第十話 元カノ襲来(複数)
あの日から三日、リリスの様子はおかしかった。
いつも通り店に出て、いつも通り皿を洗う。だが、洗う速度が異様に速い。しかも一枚も割らない。ガドが「腕を上げたな」と感心していたが、俺は違うと思った。
あれは、他のことを考えないようにしている手つきだ。
◆
「行くぞ」
四日目、俺は覚悟を決めた。
「どこにだ」
「ニナのところだ。話をつけてくる」
「……そうか」
「お前は店にいろ」
「行く」
「いや、お前が来ると話がややこしく」
「行く」
二度言われた時点で、俺に選択肢はなかった。
◆
三番通りの仕立屋は、思ったより大きな店だった。
扉を押すと、鈴が鳴った。
「はぁい、いらっしゃ――カイルさん!」
ニナが両手を上げて喜んだ。
「よかった、来てくださって! ちょうど今日、集まりの日なんです!」
……集まり?
「みんなー! カイルさん来たよー!」
奥の扉が開いた。
三人、出てきた。
◆
一人目。褐色の髪を結い上げた女。東の宿場町ドレクの宿屋の娘、マレナ。二年前、街道に魔物の群れが出た時に片付けた町だ。
二人目。そばかすの小柄な娘。南の農村サルカ、ソフィ。盗賊団を潰した村だ。今は市場で野菜を売っているらしい。
三人目。背が高く目つきの鋭い女。北の峠で崖崩れに埋まった隊商を掘り起こした時にいた元冒険者、エルザ。
全員、俺が救った町の人間だった。
全員、王都にいた。
「なんで」
俺の口から出たのは、それだけだった。
「『勇者カイル様を応援する会』です!」
ニナが胸を張った。
「応援する会」
「はい! わたしが会長で」
「会長がいるのか」
「マレナさんが会計で、エルザさんが書記です」
「役員までいるのか!?」
「ソフィちゃんは会報担当です」
「会報!?」
ソフィが袋から冊子を取り出した。ちゃんと綴じてある。表紙に几帳面な字で『カイル通信 第七号』と書いてあった。
「七号も出てるのか」
「月刊です」
「月刊!」
◆
「会費は月五セロです」エルザが淡々と言った。「今のところ黒字だ」
「何に使ってんだよ」
「お茶菓子と、紙代」
「健全すぎる」
俺は椅子に座らされた。女が四人、俺を囲むように座る。リリスは少し離れた壁際の椅子に、静かに腰を下ろした。
「……あの、こちらの方は?」
マレナが遠慮がちに聞いた。
「知人だ」
リリスが即答した。四日前に覚えたばかりの単語を、そのまま流用してきた。
「知人」
「そうだ」
「……はぁ」
◆
地獄の茶会が始まった。
「せっかくですし、語録の読み合わせをしましょう!」
「語録?」
エルザが、分厚いノートを取り出した。
表紙に『カイル様語録』と書いてあった。
「待て。何だそれ」
「記録係だからね。会員から報告のあった発言を、全部書き留めてある」
「全部!?」
「日付、場所、状況つき」
「やめろ! やめてくれ!」
「第百十二番」エルザがページをめくった。「『お前は俺が守る』。報告者ソフィ。南の村サルカ、納屋にて」
「言いました!」ソフィが元気よく挙手した。
「第八十四番。『お前は俺が守る』。報告者マレナ。宿場町ドレク、宿の裏手にて」
空気が、止まった。
◆
「……あれ?」
ソフィが首を傾げた。
「同じ番号じゃないですよね?」
「別番号だ。内容が同じなだけだ」
「内容が同じ」
「エルザさん」マレナが低い声を出した。「他にもあります?」
「ある」
エルザはノートをめくり、指を止めた。
「第百二十番、『こんな夜が、ずっと続けばいいのにな』。報告者ニナ」
「はい」
「第九十九番、同文。報告者マレナ」
「……は?」
「第七十番、同文。報告者、私」
「エルザさん自分で言われてたんですか!?」
「言われた。だから記録した」
四人が、同時に俺を見た。
◆
「い、いや、あれはだな」
「なんですか」
「言葉ってのは、その、有限だから」
「有限」
「使い回しが発生するのは自然な現象というか」
「在庫ですね」
ニナが、にっこり笑って言った。
「あの言葉、在庫だったんですね」
「在庫!?」
「棚から出してきたんですね」
「言い方!」
◆
そこからは早かった。
エルザがノートを開いたまま集計を始め、マレナが会計台帳を持ち出し、ソフィが会報のバックナンバーを広げた。三人がかりで、俺の三年間が突合されていった。
「第百四十番と第六十三番、同文」
「あった」
「第三十三番と第八十番、語尾違いの同文」
「語尾違いも数えるのか!?」
「数える」
「重複、現時点で二十二件」
「二十二!」
「まだ増える」
「増えるな! もういい! やめてくれ!」
俺は机に突っ伏した。
「わかった。俺が悪かった。全部使い回しだ。悪かった」
「謝罪、第三番と同文です」
「それ過去に謝ってるの俺!?」
◆
女たちの反応は、思ったより実務的だった。
「会費、返金してもらえます?」ソフィが言った。
「なんで俺が!?」
「だって在庫を配ってたんですよね」
「配ってない!」
「返金は無理でも、今日のお茶代くらいは持ってもらおうか」マレナが台帳を叩いた。「四人分」
「なんでそうなる!」
「妥当だと思うけど」
「エルザ、お前からも何か言ってくれ」
エルザはノートを閉じて、こう言った。
「ランキングをやり直さないといけないな」
「そこ!?」
「上位三つが全部重複だった。第七号は回収だ」
「回収するのか会報を!」
◆
その時。
部屋の温度が、下がった。
◆
最初に気づいたのは、たぶん俺だけだった。
俺はこの感覚を知っている。六回、味わった。
魔王城の回廊で、剣を構えた瞬間に膝が笑うあの感覚。空気そのものが重くなり、肺が仕事を忘れる、あの圧。
振り返った。
リリスが、椅子に座ったまま、俯いていた。
その足元の床板に、放射状の亀裂が走っていた。
「――リリス」
窓ガラスが、内側から白く曇った。夏の昼だ。ありえない。
次の瞬間、ぴしり、と音を立ててガラスに罅が入った。
「外に出るぞ!」
俺は彼女の腕を掴んで引きずり出した。掴んだ腕が、氷のように冷たかった。
◆
通りに出た瞬間、それは起きた。
音はしなかった。
ただ、三番通りの石畳が、端から端まで、順番に割れた。
露店の天幕が全部飛んだ。並木の葉が一斉に散った。広場の噴水が根元から折れ、水柱が横倒しに吹き飛んだ。屋根瓦が滑り落ちて、いくつも砕けた。
そして通りにいた全員が、その場に膝をついた。
誰も悲鳴を上げなかった。上げられなかった。
俺だけが、立っていた。六回これを浴びたからだ。慣れとは恐ろしい。
「リリス。戻ってこい」
彼女の肩を揺さぶった。
リリスが顔を上げた。その目が、俺を認識した。
そこで、全部止まった。
風が戻り、音が戻り、夏の昼が戻ってきた。
◆
被害。石畳四十七枚。噴水、全壊。露店の天幕十一張り。屋根瓦、多数。
死者、なし。怪我人、なし。
……人だけ、綺麗に避けていた。
これがどれだけ異常なことか、たぶん俺以外の誰にもわからない。
◆
衛兵の見解は「原因不明の局所的な地鳴り」だった。
俺は謝罪行脚をした。噴水の管理者に頭を下げ、露店の店主十一人に頭を下げ、屋根を壊された家を一軒ずつ回った。ニナの店の窓ガラスも弁償した。
仕立屋の前で、エルザが言った。
「会は解散する」
「……悪かったな」
「別に。三年分の記録が取れたから、こっちは満足してる」
「何の研究してたんだよ」
エルザはノートを小脇に抱えて、それから顎で背後を示した。
「それより、あの子」
「ああ」
「あんた、あの子のこと大事にしなさいよ」
「なんで俺に言うんだ」
「あたしたちに謝るより、そっちの方が難しそうだからさ」
「……なるほど」
「あと」
エルザは真顔で付け足した。
「あの子、たぶん人間じゃないだろ」
「北の出身だ」
「北か」
「北だ」
「……そうかい」
エルザは肩をすくめて、行ってしまった。
この女、なんで冒険者やめたんだ。もったいない。
◆
その夜、鉄床亭の裏口で、リリスは石段に座っていた。
「……いくらだ」
「え?」
「壊した分だ。お前が払ったのだろう」
「……ああ」
「いくらになる」
「いいんだ、あれは」
「よくない」
俺は観念して、懐から紙を出した。衛兵詰所で切ってもらった見積書だ。
「石畳が四十七枚。噴水が丸ごと。天幕十一張り。屋根瓦が二十三枚。締めて――十二万セロだ」
「十二万」
「三年分の路銀が消えた」
リリスは革袋を取り出した。ちゃりちゃりと、頼りない音がした。
「二百二十四セロある」
「……桁が三つ足りん」
「服の釣りが八セロ残っていた。それと、この三日分だ」
「律儀に足すな」
「足りない分は、働く」
「何年かかると思ってるんだ」
「計算した」
彼女は真顔で言った。
「四年と、七ヶ月だ」
「合ってるのが怖いんだよ」
「働くのかよ、四年七ヶ月」
「働く」
「皿洗いで噴水を弁償する魔王の――」
言いかけて、俺は口を閉じた。
「なんだ」
「なんでもない」
◆
リリスは膝を抱えて、しばらく黙っていた。
「カイル」
「なんだ」
「また、あれが出た」
「あれ?」
「胸のあたりが熱い。だが痛い。喉に近い」
「ああ……」
「あの部屋で、あの女たちの話を聞いているうちに、だんだんひどくなった。最後は、床が割れた」
「割れたな」
「これは何という病だ」
「病じゃない」
「では何だ」
俺は答えようとして、やめた。
言えるわけがなかった。俺の口から言ったら、たぶん、それも語録の第何番かになる。
「……名前はある」
「言え」
「言えない」
「なぜだ」
「自分で気づいた方がいいこともあるんだよ」
「不合理だな」
「そうだな」
リリスは膝を抱えたまま、俺を睨んだ。
「ならば宿題だ」
「宿題?」
「私が答えを出すまで、お前は私に付き合え」
「……それ、四年七ヶ月かかるやつじゃないだろうな」
「かかるかもしれん」
「長いな」
「文句があるか」
「ない」
◆
なお、この日の「原因不明の地鳴り」は、翌週、王城に報告書として上がることになる。
俺がそれを知るのは、まだ、ずっと先の話だ。
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