第十五話 手土産は唐揚げで
「酒だ。男親には酒だ」
ガドは三日前と同じことを言った。
「その線は消えた」
「なんでだ」
「向こうの家に、蔵がある」
「蔵」
「古い酒が入ってるらしい」
「どのくらい古いんだ」
俺は答えなかった。
昨日、リリスに聞いたのだ。父君は酒を飲むのか、と。飲む、と返ってきた。どんな酒だ、と重ねて聞いたら、彼女はしばらく考えてからこう答えた。
「私が生まれる前からある」
俺が街の酒屋で買える一番いい酒は、六年物だ。
「六年物を、その隣に置けるか」
「置けねえな」
「置けないだろ」
ガドは腕を組んだ。
「じゃあ何持ってくんだ」
「それを相談してるんだよ」
◆
候補は昨日のうちに、ほとんど消えていた。
菓子。却下。王都の菓子屋は名前を書いた紙を包みに貼る。どこの誰が誰に贈ったかが残る。
装飾品。却下。金がない。
剣。論外だ。殺しに来た男が、二度目に刃物を持って行くな。そもそも手引きの第十四条で持ち込みが禁止されている。
残ったものは、一つしかなかった。
「あいつが、一度だけ『持って帰りたい』って言ったものがある」
「なんだそりゃ」
「お前だ」
「俺か!?」
「厨房ごと連れて帰るって言われた。部下を三十人つけるとも言ってた」
「そりゃ光栄だが、俺は行かんぞ」
「行かなくていい。揚げてくれるだけでいい」
ガドはしばらく俺の顔を見てから、ふん、と鼻を鳴らした。
「唐揚げか」
「唐揚げだ」
「親父さんへの挨拶に、酒場の唐揚げを持ってくのか」
「持ってく」
言ってしまってから、自分でもどうかと思った。
だが、他に何もなかった。
◆
「何皿だ」
「……五皿くらいか」
厨房の奥で、皿を洗う音が止まった。
前掛けをつけたリリスが顔を出した。
「足りん」
「聞いてたのか」
「聞こえた」
「じゃあ聞くけどな、お前の家、何人いるんだ」
「父と、私と、家の者が四人」
「六人だろ。五皿でいけるだろ」
「あと、飼っているものがいる」
「犬か何かか」
「……犬ではない」
「何匹だ」
「数えたことがない」
「数えてくれ!」
ガドが感心したように頷いた。
「北のお宅は大所帯だなァ」
「そうなんだよ。北は広いんだ」
北はいつも俺を助けてくれる。
結局、リリスが指を折って出した数が三十だった。根拠は聞かなかった。聞くと、飼っているものの話に戻る。
「三十皿だな」
「三十皿だ」
ガドは木札に線を引きながら、指を折った。
「うちで出す値段なら、千四百四十セロだ」
俺は椅子から落ちかけた。
「千四百」
「四十」
「一皿四十八セロだもんな」
「そうだ」
俺は財布を出した。出したところで、中身は変わらなかった。
三年分の路銀は、石畳四十七枚と噴水一つと屋根瓦二十三枚に化けている。あの日から俺の財布は空だ。
「ガド」
「言うな。顔でわかる」
「すまん」
「原価でいい。鶏と油と粉で、四百二十セロだ」
「安すぎないか」
「客に出す値段で友達に売る店主がいるか」
「……助かる」
「ツケといてやる」
◆
「私が払う」
リリスが前掛けを外しながら言った。
「お前、金あるのか」
「働けばある」
「その働いた分は、俺への返済だろ」
「では、ガドに四百二十セロ払い、その分お前への返済を延ばす」
「なんで俺の取り分が減るんだよ!」
「金は減っていない。位置が変わるだけだ」
「位置の話をするな!」
ガドがカウンターを拭きながら言った。
「俺はどっちから貰ってもいいぞ」
「よくない!」
「よくないのか」
「よくない。そこが崩れると、全部が一本の輪になるんだよ」
リリスが俺に借りている。俺がガドに借りている。ガドがリリスに給金を払っている。
誰かが一歩動くと、三人とも動く。
「俺が洗う」
「あ?」
「四百二十セロだろ。時給十二セロで、三十五時間だ」
「旦那が洗うのか」
「洗う」
「勇者がか」
「今月、依頼が入ってないんだよ」
ガドは声を上げて笑い、それから急に真顔になった。
「まあ、いつでもいい。旦那が魔王でも倒して有名になったら、まとめて払ってくれ」
店の客が何人か笑った。
俺は笑わなかった。
リリスは唐揚げの追加を頼んでいた。
◆
その夜、裏口でリリスを待った。
皿洗いを終えた彼女が出てきて、前掛けを畳みながら言った。
「一つ聞きたい」
「なんだ」
「なぜ、食い物を持っていく」
「手土産だからだよ」
「手土産とはなんだ」
「人の家に行く時に、持っていくものだ」
「なぜ持っていく」
「なぜって」
俺は口を開いて、閉じた。
三年間、村でも町でも城でも、手ぶらで入ったことはない。持っていくものだと教わったから、持っていっただけだ。
「わからん」
「わからんのか」
「わからん。だが、持っていく」
「理由のない儀式か」
「理由のない儀式を、人間は――」
「伝統と呼ぶ、だろう。それは前に聞いた」
「既出かよ!」
「条項四に抵触する。言い直せ」
「手土産の説明にまで適用するな!」
リリスは畳んだ前掛けを小脇に抱えた。
「一つ、確認しておく」
「まだあるのか」
「まずいものを出したら、斬る」
「基本条項!」
「父にまずいものを出した場合も、私が斬る」
「対象が広がってる!」
「当然だ」
「三十皿のうち一皿でも失敗してたら、俺は死ぬのか」
「ガドの腕を信じろ」
「お前が信じてどうすんだよ!」
リリスは少し黙ってから、前を向いたまま言った。
「……父は、たぶん喜ぶ」
「そうか」
「私が、持って帰りたいと言ったものだからな」
尻尾が、一度だけ、ゆっくり動いた。
◆
翌朝、まだ暗いうちに鉄床亭の厨房に立った。
ガドが鶏を捌いている。リリスが粉をまぶしている。俺は油の番だ。そして、なぜかゴズが薪を割っている。
「なんでお前がいるんだ」
「姐さんの晴れ舞台っすから! 俺も一枚噛ませてください!」
「晴れ舞台って言うな。胃が痛くなる」
「あと、聞いたっす。旦那、皿洗い三十五時間やるって」
「聞くな」
「応援してるっす」
「やめろ」
リリスの手が速い。粉をまぶす速度が、明らかに人の速度ではなかった。
「速いな」
「毎日やっている」
「粉まぶしは毎日やってないだろ」
「同じだ。速く、壊さない」
皿の時と同じことを言っていた。
◆
問題は、ここからだった。
「揚げてうまいのは、半時間だ」
ガドが鍋から目を離さずに言った。
「半日かかる」
「なら、十二回分うまくねえな」
「どうすればいい」
ガドは床に鍋を三つ並べた。蓋のついた、深い鍋だ。
「これに詰めて、焼いた石を二つずつ入れる。上から毛布で巻いて、縄で縛る」
「それで保つのか」
「二時間だ」
「半日は六時間だぞ」
「だから途中で二回、火を焚いて石を焼き直せ」
「街道で焚き火を二回」
「二回だ」
「……魔――北の家に挨拶に行くのに、道中で二回焚き火をするのか」
「するんだよ。飯を運ぶってのは、そういうことだ」
鍋が三つ。石が六つ。薪が一束。毛布が三枚。
俺が三年間背負ってきた荷物より、重かった。
「石は俺が運びます!」ゴズが胸を叩いた。
「お前は遅い」
「即答!?」
「私が運ぶ」
「待て。おかしいだろ。もらう側が運ぶな」
「もらうのは父だ」
「そうだけど!」
「それに、お前も遅い」
「俺もかよ」
◆
三十皿分を揚げ終えるまでに、二時間かかった。
ガドは鍋を二つ同時に使い、油の温度を一度も落とさなかった。元Aランクの手際というのは、こういうところに出るらしい。
最後の一皿が上がった時、外はまだ薄暗かった。
俺は油の面を見ていた。
――作戦は、順調だ。
頭の中でそう組み立てた。
組み立てたが、続きが出てこなかった。代わりに出てきたのは、行程の計算だった。夜明けに出る。二時間で最初の焚き火。四時間で二度目。日が高くなる前に、門に着く。
完璧な行程だった。
◆
夜が明けた。
毛布で巻かれた鍋が三つ、縄で縛られて店の前に並んでいる。リリスがそれを、まとめて担いだ。
「その上着で歩くのか」ガドが聞いた。
「歩かない。袋に入れる」
「賢いな」
「マーサに殺される」
俺は旅装のまま、薪の束だけを抱えた。持たせてもらえたのが薪一束というのは、勇者としてどうなのかと思ったが、口には出さなかった。
城下町の門を出ると、東の空が白んでいた。街道の先に低い山があり、その裾に城がある。
徒歩で、半日。
三年かけて大陸中を歩き回った末に教えられた場所は、朝に出れば昼前に着く距離にあった。
ガドが店先まで出てきて、手を振った。
「旦那ァ! ツケは逃げねえからな!」
「わかってる!」
リリスが鍋を担ぎ直した。
「行くぞ」
「ああ」
魔王への手土産は、魔王の娘が担いでいた。
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