。相手が求めているであろう台詞が、勝手に喉から出てくる。この三年、それでたいていのことは切り抜けてきた。
だから俺は、その言葉を全部、飲み込んだ。
飲み込んで、みっともないやつだけを残した。
「……あの台詞、使い回しだった」
「知っている」
「三回くらい使った」
「三回か」
「……五回かもしれん」
「増えたな」
「思い出したら増えた」
リリスは黙っていた。
「すまん。それだけ言いに来た」
俺は頭を下げた。下げてから、これでどうにかなると思っているわけじゃないな、と自分でも思った。実際、なんの計算もなかった。三日間ずっと胃の底に溜まっていたものを、そのまま吐き出しただけだ。
顔を上げると、リリスが妙な表情をしていた。
怒ってはいない。呆れてもいない。もっと、扱いに困っているような顔だった。
「……お前は」
「うん」
「本当に、馬鹿だな」
「よく言われる」
「二時間だぞ」
「聞こえてたのか」
「城中に響いていた。会議が止まった」
「悪かったな」
「悪いと思っていない顔をしている」
◆
リリスは長いため息をついた。それから、ザガンに言った。
「ザガン。この男を予約者名簿に入れておけ」
「よろしいので」
「門を叩かれ続けるよりましだ」
「かしこまりました」ザガンは書類を開いた。「頻度はいかがなさいますか」
「……週に、一度でいい」
俺は思わず顔を上げた。
リリスはもうこちらを見ていなかった。
「勘違いするな。門の修繕費のほうが高くつくというだけだ」
そう言って、彼女は城の中へ戻っていく。途中で、一度だけ足を止めた。
「今度は、」
「うん」
「唐揚げの店に連れて行け。前のところでいい」
門が閉まった。
俺はしばらくその場に突っ立っていた。
隣でザガンが、羽ペンを走らせながら呟いた。
「……四十日待ちが、週一になった」
「悪いな」
「いや」ザガンは書類から顔を上げずに言った。「二時間叩き続ける者は初めて見た。記録として残しておく」
「やめろ」
「業務日誌は正確に書く決まりだ」
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