第八話 衝撃
レヴィエント・ターズウェル、意識不明の重体――その知らせは、最も大きな衝撃をもって前線基地にもたらされた。
レヴィエントは最大戦力でもあり、精神的支柱でもあったからだ。
第一騎士団にとってだけではない。前線に駐屯する騎士、魔導士、補給部隊、医療班に至るまで、レヴィエントという存在は、もはや一人の騎士ではなかった。
どれほど強力な魔物が現れても、どれほど戦況が悪化しても、「レヴィエントがいるなら何とかなる」と誰もが思っていた。
その男が倒れた。しかも、意識不明の重体――当然、基地は騒然となった。
「嘘だろ……」
「レヴィエントが?」
「いや、何かの間違いだろう」
信じられないという声があちこちで上がる。だが、現実だった。
晶角獣との戦闘に居合わせた者たちがいる以上、隠し通せる話ではない。実際に担架で運ばれていく姿を見た者も少なくなかった。
言葉にこそする者は多くないが、騎士たちの間には不安が広がっていた。
もし、次に大規模な魔物の襲撃があったら。もし、再び災厄級の魔物が現れたら。レヴィエントを欠いた状態で、果たして勝てるのか。
誰も答えを持っていなかった。
だが、騎士たちの内心の不安を除けば、前線基地は大きな問題もなく回っていた。もちろん、動揺は大きいが――指揮官たちは、このような事態を想定した準備を行っていたのだ。騎士たちが動揺することも織り込み済みで、対応策を講じていた。
(アウレリウス卿は、本当に用意周到だな……まさか、この状態を予見できるとは思わんが)
第一騎士団の団長は疲労の色を隠しながら、休むことなく各部隊を回っていた。
およそ数カ月前、アウレリウスから受けた指摘と指示を思い出す。開口一番、「レヴィエントに万一があった場合を想定した対応策を考える」と言われたときは、一瞬、怒りに近い感情すら抱いたものだった。だが、その指摘はまったくの正論だった。実態として、レヴィエントは騎士団の最大戦力でもあり、精神的支柱でもある。それを欠いた時の現場の混乱は容易に想像できる。団長クラスの戦死より、あるいは影響は大きいかもしれない。少なくとも指揮官クラスは、いつレヴィエントを失っても動けるように準備しておく必要があった。
レヴィエントを成年式典へ送り出したのは、もちろんレヴィエント本人を思ってのことではあるが――その最終確認としての側面もあったのだ。
(だからといって、こんな形で証明しなくてもいいだろう)
胸の奥に重いものが沈んだ。だが、表情には出さない。レヴィエントを欠く今、自分が余計な不安を煽るわけにはいかない。
幸いだったのは、秋季討伐作戦そのものはほどんど終了していたことだろう。レヴィエントの活躍もあり、苦戦していた東西の戦線も落ち着いており、周辺の大型魔物もほぼ排除されている。前線全体として見れば、ひとまず目的は達成されていた。
数日後、秋の遠征の終了が宣言された。討伐隊は、複数回に分かれて順に王都へ帰還することになる。そして同時に、レヴィエントの容態については厳しい緘口令が敷かれた。
レヴィエントは国家的英雄だった。エルハンダラの英雄と慕われるレヴィエントは、民衆に圧倒的な人気を誇っている。彼が危篤だという情報が民衆に伝われば、何が起こるかは分からない。
王宮は即座に情報統制を決定した。
遠征の終了が宣言された、その日の深夜。
誰にも気付かれぬよう、レヴィエントは王都へ搬送された。向かう先は王宮――王国で最も優れた医療設備と治癒魔導士が集められた場所だった。
――――
王都のフルリエ公爵邸の窓辺には、秋の柔らかな陽光が差し込んでいた。
テレシアは、美しい刺繍の施された群青色のドレスを眺めている。婚約発表の夜会で着用する予定のものだった。
「お嬢様、こちらはいかがでしょう」
侍女が装飾品を差し出す。銀細工の中で輝くブラックスピネルは、まるでレヴィエントの瞳のように美しい黒だった。ドレスの深い色合いにも、美しく馴染むだろう。
「ええ、とても素敵ね。こちらにいたしましょう」
テレシアの声は穏やかだった。だが、心はどこか落ち着かない。
――愛しいシア。
出立する直前、そう呼ばれたことを思い出すだけで、胸の奥がきゅうと締め付けられる。自分が想う人と結ばれる未来など、長く想像すらして来なかったから。どこか信じられなくて、それでも確かに幸福だった。
正式な婚約書に調印してすぐ、慌ただしく前線へ行った婚約者を想う。テーブルの上には、数通の手紙が置かれていた。レヴィエントから届いたものだ。忙しいだろうに、伝書鳩を用いて、数日おきに手紙を送ってきてくれている。
内容はいつも簡素だったが、いつでもテレシアへの思いやりに満ちた文面だった。テレシアはそれらを何度も読み返していた。彼らしい文字を見るだけで安心できたからだ。
(そういえば……少し、遅いわね)
最後に返事を出してから、すでに七日近く経っていた。だが、レヴィエントは前線にいるのだから、さほどおかしなことでもないだろう。今までのペースが早すぎたくらいだ。秋季遠征も終盤のはずだ、きっと忙しいのだろう。
だが、それでもなぜかテレシアの胸はざわついた。嫌な予感を振り払うように、レヴィエントの手紙を手に取ろうとした――その時だった。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
扉の外から執事の声がする。テレシアは顔を上げた。
「お父様が?」
「はい。至急、執務室に来るようにと言付けを預かっております」
その言葉に、テレシアは違和感を抱いた。執務室へ呼び出されること自体は、さほど珍しくない。だが、父がわざわざ「至急」と言付けたことなどこれまで一度もなかったのだ。
先ほどの嫌な予感が、急速に膨れ上がっていくのを感じる。理由は分からない。だが、いやに胸を締め付ける。
すぐに席を立ち、執務室へ向かった。早鐘を打つ心臓を抑え、静かにノックをする。
「お父様、テレシアが参りました」
返事を聞いて扉を開ける。
父は、少しも笑っていなかった。珍しい表情だった。
重苦しい沈黙が場に落ちる。フルリエ公爵は、静かにテレシアを見つめた。
その瞬間、胸の奥が冷えるような錯覚を覚える。
「……お父様?」
父は、すぐには答えなかった。ゆっくり立ち上がると、娘の前まで歩み寄った。
「テレシア」
その声を聞いた瞬間、テレシアはほとんど反射的に、聞きたくないと思った。聞き覚えのある声音だったからだ。それは――七年前、母の死を告げられた時の声音と、ほどんど同じだった。
「レヴィエント君が――前線で重傷を負った」
嫌な予感ほどよく当たるものだと、テレシアは思った。
「現在は王宮で治療を受けている。医師団は全力を尽くしているが……」
何を言われているのか、よく分からなかった。言葉は聞き取れる。だが、脳が理解を拒絶していた。
呆然とするテレシアに、父は痛ましげな表情を見せた。一瞬、躊躇うように言葉を止めたが、やがて吐き出すように言った。
「危篤状態だ」
ガツンと、頭を殴られたかのような感覚だった。
視界が揺れた。耳鳴りがする。父が何か言葉を続ける声が、酷く遠くにぼんやりと響いた。何も聞こえない。何も考えられない。
ただ一つだけ、数日前まで読んでいた手紙の文字が脳裏に浮かんた。
――シア、貴女に会いたい。
その一文だけが、何度も、何度も。何度も。
頭の中で繰り返されていた。




