第十九話 記録にない戦争
王城の待合は、石の廊下だった。
長椅子が二つ。窓が高いところに一つ。三年前もここで待たされた。あの時は半日だった。
今回は、二日待たされた。
初日、書記官が来て、身元の確認をした。二日目、別の書記官が来て、同じことを聞いた。三人目が来て、また同じことを聞いたところで、俺は聞き返した。
「あんたら、記録を回してないのか」
「回しております」
「じゃあなんで三回聞く」
「様式が三種類ございますので」
この国は、魔王城とよく似ていた。
◆
三日目の朝に、ようやく通された。
広間には、十人ほどいた。
奥に王が座っている。三年前より髪が白い。左手には宰相。右手には、白い法衣の司教。壁際に書記官が四人、それぞれ別の帳面を持っている。
俺は跪いた。誰も座れとは言わなかった。
「勇者カイル」
「はい」
「三年だ」
「はい」
「討伐は、まだか」
俺は顔を上げた。
この三日、何を言うか考えていた。考えていたはずだが、いざ聞かれると、口から出たのは事実だけだった。
「魔王城に、入りました」
広間がざわめいた。
「入った、と申したか」
「入りました。三日前です。門から入って、玉座の間まで通されました」
「通された?」
宰相が身を乗り出した。
「潜入したのではなく、通されたのか」
「予約を取りました」
「予約」
「三ヶ月待ちでした」
◆
誰も、笑わなかった。
書記官の羽ペンが四本、一斉に動いていた。四人が四つの帳面に、別々の様式で、同じことを書いていた。
「魔王を見たか」
「見ました」
「どのような姿だ」
俺は答えるのに、少し時間がかかった。
「……角が四本ありました。背が高くて、髪が黒くて、こめかみが白かった」
「それで」
「それだけです」
「それだけとは何だ」
司教が初めて口を開いた。
「魔王は、闇そのものであると伝えられている」
「唐揚げを食っていました」
広間が静かになった。
「……何を食っていたと申した」
「唐揚げです。城下町の鉄床亭のものです。三十皿持っていきました」
司教は俺を見て、それから王を見た。王は何も言わなかった。
「勇者殿」
司教の声は穏やかだった。
「お疲れなのだ。三年の旅で、心が」
「疲れてません」
「魔物に触れすぎた者は、時に、あちらの見せるものを見ます」
「魔物と魔族は、別です」
言ってしまってから、俺は自分の言葉を聞いた。
三ヶ月前の俺なら、絶対に言わなかったことだ。
◆
「別、とは」
宰相が聞いた。
「野の魔物は、誰の指揮下にもありません。獣です。あれは天災と同じで、勝手に湧いて、勝手に町を襲います」
「それは魔王が放っているのだ」
「放っていません」
「なぜ言い切れる」
「城で飼っている個体には、印があります。餌をやって、配置を決めて、給金の代わりに肉をやって、頭数分の記録をつけています。数を管理しているんです」
俺は続けた。
「無限に湧かせられるなら、記録なんかつけません。餌代の計上もしません」
宰相は何も言わなかった。
書記官の羽ペンは、まだ動いていた。
◆
「一つ、伺っていいですか」
「申せ」
「この三年で、我が国の軍と、魔王軍が戦った場所はどこですか」
誰も答えなかった。
「三年で一度もないなら、その前でも構いません。十年前でも、五十年前でも」
「……勇者殿」
「俺が三年で戦ったのは、魔物と、盗賊と、崖崩れと、洪水と、疫病の出た村と、橋の落ちた街道です」
俺は跪いたまま、床を見ていた。
「一度も、魔族の軍と戦っていません」
沈黙があった。
その沈黙を破ったのは、書記官の一人だった。
彼は帳面をめくって、事務的な声で言った。
「記録がございます」
俺は顔を上げた。
「先月、王都近郊にて原因不明の地鳴りが発生。石畳四十七枚、噴水一基、天幕十一張り、屋根瓦二十三枚が損壊。魔族による攻撃の可能性ありとして、報告書が上がっております」
俺は口を開いた。
開いて、閉じた。
あれはリリスがやった。俺が立て替えた。十二万セロだった。彼女は今、時給十二セロで返している。四年六ヶ月と、少し。
それを、この場で言うことはできなかった。
「死傷者は」
俺はやっと、それだけ聞いた。
「……ゼロです」
「人が一人も死んでいない攻撃を、攻撃と呼ぶんですか」
「様式上、そう分類されます」
◆
王が手を上げた。ざわめきが止まった。
「勇者カイルよ」
「はい」
「そなたは、我が国が魔王と戦争をしていることを、知っておるな」
「……はい」
「いつからだと思う」
俺は答えられなかった。
「二百四十年前からだ」
王は言った。
「余の父も、その父も、戦争の最中に生まれ、戦争の最中に死んだ。誰も終わらせておらん」
「二百四十年、一度も戦っていないのにですか」
「終わらせるには、書類が要る」
王は静かに言った。
「始めた者は、もうおらん。終わらせる者の名を、誰が書く」
◆
俺は跪いたまま、そのことを考えていた。
軍を動かすには書類が三ヶ月かかる。この国は、そういう国だ。
だが、終わらせる書類は、三ヶ月では済まないのだろう。二百四十年分の何かに、誰かが名前を書かなければならない。書いた者は、二百四十年を無駄だったと認めることになる。
「勇者殿」
司教が言った。
「あなたは、よくやっている」
「……はい」
「魔王城に招かれるまでになった。それは大きな戦果です」
嫌な予感がした。
「引き続き、城内に留まっていただきたい」
「留まる」
「信を得て、内側から時を待つ。それが最も犠牲の少ない道です」
俺は司教を見た。
その作戦を、俺は自分で考えた。三ヶ月前、リリスに六度負けた男が、剣で勝てないと悟って考えた作戦だ。惚れさせて、油断させて、隙をついて殺す。誰にも言っていない。ミラにも、ガドにも、リリスにも言っていない。
それを今、白い法衣の男が、俺に命令していた。
「……いつからですか」
「何がです」
「その方針は、いつから決まっていたんですか」
司教は微笑んだ。
「あなたが村を出た年からです」
◆
外に出ると、日が高かった。
ガロンが門の脇の石に座って、剣の柄を磨いていた。ノエルがその隣で、鳩に何かやっている。ミラは壁にもたれていた。
「どうだった」
ガロンが立ち上がった。
「……三日待たされた」
「そうじゃなくてさ。次はどこ行くんだ。魔王城だろ。今度こそ、四人でやろうぜ」
ガロンは笑っていた。悪意は一つもなかった。
「ガロン」
「おう」
「魔王軍と戦ったこと、あるか」
「あるだろ。三年もやってたんだから」
「どこでだ」
ガロンは口を開けたまま、しばらく考えた。
「……えーと」
「思い出せるか」
「魔物なら、いくらでもいるぞ」
「魔物じゃない。魔族の軍だ」
ガロンは腕を組んで、本気で考えていた。善良な男だ。三年間、一度も疑わなかった。
「……なんでだ?」
ようやく、彼はそう言った。
「なんで、一回もないんだ?」
ノエルが鳩から顔を上げた。
「あ、それ、わたしも思ってました」
「思ってたのかよ」
「はい。でも、聞いたら怒られる気がしたので」
ノエルは首を傾げた。
「怒られる気がすること、って、だいたい聞いちゃいけないことなんですよね」
◆
ミラが壁から離れた。
「カイル」
「なんだ」
「あんた、あの子に何も言ってないでしょ」
「…………」
「三ヶ月前から、何か企んでたよね。あたし、そばで見てたから」
俺は答えなかった。
「今日、王城で何か言われたね」
「……なんで分かる」
「顔。あんた、嘘つく前に一回、口を閉じる癖があるの。三年見てた」
ミラは杖を担ぎ直した。
「あたしはね、あんたが何を企んでたかは知らない。知りたくもない」
「そうか」
「でも、今のあんたは、企んでる顔じゃない」
「……どんな顔だ」
「困ってる顔」
ミラは歩き出した。
「困ってる時に人が何をするかで、その人が決まるのよ。うちの母さんが言ってた」
「……宿屋の娘じゃなかったか、それ」
「マレナの母さんの受け売り」
「他人の母親かよ」
◆
王都の門を出て、城下町へ向かう街道を歩いた。
半日歩けば、東に魔王城がある。
西に戻れば、鉄床亭がある。
俺は、そのどちらの方向にも、行きたくなかった。
三年前、俺はこの国の勇者になった。村中が見送ってくれた。剣を握らされ、期待を背負わされ、大陸中を歩いた。魔物を斬り、盗賊を捕らえ、崖を掘り、川を堰き止めた。
その全部が、たぶん、本当に人の役に立った。
だが、誰と戦争をしていたのかを、俺は今日まで一度も確かめなかった。
◆
城下町に着いたのは、日が落ちてからだった。
鉄床亭の裏口に、リリスが立っていた。前掛けをつけたままだ。仕事終わりだろう。
「遅い」
「……ああ」
「三日と言った。四日かかっている」
「そうだな」
俺は彼女の顔を見た。
いつもの真顔だった。
「王城は、なんと言った」
俺は口を開いた。
開いて、一度、閉じた。
その一瞬を、リリスは見ていた。
「……討伐はまだか、と言われた」
「そうか」
「それだけだ」
「そうか」
リリスは前掛けを畳んだ。
それから、俺の顔を見ずに言った。
「お前は今、二度、口を閉じた」
お読みいただき、ありがとうございました!
ブックマークや下の☆☆☆☆☆の評価にて応援していただけますと励みになります!
この作品が面白いと思ったら
『( ゜∀゜)o彡°』
とだけコメントください




