第35話:王都からの理不尽な勅令! 嵐の予感と迎え撃つ覚悟
研究室の床を揺らした激震は、単なる物理的な振動ではなかった。
それは、北方の守護神として君臨するジルヴェスタ・フォン・ハーディン辺境伯が、内なる猛獣の檻を蹴破り、剥き出しの殺意を解き放った合図だった。
部屋の空気が、息を吸い込むだけで喉が凍りつきそうなほど冷え切っていく。窓枠の水晶硝子がピリピリと不穏な悲鳴を上げ、足元では聖獣の仔テオが銀色の毛を総毛立たせ、低く唸り声を上げていた。
「……エレナ、私の後ろから離れるな」
ジルヴェスタ様の声音は、もはや先ほどまで私に白い外套を着せ、耳を赤らめていた不器用な男性のものではなかった。
研ぎ澄まされた刃そのものの、冷酷無比な覇王の響き。
男は漆黒の外套を鋭く翻し、大剣の柄を握ったまま、大股で廊下へと踏み出した。
「カイエン、謁見の間へ通せ。……中央の狗どもがどのようなツラを下げて吠え面をかきに来たのか、この目で直々に確かめてやる」
「御意に。すでに第一部隊、第二部隊の全重装歩兵、ならびに城内待機の魔導小隊に召集をかけております」
カイエン副団長が、歪んだ眼鏡を指先で押し上げながら冷え切った笑みを浮かべた。
その切れ長の瞳には、王都に対する底知れぬ侮蔑の光が宿っている。
私は、ジルヴェスタ様から贈られたばかりの、極光氷蚕の生糸とミスリルで織り上げられた純白の外套の裾を握りしめた。
羽のように軽く、けれどどんな悪意も通さない「白い鎧」。
ポケットの中には、先ほどまで整理していた領民たちのお薬手帳の控えと、調剤用のはさみ、そして緊急用の強心生薬アンプル。
逃げる気など、微塵もなかった。
私を信じ、居場所をくれ、用法用量を守ってくれたこの北方の地を、理不尽な権力闘争の泥足で踏みにじらせるわけにはいかない。
「私も参ります、ジルヴェスタ様。……私が調合した薬に、後ろめたいことなど爪の先ほどもありませんから」
私の決然とした言葉に、ジルヴェスタ様は振り返り、紫の瞳を微かに和らげた。
「ああ。だが、お前が自ら奴らの前に出る必要はない。泥を払うのは、私の剣の役目だ」
男の大きな手が、私の白衣の肩をそっと抱き寄せる。
重厚な靴音を響かせ、私たちは城の中央、巨大なアーチ状の梁が連なる大謁見の間へと向かった。
◇
ギィィィ……と、黒鉄で補強された謁見の間の大扉が、左右へと重々しく押し開かれた。
広大な石造りのホールの奥、一段高くなった玉座のような領主席。
その背後には、ハーディン家の象徴である黒地百舌鳥の巨大な軍旗が垂れ下がっている。
だが、今その広間の中央に陣取っていたのは、城の主たちを待たせることなど何とも思っていない、王都からの不遜極まりない一団だった。
総勢五十名を超える武装兵。
身に纏っているのは、雪道を行軍してきたとは思えぬほどピカピカに磨き上げられた、純銀メッキの豪奢な儀礼甲冑――中央騎士団親衛隊。
その後ろには、紫紺のフードを目深に被り、複雑な幾何学模様の刻まれた高価な魔導杖を構えた、王宮直属の儀礼魔導士たちが十数名、傲然と立ち並んでいた。
中央の寒さを全く考慮していない薄手のマント、泥で汚れた長靴を城内の絨毯でこれ見よがしに拭う無礼な所作。
北方最前線の命がけの空気を微塵も理解していない、王都のぬるま湯に浸かりきった特権階級の典型的な姿だった。
そして、その中央に立ち、金色の飾り紐で彩られた長大な羊皮紙の巻物を広げていたのは――。
肥満した体を窮屈な宮廷服に押し込み、脂ぎった顔に薄ら笑いを浮かべた中年の文官だった。
王室特命監察使、ガルブレイス伯爵。
ユルゲンの実家であるブラント侯爵家と極めて近しい間柄であり、王都の利権貴族の急先鋒として悪名高い男だった。
「おやおや、ようやくのお出ましですか、ハーディン辺境伯。ずいぶんと待たせてくださったものですな」
ガルブレイスは手にした巻物をパタパタと仰ぎながら、見下すような視線をジルヴェスタ様へと向けた。
そして、その視線がジルヴェスタ様の背後――真新しい純白の外套を身に纏った私を捉えた瞬間、男の豚のような細い目が、ねっとりとした卑しい嘲笑の色に歪んだ。
「ほう……? そちらにいるのが、かの『無能の落ちこぼれ』と名高いエレナ・ノール男爵令嬢ですかな。王立薬草院を追放された身でありながら、辺境伯に取り入って、ずいぶんと分不相応な絹の衣などを着せてもらっているようだ。まったく、恥知らずにも程がある」
ピシリ、と。
広間の大理石の床に、微細な亀裂が走った。
ジルヴェスタ様が、音もなく領主席の前へと歩み出る。
その全身から放たれる冷気は、もはや部屋全体の暖炉の炎を瞬時に立ち消えさせんばかりの密度を誇っていた。
「……用件を言え、王都の蝿が。私の城の空気をこれ以上汚すなら、その舌ごと喉笛を切り裂くぞ」
低く、地獄の底から響くようなジルヴェスタ様の恫喝。
親衛隊の兵士たちがビクリと肩を跳ねさせ、思わず剣の柄に手を伸ばしかけた。
だが、ガルブレイス特使は自らの背後に控える「王命」という絶対の権威を過信しているのか、鼻でせせら笑うと、巻物を両手で高々と掲げた。
「無礼な物言いはそこまでにしていただこう、辺境伯! これは国王陛下の直々の御名において発せられた、至高なる『王室特別勅令』である! 控えよッ!!」
ガルブレイスは咳払いを一つすると、大広間中に響き渡る甲高い声で、その羊皮紙の文面を読み上げ始めた。
「『勅令! 先般、王立薬草院筆頭錬金術師ユルゲン・フォン・ブラント卿、ならびに中央騎士団長ヴァルター卿より、重大なる告発が受理された。北方の地において、男爵令嬢エレナ・ノールは、無認可の危険な薬物を製造・密売し、さらには中央騎士団に配備された正規ポーションに遅効性の呪詛毒を混入させ、軍の戦力を著しく毀損せしめた嫌疑がある!』」
「……何だと?」
私の隣で、カイエンが低く唸った。
だが、ガルブレイスの暴言は止まらない。
「『よって、王命により以下の二点を命ずる! 一つ、ハーディン辺境伯領において不法に製造・備蓄されているすべての新薬、ならびにその原料たる希少薬草――特に、極秘裏に採取されたと目される国宝生薬「月光花」の全備蓄を、中央軍の救済と軍備強化のため、一粒の例外もなく無償で中央へ全量供出せよ!』」
――全量供出。
しかも、無償で。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で、カチリと冷たい怒りのスイッチが入った。
先日、テオが命がけで導いてくれた、あの奇跡の群生地。
そして、私が夜を徹して抽出し、領民や兵たちのために安全性を検証していた至高の月光花エキス。
それを――自分たちの不祥事を埋め合わせるために、丸ごと強奪しようというのだ。
「『――そして二つ! 国家反逆および軍への有害薬物散布の重大容疑者として、男爵令嬢エレナ・ノールの身柄を即座に拘束し、厳重なる鉄枷を嵌めた上で、王都の大公廷における査問のため、直ちに連行する! 右、拒絶する者は、いかなる高位貴族であろうと反逆者とみなし、王権の名において速やかに討伐するものとする! 国王の御名において!』」
読み終えたガルブレイスは、勝ち誇った笑みを浮かべ、羊皮紙を乱暴に丸めた。
「……お聞き届けいただけましたかな、辺境伯? 王都では今、中央騎士団の尊き戦士たちが、この小娘の盛った毒によって苦しんでいるのだ! その罪を償うためにも、薬草と小娘を今すぐこちらへ引き渡してもらおう!」
静まり返る謁見の間。
あまりの理不尽。
あまりの破廉恥さ。
自分たちが「即効性こそ正義」と嘯いて劇薬ポーションを兵士に煽らせ、横紋筋融解症と急性腎不全で自滅させたのだ。ミレーヌの顔面が爛れたのも、自らの無知と虚栄心によって高濃度ポーションを傷口に塗りたくった自業自得。
それを、すべて「追放したエレナの毒殺テロ」にすり替え、地方の適正な医療資源と生薬を力ずくで強奪しようという、国家ぐるみの醜悪な医療略奪!
(……許せない)
私の拳が、白衣のポケットの中でワナワナと震えた。
医学的に考えて、王都の要求は「狂気の沙汰」以外の何物でもなかった。
月光花は、極めて高いバイオアベイラビリティと受容体適合性を持つ奇跡の生薬だ。しかし、それは厳密な温度管理、抽出比率、そして患者のバイタルに合わせた用量設定があって初めて「薬」として機能する。
薬物動態学の基礎すら知らず、TDM(血中濃度モニタリング)の概念も持たないユルゲンたちに月光花を渡せばどうなるか。
彼らは間違いなく、この尊い生薬を再び過剰な魔力で煮沸し、高濃度の「光る劇薬」へと変貌させるだろう。
そして、すでに腎臓と肝臓を破壊されている王都の瀕死の兵士たちに、その劇薬を無差別に流し込むのだ。
待っているのは――救済ではない。
さらなる急性アナフィラキシーショックと、細胞の急激な壊死による、全兵士の完全な心停止だ。
「……お断りします」
私の凛とした声が、静寂の広場に澄み渡った。
ガルブレイスが、信じられないものを見るように目を剥く。
「な……何だと? 小娘、今何と言った?」
「聞こえませんでしたか? お断りすると申し上げたのです」
私はジルヴェスタ様の背後から、すっと一歩前へ進み出た。
純白の外套が、謁見の間の冷たい風にふわりと揺れる。
「薬とは、用法と用量を守り、患者の命を救う意志を持つ者にしか扱えないものです。自分たちの調合ミスで内臓を溶かしておきながら、それを他人のせいにし、適正な処方の理屈も知らぬまま生薬を奪おうとする……。そんな不見識で傲慢な連中に、私たちが命を削って育て、精製した薬草を一葉たりとも渡すわけにはいきません!」
「き、貴様ぁぁっ! ただの男爵令嬢の分際で、王命に異を唱えるかァッ!?」
ガルブレイスの顔が、怒りで豚のように真っ赤に沸騰した。
男は自らの背後に控える親衛隊へ向けて、狂ったように腕を振り上げた。
「衛兵! 何をボケッと突っ立っている! その生意気な小娘の手足を縛り上げろ! 反逆者だ! 口答えするなら、その場で手首をへし折っても構わん、引っ立てろォッ!!」
号令を受け、最前列にいた親衛隊の重装騎士二名が、抜き身のサーベルをガチャリと鳴らし、私目掛けて大股で踏み出してきた。
その無骨な鉄手袋が、私の白い外套の襟首を掴もうと、下卑た笑みを浮かべて伸びてくる――。
「ガルルルルルッッッ!!!!」
足元から、雷鳴のような威嚇の咆哮が炸裂した。
仔獣テオが銀色の毛を逆立て、牙を剥き出しにして騎士の足元へと飛び出そうとする。
だが――聖獣の牙が届くよりも、遥かに速く。
世界から、音が消えた。
――ドォォォォォォォォォンッッッッ!!!!
大気そのものが超高圧で圧搾され、目に見えるほどの黒い衝撃波となって爆発した。
突風ではない。
物理的な重力場が歪んだかのような、絶対零度の「覇気」の奔流。
「ぶ、ぎゃああっ!?」
「ぐあああっ!?」
私に手を伸ばそうとしていた二名の親衛隊騎士が、まるで目に見えない巨人の拳で叩き潰されたかのように、甲冑ごと床へと叩きつけられた。
石畳がクモの巣状に粉砕され、二人は内臓を激しく打撲して白目を剥き、昏倒する。
「ひ……っ!?」
ガルブレイス特使の喉から、乾いた悲鳴が漏れた。
男が目を見張った、その瞬間。
すでに――死神は、彼の目の前に立っていた。
ザシュッ……!
風を切り裂く音すら置き去りにした、神速の抜剣。
ガルブレイスの視界がブレた刹那、彼の鼻先――わずか数ミリの至近距離に、漆黒の大剣の切っ先が、ピタリと静止していた。
剣身から立ち上る、凍てつく黒い冷気が、特使の脂ぎった鼻の頭を一瞬にして白く凍結させる。
「ひっ……ひぃぃぃ……っ!」
ガルブレイスの膝がガクガクと震え、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
床に尻餅をついた特使を、見下ろしているのは――。
ジルヴェスタ・フォン・ハーディン辺境伯。
その紫の双眸は、ドス黒い深淵の底のように濁り、この世のあらゆる温もりを拒絶する絶対の殺意を宿していた。
手にした黒剣からは、触れただけで魂まで凍りつかせるような死の魔力が、陽炎のように立ち上っている。
「……我が領の宝に」
ジルヴェスタ様の、地を這うような重低音。
それは、人間の出す声ではなかった。太古の氷河の下で眠っていた暴竜が、目覚めの息吹を吐き出したかのような絶望の響き。
「その薄汚い手を伸ばすな、と言ったはずだ」
「ひ、辺境伯……! き、貴様……正気か……!? 私は……私は王室の特使だぞ! 王命を伝える名代だ! 私に刃を向けることは、国王陛下に……帝国そのものに反逆することと同義だぞッ!!」
床に這いつくばり、失禁寸前になりながら喚き散らすガルブレイス。
だが、ジルヴェスタ様の切っ先は、一ミリたりとも揺らがなかった。
「王命だと? ……笑わせるな」
ジルヴェスタ様の冷笑が、凍りついた広間に響き渡る。
「前線の兵を毒で潰した無能どもの保身のために、我が領の民が命を繋ぐための薬を差し出せだと? 我が命の恩人であり、この城のすべての光であるエレナを、罪人として差し出せだと? ……そのような寝言をほざく王命など、この北方の氷雪の下では、暖炉の灰ほどの価値もない」
「な……っ!?」
「言っておくが、ガルブレイス。……王命だろうと、神の託宣だろうと、エレナを一歩たりともこの城から出す気はない。彼女を奪おうとする者がいるならば、それが帝国の全軍であろうと、皇帝その人であろうと――この私が、我が手でその首をへし折る」
迷いのない、絶対の断言。
一国の公爵が、国家最高権力に対して公然と言い放った、完全なる決別の宣言だった。
「お、親衛隊! 魔導士団! 何を突っ立っている! 反逆者だ! この狂犬を討てぇぇぇっ!!」
ガルブレイスが這いずり回りながら悲鳴を上げた。
親衛隊の兵士たちが、恐怖に顔を引き攣らせながらも、一斉に剣を抜こうと柄に手をかけた、その瞬間――。
ジャキィィィィィィィィンッッッッ!!!!
広間を埋め尽くすように、数十、数百の鋼の擦れ合う音が、一斉に鳴り響いた。
「「「…………っ!?」」」
親衛隊の動きが、完全に凍結した。
謁見の間の四方の回廊、バルコニー、そして出入り口のすべてから――。
抜剣した北方守護騎士団の精鋭たちが、怒濤の勢いで姿を現し、親衛隊五十騎を完全に包囲していたのだ。
先頭に立つのは、大剣を軽々と肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべた第一部隊長バルツ。
その背中には、エレナの処方した冷感湿布がしっかりと貼られ、全身の筋肉は一片の疲労もなく躍動している。
「おいおい、王都の坊っちゃん方。誰に剣を向けようとしてんだ、あぁん? エレナ様に指一本でも触れてみろ、その自慢のピカピカの甲冑ごと、ミンチ肉にして雪山へばら撒いてやるぞコラァッ!」
バルツの咆哮に、親衛隊の兵士たちが震え上がる。
さらに、左手の回廊からは、銀糸のローブを翻した治癒魔術師ロディンが、冷ややかな笑みを浮かべて歩み出てきた。
その細い指先には、青白くバチバチと唸りを上げる高密度の破壊術式が、すでに展開されている。
「おやおや、王都の方々は本当に礼儀を知りませんね。私たちの『女神』を罪人扱いするだなんて……。皆さんの大脳の神経回路を直接過熱して、一生涎を垂らして笑うだけの廃人にして差し上げましょうか?」
そして、ジルヴェスタ様の脇に控えていた副団長カイエンが、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、無表情のままパチンと広げた。
「ガルブレイス卿。すでに我が領の軍用魔導通信により、近隣のクランツ伯爵、オルディン男爵、ヴェルナー子爵をはじめとする七諸侯へ、緊急の事態通達を完了いたしました。……各領主の夫人方より、『エレナ様を不当に拘束しようとする特使部隊は、領内通過を一切認めず、補給路を完全に封鎖して餓死させよ』との熱烈なる檄文が届いております」
「な……近隣諸侯までが、この小娘に味方しているというのか……!?」
「味方しているのではありません」
カイエンが眼鏡を押し上げ、絶対零度の瞳で特使を見下ろした。
「このハーディン辺境伯領のすべての兵、すべての民、そして北方全土の貴族たちが――エレナ様の慈愛の医療によって結ばれた、ひとつの『鉄壁の防壁』となっているのですよ。あなた方のような愚者に、奪えるものなど最初から何一つ存在しない」
完全なる包囲。
完全なる孤立。
王都から意気揚々とやってきた特使部隊五十騎は、今や完全に、牙を剥く北方の狼の群れに取り囲まれた哀れな羊の群れと化していた。
親衛隊の騎士たちは剣を握る手をガタガタと震わせ、王宮魔導士たちは術式の展開すらできずに杖を取り落としている。
圧倒的な結束。
私がこの地で蒔いた「正しい医療」と「思いやり」の種が、今、私を守るための巨大な大樹となって、理不尽な巨悪の嵐を完璧に遮断していたのだ。
胸が、熱い。
震えるほどの誇りと感動が、私の全身を満たしていく。
「あ……あ……あ……」
床に這いつくばるガルブレイスは、泡を吹きそうになりながら、恐怖の眼差しでジルヴェスタ様を見上げた。
ジルヴェスタ様は、黒剣の切っ先をわずかに引き、ゆっくりと鞘へと納めた。
カチリ、と硬質な金属音が響く。
そして――。
ジルヴェスタ様は、白衣を纏った私の腰へと力強く腕を回した。
城中の騎士たち、そして敵兵たちの目の前で、私を己の逞しい胸元へとしっかりと引き寄せ、抱き留める。
男の温かい体温が、ミスリルの外套越しに私の背中へと伝わってきた。
「……っ、ジルヴェスタ様……?」
私が驚いて見上げると、ジルヴェスタ様は私に優しい眼差しを一瞬だけ向け、それから再び、床の特使へと絶対零度の視線を叩きつけた。
「ガルブレイス。その命だけは、今ここで奪わずにいてやる」
男の冷徹な声が、凍りついた謁見の間の隅々にまで、染み渡るように響き渡った。
「命からがら王都へ逃げ帰り、貴様の飼い主である国王と、あの無能な錬金術師どもに、そのまま伝えよ」
ジルヴェスタ様は私を抱き寄せる腕に、さらに力を込めた。
世界で最も大切な至宝を、誰にも渡さないと誇示するように。
「――『用法用量を守れぬ者に、分け与える薬など一滴もない』とな」
ドォン、と重厚な鐘の音が、城の尖塔から鳴り響いた。
それは、追放された元薬剤師と北方の孤高なる辺境伯が、腐敗した王都の偽りの権威に対し、完全に決別を告げた歴史的な宣戦布告の鐘だった。




