第十四話 父に会ってほしい
「近いうちに、父に会ってほしい」
俺は、その一文を頭の中で三回読み返した。
三回とも、同じ意味だった。
「……父」
「そうだ」
「父って、あの」
「一人しかいない」
「一人しかいないよな」
「いない」
門の向こうで、ザガンが書類を閉じる音がした。
◆
「待て。落ち着け。整理させてくれ」
「落ち着いていないのはお前だけだ」
「お前の父上ってことは、つまり」
「そうだ」
「あの城の、奥にいる」
「いる」
「俺が三年かけて、殺しに来た相手だ」
言ってしまってから、俺は口を押さえた。
リリスは表情一つ変えなかった。
「知っている」
「知ってるのかよ」
「勇者だからな。それが仕事だろう」
「あっさりしてるな!?」
「今さらだ」
◆
俺は必死に逃げ道を探した。
「あのな、リリス。俺は人間だ」
「知っている」
「魔族の親御さんに紹介されるような立場じゃないだろ」
「立場は関係ない」
「関係あるだろ!」
「ないと父は言うだろう」
「なんで言い切れるんだよ」
リリスは少し考えてから、答えた。
「普通の父だからだ」
……普通。
俺は五千年生きた女の「普通」を、まったく信用していなかった。
◆
「日程だが」
門の向こうから、ザガンの声がした。
「聞こえてるのかお前!」
「門は開いております」
「閉めろよ!」
「規定により、リリス様が門前におられる間は開放です」
ザガンが書類を持って出てきた。
「勇者カイルの予定を確認いたしました。今月、依頼は入っておりません」
「なんで俺の予定を把握してんだ!」
「ギルドの掲示板は公開情報です」
「調べたのかよ!」
「調べました」
「趣味が悪いぞ!」
「業務です」
◆
その夜、俺は宿の寝台で天井を睨んでいた。
――魔王城に、招かれている。
俺は三年かけて、あの城の門を六度こじ開けようとした。六度とも、玉座の間には辿り着けなかった。回廊で沈められ、担がれて帰った。
それが今、招待状つきで通される。
武器を持ったまま。歓迎されて。娘に手を引かれて。
……作戦は、順調だ。
俺はその言葉を、はっきりと、頭の中で組み立てた。
組み立ててから、しばらく、動けなかった。
◆
翌日から、俺は相談して回った。
相談相手の選定を間違えた、と気づいたのは全部終わってからだ。
◆
【相談一件目・鉄床亭 ガド】
「なんだ旦那、嬢ちゃんの親父さんに挨拶か」
「そうだ」
「そりゃめでてえ!」
「めでたくない」
「何言ってんだ。俺も昔やったぞ、女房の親父にな」
「どうだった」
「殴られた」
「参考にならん!」
「いや、あれは俺が悪い。挨拶の前に酒飲んでいったからな」
「そうだろうな」
「だから旦那は、酒は持って行くだけにしとけ。飲むなよ」
ガドは真剣な顔で頷いた。
「手土産は酒がいい。男親には効く」
俺は、魔王が酒瓶を受け取る場面を想像しようとして、失敗した。
◆
【相談二件目・マーサ衣裳店】
「あらあらあらあら!」
「うるさいな」
「とうとうかい! 早いねぇ!」
「早いとかじゃない」
「服は?」
「服?」
「まさかその格好で行く気じゃないだろうね」
マーサは俺の胸元を掴んで引き寄せた。
「旅装だよそれ。血の染みが抜けてない」
「洗ったんだけどな」
「抜けてない」
「……仕立ててくれるか」
「三日でやる」
「早いな」
「腕がいいからね」
マーサは紐を取り出しながら、にやりと笑った。
「で、お父上はどんな方だい? 背は高い? 厳しそう?」
「……会ったことがない」
「そりゃそうだ。これから会うんだからね」
その通りだった。
◆
【相談三件目・ミラ】
これが一番きつかった。
「へえ。親に会うんだ」
「……ああ」
「早いわね」
「早いか」
「早い」
ミラは杖の先で床をつつきながら、こちらを見なかった。
「ねえカイル。父親ってさ、だいたい娘の男を敵だと思ってるのよ」
「そうか」
「あたしの父親もそうだった。宿の下働きの兄ちゃんに、包丁向けたことがある」
「物騒だな」
「でもね」
彼女は顔を上げた。
「本当に怖いのは、敵だと思ってる親じゃないの」
「じゃあ何だ」
「娘のこと信じてる親よ」
俺は返事ができなかった。
「『この子が選んだ人なら間違いない』って言う親。あれが一番きつい。逃げ道がないから」
ミラは杖を担いだ。
「あんた、逃げ道あるの?」
「…………」
「ないんだ」
「……ない」
「そう」
彼女はそれ以上、何も聞かなかった。
◆
【相談四件目・魔王城門前 ザガン】
「拝謁の手引きです」
ザガンが冊子を差し出した。
「手引きまであるのか」
「ございます。全四十七条」
「四十七!?」
「読み上げましょうか」
「要点だけでいい」
ザガンは冊子を開いた。
「第三条。魔王陛下の御前では、名を呼ばれるまで口を開いてはなりません」
「はい」
「第九条。目を合わせてはなりません」
「はい」
「第十四条。武器の持ち込みは禁止です」
「まあ、そうだろうな」
「第二十二条。陛下が笑われた場合、直ちに平伏してください」
「……笑ったら?」
「はい」
「笑ったら平伏するのか」
「はい」
「逆じゃないか? 普通、笑ったら和んだってことだろ」
ザガンは冊子から顔を上げた。
「陛下が笑われる時は、たいてい、和んでおられません」
「…………」
「第二十三条に続きます」
「もういい!」
◆
その日の夕方、俺は鉄床亭の裏口でリリスを待った。
皿洗いを終えた彼女が出てきた。前掛けを外しながら、こちらを見る。
「なんだ、その顔は」
「聞きたいことがある」
「言え」
「お前の父上って、どんな人だ」
リリスは少し考えた。
「普通の父だ」
「それさっきも聞いた」
「ではもう少し詳しく言おう。娘に甘い」
「甘い」
「甘い」
「……本当か?」
「本当だ。私が三百歳の頃、城の東棟を壊したことがある。父は何も言わなかった」
「東棟を!?」
「訓練中だ」
「訓練で棟を壊すな!」
「あの時は加減を知らなかった」
「今も怪しいけどな」
リリスは前掛けを畳んだ。
「あと、最近は落ち着いている」
「……最近は?」
「そうだ」
「最近はって、その前は何だったんだ」
リリスは答えなかった。
畳んだ前掛けを小脇に抱えて、歩き出しただけだった。
「おい」
「行くぞ」
「なあ、その前は何だったんだって」
「聞かない方がいい」
「聞かせろよ!」
◆
その夜、俺は宿でザガンの手引きを開いた。
四十七条を最後まで読んだ。読み終えて、灯りを消して、寝台に横になった。
眠れなかった。
◆
断ることは、できた。
断る理由は、いくらでも作れた。都合が悪い、心の準備ができていない、もう少し先でいい。三年間、俺は言い訳を作る訓練だけは積んできた。
だが、断れば、リリスは理由を聞く。
そして俺には、彼女に言える理由が、一つもなかった。
――行けば、玉座の間に入れる。
そう思ったことを、俺は否定しない。
三年かけて辿り着けなかった場所に、明日にでも入れる。武器は持ち込めないが、方法はいくらでもある。作戦上、これ以上の好機は存在しない。
そう思ったことは、事実だ。
だが同時に、俺は毛布をかぶって、こうも思っていた。
――四十七条、全部覚えないとまずいな。
どっちが本音なのか、俺にはもうわからなかった。
◆
三日後、マーサの店で服が仕上がった。
濃紺の上着に、飾りのない襟。派手ではないが、安っぽくもない。腕はさすがだった。
「よく似合うよ」
「そうか」
「あんた、それ着て何しに行くんだい」
「……挨拶だ」
「そうかい」
マーサは俺の襟を直しながら、ぽつりと言った。
「挨拶ってのはね、要するに『この人を預からせてください』って言いに行くことだよ」
「…………」
「預かる気、あるのかい」
俺は鏡を見た。
鏡の中の男は、なかなか良い服を着ていた。
答えは、返さなかった。
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