第四話 くだらん時間だった
酒場を出ると、夜風が心地よかった。
石畳はまだ昼の熱を残していて、街灯の魔石がぽつぽつと灯っている。酔いのせいか、俺の足取りは少し軽かった。
「しかし、魔王城であのガドが唐揚げを揚げてる姿を想像すると、なんかシュールだな」
「私は至って真剣だ」
「真剣なのが問題なんだよ」
「あの唐揚げが毎日食えるなら、私は誰でも歓迎する」
「基準が唐揚げ一本かよ。魔王軍の人事、大丈夫か?」
リリスは真顔で答えた。
「実力主義だ」
「唐揚げは実力なのか?」
「揚げ技術も技術だ」
「……まあ、否定はできないな」
◆
「そもそも魔王城ってどんなとこなんだ。唐揚げが似合う場所か?」
「血と死の匂いが漂う場所だ」
「似合わねえよ」
「だが、そこに唐揚げの香りが加われば」
「和らぐと思うなよ。逆に怖いわ」
俺は本気でツッコんだ。血と死と唐揚げが同じ空間にあるの、情報量が多すぎるだろ。
「それに、料理人がビビって仕事にならないぞ。『命の危険を感じながら唐揚げを揚げる日々』なんて、誰も望んでない」
「ふむ。では待遇を上げよう」
「そういう問題じゃない!」
リリスは少し考え込んでから、心底不思議そうに言った。
「難しいものだな、人事は」
「お前、魔王軍でどんな立場なんだ本当に」
◆
「そういえば、お前っていくつなんだ」
何気なく聞いた。今度は身構えてから聞いた。前回の教訓だ。
リリスはしばらく黙ってから、あっさり答えた。
「五〇二一だ」
「五〇二一!?」
「人間の年に換算すれば、二十一くらいだろう」
「換算の仕方が雑すぎる! 下二桁そのままじゃねえか!」
「便利だろう」
「便利だけど納得いかねえ!」
リリスがまた、口の端をわずかに上げた。
……こいつ、絶対わかってやってる。
「五千年生きていると、物事の流れが遅く感じることもある」
彼女は前を向いたまま言った。
「だが、今夜は短かったな」
◆
その一言が、少しだけ、まずかった。
俺は嬉しくなってしまったのだ。
作戦が進んでいる、という意味で嬉しくなったのか、それとも別の意味だったのか、その時の俺には区別がついていなかった。とにかく、調子に乗った。
だから、口が滑った。正確に言えば、滑ったのではない。
――出てしまったのだ。
使い慣れた言葉が。
「こんな夜が、ずっと続けばいいのにな」
言ってから、しまった、と思った。
この台詞を、俺は前にも言ったことがある。一度や二度じゃない。北の港町で、南の宿場町で、東の農村で。感謝の宴の夜、酒の入った勢いで、隣に座った娘に向かって。
同じ言葉を、同じ間合いで、同じ角度で顔を傾けて。
体が覚えていた。頭より先に、口が動いた。
◆
リリスの足が、止まった。
「……ん? どうした」
彼女はゆっくりと俺を見た。
その目に、さっきまでの光はなかった。
冷たい、というのとは違う。もっと静かなものだった。何かを、確認し終えた目だ。
「今のは」
「え?」
「今の言葉は、何度目だ」
心臓が跳ねた。
「……何の話だよ」
「答えなくていい」
リリスはそう言って、視線を外した。
「五千年生きていると、わかるようになる。言葉には二種類ある。今、生まれた言葉と、前に使った言葉だ。前者は形が歪んでいる。後者は綺麗に整っている」
彼女は自分の手のひらを、一度だけ見た。
「お前は今夜、ずっと歪んだ言葉を喋っていた。だから聞いていた。だが今のは違った」
「……いや、そんな、大げさな」
「大げさか」
リリスは俺の顔を見なかった。
「ならば、なぜお前は今、目を逸らした」
◆
街灯の魔石が、じじ、と小さな音を立てた。
俺は何か言おうとした。言い訳でも、笑い話でも、なんでもよかった。この空気をひっくり返せるなら、なんでも。
だが、何も出てこなかった。
今夜ずっと軽口を叩き続けていた口が、肝心なところで一言も出さなかった。
「くだらん時間だった」
リリスは短く言った。
「え」
「唐揚げは、悪くなかった」
それだけ言って、彼女は背を向けた。
「おい、待てよ。リリス」
「二度目はない」
振り返らなかった。
「次に会うのは、あの回廊でだ。剣を持って来い。今度は峰打ちにしてやらん」
◆
青い鎧の背中が、路地の暗がりに消えていく。
途中で、一度だけ、足が止まった。
ほんの一瞬だった。振り返るのかと思った。だが彼女はそのまま歩き出して、角を曲がって、見えなくなった。
俺は石畳の上に、一人で立っていた。
◆
冷静に考えれば、作戦は失敗ではない。
初日で警戒を解いて、飯を食って、笑わせて、ここまで来た。上出来だ。むしろ出来すぎだ。最後の詰めを焦っただけで、また七度目に城へ行けばいい。断られたら八度でも九度でも行けばいい。
そう、これは技術的な失敗だ。挽回可能な、手順の問題だ。
俺は自分にそう説明した。
説明して、それから、しばらく動けなかった。
――なんで、胸のあたりが、こんなに気持ち悪いんだ。
油断させて隙をつく。そのための言葉だ。台詞が使い回しだろうが何だろうが、目的が達成されるなら問題ないはずだ。
問題ないはずなのに。
俺は自分の口を、手のひらで一度、乱暴に拭った。
◆
鉄床亭に戻ると、ガドがカウンターを拭きながら顔を上げた。
「おや、旦那。嬢ちゃんはどうした」
「……帰った」
「喧嘩でもしたかい」
俺は答えなかった。答えられなかった。
ガドは何も聞かず、黙ってジョッキを一つ置いた。
「唐揚げ、まだ残ってるぞ」
「……いる」
俺は一人で、冷めた唐揚げを食った。
うまかった。それが、いちばん腹が立った。
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