第8話:お粥一杯の奇跡と、土下座した頑固侍医
「か……閣下が、座っていらっしゃる……!? え……えええええええっ!?」
主寝室の天井を突き破らんばかりの絶叫が、幾重にも重なって石壁を震わせた。
副団長カイエンの銀縁眼鏡が完全にずれ落ち、老侍医オットーは腰を抜かして床に転がった杖を拾うことすら忘れ、両手を天に突き上げて白目を剥きかけている。後ろに控えていた甲冑姿の護衛騎士たちにいたっては、あまりの衝撃に膝の関節が抜け、ガシャン、ドシンと音を立てて床に崩れ落ちていた。
その鼓膜を破るような阿鼻叫喚の騒音に、私の意識の奥底にあった泥のような眠気が、一瞬にして吹き飛ばされた。
「……ん……っ!? な、何事……!? 心停止!? 除細動器は――!?」
前世の救急病棟の当直室で叩き起こされた時の癖で、私は反射的に飛び起きようとした。
――が、動けない。
私の身体は、まるで分厚い毛皮の毛布と頑丈な鋼の拘束具に同時に包み込まれているかのように、びくともしなかったのだ。
「……エレナ。まだ眠っていていい」
頭のすぐ上から降ってきたのは、低く、深く、耳朶の奥を心地よく痺れさせるような男の声だった。
肌に触れているのは、冷たい石造りの床でも、硬い丸椅子の背もたれでもない。
仕立てのいい上質な布地越しに伝わってくる、驚くほど高くて力強い体温。男のたくましい胸板。そして、私の細い腰と背中を、折れんばかりの力で――それでいて壊れ物を慈しむようにしっかりと抱き抱えている、太い腕。
「……え?」
寝ぼけ眼をこすりながら視線を上げると、至近距離に、彫刻のように整った美貌があった。
乱れた漆黒の髪。研ぎ澄まされた顎のライン。そして、吹雪の後の夜空のように深く澄み渡った、神秘的な紫の瞳が、至近距離から熱っぽい光を湛えて私を見下ろしていた。
「あ……」
私の脳内メモリーが、現状を理解するのに三秒を要した。
一、私は三日三晩、不眠不休でこの男の集中治療を行っていた。
二、明け方に力尽きてベッドの縁で船を漕いでいた。
三、今、私はその患者の膝の上にすっぽりと収まり、抱きしめられている。
四、そしてその光景を、城の副団長、侍医、騎士団の部下たち全員に、バッチリと目撃されている。
「ひゃ、ひゃああああっっっ!?」
全身の血液が一気に頭頂部へと逆流した。顔面が沸騰したやかんのように真っ赤に染まる。
私はジルヴェスタの胸板を両手で力任せに突っぱね、腕の隙間からウナギのように身をよじってベッドから転がり下りた。
「な、ななな、何をなさっているのですかジルヴェスタ様ッ!!」
「……落ちそうになっていたから、抱きとめただけだ」
ジルヴェスタは何食わぬ顔でそう答えたが、腕の中に残った温もりが名残惜しいとでも言いたげに、空になった自分の掌を微かに握りしめていた。その耳の先端が、ほんのりと赤らんでいる。
だが、そんな色恋沙汰の動揺に浸っている暇は、私には一秒たりともなかった。
ベッドから飛び降りた瞬間、私の頭のスイッチは、男爵令嬢としての羞恥を瞬時にかなぐり捨て、完全無欠の「鬼の臨床薬剤師モード」へと切り替わっていた。
「そんなことはどうでもいいです! 問題はそこじゃありません!」
私は白衣の裾を激しく翻し、寝台の上に堂々と鎮座しているジルヴェスタへと詰め寄った。
人差し指をピシッと立て、その鼻先へと突きつける。
「誰が起き上がっていいと許可を出しましたか!? 絶食明け、重度の脱水と多臓器不全からの急性期を脱したばかりの患者が、独断で急激に上体を起こすなど言語道断です! 起立性低血圧による脳虚血、急激な静脈還流量の変動に伴う心負荷、そして何より――急激な腹圧の上昇で、修復されかけた胃粘膜の毛細血管が再破綻したらどうするおつもりですかッ!!」
主寝室に、再び雷鳴のような怒声が響き渡った。
開いた口が塞がらないのは、扉の前に立ち尽くしていたカイエンたちだ。
帝国最強の猛将、逆らう者は魔獣だろうと人間だろうと一刀両断にしてきた「氷血の狂犬」ジルヴェスタ・フォン・ハーディン辺境伯。その天下の主に向かって、小柄な男爵令嬢が真っ赤な顔で仁王立ちになり、容赦のない説教を浴びせているのだ。不敬罪どころの騒ぎではない。首が三回飛んでもおかしくない光景だった。
「ひ、ひぃぃっ……! エ、エレナ殿、閣下に向かってなんという口を……!」
オットーが真っ青になって床を這い蹲る。
だが、当のジルヴェスタはといえば――怒るどころか、ぽかんと紫の瞳を丸くしていた。
そして、自分の鼻先に突きつけられたエレナの小さな指先と、怒りで肩を上下させている彼女の姿を、どこか愛おしそうに目を細めて見つめると、素直に両手を胸の前に上げて見せたのだ。
「……すまない。身体が軽かったもので、ついな」
「『つい』で済んだら医療事故対策委員会はいりません! ほら、大人しく背もたれに体重を預けて、深呼吸をしなさい!」
「ああ、そうしよう」
あの傲岸不遜で人を人とも思わぬ冷徹公爵が、まるで躾の行き届いた大型犬のように大人しく指示に従い、枕に背を預けた。
その信じられない従順さに、カイエンの眼鏡が再びずり落ちる。
「……嘘だろ……あの閣下が、怒られ慣れた新兵のような顔をしている……」
私は周囲のどよめきなど一切気に留めず、ジルヴェスタの手首を取り、橈骨動脈に指を沈めた。
ト・ト・ト・ト……。
一分間に七十二拍。不整脈の消失、脈拍の欠損なし。
血圧は推定で収縮期百一十、拡張期七十前後。呼吸音も清明、肺野の副雑音(ラ音)は完全に消えている。
眼瞼結膜の貧血も劇的に改善し、白目の黄疸はほとんど肉眼では判別できないレベルまで退行していた。
「……バイタルサイン、完全に安定域……。内臓の炎症マーカーも、基準値近くまで下がっているわね」
固有スキル「成分鑑定」で彼の体内を透視しながら、私は小さく息を吐いた。
心底からの安堵が、胸の奥を満たしていく。
本当に、生き延びてくれたのだ。この男の規格外の生命力と、私の薬理学の知識が、死神の鎌を完全にへし折った。
「さて……峠を越えたなら、次の治療ステップに入ります」
「次のステップ、だと?」
ジルヴェスタが低く掠れた声で尋ねてくる。
私は胸ポケットから懐中時計(のような目盛り付きの日時計)を取り出し、時間を確かめた。
「絶食プロトコルの終了と、経腸栄養の慎重な再開です。……三日間、点滴代わりの水分と糖分しか口にしていないのですから、お腹が空いているでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、ジルヴェスタの喉が、ゴクリと小さく鳴った。
長年の激痛と吐血により、彼にとって「食事」とは苦痛の代名詞であり、内臓を焼き爛れさせる責め苦でしかなかったはずだ。しかし、痛みが綺麗さっぱり消え失せた今の彼の肉体は、失われたエネルギーを補給しようと、本能的な飢餓感を訴え始めていた。
「……ああ。言われてみれば……腹の奥が、何かを求めて鳴っているな」
「ふふ、健康な証拠です。カイエン副団長!」
「は、はいっ!」
背後で直立不動になっていたカイエンが、弾かれたように返事をする。
「昨夜、厨房の総料理長に頼んでおいた『特製のお粥』の準備はできていますか?」
「あ、ああ! 三日前からエレナ殿に厳命されていた通り、料理長が夜通し火の番をして、最高の仕上がりで保温してあるはずだ! 今すぐ持ってこさせよう!」
カイエンが扉の外へ指示を飛ばすと、わずか数分後、湯気を立てる銀のトレイを恭しく掲げた総料理長が、緊張の面持ちで部屋へと入ってきた。
トレイの上に乗せられていたのは、深めの陶器の器と、銀のスプーン。
器の蓋が開けられた瞬間、ふわりと、主寝室の中に香ばしくも優しい香りが広がった。
王都の料理のような、濃厚なバターやスパイスの刺激的な匂いではない。
穀物の甘やかな蒸気と、どこか懐かしい、大地の滋養を凝縮したような穏やかな香り。
「これは……粥、なのか……?」
ジルヴェスタが器の中を覗き込み、怪訝そうに眉を寄せた。
彼が知る貴族の粥とは、固くなったパンをワインや濃厚な肉の出汁で煮崩した、脂っこいドロドロの塊だったからだ。
だが、目の前にあるのは、白米の粒が形を失う寸前まで極限まで煮込まれ、上澄みのとろりとした重湯と、柔らかく崩れた米粒が溶け合った、絹のように滑らかな「重湯と三分粥の中間」だった。
白濁した粥の表面には、細かく刻んでアクを抜いたショウガ(乾姜)の極細の千切りと、胃の蠕動を助ける陳皮(ミカンの皮を乾燥させた生薬)、そしてほんのりとした赤みが愛らしいクコの実が数粒、控えめに散らされている。
味付けは、精製された微量の岩塩のみ。
「長期絶食後の食事再開において、最も恐ろしいのは何だと思いますか?」
私が器をサイドテーブルに置きながら尋ねると、オットーが恐る恐る口を開いた。
「……そ、それは……胃が受け付けず、吐き戻してしまうことでは……?」
「それも一つですが、真の脅威は『リフィーディング症候群(再給餌症候群)』です」
私の専門用語に、室内の全員が耳を傾ける。
「飢餓状態が続いた身体に、いきなり高カロリーな食事や濃厚な糖質を流し込むと、膵臓からインスリンが爆発的に過剰分泌されます。すると、血中のリンやカリウム、マグネシウムといった重要な電解質が、一気に細胞内へと取り込まれてしまうのです。その結果、急激な低リン血症や低カリウム血症を引き起こし――心不全、致死的不整脈、呼吸停止を招いて、患者は食事を摂った直後に突然死します」
「な……っ!? め、飯を食わせて突然死だと……!?」
総料理長が顔を青ざめさせ、自分の作った粥を凝視した。
「ええ。だからこそ、最初の食事は極限まで糖質とカロリーを抑え、電解質のバランスを壊さないよう、極めてゆっくりと消化管を動かさなければならないのです。このお粥は、お米のデンプンを徹底的に糊化させて消化酵素の負担をゼロにし、少量の塩分で浸透圧を整え、胃腸を温める生薬だけを配合した、医学的な処方食です」
私は銀のスプーンを手に取り、器の端から、重湯をたっぷりと含んだ柔らかい粥をひとすくいした。
ふう、ふう、と息を吹きかけ、人肌よりもわずかに温かい適温まで冷ます。
「ジルヴェスタ様。本来ならご自身で召し上がっていただくところですが、咀嚼筋と手の震えを確認したいので、最初の一口は私が介助します。口を開けてください」
「……む」
ジルヴェスタは一瞬だけ躊躇うような素振りを見せた。
帝国最強の武人が、部下の前で小娘にスプーンで飯を食わせてもらう――武骨なプライドが邪魔をしてもおかしくない状況だ。
カイエンたちも固唾を呑んで見守っている。
だが、エレナの真剣な翡翠の瞳に見つめられたジルヴェスタは、ふっと観念したように小さく息を吐くと、大人しく口をわずかに開けた。
「あーん、です」
スプーンが、彼の唇を割り、舌の上へと滑り込む。
温かい粥が、彼の口腔粘膜へと広がっていった。
「…………っ」
その瞬間、ジルヴェスタの身体が、ピクリと硬直した。
紫の瞳が見開かれ、微動だに動かなくなる。
「ジルヴェスタ様? いかがですか、熱すぎましたか? それとも吐き気が――」
私が心配して身を乗り出した、その時だった。
ゴクリ、と喉仏が大きく動いた。
温かい粥が、何年もの間荒れ果て、焼け爛れていた食道を通って、静まり返っていた胃袋の中へと滑り落ちていく。
じんわりと、温かい滋養の波が、胃壁を包み込んでいく。
「……味が……する……」
ジルヴェスタの唇から、震えるような掠れた声が零れ落ちた。
「え……?」
「味が、するのだ……」
ジルヴェスタは自らの唇に触れ、呆然と呟いた。
魔力濃度の高すぎる劇薬ポーションを呷り続けた代償として、彼の舌の味蕾は完全に破壊され、麻痺していた。
肉を食っても砂を噛んでいるようだった。酒を飲んでも毒水を煽っているようだった。生きるための燃料補給として、味のしない冷えた塊を胃に流し込み、ただ激痛と吐血に耐えるだけの日々。
食事の楽しさなど、温もりなど、十年以上も昔に忘れ去っていた。
だが、今。
彼の舌の上に広がったのは、極限まで引き出された米の優しい甘みだった。
ほんのりとした岩塩の塩気が、身体中の細胞を目覚めさせ、爽やかな生薬の香りが鼻腔をくすぐる。
温かい。
優しくて、滋味に満ちていて、泣きたくなるほど――美味しかった。
「……美味い……。こんなにも、温かいものだったのだな……食事というものは……」
ジルヴェスタの切れ長の目元に、キラリと光るものが浮かんだ。
あの「氷血の辺境伯」が。
どんな過酷な戦場でも眉一つ動かさず、敵の首を刎ね飛ばしてきた冷徹無比な男が、たった一杯の、何の変哲もないお粥を口にして、落涙寸前まで瞳を潤ませていたのだ。
「閣下……」
カイエンが口元を押さえ、感極まって涙を拭った。総料理長も鼻をすすり、護衛の騎士たちは拳を握りしめて咽び泣いている。
ジルヴェスタはスプーンを私の手から奪うことなく、どこか催促するように、静かに私を見つめてきた。その眼差しは、先ほどよりもさらに柔らかく、まるで親鳥に餌をねだる雛鳥か、主人の手元を見つめる忠犬のように無防備だった。
「……エレナ。もう一口、いいか」
「ふふ、もちろんです。よく噛んで、唾液と混ぜ合わせてから飲み込んでくださいね」
スプーンを運ぶたび、ジルヴェスタは噛み締めるように、慈しむように粥を味わった。
器の半分ほどを平らげたところで、私はスプーンを置いた。
「はい、初回はここまでです。胃酸の分泌状況を見て、二時間後に残りを召し上がっていただきます」
「……そうか」
ジルヴェスタは心底残念そうに眉を下げたが、エレナの言葉に逆らう気配は微塵もなかった。
この男の胃袋と心は、たった数日の看護と一杯のお粥によって、完全にこの元薬剤師の令嬢に掌握されていた。
――その時だった。
ズザザザザザッッッ!!!!
凄まじい摩擦音とともに、誰かが床を滑り込んできた。
私の足元、作業用の革靴のわずか数ミリ手前に、ドシンと音を立てて何かが激突する。
「ひゃっ!? な、何ですか!?」
見下ろすと、そこには老侍医オットーがいた。
彼は白髪交じりの頭を冷たい石床に全力で擦り付け、両膝と両肘を床につけた完璧な体勢――すなわち、完全無欠の「土下座」の姿勢で硬直していた。
「お、オットー先生……!? 何をなさっているのですか、立ち上がってください!」
「立ち上がれませぬッッ!!」
床板を突き破らんばかりの怒声が、オットーの口から放たれた。
老人は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をわずかに上げ、その手には、震える指先でしっかりと一冊の冊子が握りしめられていた。
私がサイドテーブルに置いていた、あの手製の「臨床経過記録」だった。
「エレナ様……! いえ、エレナ大御尊師……!!」
「だ、大御尊師!?」
「儂は……儂は、なんと浅ましく、愚かな老いぼれであったか……!!」
オットーはカルテのページを震える手で捲りながら、慟哭した。
「この記録……! 一時間ごとの体温と脈拍の推移、投与された電解質水溶液の精密なモル比率、果ては尿の比重変化から推測された魔力残渣のクリアランス速度に至るまで……! 感情や勘に頼る治療など何一つない! すべてが冷徹なまでの理論と、綿密な計算に基づいた『人体の理』そのものではないか……!!」
オットーは長年、王都の権威ある医学書を信じ込み、「強い魔力ポーションこそが正義」と信じて疑わなかった。
だが、彼が信じていたものは、単なる盲信とオカルトに過ぎなかったのだ。
エレナが残したこの数枚の紙片には、魔力に頼らず、生体が本来持つ自己治癒力を最大限に引き出すための、未知の、だが完璧に体系化された「真の医術」が記されていた。
「儂の無知が……儂の驕り高ぶった経験則が、我が主を殺すところであった……! それを、このお方は……たった一人で背負い、我が身の首を賭けてまで、命を繋ぎ止めてくださったのだ……!」
ゴツン! と鈍い音を立てて、オットーは再び額を床に叩きつけた。
「エレナ様! どうか、どうかこの愚かな老いぼれに、その至高の医術をお教えください! 下働きでも、薬草の泥落としでも何でもいたします! 師匠……! 師匠とお呼びしてもよろしいでしょうかァァッ!!」
「い、いやぁぁっ! 還暦を過ぎたおじいさんに弟子入り志願されるのは荷が重すぎます! 顔を上げてくださいオットー先生!」
私が激しく手を振って後退る横で、ジルヴェスタが低く冷ややかな声で呟いた。
「オットー。私のエレナを困らせるな。床から頭を上げねば、首から上を切り離すぞ」
「ヒィッ、師匠の伴侶(予定)様、申し訳ございませぬッ!」
「伴侶(予定)……!?」
突如飛び出したパワーワードに、私は再び顔を真っ赤にして固まった。
ジルヴェスタは満足げに小さく頷いているし、カイエンは「ふむ、予定ではなく既定路線ですね」と手帳に何かを書き込んでいる。この城の男たちは、どいつもこいつも主従揃って距離感がバグっているのだろうか。
だが――そんなコントのような大騒ぎの中。
ふと、窓の外から吹き込んできた冷たい風に乗って、かすかな「音」が私の耳に届いた。
「……ん?」
私は騒ぎを制し、主寝室の大きな窓へと歩み寄った。
分厚いガラス窓の向こう、雪が止んだばかりの城の中庭――鍛錬場を見下ろす。
そこには、朝の光を浴びながら、木剣や槍を手に集まっている数十名の騎士たちの姿があった。
しかし、その光景はあまりにも異様だった。
「うっ……ぐ……背中が……」
「腰が、腰が砕けそうだ……クソッ、昨日の雪かきと訓練の疲労が……」
「おい、誰かポーションを持ってこい! 一気飲みして痛みをねじ伏せるぞ!」
「やめろ、ポーションを飲んだらまた胃が焼けるぞ……! だが、飲まなきゃ剣が握れねえ……!」
男たちの悲痛な呻き声。
腰を押さえて屈み込む者、肩を抱えて脂汗を流す者、太腿の肉離れを引きずりながら木剣を杖代わりにしている者。
極寒の気候、重い金属鎧の摩擦、連日の過酷な任務、そして――間違ったポーション投与による慢性的な内臓疲労と筋線維の硬化。
北方守護騎士団の戦士たちは、主と同じように、全身を満身創痍の不調で蝕まれていたのだ。
「……なるほどね」
私は腕を組み、窓ガラス越しに彼らの筋肉の動きを、冷徹な視診の眼差しで見つめた。
唇の端に、不敵で、どこか楽しげな笑みが浮かぶ。
「閣下。あなたの回復は、我が医療チームにとっての『第一段階』に過ぎません」
振り返ると、ベッドの上のジルヴェスタが、私の言葉を待つように真っ直ぐに見つめ返してきた。
私は白衣のポケットに両手を突っ込み、凛とした声で告げた。
「次は――城庭で呻いている、あの大男たちの身体を叩き直して差し上げなければなりませんね」
元臨床薬剤師エレナ・ノール。
死にかけの冷血公爵を救い出した彼女の処方箋は、今度は城中を巻き込む「筋肉と湿布の嵐」を巻き起こそうとしていた。




