第十六話 殺しに来た場所に、挨拶に行く
「第三条」
「陛下の御前では、名を呼ばれるまで口を開いてはならない」
「第九条」
「目を合わせてはならない」
「第二十二条」
「陛下が笑われた場合、直ちに平伏する」
「よし」
街道を歩きながら、俺は四十七条を三周した。
リリスは鍋を三つまとめて担いだまま、横を歩いている。しばらく黙って俺を見ていたが、やがて口を開いた。
「何をしている」
「暗記だ」
「何のだ」
「拝謁の手引き」
俺は足を止めた。
「……知らないのか」
「知らん」
「四十七条あるぞ」
「多いな」
「お前の家の規則だろ!?」
「ザガンだ」
リリスは前を向いたまま言った。
「あれは規則を作るのが仕事だ。作れと誰も頼んでいない」
「頼まれてないのに四十七条作ったのか」
「二年前は三十一条だった」
「増えてるじゃねえか!」
◆
「じゃあ聞くけどな」
俺は木札のように暗記した文言を頭から引っ張り出した。
「第二十二条だ。陛下が笑われた場合、直ちに平伏せよ。これは何なんだ」
「そう書いてあるのか」
「書いてある」
「ふむ」
「お前の父上、笑うのか」
「よく笑う」
「よく!?」
「よく笑う」
「じゃあ俺、ずっと床にいることになるぞ」
「そうなるな」
「困るだろ!」
「困るのはお前だ」
正論だった。この女はいつも、腹が立つほど正しい。
リリスは少し考えてから、付け加えた。
「だが、その条は覚えておけ」
「なんでだよ」
「念のためだ」
俺はそれ以上聞かなかった。聞いても答えないことは、もうわかっている。
◆
二時間歩いて、街道脇で最初の火を焚いた。
石を六つ、火の中に押し込む。焼けるまでの間に、鍋の蓋を開けて中を検める。毛布を巻き直す。ガドに教わった通りの手順だ。
蓋を開けた瞬間、油と香辛料の匂いが立った。
「……一個くらい、いいか」
「駄目だ」
「一個だぞ」
「三十皿だ。数えてある」
「数えたのかよ」
「数えた」
「いつ」
「昨夜と、今朝と、さっき」
「三回も数えたのか!」
「一皿につき、九個入っている」
「個数まで!?」
二百七十個。俺は歩きながら検算して、合っていることを確認して、そのことに絶望した。
◆
四時間目の火は、少し長く焚いた。
石が焼けるのを待つ間、俺は火を見ていた。
三年前、この道の先にある丘で、俺は焚き火をした。仲間三人を担いで城から下がって、火を起こして、腕を組んで、朝まで座っていた。
あの夜、俺は一つ思いついた。
今、俺は同じ道の途中で、同じように火を焚いて、唐揚げのための石を焼いている。
「何を見ている」
「火だ」
「火は面白いか」
「昔、火を見ながら考え事をしたことがある」
「何を考えた」
「……忘れた」
「そうか」
リリスはそれ以上聞かなかった。
石を火から出して、鍋に入れ、毛布を巻き直した。手順は三十分で終わった。
「私は、火を見ても何も考えん」
「そうだろうな」
「なぜ笑う」
「笑ってない」
◆
丘を越えたところで、城が見えた。
俺は足を止めた。
六度来た城だ。だが、昼の光の下で見たのは、初めてだった。六度とも夜に来た。夜に忍び込み、夜に沈められ、夜のうちに這って帰った。
昼の魔王城は、思っていたよりも、古かった。
黒い石を積んだ壁。塔が四つ。西側の壁に、色の違う石が四角く嵌まっている場所がいくつかある。周りより新しい石だ。
「……あれ、直したのか」
「直した」
「あの、天窓の枠も」
「新しくした。割れていたからな」
「あれ、割ったの俺だぞ」
「知っている」
リリスは鍋を担ぎ直した。
「私が壊した分は、私が直す。お前が壊した分は、ザガンが泣きながら直した」
「泣くのか、あいつ」
「予算会議の前に泣く」
「年二回か」
「年二回だ」
◆
大門は、開いていた。
その前に、椅子を置いてザガンが座っている。四本の腕のうち二本で書類をめくり、一本で羽ペンを持ち、一本は組んでいた。
「予約者番号〇〇一番、勇者カイル」
「来たぞ」
「本日の受付票です」
ザガンが木札を差し出した。俺は受け取って、字を見た。
『勇者・カイル』
最後まで彫ってあった。
「……前のは『勇者・カ』だったぞ」
「彫刻の途中で呼び出しがありました」
「三ヶ月そのままだったよな」
「本日は最後まで彫る時間がありました」
ザガンは羽ペンを構え直した。
「では、持ち込み品の申告をお願いします」
「唐揚げ三十皿」
羽ペンが止まった。
「……三十皿」
「三十皿だ」
「食品の欄がございません」
「作れよ」
「様式の変更には決裁が要ります」
「今日中に食うんだよ!」
結局、『その他』の欄に書かれた。三十皿が、その他だった。
◆
「続きまして、第十四条により、武器はお預かりいたします」
俺は腰に手をやった。
留め具を外す。鞘ごと引き抜いて、ザガンに渡す。四本ある腕のうち、一番下の一本が受け取った。
ザガンは別の木札に何か彫って、俺に寄越した。
『剣 一本 勇者カイル』
「お返しは退出時になります」
「わかった」
三年間、俺の腰にあったものが、木札一枚になった。
軽かった。
「上着を着替えたい。どこか使えるか」
「門番所をお使いください」
◆
門番所は狭かった。書類の束と、椅子と、湯を沸かす道具しかない。
俺は旅装を脱いで、袋から濃紺の上着を出した。皺は寄っていなかった。マーサの畳み方が正しかったらしい。
外に出ると、リリスがこちらを見た。
しばらく、何も言わなかった。
尻尾が、一度だけ動いた。
「……悪くない」
「マーサに言っとく」
「言え」
「ちなみにこれ、まだ払ってない」
「私も払っていないものがある」
「何をだ」
「十二万セロだ」
「思い出させるな」
◆
門をくぐる前に、リリスが鍋の毛布に手を当てた。
「温かい」
「保ってるか」
「保っている」
彼女は蓋をわずかに持ち上げて、匂いを確かめた。
「揚げたてではない」
「そりゃそうだ」
「だが、冷めてもいない」
「六時間だぞ。上出来だろ」
「上出来だ」
リリスは蓋を戻し、毛布を巻き直した。
「ガドに礼を言っておけ」
「三十五時間洗うって言ってある」
「それは礼ではない。借金だ」
「同じようなもんだろ」
「違う」
◆
門をくぐった。
回廊は、記憶より明るかった。天窓が直っているからだ。差し込んでいるのは月明かりではなく、昼の光だった。
床の石が、途中で一箇所だけ、色が違っている。
三年前、俺の背中がめり込んだ壁の、真下だ。
誰も、襲ってこなかった。
柱の陰から、布を持った小柄な魔族が出てきて、床を拭き始めた。書類の束を抱えた別の魔族が、廊下の向こうから歩いてきて、俺たちの横をすれ違った。
すれ違いざま、そいつは軽く頭を下げた。
俺は反射で下げ返した。
六度、俺はこの回廊で剣を抜いた。六度とも、玉座には届かなかった。
今日、俺は剣を門に預けて、唐揚げを二百七十個持って、ここを歩いている。
リリスが手を差し出した。
「条項五だ」
「今か」
「今だ」
俺はその手を握った。皿洗いで荒れた、小さい手だった。
二人で、回廊を歩いた。
角を曲がったところで、向こうから来た魔族が足を止めた。
そいつは俺の顔をまじまじと見てから、大きな声で言った。
「あっ。勇者だ」
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